裕福な家庭の子はなぜか親を殺すことが多いと感じるのか

たまたま見ていたニュース記事にアメリカの有名大学卒業した裕福な家庭の子が父親を殺したというのがあった。1週間1000ドルをもらっていたが1週間300ドルに切りつめれたことで起きた事件のようだ。

日本でも裕福だと言える家庭の子が親を殺す事件というのが何度も起きていて世界的に同じ問題が含まれていると僕は思う。
僕の友達や留学生の友達を見ても比較的裕福な子はやっぱり闇を抱えている。

例として裕福な芸人のファミコン芸人フジタ


Wikipediaによると父親がフジタと同年代の息子がいる女性と付き合うようになり実の子をそっちのけでその少年を可愛がるという

「その子を刺してもおかしくないような場面が数回あった。でも刺さなかった。刺せなかったというのが正しいのかもしれない。人の道を外れることはできなかった」

「人からもらった愛情はない。愛情は全て、ゲームからもらった」


裕福な家庭の子は愛情が薄い家庭で育っだというのはフジタだけでなく多くの裕福な家庭の子の犯罪で共通した点になる。フジタは人の道を外れることができなかったととどまることができたから今のフジタあるが一歩間違えれば犯罪者になったかもしれない状況があったということだ。そしてもしフジタがゲームを取り上げられていたら犯罪を犯したんじゃないかと思ってしまう。なぜならゲームを取り上げられ犯罪行動もしくは問題行動をする比較的裕福な家庭の子は多々いるからだ。

ゲームからもらった愛情とはおそらくゲームはボタンを押せば反応し、ゲームが失敗すればプレイヤーに問題があったと分からされそのシンプルなプロセスは対話をしているかのように見えるので、愛情や友情というのも育むことができると僕は思う。ゲームの愛情とはプレイヤーがゲームしやすいゲームやグラフィックに拘っているものからは作り手の愛を感じ、難しく説明不足のゲームであればプレイヤーの愛を試される。愛は簡単に手に入るもんじゃねぇ!とことんプレイして愛を勝ち取るんだ、といった感じに。愛情は自分を認めてくれること、自分の居場所がある場所とも言えると思うのでゲームだけじゃなくアニメが好きな人もアニメから愛情をもらうというのはあることだと思う。

僕の留学生の友達にも同じような父親や母親にものすごい不満、憎悪みたいなものをもっていてる人がいて裕福な家庭だと思うのに親を敵視してでも殺すことなんてできないからそれが強くなり日本が嫌になり留学しちゃっている人とか。
留学生はどこか闇が多すぎだぞ 笑

なぜ愛情に欠けるのかというとやっぱり親子の関係もお金で解決してしまいがちなんだと思う。お金を与えるから後は自分でやってね。お金じゃなくても食べ物でもなんでも与えるからあとは自分でやりなさい、とかこれはある程度自由のある環境だと思うけど自由がない家庭環境も中にはある。ある裕福な家庭の友達は厳しい家庭教育環境のせいで何度も親を恨み嫌っていたけどやっぱり殺すことはできないから自分でなんども自殺をしようとしていた人とかいる。

お金で解決というほったらかした愛が欠けている環境と子供の将来を心配して厳しい環境をつくりねじれた愛から来る殺人。とても悲しい話である。親の何気ない気持ちや行動は愛がないからこそ子供に思いもしないダメージを与えているといえる。悪い子だと親を殺そうなんて思わないし利用しようと考えるかもしれないと考えると親殺しは良い子だから起こった事件なんだと思う。

もうちょっと説明すると、親殺しというのは中流階級以上の家庭で起こりやすく、子供はいい子な傾向がるということが下の2冊の本からわかる。

中流階級以上の家庭では子供に教育投資が十分にでき、子供の将来を考えて良い成績を取るように良い学校に行くように熱心に教育する傾向がある。しかしその結果、子供がいい子になれない、親の期待に応えられない場合には親は子供をしかり子供はしだいに居場所をなくしていくのである。

