アメリカのアリがなんか違うと思ったこと

アメリカのカルフォルニアではなぜかアリが家の中に出現しやすいんじゃないかと思うことがある。「うわわわー」と思いながらなんどもわき過ぎるアリと格闘するうちにアメリカと日本のアリは何か違うと思った。日本でよく見る黒いアリなんだけど、なんでだろうと考えた結果、たどりついた答えがある。

それがこれだぁぁ!

1:アメリカでは家が古くて隙間がある

2:道路などの整備が日本ほど整っておらずアリが出現しやすい

3:アメリカは日本より汚いことが多くアリが食べ物を見つけやすい

4:靴を履いたまま部屋に入ることが多いアメリカではアリを部屋に運んできやすい

5:カリフォルニアは雨があまり降らずアリが出現しやすい

カリフォルニアは雨も少ないし自然災害も少ないのでアリは天敵を恐れず生きられるんじゃないかと思う。場所によるけどカエルはほとんどいないしアリを食べようとする生き物は日本より少ないのかなと感じる。カリフォルニアは人間もどこかのほほんとしているような気がするけど、アリも人間も自然災害が少なくて日本と比べると違いがあるだと思う。カリフォルニアの人を観察すると人間がアリを出現させやすい環境を作っていると思った。

例えばカルフォルニアの環境と人の傾向に良さと悪さがあるけどその良し悪しが生き物に影響を与えているんだと思う。

カリフォルニアの良さと悪さは、

良いところ

・古いものでは使えれば使おうとする人が多いこと。

・良い意味で大雑把

悪いところは

・汚いところ

・現れたら殺せばいいと生き物や自然を軽く見ている部分がある。これは問題が発生してから考えようとするアメリカの様々なところで見られる態度でもある。

・道路や様々なものを整えようとすることを様々な理由でしていない無責任さがある

自然災害が少ないカリフォルニアでは自然が怖くないと思っているのかもしれない。アリだけでなくクモも他の虫も家の隙間から入ってくるのになんとも思っていない。靴で部屋の中で生活するぐらいだからアリを運んでこようが部屋がちょっと汚くなろうが気にしない。天敵が少なくても、人間が出すゴミや靴についてアリによって人間とアリが遭遇しやすい環境があるのがアメリカだと思う。人間と遭遇しやすいということは人間に殺されやすいということだと思う。自然と人間の境界線が曖昧で人間も自然も不必要な格闘が発生してしまうのである。

例えばアリだけでなく古い建物ばかりだと家の土台が古くて木の根っこもやってきて家を壊す可能性もあるし、たまにある雨でおもいもしないダメージを家にもたらす可能性もある。雨漏れを大家に相談してもいつも行動してくれるのが遅いのは、アジア人だからと軽く見られている部分はあるかもしれないが、ほおっておけば雨ぐらいたいしたことないと思っている部分もあると思う。雨が大災害につながるなら水関連で問題が起きれば大家の責任なので何もしないなんてことはないはずだ。気にしない人が多いのだ。
クモだってムカデだって小さい生き物も表れては人間に邪魔者扱いされて殺されるのはアメリカ人が大雑把で汚くても気にしなかったり、道路やその他の設備を整えようとしていないことは意外と原因だったりするんじゃないかと思う。火災が多いカリフォルニアだけど、あまりにも多い気がするので気にしなさすぎだと思う。

日本の場合はとんでもない古い木造の家を除けば家の隙間が少なて土台もコンクリートがうたれてあったりして気の根っこが家を崩壊するとか基本ないと思うし、自然災害が多いから様々なものを整えていて人間と自然の境界線がカリフォルニアより明確にあると思う。日本人が知らず知らずに汚くしないようにポイ捨てをしないことや生活の向上のために道路を整えたり家を新しく建てたりすることがアリの遭遇を抑えているのである。これは自然と人間の生活が出来る限り分けられていることであり、アリにとっても無駄に殺されることもなく人間にとってもむやみにアリを殺したり不快な思いをしなくていい社会であると言えるかもしれない。それにカリフォルニは雨が少ないため隙間が多い建物でも気にしていない人が多いかもしれないが、自然と人間の生活を隙間を作ってはっきりと分けないことは自然と人間のお互いにとって不幸なんじゃないかと思う。

この考えは多様性の考えとつなげると面白い。アメリカは移民をたくさん受け入れてアメリカの中に全く考えの違う人が存在して、うまく共存しているかと思えばそうでもなく人と人が悪く分断されている。考えが違うものが誤って行動することで銃で撃たれて殺されたり、お互いの考えが理解できないため誤解が生まれて攻撃や差別されたり。アリも人間もお互いが理解できないからアリは知らずに危害を加えるし人間はアリを排除しようとする。

一方日本では、無闇に移民を受け入れないことで批判はあるものの移民も日本人も出来る限り共存できやすいのではないかと思う。最近、ベトナム人を大量に受け入れたことで日本では問題が発生しているが、もし日本がきちんと選んで受け入れていたらこのような問題は少なかったのではないかと思う。お互いが良い気持ちにならない。

