【感想・ネタバレ・考察】ジョーカー 胸糞悪いプロパガンダ映画

DC映画をほとんど見ない僕はジョーカーが今までのDCと違い、ただのエンターテイメントじゃないというから気になって見た。
そして確かに普通のエンタメ映画ではないと思ったし色んな人が言っているようなこともたくさん共感、賛同する。例えばハリウッド映画にはない映画であり今までのハリウッド映画を皮肉っている、アメリカ社会を痛烈に批判、資本主義と競争、差別により弱者を生んできたアメリカを考えさせられる映画などなど。
僕も中国べったりのエンタメ映画を作ってきたハリウッドを批判しているのか、中国べったりの今までの政府を批判しているのかなど思っていたが何かもやもやしたものがあり納得はするものの何かひっかかると感じていた。
そこで他の考察記事に納得しつつももやもやしているのであえてジョーカー批判考察を考えて僕の心をスッキリできたらと思う。

映画ジョーカーのつまらなさを批判していく。

ジョーカーは炎上を狙ったタチの悪い左派工作映画

炎上を狙ったという証拠はない。しかし炎上を狙ったんじゃないかと思えることは見つけることができる。

ワーナーブラザーズは最初からジョーカーの公開にリスクがあると考えていたと分かる記事がある。
「ワーナーは、ヴィレッジ・ロードショー・ピクチャーズとブロン・スタジオズの2社から出資を募り、リスク分散をはかった。」

リスクがあることを分かってわざわざ製作公開するのは炎上込みでマーケティングを考えたんじゃないかと思っても変じゃない。
そして他の記事によると「ダークナイト ライジング」の銃乱射事件の遺族がワーナーに
「安全な社会を築くことに貢献し大企業として責任を果たすべし」と声明を発表し公開の差止めや鑑賞のボイコットではなく不安のようなものを表明している。
このようなことを言わせることも予想できたと思うのでやっぱり炎上を狙ったんじゃないかと思えてくる。しかも危険を考慮して映画館では警備配備で公開されているのでこれも予想していただろう。
このあえて企業がリスクを犯してまでやる必要ないのにわざわざ危険な映画を作った理由にはただの炎上ビジネスでなくDCファンを利用したアメリカの政治誘導が含まれているじゃないかと思う。

ジョーカはハリウッド映画への批判だと、言う人もいるがそれはワーナーの批判にもなるのでおそらくハリウッド映画の批判ではなく、批判炎上をさせることで製作側が狙っているものがある。
例えば今回もし騒ぎになった場合、弱者を助けることにもっと目が向くだろう、この先にあるのは今は退いたバーニーサンダースの支持にもつながると思う。社会主義を求めるサンダースを支持する人はDCファンに多いと思うし、政治に興味がない人に映画を通して騒ぎが起きることでサンダース支持者になってもらうことで中国市場を狭めようとするトランプを退け中国市場を獲得していきたいという考えもあるんじゃないかと思ったりする。
中国市場を考えているけど中国では公開されていないジョーカー。それでもトランプが落選すればいいとアメリカの親中派は思っているんじゃないかと思う。
炎上してもらわないと意味がない、混乱させたいという意図は口では言わないがないとは言えない。
それに監督の過去映画を見ると混乱や騒ぎなどが好きなのかな?と思うものが多い。特に昔の作品のドキュメンタリー「Hated: GG Allin & the Murder Junkies 」は社会の混乱に興味を持っている監督なのかなと感じてくる。
CG Allinはアメリカの変質者と言われたパンクロック歌手だ。
そんな混乱、無秩序に魅力を感じている監督が目をつけたのがジョーカーだ。

ジョーカーについての監督へのインタビューによると
「コミック本の映画を今回のような方法で作りたいというアイデアが浮かんだ時に、最初に浮かんだのはジョーカーでした。なぜならば、彼は大混乱を象徴していると思ったし、バックストーリーもないし、それが自分にとっては魅力を感じる部分でもありました。」引用esquire