本とは違う話で僕の昔の友達で引っ越して居場所のわからなくなった人で同じような境遇の人がいた。女の子だけど家庭環境は厳しく、良い学校に行くように教育をしていので良い私立の高校に行っていたが大学にはいけなかった。それはその子の心が折れたからである。長女なのに妹よりも成績が悪い、妹よりも○○が悪い、周りよりも○○が悪いと言われ続ければそれは人格否定につながり苦しくなるのはわかる。その子の口からは、両親の不満、両親を嫌う言葉が頻繁にでてきて、親といたら死にそうだと言っていた。いつか親を殺すんじゃないかと思っていたが、やっぱりいい子なのでなかなかそういうことはしなかった。殺そうと思っているかは知れないけど結果、選んだことは自殺未遂を何度もすることだった。
お金があって教育熱心な家庭でも子供は死にそうになっていることはあるのである。
愛情不足と一言で言えばすむ話かもしれないけど、現代社会では学歴や成績が重要になり過度の競争社会を生き抜くためにも愛情が欠けていると思われようが愛のムチで教育しようとする家庭はあるだろう。愛情不足になりがちでどう愛情表現をすればいいのかわからないということもあるのだと思う。それだけ親も子供もどうお互いが向き合うのが正しいのかわからないんだと思う。子供は我慢し、親は厳しく、いざ子供の精神に問題がでてくるとどう接していいかわからなくなり子供の心はどんどん死んでいくんじゃないかと思う。
誰にも家族にも自分を認めてもらえない。自分の存在をいるのにいないように感じてくることが自殺未遂をさせ、両親に殺意まで芽生えさせてくるんじゃないかと思えてくる。
「いるのにいない」はサカキバラが言った「透明の存在としての僕」にも似ているのかもしれない。

これら親を殺すという犯罪をしたり犯罪を脳裏に浮かびながらもできなかった子達はみんな良い子だと思うと切なく悲しい。親の言うことを守っている良い子、迷惑をかけたくないと回りを気にかけられる大人しい子。彼ら彼女らの世界において親の存在がものすごい大きいからこそ、親との関係に問題を抱えたときに精神的に追い込まれ犯罪という形になってしまうんだと思う。逃げる場所のある子は留学したり、友達の家、彼氏彼女の家にいたり別の場所に理想を求めてリゾートバイトとかした。僕はリゾートバイトに来る人は闇を抱えている人が少なからずいると思っている。なぜならお金にあんまり困っていなくて仕事もあんまりしなくて人ごみが嫌いで日本が嫌いでも海外にいけないっていう裕福な子が行くことがたぶんあると思うから。裕福な子が留学について何も考えずにただ良さそうと思って留学した人が海外の貧乏な人と結婚したり、貧乏だけならまだしも、だめんずに捕まったり、本当に悪い人に捕まったりする人は意外と多いんじゃないかと思う。

日本では海外より愛情表現が少なく、海外の貧乏な子が愛情一杯に接してこられると、コロっと信じてしまい、あーこんなんじゃなかったって思う人いるよね。さらにいうと海外の友達で日本のことを勉強していたり日本好きな人がいうには「日本は家庭に愛がないと思っている。っていう人もいる。日本人の知り合いも家庭に愛がないって言ってたよ」っていう人がいる。僕はそういう家庭ばかりじゃないけど愛がない家庭もいるだろうねって伝えている。日本は海外から見ても愛がないんじゃないかと思われているということだ。まぁこれには相手の誤解もあるだろうけど海外と比べると見た目から見える愛は薄いのは確かだ。

裕福な子だけじゃなくて貧乏でなくてそこそも裕福な子でも良い子も犯罪犯しかねないと思うし、今は昔よりルールを守る迷惑をかけないという良い子が多くなってきていると思うと日本の心の闇は実は深いんじゃないかと思う。

裕福な子達は危険に一歩間違えれば道をはずしかねない危険な局面しているんじゃないかと思う。

日本は相対的貧困が広がっているといい貧乏が注目されるが裕福な子達にも危険と問題が残っていることは忘れてはならない。

愛はきちんと伝えないと伝わらない。日本はハイコンテクストカルチャーで物事を言葉で言わなくても伝える伝わるという考えがあるがこのハイコンテクストカルチャーという考えは大人と子供では察し方、理解の仕方が大きく違う。以心伝心というのはお互いに少なくとも以心伝心したいことについて同じような経験も知識がないと伝わらない。そのため海外だと同じような経験がない人が多いので以心伝心は難しいしそのような文化でもない。
愛は届けないといけない。しっかり言葉でいうこと一度だけじゃなくて出来れば毎日言わないと子供は不安に思うだろうし疑心暗鬼に陥り悪いことばかり考えてしまいかねない。