全く考えの違うものを受け入れると共存するどころかお互いに壁が生まれてお互いを知らず知らずに傷つけるので共存とは理解あるものが出来るものではないかと思う。ヨーローッパでもヨーローッパを理解しない移民が問題視されたり敵視されたりするようにお互いにとって不幸でしかない。
しかし加点方式(プラス思考)で考えると人間はアリと違って様々なことから理解することができるので学ぶことで共存できるようにはなる、とは言えるけど意外とそうならないから問題が発生しているわけだ。逆に減点方式(マイナス思考)であれば、最初から考え方が違う人は理解しあうのが難しいから生活を分けようとすることで問題はでずらいんじゃないかと思う。世の中、プラス思考で考えすぎなんじゃないかと思う。プラス思考は自己評価を高めて自信も出るが、意外と自分のことが分かっていない人は多くて自分をきちんと分析できず自信過剰なだけの人は多いと思う。もしそうなら社会の軋轢は生まれてしまう。

ウーバーだってタクシー会社に問題を起こして、さらに問題だらけでも問題が出れば後からなんとかしようとするウーバーの姿勢は加点方式だし、そもそもアメリカは加点方式の社会だから減点方式の人と話が合わないことは多い。大切なのはプラス思考とマイナス思考のどちらも理解できる教養と心の広さだと思うんだけど、それはレベルが高すぎて世界中の人は出来ない人が多い。だから分断が生まれちゃう。アリと人間がきちんと分かれている日本は変な分断が起きない。なかなか会わないから分断が起きようがないわけだ。

ここで懸念することは中国が中国国内に向けて様々な情報を遮断しているのは不必要な情報が暴動を起こす可能性があるからだと思うが、情報統制は独裁政権と変わらないので危険視される。情報の遮断は難しいとなると、お互いの良し悪しを理解して無闇に自国を敵視したり他国に憧れを持つことを減らすことが重要なんじゃないかと思う。でもそれはかなり難しいけど。テクノロジーは人間の成長スピードをおいてけぼりにして社会に分断を作っているけど極論、人間が成長できれば分断は減るんだろうけど、それは極端にプラス思考に陥った人間には無理。なぜならアメリカの暴動のように間違っていても自分が正しいと思ってしまうから。これはプラス思考のマイナス点。プラス思考に偏る社会に対立が生まれやすいということ。

結局、他国への憧れはいつの時代もあるけどそれは隣の芝は青く見えるということで、他国への理解が出来ていないからが理由だし、自国の規範を息苦しく思うのも他国の規範が理解できずに自国の悪さや他国の良さしか見えないからだろうし。自国の良さも他国の悪さもあってそこを比較できない。

規範と言えばアメリカの犬はしつけされていることが多いと思う。もちろんそれは人を犬が攻撃すれば人に殺されても問題ないからで家族は殺されないためにも犬をしつけしているんだと思う。それは犬にとって自由なのだろうか?自然と共存するとは人間が自然をがんじがらめにして無理やり人間の生活になじませることなのだろうか?それとも日本のように自然と人間を分けることで共存を目指すことなのだろうか?

日本の犬は人に対して吠えることが多いけど、人に怯えていたり寂しかったり遊びたくて吠えたりだと思う。しつけで吠えないようにするより犬の気持ちを理解して吠えないように対応できることが大切なんじゃないかと思う。

世界で驚かれる日本の猿が温泉に入ることは猿が人間に危険を感じていなくて人間も猿の生活を邪魔しないようにしているからじゃないかと思う。うまくお互いがすみわけが出来ていてケンカせずに温泉を利用している。もちろん例外はあるけど。

だから西洋の歴史ではいつも暴動があって暴動には今までの規範からの脱却が含まれているだと思う。キリスト教の規範から離れだす中世のルネッサンス、産業革命によってさまざまな職業がなくなり宗教を信じない人が増加、ジャポニズムのような西洋規範とは違うものへの憧れ、20世紀には西洋文明と規範を否定したポストモダニズムやフェミニズム運動やテロ、細かいところではディズニーの細かなアニメスタイルから脱却し日本のアニメにようなスタイルを取り入れだしたり、とにかく規範からの脱却があるのが西洋。アメリカだってヨーロッパの規範から逃げてきた人の国であり植民地だったわけだし。最近ではなんでもコントロールしようとする西洋の考えと中国の独裁の考え方が似ているのか、アイフォンの画像データを勝手にスキャンするというニュースがあったり、アメリカのポリティカル・コレクトネスは人を規範にがんじがらめにして生き辛くしたり加点方式の考え方は良いことばかりではない。もちろん日本にも規範があるけど、西洋の場合は自分中心の考えに陥りがちなので規範への批判は東洋と比べて強くあるんじゃないかと思う。

アリはマイナス思考の日本とプラス思考のアメリカのどちらの環境が住みやすいのだろうか?と考えていると、たぶん、マイナス思考のほうが不要な争いが少なくて生きやすいんじゃないかと思ったりもする。それは人間にとっても無闇に殺さなくていいから生きやすいはずだ。僕がアリならせっかく雨の影響を受けづらい場所に巣を作っても人間にお湯をかけられたり全滅させられる可能性が高い環境より、自然災害はあるし天敵は多いけど見つかりづらく生きている環境のほうが意外と生きやすいんじゃないかと思ったりもする。草木を綺麗に分けられていることが多い日本だと敵に遭遇しづらいからアリ一匹で歩いていても死ぬことは少ないんじゃないかなと思った。

自然と人間の関わり方が日本とアメリカでは違うと思ったということだ。

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