フィリピン人は日本人が思っているよりカラオケが大好きだと思う。
アメリカに移民してきたフィリピン人の友達と話していて教えてもらったことだけど
こんなにカラオケが好きな国ってあるんだろうか?って思うぐらい好きだと思う。
人前で歌うことを気にしない人が多いし歌いだすと立ち止まって聞く人も多い。
僕は歌うことはあまり好きじゃないけど歌うことを好きな国は何故フィリピン人はカラオケが好きなのかを友達と話しながら考えた。
1:カラオケ好きのフィリピン人から見えてくる愛の形
年齢関係なく、もちろん大統領さえ歌うのが好きで一般人はけっこうな頻度っでどこへ行っても歌う人がいたり歌を聴いて人だかりになっていたりするのを見るらしいのだけど、歌う人も聞いている人も愛を込めて歌い愛を感じながら聞くので歌うことに否定的でないのだろうと僕は思った。
恋愛でさえ歌いながら求愛をするというからまた驚いた。求愛ソングはハラーナもしくはセレナーデというらしい。伝統的な求愛形式らしく今ではやらない人もいるのだけど伝統としてあるらしい。一人で歌うのではなく歌う人とギターの人が協力しながら女性の家までいって求愛ソングを歌う。
日本だと女性の家の窓のそばまで二人の男性が来て一人が歌い、もう一人がギターということをしたらかなり怪しいというか面白いのだけど恥ずかしすぎるしアメリカでもまずいない 笑
フィリピンの愛の表わし方で歌はとても重要なのだとスペインの植民地化の初期からある伝統的な求愛方法を見て思った。
アメリカではカラオケに行く人も少ないし人前で歌うなんていうことをほとんどしたがらない人が多いと思う。日本のように音楽教育も受けてない人は多いだろうし小さい頃からみんなで歌うということをしてきていないと思うのも歌いたくない理由だと思う。フィリピンは小さい頃から歌う人も多いらしく学校、家、外で友達とかどこでも歌うことがあるようでその環境が歌うことへの抵抗を下げていると思う。
たしかに愛は歌から伝えられるし熱心なカトリックが多いフィリピンではその信仰の厚さと同じくらい愛を伝えたいと思っているんじゃないかと思う。宗教の信仰は愛と繋がっているため信仰心の厚さが歌に表れていると僕は感じる。日本は信仰心が薄いようで実は愛をいろんなところで込めている。例えば商品などは雑なものが少なく愛がないとここまで作ることはできないだろうと思うものは少なくない。日本のゲームも同じく。物理的な愛ではなく心に込める愛がカラオケが好きとどこか共通点があるように感じてくる。そしてそれが国のまとまりを作ろうとしているようにも思えてくる。まとまりがないフィリピンだけど歌や信仰を通してまとまっているようには思える。
一方、アメリカはどんなことも自由なため自己中心的な人も多く一緒に歌ってまとまることもあまりなく人前で歌うこともしてこないため歌うことに臆病になっているところがあると思う。最近では宗教をよく思っていない人も多く信仰心がないお金しか考えていない人もいて愛はどこにあるんだろうと思えてくる。もちろん愛はあるとインスタグラムやフェイスブックでキスシーンなど愛を見せているのは多いのだけどそれが本当に愛なのか?と少し疑いたくなるのがアメリカなのだ。カップルだからやっている周りに悪く思われたくないからということが強くあるんじゃないかというのもあると思う。愛がないわけではないでも見えない愛を信じない人が多くなったアメリカでは歌うことを好まない人が多いんだと思えてくる。
面白いのがフィリピンの大統領も歌が好きなようでユーチューブで誰がに撮影されている。こんな動画はフィリピンならではじゃないだろうか?
他の議員の前で自信を持って歌っているらしい。
公共の場で自身を持って歌うフィリピン人達
2:親交を深め仲良くなる手段の一つ
日本でもカラオケで親交を深めるというのはあると思うがフィリピンは日本よりその傾向が強いと思う。例えば家族とも絆を深めるためにカラオケで歌うというのだ。クリスマスパーティーがあればカラオケマシンをレンタルして家族で歌うとか、先生と仲良くなるために先生と歌うとか、歌うことが本当にコミュニケーションの手段になっていると思えてくる。コミュニケーションを言語と体と顔だけと思いがちで、顔で体の表現などで興味が沸きそこからフォロワーが増えるんだとアメリカ人のクラスメイトが言っていたがそんな社会とは相反するものがフィリピンにはあると思う。コミュニケーション手段が歌なのだ。
もちろんアメリカはダンスが得意な人が多いのでダンスもコミュニケーション手段だろう。でもダンスでコミュニケーションを取るというより本人の感情を優先しているところはあると思う。自分の自由が大切な国だからだろう。でも高校のプロムなどではダンスができないといけないと聞くから少なからずダンスが相手の感情をくみとってリードできるかどうかという愛情表現になっている部分はあるのだろう。とても物理的な愛情表現でアメリカらしいと思う。
ちなみに日本の曲で人気なのは宇多田ヒカルのFirst Love、ボルテスVの歌、K-POPの歌らしい。だけどやっぱり人気の曲は英語の曲みたい。
面白いことにフィリピンの職場によってはレクリエーションとしてカラオケを用意している場合もあるとか。ビリヤードや卓球があるとこもあるらしいけどカラオケというのはフィリピンらしいのかもしれない。フィリピン人が日本で働いたらカラオケが職場になくてストレスがたまるのかなー?とか思ったり思わなかったり。カラオケがない職場ではスピーカーで音楽を再生して自由に歌ったりするスペースもあるとか。
3:幸せな国と言われるフィリピンの理由にカラオケ人気があるんじゃないかと思うこと。
人前で歌うことを嫌がる人はどこにでもいる、フィリピンでもいるし僕も嫌だ。それでも歌うことで人との関わりを楽しむことができるのは純粋に楽しいものを受け入れる気持ちがないとなかなかできないと思う。声が綺麗、歌がうまいというだけで注目され仲良くなれるのは難しい理屈抜きにして楽しめる環境があるのだと思う。
幸せな国と言われるのは考えていないというのも理由だろうけど考えないで楽しめる環境があるのは少なくとも幸せの重要なポイントなんじゃないかと思う。考えなさすぎは問題なんだけど。
僕もフィリピン人と話すと日本人と話すより「歌って!」って言われることがある。歌いたくないのに頑張って歌うと相手の表情も変わり仲良くなった気がするのだ。
フィリピンはカラオケが人生に影響を与えているといっても過言ではないんじゃないかと思う。フランク・シナトラのマイフェイを歌ったせいで少なくともフィリピンで10人が殺されたという事件があった。労働者階級の人たちは歌が下手というだけで殺人になることさえあるのだ。Afpbbの記事 音楽が原因でカラオケ殺人、フィリピン
容疑者は警備員でありやはりブルーカラーの労働者であった。歌で人生を賭けるぐらいの環境がフィリピンにはあり、だからこそカラオケがうまいと人気になりやすいのだと思う。最後は神が助けてくれるというフィリピンでは一般的な理屈が通じないことがあるということである。それだけ歌が人生に強い影響があるのだからカラオケや歌はフィリピンの愛と関わっていてもおかしくはないと思う。
たぶんフィリピンにいった外国人が歌を歌ってめちゃくちゃうまかったらすぐに話題になってテレビとかにとりあげられて人気になるんじゃないかとおもうぐらいフィリピンでのカラオケや歌には力があるんじゃないかと思う。