やっぱり混乱に興味を持っている。左派映画活動家のような監督だからワーナーと話が合うのもわかる気がする。社会の混乱に魅力を感じる監督と炎上を狙い、サンダースを当選させたいんだろうなぁと思うワーナー。
これはイジメや怒りをエンタメにしている政治誘導のプロパガンダ悪質な映画と見ることができるじゃないかと思う。
マイケル・ムーア監督を否定するわけじゃないけどリベラル派でサンダース支持者のマイケル・ムーア監督はジョーカーを絶賛していたのでジョーカーはリベラルのための映画と言えるかもしれない。しかし左派右派という批判でなく最近のリベラルは中国嫌いの人もいるしリベラルみたいに自由が大好きなのにトランプ支持者もいるのでリベラルだかといってジョーカーは良かったと思う人ばかりではないだろう。

批判や怒りを見せる映画を参考にあげると映画アスやミッドサマーは有名である。この二つは監督の内面を含んでいて左派右派という思想の批判も含みつつも左派右派どちらとも関係なく人間として幸せとは?という考えを映画に含めていると思う。どちらも一応はハッピーエンドでありバッドエンドでもある。どちらも誹謗中傷と言えないぐらい論理や事実を含めた批判が含まれている社会派な映画であり今までの正論が崩壊する可能性さえある強烈な映画だった。
二人ともハリウッドを批判し監督自身が現在の狂った社会の被害者でもある。被害者であるから彼らが作る作品に彼らの魂の叫びがあり視聴者の心が動くのだ。

一方、ジョーカーは社会派な映画な一面もありつつも実は社会派ではない。社会派と言われるぐらい価値があり意味あることしているのならいいのにジョーカーは左派よりの社会派を装った工作映画であり社会の分断を狙おうとするものが見え隠れする。アスもミッドサマーも分断がテーマに含まれているが分断を煽るような作品でない。むしろ過去を見直すことを考えさせられるのにジョーカーを見ても過去を見直すということはない。弱者はほったらかしにされて今でも変わっていないというジョーカーのメッセージはアスにもあったが明らかに今までのリベラルを批判している部分はある。ジョーカーはリベラル批判よりも悪を正当化さえるリベラルらしい分断工作だろう。現在、黒人がまた殺されたことでツイッターでも命がけでストライキすることを煽るものをいくつも見つけることができる。CNNが取り上げたりとリベラルの分断工作にしか見えないのだ。黒人を批判したくないが殺し合いをしても何も解決しないのに毎回殺し合いしかしないアメリカ社会は左派右派関係なくマイノリティを無視しているのである。アスもミッドサマーもリベラル側に向かってでもあるけどそれだけでなく右派左派関係なく裕福で搾取してきた側が死ぬわけでジョーカーに似ていても違う作品だ。右派左派関係なくという点は重要だと思うんだけど、すべてのイデオロギーに疑問を投げかける今までマイノリティを無視してきた人達への聖戦のようなものがミッドサマーとアス。本質を付く作品なわけでミッドサマーのアリ・アスター監督も本質を問う園子温監督の作品をリスペクトしている。

でもジョーカーは実際に銃乱射が起きるような作品を作っても、その後まったく変わらないハリウッドは現実社会にジョーカーのような人を作ってきた側の加害者と言ってもいいかもしれない。本質を言っているようで実はただ悪を正当化しているようにしか見えない明らかなリベラル側の作品でリベラルに分断を訴えているように見える。被害者は視聴者なのに映画ジョーカーは「今までのやり方を変えてもうちょっとソフトな社会にしよう」と、聞こえのよいメッセージを発しながらも実は利益しか考えていない。人が死んでも怒りとイジメなどをエンタメにしようとする製作者側のうわべの社会を良くしようとというメッセージは気持ち悪い。
狂ったアーサーがジョーカーになる話でもその狂いが薄っぺらくてなんでこんな狂いで賞賛する人が多いんだろう、そしてなんでこんなうわべの狂いを監督は作ったんだろうと過大評価としかいえなくて失望しかない。
それにアスとミッドサマーと若おかみは小学生などは宗教や伝統への回帰を含めた映画だけどジョーカーにはそれがない。伝統なんて全く感じさせないジョーカーは伝統を壊してきた今までの左派とは何も変わらない映画だと思う。またミッドサマーもアスも若おかみは小学生にも作家性を感じるのにジョーカーは作家性を感じさせてこない。DC映画であり商業映画であるので作家性は必要ないんだろうけど、作家性のない社会批判映画はうさんくさくて社会批判だと思っている視聴者を「エンタメだから、本気にするなよ」ってあざわらっているかのような気持ちにさせる。こんな薄い映画に感動できる人が多いのが不思議すぎて、子供が多いのか高評価をしている人さえ工作なのか謎過ぎる。ツイッターが左派や親中に支配されているように見えたりフェイスブックが左派の宣伝活動に多く使われていたりとネットの評価やコメントは信頼できないことも多いので胸糞映画のジョーカーに高評価する人が多いことに疑問を感じる。

