多くのアメリカ人は自信過剰だからアメリカ人の話はほどほどに聞くのがいいと思うこと

ユタ大学が調査をしてアメリカでは自信過剰な人が多く自信過剰な人は騙されやすいという結果がでた、という記事を見た。

前からアメリカ人は自信過剰と思っていたことはけどそれは間違いじゃないっぽい。

自信過剰な人は自分の間違いやおかしなところに気づかない傾向があるけど、アメリカの学校の先生の中には間違った成績をつける人がちらほらいたり、ずっと使っているらしいクイズに間違いがあることに先生も気づいていなかったり、大家に工事が必要なことを伝えてもたいしたことないと思っているのか全く工事をしなくて後で大変になったり。もちろん大家が工事をしてくれないことは多いけど、無視できないトラブルもあるのにそれを大丈夫と思える神経は自信過剰だからとしか思えない。
アメリカ人クラスメイトが今までいろいろやってきて自分はこんなこともあんなこともできると言うからすごいんだろうなぁと思っていたら、その人の宿題はどんなものだと気にかけていたらあんまりたいしたことがないと思うこともあったり、そういえばアメリカの面接では口ではすばらしいことをいう人はものすごく多いというし、口から素晴らしいことがでてきたらあまり信用しないほうがいいんじゃないかと思えてくる。

アメリカ人が話をきかなかったりアメリカ人だけでなく中国人も先生のアドバイスをきちんと把握しない人が多かったり自信過剰な人が多いんじゃないかと思う。「わかった」というから大丈夫かと思うとだいたいがわかっていない。先生がきちんと直す箇所を教えているのに、コロナの影響もあるけど英語に問題があってもわかるように今ではオンラインで先生が何を言ったのかビデオを何度も見ることができるのに直さない学生は間違った方向に自信過剰なんじゃないかと思う。不安や心配症の多い日本人からすると世界中の大部分が自信過剰に見える。

自信過剰が全部悪いわけではない。例えばアメリカのサービスも完成されていなくてもとりあえずサービスを始めるものは多いくてそれでも便利な部分もある。Uberとか。中国ゲームもパクリでもなんでもとりあえず顧客を獲得できれば問題があっても後からなんとかなるだろうと思っているんじゃないかと思うものたくさんある。原神インパクトは人気を得て任天堂に問題にされていないだけで、結局ゼルダのパクリなわけでやったもん勝ちみたいなふうにも見える。Youtubeもはっきりいってパクリで成長してきたと言ってもおかしくないのにパクリでもなんとかなるだろうと思うのは自信過剰じゃないとできないことだろう。自信過剰だから新しい物は生まれやすいとも言えるかもしれない。ゲームのサイバーパンク2077もバグが多くて作りこまれていないまま公開しちゃって炎上しちゃったり訴訟されたりするけど自信過剰でダメでも後からなんとかなるだろうと思っているからこんなことが出来るんじゃないかと思う。
でもこの結果、社会やファンの気持ちをめちゃくちゃにしちゃっている面もあるので良いことかというと全面的には良いとは言えないなにかと倫理観で問題視されている楽天も同じようにコストが安ければサービスは悪くても後からなんとかなるだろうというやり方をしているのを見て、自信過剰でサービスよりもお金の回収を優先する考えは本当にいいことなのだろうか?と考えてしまう。これはアメリカ社会の底にある考え方の自信を持ってハッタリでもどんどんとりあえずやっていくというものは本当に正しいのか?ということだ。

ユタ大学の調査の記事では謝ったニュースを信じて行動に移す人も多いというから、アメリカのBLM運動で社会をめちゃくちゃにしていたのに支持されていたことなども自信過剰な人が多いからなんじゃないかとも思えてくる。だからアメリカ発のポリコレも自信過剰が含まれていそうであんまり信用してはいけないんじゃなかとちょっと思う。
違法な移民さえ関係なく受け入れてきたアメリカがトランプ前大統領になって移民を抑制しだしたのも自信過剰でなんでも受け入れてきた結果、社会にひずみが生まれ手いるからなんじゃないかと思うし、自信過剰が問題を先送りにして結果、そのツケがまわってきているようにも見える。
アメリカでは自信のある人が求められているから多くの自信を持つように教育されるんだろうけど、その結果、嘘も見抜けない人が溢れてしまってまとまりのない社会になりがちで、だからこそ自信をもってひっぱってくれる人がいないといけないんだと思う。なので謙虚にしていると根拠のない自信過剰の人の都合のいいようにされてしまう可能性があって自身を持って生きなければいけないのはわかる。