日本は経済発展ばかりお金のことばかり考える人が多いから愛だけでなく人が人として生きやすい環境づくりというのが欠けていることがある。わかりやすい例は労働環境や人権問題。日本はアメリカを今まで真似てきているけど、アメリカは完璧じゃないしアメリカの貧困問題を考えるとなんでもアメリカを真似するのはよくないと思う。それはアメリカと同じ問題に直面する可能性があるということで、それは貧困拡大、犯罪増加、お金による格差の拡大という問題が増加していくという恐れがあるということだと思う。それはアメリカ以上に愛が欠けていると思う日本はアメリカも経験したこと無い大きな問題に直面しかねないんじゃないかと思う。アメリカと同じ問題を抱えるようになりさらに愛に欠けるとなるとかなり過酷な苦しい社会になるのではないかと思う。

日本人の多くが宗教観をおざなりにしている人が多いけど、宗教じゃなくとも宗教の感謝と尊敬という愛につながる考え方は学ぶべきことがあると僕は思っている。いるんだよー裕福な家庭の子が海外行って宗教にはまる人。それはやばくなくて世界が認めているキリストやイスラム教が多いんじゃないかと僕は思う。はまりやすい理由は宗教に助け合う精神が含まれていることと。利他の精神というもの。日本にもこの精神はあるんだけどちょっとねじれてて助けるときはみんな助けるのにやらないときは必要でしょ?ってとこもやらない。例を言えば電車内で妊婦が来ても席を譲らない。そして電車とホームの間に人が挟まりみんなが電車を押して人を救出したニュースを覚えている人がいるかもしれないがそれは利他の精神。危険があるかもしれない、仕事に遅れるかもしれない学校に遅れるかもしれないそんなことを全部気にしないで助けるということ。

でもちょっと話は変わるけど、精神的に病んでいる人は新興宗教の営利目的な宗教に加入したりするのはあまりよくないと思う。結局、宗教をする人は何か救われるものを求めてやると思うので営利目的はそういった感情を利用するものなので悪い宗教だと思う。新興宗教には気をつけよう 笑

話を戻して、利他の精神は日本にあるのにねじれちゃっているから必要なときにできないっていうことがでてくる。愛に欠けている日本、ねじれた愛とねじれた精神は学ばないと直らないと思うから社会がそういったことを学べる場を提供したりサポートする体制を作る必要があると思う。何かあったら相談すればいいというのは無責任な発言で自己責任論がねじれて広がる日本でありがちな責任逃れの無関心な考え方。社会も課程も何かあったら相談できてしやすい環境をつくることが必要だと思うのと無理に良い子を押し付けるのでなく人それぞれ違うのだから人に合ったら生き方をもっと受け入れる心の余裕が欲しいと思った。

ちなみに自己責任論は日本で本当に多いと思うがそれを愛が欠けている兆候と考えると多くの家庭は愛に欠けているのではないかと思えてくる。日本では50人に1人が資産1億円以上と言われているようなので110万世帯を超える家庭が愛に欠けているかもしれないし、3000万~5000万のアッパー層が720万世帯を超えているらしく、両方を合計すると830万、1000万に近い人達がもしかしたら何世帯も愛に欠けているかもしれないということかもしれない。すごい多い。

自己責任論が広まりだしたあたりから日本って貧困が拡大してきたと思うし自殺も増加してきたと思う。無関心ということは人を傷つけ取り返しがつかないことになりえるということだ。

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コメント

  1. ゆめ より:

    親に構ってもらえなかったから性格が拗れたってだけで金持ち貧乏関係ないだろw

    • ぶち より:

      親にかまってもらえなかったから性格がこじれるというのは間違いないと思うが、ここで言っているのは少し説明が不足しているものの「お金のある家庭」は子供に教育の投資ができそれが過度の期待になって子供を苦しませて、その結果、家庭の中に居場所もなくなった子供が親を殺してしまうという話だ。お金のある家庭がたくさんお金を教育に投資している教育熱心の家庭は過度な期待が諸刃の剣となって子供に殺意を持たすまで追いやってしまうという話になる。それはお金持ち貧乏という家庭環境は少なくとも影響がある。貧乏な家庭では教育投資も思う存分出来ず、その結果、子供に過度の期待を抱きづらいというのが背景にあると思う。過度の期待というのは子供を厳しくしつけ学歴、成績で他の子と比較し、出来ていない場合は人格否定になっても厳しく子供に向かうということになる。それが想像以上に子供にはつらいことだと思うし、親に怯えだし恐怖し子供を苦しますかもしれない。つまり「親に構ってもらえなかったら性格がこじれた」というだけでなく、現在の資本主義と学歴社会ではお金持ち貧乏の環境は親殺しに関係あるということだ。もちろんすべてのお金持ち貧乏が同じではないのでとても教育熱心な家庭はお金がある傾向があるということ。