そして監督は「メッセージが何かはすべて観客のほうに委ね、観客に対して「こんな経験をしてほしい」と、こちらが定義するものではありません」引用esquire

と言っているのも炎上や騒ぎを狙っているのに、殺人を促す意図はないし自分達は何も言いたくないと言っているようでどこかずるい。さらに政治的な意図を製作者側から発信しているわけではないと言っているようで、うわべだけ聞くと意味の無いエンタメ・ジョーク映画として公開しているという姿勢も気持ち悪い。危険な考えを含めていればいるほどはっきりと言わないんじゃないかと思われても仕方がない。ミッドサマーでもアスでもはっきり言わないことは多いけどそれでもたくさんのことをインタビューで語っているわけで、製作者側に対してずるいやあぶないことを考えているとは思えない。
エンタメでありジョークとして製作しているとけど見る側がどう思おうがしったこっちゃない姿勢が無責任さを感じるし銃乱射を起こしたことを企業の姿勢を変えるべきなのに変えずむしろ炎上ビジネスで社会を混乱させることをして、社会でもし殺人が怒ってもジョークとして作ったと言えるんだろうなぁと思う姿勢に極端な左派映画だなぁと思うのだ。監督が「政治的な意味はない」と言っても嘘ついているしか思えないほどのことを見せている。監督がメッセージはすべて観客にゆだねられている、と言うようにどんなに監督がジョークだからと言っても受け取った側がどう考えるかが大切でありそれが芸術。もしその考えを抜きにして監督が自分の気持ちは面白いと思ったジョークだからというのなら、自分勝手な映画監督だというしかない。だから他の作品でもバカにされるのだろう。エンタメを作っているようでただの下品、偏見の塊映画を作っていると。

口では違うといいながらやっていることが伴っていないことは愛知トリエンナーレの展示会でも同じことが起こった。作者は反日ではないといいながら見る側は反日にしか思えない作品がいくつかあった。これを見る側の主観ばかりで意味をとらえることは大きな問題だというけど芸術は見る側がどう思うかが重要だ。見る側が間違っていた場合は説得できればいいけど出来ないほどの作品だったらどんな言葉も説得力に欠ける。そうなると後で何を言っても後から都合のいい理由を言っているだけにしか聞えなくなるのだ。

ジョーカーも「見た目は政治的な意味はない、ただみんなを笑わせたいだけ」と言ってるが結果として政治的な意味がないわけではないのは現実社会に起こる銃乱射などからわかると思うしジョーカーの内容はどう見ても政治的なメッセージが含んでいる。製作者側や監督がいくら政治的な意味がないと言っても詭弁にしか聞えないのだ。
ジョーカーが公開されたのは2019年10月4日、愛知トリエンナーレの表現の不自由展は2019年8月1日に開幕。開催、公開時期が近いしどちらも不自由な物と者を取り扱っている。左派の活動がたまたま同じような時期に起こったのかそれとも最初からジョーカーの公開時期を狙っていたのかわからないけ怪しい。

ジョークで喜劇なんだからと言わんばかりの最後の終わり方。「The End」の色は黄色で明るい雰囲気がありどこかオシャレであり政治とか社会問題とか関係ないしただ笑わしたいだけと言いたいようにも見えるがこれもポリティカルなメッセージ隠したいからそうしているんじゃないかと思う。DC映画が政治とか難しいこと作るわけない、って思うかもしれないけどDC映画は常に政治に関係したメッセージを含めてきたと思う。気づかないように隠して、でもジョーカーは露骨だ。
ストーリーが分かりづらいのも製作者側は危険なことを言わないけど視聴者のほうで政治を含めた社会を炎上させるようなことで騒いでほしいと思っているんじゃないかと思う。核心に触れずうわべだけでインタビューを応えているように見えるのがずるい。

