初めての京都旅行の悪い経験と良い経験のあれこれ

初めて京都旅行に行ってきた。

京都と言えば風情のある街並みと自然があって美しい街というイメージだ。

絶対に楽しいに違いないとワクワクしながら京都に向かったのだ。

しかし、このイメージはしばらくして崩れることとなる。

「わー、京割り都駅についた、すごーい、楽しくなってきた」ワクワク

さっそくお寺を見に行こう!ということでバスで向かう。

市内のバスは230円均一で乗車できることを知って「京都のバスは財布に優しい!最高だ!」と簡単に感動してしまう。

しかし、お寺に着くと人の多さにまずびっくりする。

綺麗で落ち着いた良い景色が雑なノイズに感じてきてワクワクが減少していった。

「見ろ!人がゴミのようだ!」

天空の城ラピュタのムスカのセリフがあたまをよぎった。

世界で優れた観光都市に選ばれている京都はオーバーツーリズムにより風情を楽しめない地域になっていたのだ。
パンフレットや写真で見る人が少ない綺麗な景色に騙された気持ちだった。

世界を相手にした持続可能な観光地としてビジネスでは成功だけど、日本人相手は失敗しているんじゃないかと思った。少なくとも僕には合わない。

それに外国人が多すぎて京都に来ているのに外国に来ている感覚になってきた。特にアジアにきたのかと思った。

韓国人、中国人、その他のアジアっぽい人や白人がぞろぞろいた。

「いったい僕は京都に何をしにきたんだ・・・人の洪水を見に来たわけじゃない、綺麗な景色を見に来たんだ」

まだ旅行初日だというのに愕然とした気持ちになり心が折れかけた。

そして同時に

「京都の街並みを汚すな」

そんな怒りのような気持ちが少し沸き起こってくる。

観光客が多いというだけで京都の町を汚しているわけではないだろうけど、まるで京都の町並みが汚れているように見えてくるのである。

観光客が悪いわけではない。外国人が日本の文化に興味を持ってくれることは嬉しい。
観光客よりも京都に対して嫌悪感を持った。

お金を稼がないといけないのはわかるけどストレスを出来るだけ少なくして観光客に楽しんでもらおうというものをあまり感じられない。
対策をしているかもしれないが旅行者としては実感できない。
市内のバスは人の多さで混雑しており東京の通勤ラッシュの山手線並みに息苦しいものだった。

「お金を稼げばそれでいい」

まさか京都はそんなことを考えているのだろうか?
どんな対策をしていたとしても旅行者が実感できないなら意味がない。

厳しく言えばストレスが多い観光地になっているのは京都住民の責任であり観光協会の責任なのかもしれない。観光協会については知らないし初めて京都観光なので一意見だけど単純にそう思った。

バスでの観光客は大きな荷物を持ち歩かないように勧めるポスターを見ていると、観光しやすい環境が京都にはないんだとだんだんと思えてくる。さらに嫌だったのが京都のバスの運転手はイライラしていてイライラが移ってきてバスを利用するだけで若干ストレスを感じてしまう。いや、バズの運転手だけじゃない、京都では誰もが人が多いことにイライラしているんだと思う。

京都市バス「どうする手荷物」、混雑深刻で「手ぶら観光」勧める…1日券も廃止へ : 読売新聞

京都は道も狭いのに観光客が多いので車の移動も大変だろうし。バスの運転手がイライラするのもわかるぐらいバスも道も混雑しているしマナーが良い人ばかりじゃない。
タクシーの移動も大変、ライドシェアなんて出来るようになっても混雑すること間違いないだろう。狭い道に大勢の人がいるせいで自分のペースで歩きたいのに歩けない。歩くのに疲れて休みたいのに人が多すぎて他の人がすでに休んでいて休めない。

人が多すぎることが苦手な僕には京都は苦しい旅となったのだった。京都には若い人が楽しめそうな場所が少ないようにも思うのにこんなに人が多かったからお年寄りにも苦しい旅になるのでは?と思ってしまう。

それと京都だけではないと思うが京都のコンビニはトイレを貸してくれないところが多すぎるのも嫌だった。色んな人がいるし外国人も多いからトイレを汚くされて大変なのもわかるが、トイレが少なくないか?と感じた。観光客を喜んで受け入れているはずの京都は実は観光客を嫌っているんじゃないか?と感じさせてくるのだ。

オーバーツーリズムであり街も人の気持ちもキャパオーバーで余裕を感じられない。

良かったことと言えば京都で食べたお店の人の接客は素晴らしくて笑顔も良かった。でもあれはビジネススマイルで心の中は人が多すぎて「おもてなし」なんてめんどくさいと思っているんだろうか・・・そんなふうに思われても仕方がないぐらい人混みにストレスを感じた日だった。

