文春オンラインに酸欠少女さユりの 「航海の唄」 のMVが香港デモを連想するためMVが削除されたというものである。
僕はこのグループを知らないしヒーローアカデミアを見てないので興味がなかったのだけどちJ-POPが中国を気にしながら削除したという内容にビックリした。
この歌詞のサビについて文春で警官隊と圧倒的な武力の差の中で抵抗する香港の若者をイメージさせなくもない、と言っている。
たしかにそう聞える。それだけでなく僕はキリストをイメージした。酸欠少女さユりはキリストのメッセージとくにプロテスタントのメッセージを込めた歌を歌っているのではないかとということである。
プロテスタント、反抗するものの意味があり香港デモとかぶる。香港はイギリスの植民地だったこととイギリスのプロテスタントが多いことは関係ないわけではないだろう。香港内のカトリックとプロテスタントは記事によるとあまり大差はないようだけどプロテスタントが約48万人カトリックが約37万人で少し多いプロテスタントの考えが香港デモをカトリックも一緒に引っ張っているんじゃないかなと思えてくる。
過去のツイッターではキリスト創世記を思わせる会話がされている。
https://twitter.com/taltalasuka/status/653583891261865984
ほかにキリスト発言があるのもキリストの意味が歌詞にあっても不思議ではない。
出典:whotwi
何がキリスト教のプロテスタントなのかというとサビの部分が特にそう思えたのだ。
「強さは要らない 何も持って無くていい 信じるそれだけでいい
この先でどんな痛みが襲ってもそれだけが君を救うだろう」
という部分である。
キリストにはカトリック、プロテスタントがあるがプロテスタントは信仰により人は救われるというものがある。カトリックが贖宥状(しょくゆうじょう)という罪の償いを軽減する証明書を発行しお金で市民が買うことで天国に行けるというという腐敗したおかしなことをやっていた時代にそれがおかしいと言って神はそんな紙切れでなく信じることにり救いをさしのべるとキリストの原点にたって言い出してできたのがプロテスタントだ。キリストはどんな痛みが苦しみがあっても信仰により救うという教えがあるのだ。もちろんカトリックにもその教えはあるがプロテスタントはキリストの原点にたつ考えがあるためカトリックより厳格に痛みがあっても信仰により救われると考える人は多いと思う。
教会(もしくは中国)の腐敗した強さはいらない、ビラなんていうおかしなものはなくていい、信じるそれだけいい、このさきどんな痛みがあっても襲ってもそ
れだけが君を救うだろう
というのはまさにキリストのプロテスタントのようだ。
香港のデモは実はキリスト教の信仰が存在している。でも参加者の多くはキリスト教信者が含まれている。路上でハレルヤを歌う人、聖書を読み上げる人がいて香港自由とは西洋のキリストプロテスタントの戦いという一面もあるのだ。もちろん香港デモはプロテスタントだけでなくカトリックも多く関わっているだろう。
キリストの厳格な痛みがあっても信仰により救われるというのは自分が死んでもかまわないという戦う姿勢さえある。これはものすごい精神力で日本の切腹ももすごいけど体中の皮がはがされても信仰により救われるというのあるのだ。それがわかるのがキリストのアート聖バルトロマイの皮はぎの像である。偶像があるのはプロテスタントのアートではない。しかしプロテスタントにも偶像がないだけで同じような意味があり、カトリックにもこの偶像のような意味がある。現実にはここまで強い精神力を持つクリスチャンは現代でほとんどいないとは思うが痛みがあっても信仰により救われるという考えは今でもあるだろう。
はがされた皮をまとっている姿である。これだけ信仰し、覚悟があるのがキリストの原点の考えである。
香港デモがなぜ命がけで学生が戦うのかというとこの覚悟があるのだと思う。香港デモの雨傘運動のリーダー黄之鋒(ジョシュア・ウォン)もキリスト教である。ちなみに僕の知り合いの中国人で中国から出たいというアメリカに旅行に来た家族もキリスト教徒である。中国はウイグルだけでなくキリスト教も弾圧しようとしていると言われていてこれは中国国内と香港のキリスト教と中国の戦いと考えるとものすごいことが起きていることになる。でもこの聖バルトロマイほどの覚悟は今の世の中ないと思うのでここまでのものではないと思うけど命がけなのは変わりないだろう。