そして色んな人が言っている時計の「11:11」についてはアスの考察であったエミリアの破壊の予言で新しいことが起きる意味とエンジェルナンバーの縁起のいいサインでありキリストと関係した話と読めたりもしたしアスは宗教映画でもあり伝統回帰を思わせる映画でもあった。しかし今回はジョーカーのコンセプトを考えると左派の思想のアンチキリスト、監督の好きな破壊のショーとアーサーの精神的な目覚めの意味は強いと思う。Anti Christはアルファベットの最初の文字A=1、n=14、t=20、i=9, C=3, H=8, R=18, I=9, S=19, T=20の合計は121で11×11=121と一緒。11:11は目覚めの数字であり終わりを暗示している。アーサーが目覚めてジョーカーになり破壊をもたらすサインとすると筋が通るし左派の宗教批判を含めていると考えるのも変じゃない。ジョーカー全体を通してみても宗教思想が含まれているようには思えないので11:11はキリストのスピリチュアルな意味よりも批判の意味で使っているんじゃないかと思う。
さらにジョーカーが救いがなく胸糞映画だと思うように11:11には平和を感じさせない意味があると思う。第一次世界大戦は1918年11月11日に終了するが第二次世界大戦になるため破壊は終わらないということかもしれない。映画ジョーカーの舞台は1981年で8と1を逆にすると1918年だ。またドイツのカーニバルは毎年11月11日11時11分に行われピエロや魔女などの格好をしている。このことからもジョーカーのピエロの格好と共通点はあり映画ジョーカーは破壊のショーというカーニバルなんだと思う。
そう考えると映画ジョーカーは弱者に寄り添った映画に見えつつも弱者も多い宗教関連を批判し平和を訴えているように見せつつもそんなこといっさないように見える映画だ。
11:11だけでも視聴者の意見を分断し映画アスの影響もあり11:11を良い意味でとらえさせつつも実は違うということを仕込んだんじゃないかと思う。人間のフリして騙して食べちゃう赤ずきんちゃん映画。ちなみにアーサーがテレビに出ているときに移る時計の10:37の意味はわからない。

気になることにマーベルを批判していた映画タクシードライバーの製作者マーティン・スコッシュがジョーカーの製作に関わろうとしてやめているということ。記事cinematoday
時間がないから参加をやめたらしいしフィリップス監督うぃ「驚くべき仕事をした」と賞賛しているが僕は勘違いしているんじゃないかと思っている。マーティン・スコッシュはマーベルとハリウッドを「テーマパークで映画と呼べない、良質の映画を追い出している」と嘆いたわけだけど映画ジョーカーはテーマパーク映画ではないが良質な映画なのかと言われると悪質な映画なんじゃないかと思う。ミッドサマーのアリ・アスター監督もアスのジョーダン・ピール監督もゴーストランドの惨劇のパスカル・ロジェ監督もハリウッドを批判している。彼らが批判した結果、彼らの見せる映画は明らかに深い良質な映画だと思うのにそれらと比べてもジョーカーは薄っぺらく思想がなく、見せているものに政治メッセージが明らかにあるのに製作者側が「政治に関する意図はない」と言って見せていることが違うダブルスタンダードな姿勢。ダブルスタンダードは左派がやりそうなことでハリウッド批判している監督達とは違う。僕は左派を批判したいわけではないが人としてそれはおかしいんじゃないの?っていう気持ちがあるからファンを裏切るような、ファンを混乱させるようなことをわざとしているように見えるジョーカーは嫌いだ。右派左派関係なく弱者はダブルスタンダードを嫌うと思うし、嘘ばかりついてきた政治のせいで貧困を嫌うと思う。それを無視している姿勢はタクシードライバーなどのパロディというエンタメの仮面をかぶった権力者側の人をごまかす赤ずきんちゃん映画だと思えてくる。
ハリウッドを否定したマーティン・スコッシュが製作に呼ばれていたことも製作に関わらせることでハリウッドを否定できないようにしたかったんじゃないかと疑ってしまう。