「もう京都には来なくていいかな・・・」

と、そんな気持ちが少し沸き起こってきた。

僕のイメージしていた京都はたった一回の京都旅行でガラガラと崩れてしまったのだ。いや、イメージだけじゃないかもしれない、本当に京都は外国人客を受け入れすぎたことで壊れちゃったのでないか?と思いたくなるのである。
オーバーツーリズムは観光公害であり公害は環境破壊だ。地域が壊され地域の独自の魅力であるアイデンティティまで喪失させてくる。
そんな中に旅行したら公害に巻き込まれるわけだから旅行者も被害者になってしまう。

外国人の集客に成功している京都だけど、京都を見ていると「他の地域は京都みたいになってもらいたくない」と思う。僕が好きな地方にたくさん外国人客が来てもこんな環境になってもらいたくない。地方の良さは生活スピードがゆっくりしていて緩さがあり都会と比べてリラックスできることであると思う。でも京都みたいになると歩くのはせかされて、ゆっくり歩きすぎると嫌な顔されて、人にぶつかって、お店は何分も行列に並んで、ものすごく気をつけて運転して、住民の生活は息苦しくなって・・・とそんなの嫌だ!って思ってしまう。

そんなことを考えながら夕暮れの鴨川を橋の上からぼんやり眺めていた。カップルや友達が静に座っている・・・。

「ん?、そうか、ここか・・・」

期待していたよりは鴨川は綺麗ではなかった、しかし外国人旅行者により飛ぶようにお金が舞うビジネス臭のある名所よりも人混みに巻き込まれて、もがくように旅行をしなければいけない名所よりも人が少なくお金のかからない名所である鴨川からは明らかに他とは違う静かな世界があった。

川に掛かる橋の上ではパトカーがパトライトを点灯させて、時には数台救急車が走りさり僕の中では物騒な印象になった京都だがそれらが嘘のように気にならなくなるのが川沿いだ。

そして夜の川沿いに静かに座る人々の光景がジブリが見せる神秘さや美しさはのような印象を受けた。

鴨川はカップルの聖地と紹介することもあるらしい、でもそんな情報を知らなくともロマンティックな雰囲気があるのですぐわかる。

「バルス!」

僕は川沿いに座りながら心の中でなぜか「バルス、バルス」と叫んでいた。

魔法が放たれ何かが起こりそうになる、空や川から異世界の生きもが出てきそうになる、そんな気分にさせてきた特別な世界を鴨川から感じた。シータとパズウが手をつなぎ呪文をバルスと叫び世界が変わるようにいつか鴨川で好きな子と手をつなぎ誓いの呪文(言葉)を囁くのも悪くない。

なんだか得した気分になった。
京都旅行では個人でもツアーでも観光名所ばかり行く人が多いと思うが、鴨川沿いこそ京都らしさが残る場所だと思う。
この聖地をオーバーツーリズムによって奪わないでほしいと願ってやまない。

夜も遅くなり、大変なことが多かった旅行だったしホテルではゆっくりしようとホテルにチェックインしに行くと、予約したホテルがそんなに良いホテルでないことを思い出した。

節約旅行をするんじゃなかったかもしれない。

「まあ、良いや。これが旅の思い出になるよね」
と僕は前向きに考えることにした。

悪いことばかり思い出すけど京都から良いところも学んだ。

京都のすごいところは、外国人客がたくさん来るほどの魅力があるということであり、日本に住んでいる人たちが外国の方に対して寛容になっている証拠でもある。

アメリカみたいな前を向いて歩いてると女性かどうかわからない国と比べて日本、特に京都は着物を来ている人もいるので女性が女性らしくそして綺麗に見えると思う。世界の女性が女性らしさをおかしいと叫び、ジェンダー問題を叫ぶ中、京都には女性らしさが残り、ジェンダー問題とは逆の世界があるように見える。そこがまた魅力でもあり世界中が京都の虜になるのだろう。もちろん男性の和服も似合うのは京都だ。男女が和服を着て写真を取られたりするのを見るのはやっぱり景色に合って魅力が増しているからだと思う。

京都にまた旅行したいか?と聞かれたら、

「またいつか京都には行きたい」

とはっきり言える。

今回は人混みの多さで京都の魅力を少しだけしか体感できなかった。でも次は京都のオーバーツーリズムが改善されることを期待していつかまた行きたい。

「今度はもっと良いホテルに泊まろうっと。」

帰りの飛行機でそう決めた。でも人混みはこりごりだけど。

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