たまたまプリキュアのlove link という動画を見た。
なぜこれを見て感じたことがあったのか?
彼女らの歌う歌詞は
「本当の気持ちを諦めなければ、奇跡起こるよ、今走り出せるよどこまでもラブ」と歌ってる。
僕が思うのはこの歌に限らず、アニメや映画が輝いているように見えるのはそこに停滞感がないからだと思う。
新しいことをチャレンジし続ける彼女ら、そして歌にのせる真っ直ぐなメッセージは、現実社会に欠けているように感じるからだ。
社会は停滞感がどことなくあり、新しいチャレンジができない風潮があると思う。
新しいことを提案しても取り合ってもらえず、後ろ向きになったり社会に幻滅することさえあるかもしれない。
社会をよくしようと動く人でさえ、あまり良く思われていないようである。その一例が下記のリンクである。
若者食いつぶす“ブラック自治体” 地域おこし協力隊のトンデモ実態
なぜ新しいことに向き合えないのか?新しいこと、夢を追いかけないと変わらないのになかなかみんな出来ない。
もし社会がチャレンジし続けることが当たり前ならこのような歌に反応しなかったかもしれない。
自分たちに足りないものをみたり聞いたりすると光って見える。
このアニメやゲームに共感する人は意外と多くいると僕は考えている。
日本ではアニメのコスプレをする人は多くいるが、大学を卒業しても仕事をせずに実家に生活をしコスプレやアニメの世界に逃避のようなことをする人は意外と多くいるんじゃないだろうか?
この意味するところは社会に対して根本的な幻滅感があるのだろうと思う。絶望的なものではないにしても多くの人は出来ることならまっすぐにチャレンジする環境が欲しいのだ。
なぜインドや中国、シリコンバレーが勢いがあるように見えるのか?彼らは躊躇無くチャレンジするからである。完璧を求めない。中途半端はあたりまえが前提である。でも人同士が助け合えれば自分のかけているところを補えると知っているから完璧を求めないのだ。
ひるがえって、日本では完璧を求める傾向があるのではないだろうか?中途半端は悪。
でもそれがチャレンジをさせない環境を作っているように見える。
僕らは安定を求めるあまりにチャレンジすること自分を忘れているのだ。なので僕はチャレンジするプリキュアが輝いて見えたのだと思う。
僕らが生まれたとき、諦めることを知っていただろうか?
まだ危険なのに急な階段を上って親を驚かせたり、虫や昆虫を恐れず触ったり面白いと思ったことにチャレンジしたのではないだろうか?
僕は今となっては昆虫も虫も触りたくないが、そのチャレンジ精神は忘れたくないと思う今日この頃である。