そして歌詞には
「臆せず、歩き出せ」
「ただなくせないもの一つ守るために新しい扉の先に船は進んでいく」
とある
これは雨傘運動の黄之鋒が言った言葉と似ている。同じ気持ちがキリスト教徒にはあるということなのかもしれない。
言ったのは要約すると
「キリストを信じる心が原動力になりますます強くしてくれた」
ということである。
キリストが臆せず、歩き出せるようにしてくたということであり、なせいないものという心と正義がありそのれために僕らは進んでいく(戦う)ということなのではないかということなのだ。
クリスチャンによるデモが加速する可能性があり日本キリスト教協議会は香港事態に関する祈りと願いという声明を発表している。
中国が正しいのか香港が正しいのか、クリスチャンたちの気持ちを考えたら中国がおかしいと思うのは変ではない。それだけ命をかけた正義と信仰があるからだ。命をかけるほどの信仰心があるものを疑えるだろうか?
それなのに日本は中国に配慮してJ-POPまでもが制限しているというおかしなことをしている。ドイツもアメリカも日本も何もしてくれないと諦めているからこそ彼らは命をかけているのだと思う。でもアメリカは何もしてくれなくといっても香港の人権法案に著名している。
さらにMVでは満月が出てくる。神の救いにおいて「新月」はキリストの十字架の死と復活を意味し、「満月」はキリストの再臨を表わす。いずれの時にも神のラッパが鳴り響くとされている。キリストの再臨はとは奇跡が起きるということである。
歌詞にも「見つめた願い今もまだ歌い続けてる 月の下」とありMVでは月の下で踊っている人たちがいるてラッパの代わりにスピーカーがでてくる。キリストの奇跡を祝っているようである。
さユりはwhotwiでミカヅキというコメントをしている。これはミカヅキという曲があるのでその意味もあるだろうけど、どこかキリストのつながりを感じる。
三日月とはキリスト、イスラムそれぞれ意味がありキリストではキリストの背中に三日月のように光る光背(マンドラル)で聖母マリアの意味もある。イスラム教のシンボルは三日月である。考えすぎかもしかしたらキリストだけでなくイスラムも中国に反対し香港に集まり戦うんだという意味があるのかなぁと考えたり。その意味は違うものが力を合わせることで平和を勝ち取ることそこ真の平和という意味だったり。
彼女のギターが満月の色のように光、走る男性と女性の周りに満月の光のようなものがまとっていることからキリストの力をまとったという意味があるんだと思う。香港人たちからするととても勇気付けられるMVだろう。
ちなみにさユりは人間なのでキリストの世界であれば聖母マリアなのか。
そして歌詞は「破れた地図の先をしめし始めた 海の真ん中」といい海の中のシーンへとMVは移っていく。この海のシーンで手を上に掲げるのはどこか海に沈み手を広げて上を見ているキリスト像に見えたりもする。キリスト像は黄色く塗られており、沈んだ船の乗客の命に捧げたられたものらしい。このことから僕の勘違いかもしれないけど香港で中国の力で殺されていった命に捧げている意味もあるんじゃないかなと思ったりもした。もちろん手をかかげて先の見えない世界を切り開いていくという意味もあるだろう。
そして「航海の唄」というタイトルから中国側共産主義と香港側の共産主義の対立により仲の良い中国人同士でも敵対してしまい人を殺してしまって後悔してしまうけど、それでも船は進んでいくんだから後悔しないで前を向いて行こうっていう意味もあるかもしれない。
出典:Redbull
