アメリカ留学して気づいた日本の良いところと悪いところ

ずばり感じた日本の良いところは良心があるということ。
アメリカにも良心のある人はたくさんいる、例えば困った人を助ける、ホームレスに優しく接する人がたくさんいるなどあるが、それでも個人主義が徹底しているように思える。そのため、自分は自分、関係ないのは関わらないし考えないという人が多いと思う。
仕事もプライベートも役割がしっかりしているように見えるけど実は相手を考えると言う気持ちが欠けていることで冷たい印象も受けるのだ。多くの人が聞いたことがあると思うが日本では財布を落としても戻ってくるけど海外では戻ってこない、ということは自分に関係ないことも考えられる良心のある人達によって成り立つ。

相手のことを考えずに自分のことしか考えてなければ拾った財布は自分の物、ということになる。この財布の件と同じような、良心がないのかなーと感じることとはアメリカではたくさんある。アメリカはお金が重要な社会でお礼の気持ちでチップをわたす習慣があるし、チップを払わなければチップをもらえなかった人は「やってあげたのにチップもくれないやつだ。もうやってやらない。」と思われる。これが日本だと「それは自分のやる責任だし、チップをもらうことでもない」となると思う。責任を果たすだけでチップをもらえると思っているアメリカ人は多いと思うので、彼らにとって責任ってなんだろう?って思う。

そして自動販売機がアメリカには日本のようにたくさん無いのはよく知られているが、それもそのはず自動販売機なんてそこら中にあったら壊されてお金を取られる可能性があるからだ。良心があればそんなことにはならないはずだ。みんなが悪いことをしないようにしよう、迷惑をかけないようにしよう、困ったらお互い様なんだから助けよう、という気持ちがあるから日本の自動販売機が壊されないのは成り立っている。

アメリカでは電車の中を見ていると非常に分かりやすいが椅子を独り占めしている人、ときどき荷物が多くて人に荷物がぶつかってくる人に文句をガンガン言う人、雨が降っても傘をささずにびしょびしょになって電車に乗ってきて回りの迷惑を考えない人など日本では考えられない助け合うという意識が非常に薄い。お年寄りには席を譲る人は日本より多いのだけどそれを除くと自分勝手な人が多い。

良心って困っている人を助けるだけじゃなくて目の前で困っている人がいなくても困るだろうと想像して行動することや自分の行動で相手がどう迷惑になるのか考えることも含まれていると思う。ステレオタイプに良心は困っている人を助けること、という単純な話ではない。でもアメリカでは単純な人が多いようで薄っぺらいのか考えが足りないためなのか良心が欠けているように見える。

考えないことを恥ずかしいと思っていないし、相手がどう思っているかなんて関係ないと思っている事例がドナルドトランプがファーストフードをホワイトハウスで300個振舞った話だ。アメリカ製、アメリカ企業の商品ばかりで素晴らしいと誇りを持っているのはいいことなのだが、世界ではファーストフードが問題視されているのに、ファーストフードを振舞ってこれがアメリカだ!とどうどうというのは恥ずかしいと思う。ちなみに日本でこれがおにぎりだ!と300個出したとしてもおにぎりにはいろんな種類があるし間違いなくアメリカのファーストフードより健康的なのでおにぎりとは比べ物にもならない。ファーストフードなんて大量に注文してしまうところが頭が悪いんじゃないかと思ってしまう。ドナルドトランプが怒りっぽいのも、あーファーストフードがいいと思っていてそれをよく食べているからなんだな、ってトランプがファーストフードをあんまり食べていなかったとしても納得してしまう。

良心があれば健康にも考える、なぜなら相手に振舞うものだから健康でかつおいしく好まれるものを振舞うべきなのだ。今、アメリカでは和食がブームなのだからファーストフードより高いけど寿司とおにぎりを振舞うのがアメリカの今の健康志向に沿り、おいしくクールに食べることができる振る舞い方だろうと思った。アメフトチームに振舞ったのだから和食なんて食べない、と思うかもしれないがそんなことはない。体格のいい人だって日本食店で寿司をがっつり食べるし、日本の寿司じゃなくてもカリフォルニアロールはアメリカ人の多くは大好きだ。

日本のいいところは良心だけど悪いこともある。それは考えすぎているところだ。アメリカの考えなさすぎも駄目だけど考えすぎて一歩前に進まないということが多いのは精神面でも社会にとってもよくない。例えば、東京の満員電車は日本人が良心のある人が多いからこそなりたつ譲り合いのある世界だけど、譲り合いがあっても満員電車は苦しいものだ。譲り合い、良心で今みんな頑張っているけどもっと快適に電車を乗れるようにすることのほうがもっと精神面でもいいと思う。譲り合うことの良心に頼って悪い環境をなんとか乗り切ることは、狭い日本には重要なことだけど良心ばかり頼るのではなく精神面の改善のことも考えて働き方、出社の仕方など考えたほうがいい。みんなと同じ時間に出社しない人が多くなるとか、正社員として自宅で仕事をできるようにするとか良心に頼りすぎると改善できることができないままで苦しい環境のままになる。またApple、Googleのようにアメリカではイノベーションが日本より多くあるのもみんなに迷惑をかけないようにしようと考えすぎていないからこそイノベーションが起こっていると思う。改善する必要があるのだから改善しよう、駄目だったら次に行けばいいといったようになれば日本社会はもっと生きやすい社会になるのではないかと思う。日本では良心がある人が多いから迷惑をかけないように電車の中でも静にしている人がほとんどだけど、我慢しているから表情も暗くなっているし怒ったような表情にも見えるし楽しく生きているようにも見えない人が多い。

アメリカのように考えない薄っぺらい人になれということではない、アメリカのように電車内で踊れ歌えというわけではない、アメリカの考えすぎない姿勢を学んだほうがいいということだ。

そんなことをしたら仕事にならない、社会が回らないとか言う前にそれをすることで問題が改善する可能性があるのならそのチャレンジもある種の良心なのだから頭の固い良心感に振り回されないようにしたほうがいいということなのだ。それができたらもしかしたら未来の電車内は異常な満員で苦しくなくなるだろうし、静かに我慢してしている人よりもうちょっと気軽におしゃべりをしている人がでてくるかもしれないし、精神的に気楽になってくるとお年寄りにも席を譲る人が増えるかもしれないし電車内のベビーカーにも優しくなる社会になるかもしれない。

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