でも自分のことは自分で見えないことなんてあるはずなのに自信過剰だと自分のことは自分でわかっているわからないのがおかしいとさえ思う人もいる。自信過剰の人は冷静に話すことができないようでおかしさを指摘しても話しにならない。なんでそんなタトゥー入れたんだろう?バカなんだろうか?というようなものさえも本人はすごいかっこいいと思っているのである。ものすごく太って健康に問題が出そうな人だって自分は全く問題ないと思っている。もちろん人の見た目に対して指摘するのはアメリカでは問題になるから言わないけど。それに本人は自信があるわけだから多少文句を言われてもへこたれないし気にしないし幸せかもしれないけど、それってバカだよなぁって思う。一歩間違えれば無敵の人だよなぁって思う。一応知らない人のために説明すると無敵の人とは2ch創設者ひろゆきが作ったスラングと言われていて、失うものがなく何も躊躇なく行動でき犯罪を犯せる人のことである。犯罪者でなくても何を言われても何も思われても何も失うものがない自信過剰の人は無敵の人にも似ている気がする。だからなのかメンタルヘルスに問題があるアメリカ人が躊躇なく銃の乱射をするのも無敵の人が多いんじゃないかなーってちょっと思った。
アメリカは戦勝国だし発展途上国の人がたくさんアメリカに来たいと思われている国だからちょっと思いあがっているところもあるかもしれないし、むしろ自信過剰がその思いあがりを加速させているかもしれない。物はたくさんあってカリフォルニアにはいろんな国の食べ物がたくさんあっていいでしょ?楽しいでしょ?ってアメリカ人の先生に言われたけど、アメリカの食べ物のおもしろくなさに飽き飽きしているのは留学生の中国人であったり韓国人だったり日本人だったりするわけで、アメリカ人って自分達のことを客観的に見えていない人が多いのかなーって思ってしまう。裸の王様っていうかジャイアンって言うか、いるよなー日本でも傲慢な指導者や先輩で自分のことをまったく見えていない人。日本の先輩で自分はおしゃれだと思っている人がいたけど、自信過剰だからなのか全くオシャレにみえない先輩。お乳が透けているんだけどって人 笑
筋肉があればまだ変には見えないかもだけど、ひょろっとして乳首だけシャツからくっきり見えていたら不恰好で笑ってしまう。そんなのアメリカ人だったら気にしないとかいう人はいるかもしれないけど、美術的な考察を言えば、真っ白のTシャツに乳首だけはっきりしているのは、そこが焦点と言えて、焦点とは見てもらいたいポイントでだいたい目立つように描くわけだ。色を一つだけ赤にするとか構図の中で目にとまりやすいように配置するとか。乳首が真っ白のTシャツにぽつぽつっとちょっと黒い点をつくってしまい、まるで乳首を見てくれよと言っているようにも見えるのが美術的な考察だろう。だから全然、アメリカ人だったらそんなことを考えないとかじゃなくて論理的にも変だよってことなんだ。まー自信過剰だと自分のことは見えなくなる人は多い。

ただ謙虚なだけではおかしなことさえも指摘できないから自信過剰にならずに、でも自信はなくさずに謙虚でもあるのは難しい。そんな僕も知らないうちにアメリカナイズされていたようで日本の古くからの友達と話したときに人のアドバイスを聞かなくなった、昔はもっと人の気持ちを考えていたと言われたことがあった。今は反省しアメリカの悪いことも認識しながら日本の良い点も忘れずアメリカの良い点を気をつけて吸収していこうと思う。

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