今回、監督は「現実的なキャラクターを作り出すことを目的をしている。」とインタビューで応えている。引用esquire

現実的なキャラクターとは監督の過去の作品のドキュメンタリー「Hated: GG Allin & the Murder Junkies」で引用したアメリカのピエロになって子供を殺しまくったシリアルキラー、ジョン・ウェイン・ゲイシーの言葉にも表れていると思う。

「CG Allinは病気社会のエンターテイナーだ。彼は私たちに私たちのリアルを見せてくれる。」 ジョン・ウェイン・ゲイシー

現実的なキャクラターとは病気の社会にあるパンクロックのような破壊を見せることで破壊のショーとして正義と悪を混乱させるジョーカーこそ現実的なキャラクターとして監督は考えたんじゃないかと思う。社会は破壊を見せなければ現実じゃない、ディストピアの中に現実があるんだという考えは僕は嫌いじゃない、ジョーカーが弱者のシンボルになるのであればそれは悪いことじゃない。でも被害者側の叫びでなく加害者側の利益しか考えていない弱者に寄り添ったふりをした映画に見えて気持ち悪い。社会を嫌っているような姿勢も嫌いじゃないでも弱者さえも笑いにするのはイジメっこと変わらない。まぁ怒りや混乱をエンタメにしている監督だからイジメをイジメと思っていないのかもしれないけど。
そして今回のジョーカーの製作するうえに重要な参考事例だと思うのが1984年12月24日にニューヨークの地下鉄で起こった子供のギャングに囲まれて銃で撃ってしまった白人のバーナード・ゲッツ事件と1989年のニューヨークで起きたセントラルパーク・ジョガー事件。
バーナード・ゲッツが人を撃ってしまっても彼も殺されそうになっており完全に否定できない正義と悪と簡単にわけることができない事件。セントラルパーク・ジョガー事件はレイプ事件だけど冤罪があるのにドナルド・トランプが犯罪者は処刑にすべきと言及した事件でもある。ガーディアンの記事

もちろん冤罪だと知っていて発言をしているわけではないが、このような過激なことを言うトランプを当選させたくないという左派活動家の考えはあっても不思議でない。この二つの事件は正義だと思うことはいつでも正義でなくなることがあるんだと考えさせられ、今回のジョーカーのコンセプトにピッタリ。おそらく監督はバーナード・ゲッツ事件のように弱者により殺傷事件が起きても擁護してしまうかもしれないという気持ちに視聴者をさせることで分かりやすい弱者の外国人、アジア人などを差別しているようなトランプを批判するムーブメントを起こしたかったんじゃないかと思う。それもうわべでしかトランプを見ていない人だとジョーカーを見ることでコロッとトランプはやばい、差別主義者、悪い人でも弱者を救おうと思わせることができるだろう。弱者を救おうは素晴らしいし弱者は悪人だったとしても完全に否定はできないのもわかる、でも自分達が弱者だと気づかず他の弱者を救おうとしていると視聴者側がどんどん弱者になっていく。コロナが発生したとき日本はかわいそうな中国にマスクを送っていたけど日本自身が気づかずコロナの被害者だった。ジョーカーも弱者は視聴者側なのにそれに気づかずジョーカーを賞賛していると製作者側の意図にはまったことになるだろう。

ジョーカーは無政府主義者、アンティファのプロモーション映画?

アンティファという言葉をアメリカの黒人のストライキから知った人もいると思うがアンティファはトランプ大統領がテロ組織に指定すると述べた団体である。無政府主義、破壊を好む集団である。無政府主義者はアナキストといいジョーカーは無政府主義者だろうからアナキストだ。
何故、ホアキン・フェニックスがアーサーに選ばれたのか謎だけど、一つの隠された理由は極左が喜びそうな経験をフェニックスがしてきているからじゃないかと思う。
アーサーを演じたホアキン・フェニックスはヒッピーとしても活動したり過去に小児性愛の偽のキリストカルト集団、「神の子供達」に1970年代に加わっていたことがある。現在はカルトだったと言い切っているが、社会から除け者にされた経験や他の人とは違う圧倒的に自由すぎる生き方をしてきたフェニックスだからこそ無政府主義になるアーサーを演じられたのではないかと思う。
Frontorwの記事