空が赤い色から青くなり黄色くなるところは中国共産党が負けることを意味してるだろうし、スマホの顔の人たちは監視し合う人民解放軍や共産党側の人達の意味だろう。空が黄色くなっているときに出てくる船のようなものは歌詞には「船は進んでいく」とあるように船そのものだと思うのとキリストで言えばノアの方舟。もちろん黄色には香港デモで使われている色である。黄色はフランスでのデモで使われたりタイでも政権と反対する人たちが黄色のシャツを着ていた。そのため黄色がすべてキリストに関係しているわけではないと思うが関係してないわけでもなく、さらに色々なことが重なって黄色なんだと思う。
出典:theguardian
酸欠少女さユりの 「航海の唄」はクリスチャンを集結させるような曲にも聞えてきて現代版、古代の十字軍(クルセイダー)と権力との戦いのようにも見える。十字軍は民間の人も十字軍と名のり戦った歴史がある。聖戦か。僕は十字軍を好きではないけどその信仰心と正義心はすごいと思う。
香港のために作った曲かどうかはわからない。でも香港デモ支持を歌っているように聞える曲は少なくとも香港人達とクリスチャンが誤解しているとしても現代版聖歌して勇気付けられているのは間違いなくいるだろう。香港の解放と時代の革命が歌からは連想できる。アートは見る側、聞く側がどう受け取るかが重要なのだ。それだけ世界中のクリスチャンはこの曲から香港デモを連想していると思う。中国国内のbilibiliではこの唄は禁止されているようなので聴くことができないクリスチャンがいると思う。もし中国国内のクリスチャンが聴く事ができると国内の中国共産党から良く思われていない1億人以上のクリスチャンが勇気をもらって戦うかもしれないし力をもらって生きることができるかもしれない。
そしてMVには日本の学生服を来ている人達が登場する。このことから日本への若者への強く勇気付けるメッセージがあるのと若者へ香港デモに関心を持ってもらう意図は少なからずあるのではないかと思った。特にキリスト教を連想する内容と日本の精神は共通している部分がある。現代社会では効率、メリットデメリット、勝てば官軍、自分さえよければいいという人は多くなった世の中でそれはまるで中国の他人なんてしならいお金さえ稼げればいいという良心のない考えと似ている。武士道の正義は生命より重く命より正義を貫くというものである。香港デモのクリスチャンが行っているのも自分の生命より正義と自由のために戦っているのだ。
こういうときこそエンタメ側は表現の自由を盾に公開し続ける意味があると思うのだけど、そういう精神がないのだろうか。ソニーが航海の唄を制限としたとしたら残念するぎる。世界中の香港デモに関心をもっているゲームファンはがっかりしただろう。
酸欠少女さユりの活動を気にしていこうと思ったしアニメチェックしようって思った。
香港デモはクリスチャンが多いといっても普通の学生だろうと言われているから戦う気があってもやっぱり殺されたくはないし武器もてないクルスチャンのデモ隊では中国共産党側に圧倒されそうな気がする。
Apple MusicやYoutubeからも削除されるのはAppleが中国の悪いことを言わないことをサウスパークが中国を皮肉ったときにいったことからもわかるし中国にあるApple関連企業は中国批判なんかしたらすべて資産を取られてしまうだろうから中国の悪いことは言えないはずである。
そして香港デモとは関係ないが世界はとくに日本は正義や信仰心なんて関係ない人が多くなりつつあると思う。それでもこの曲から勇気づけられる人がいたりアニメにあっていると思う人がいるのはそれだけ、信じるだけでいいという信仰心と正義心が求められていきているのだと僕は思う。
お金だけ求める狂った時代はもしかしたら終わりつつある前兆だろうか。
少なくとも信仰心などを見直そうとする動きは強くなっていくだろう。特にリベラルが弱くなりつつある時代だからこそ過去を見直す人は増えるだろう。
アートは現代の人々の気持ちが表れていて、音楽もアートフォームでアートには未来を見せるものがあったり何か答えを見せたりするものがあったりすると僕は思っている。だからこそ信じるだけでいいという力強いメッセージは人を信仰心に向きなさせると僕は確信する。貧困が拡大し生きることが苦しい時代になればなるほど信じることは力を与えるからだ。
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