またアンティファにはただ破壊を好む人がいるらしく監督が破壊をショーとして好んでいるのも思考が似ている。監督を含めてこの映画の製作者をアンティファのメンバーかどうかは分からないけど革命を起こしたいメッセージははっきり含まれておりジョーカーが現存するアンティファや無敵の人になる可能性の弱者を鼓舞する内容になったんじゃないかと思う。
つまり良く言えばエンターテイメントだけど言い方を悪くすればテロを支持する極左プロパガンダ映画だということ。実際アメリカで起こっている暴動はジョーカーそのもの。
断定することはできないけどもしジョーカーがアンティファ支持映画だと断定されればアメリカはハリウッドに対して黙っていない可能性もある。そのときは来るのだろうか?
そうなったら公開上映禁止映画に指定される可能性だってあるだろう。
ジョーカー2が製作中らしいのでそれがまた恐ろしい。ジョーカーの危険性を考えずこのままジョーカー2が公開されれば銃の乱射や暴動が起きるんじゃないかと思う。
銃乱射も暴動もアメリカではありえる話しだし、だからといってジョーカーを僕は簡単に公開禁止にすべきとは思わない。少なくとも社会が見落としている弱者はジョーカーのようになるかもしれないというメッセージは分かるし本当だと思う。ジョーカーをただの映画だからと考えず政治や社会が良い方向に変わるのなら危険な映画も年齢制限があった上で公開は有りだろう。しかし社会はおそらく簡単には変わらないと思うのでジョーカーもジョーカー2も危険な映画なんじゃないかと思ってしまう。

映画ジョーカーが世界中に奇妙にも高評価なことに賛同しつつも何か違和感がありその違和感は知るためにあえて批判することで見えてくるもしかたらジョーカーは社会派とジョークのフリをした極左の親中プロパガンダ映画なんじゃないか?という記事だ。DCファンは政治に興味がない人もたくさんいると思うので裏の意味を考えないでジョーカーを受け入れそうであぶない 笑

まとめ

ワーナーブラザーズ→DC人気を高めたい→お金しか考えていない→中国市場拡大→DCファンをサンダースに支持してもらいたい→中国市場を狭めるトランプ批判→プロパガンダ映画

監督→破壊や分断をエンタメとして魅力を感じている→破壊は真実の表れ→ただ深みのないディストピアであり喜劇でもあるジョーカーを製作→世論がどう感じようがエンタメでありパロディだからという姿勢があり自己中な一面がある。

世間が騒いでくれたほうが監督は笑うだろうしワーナーブラザーズもメリットがある。

総合して炎上ビジネス。

炎上はテラスハウスの件でもタチが悪いと思った人は多いと思う。それだけ炎上を企業が狙うことは社会に悪影響を与えかねない反社会的な行為だということだ。ただのヘイトを放置するのはおかしいし、表現の自由で人を死を連想させるような手段を使い誹謗中傷するのもおかしい。だけどジョーカーはそれらすべてはいいじゃないか、と思わせる仕組みがあるので多くの人がいうように問題作だと思う。
そこに製作者側の魂の叫びがあるのならまだ受け入れられるかもしれないのにはっきり言わないしお金のにおいがして映画アスやミッドサマーと一緒にしてほしくない映画である。
アーサーだけが悪いわけじゃないと強烈なアンチヒーローを使って現実社会を混乱させ悪を正当化させようとする暴論を持ち込んで、政治的なプロパガンダさえ含んでいるジョーカーに気持ちが悪い。切ないく悲しいやるせない気持ちになってもDCファンが大好きなジョーカーを使って政治誘導を狙おうとしたんじゃないかと思うとひどいというしかない。愛に欠けたアーサーを見せながらも実はDCファンの愛を裏切っているのは製作者側なんじゃないかと思えてくる。炎上をあえて狙って政治誘導までやろうとしているのなら愛なんてないだろう。これを良いか悪いかなんていうつもりはなくて胸糞で気持ち悪くて悪質だけどそういう映画もあるよね、と思うだけ。そしてやっぱりDC映画は何やってもつまらないなぁと思わされた。

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コメント

  1. 匿名 より:

    ジョーカーが黒人だったらアカデミー総なめしてたろうなぁ

    • ぶち より:

      ジョーカーが黒人だったら面白そうだけどアメリカ社会で何か大きな問題が起こるかもなぁ。