「自立をしろ」ということへの違和感

「自立しなさい」という言葉を聞いてとても違和感があった。

自立には親から離れて一人で生きていく、社会的なサポートもなく生きて行けるようになること、のような意味が含まれている。
僕はいろいろ人を頼ってきた人間だから自立しろという言葉がどうしても違和感があった。
なんで人を頼ってはいけないの?

ということである。

この話は賛成できない人もいるだろうけど、あくまで僕の考える違和感についての話を書く。
友達にも自立なんていわれることがあったのでネットで調べてみる同じようなことをリクナビの記事でも書いてあった。そのためリクナビの記事を参考にしながら反論を書いてみようと思う

記事の不思議な点を取り上げると


・困ったことがあると資金援助を(親から)受け結婚や転職といった人生設計まで親のアドバイスに頼り続ける人がいる。親離れできないのは子離れできない親がいるからである

・親はいつまでも子供に干渉し続け子供の意見を否定しアドバイスに従わせ続けることでこの子は私がいないとダメだと無意識に思い込んでしまう

・親離れできない人は成人しても自分の意思で物事を決定できない

・親に依存したままだと親が子供の結婚相手に口出しをし伴侶より親の意見を優先したり、独立してもすぐ実家に帰るという人もいる

・そろそろ自立しないとと子供に促しても手遅れになる可能性がある

・親離れのためと思い、押し切る勇気を持ちましょう

・精神的な自立、大人になれば親は対等な存在。同じ目線で相手を尊重してしっかり自分を持って関わる

・物理的な自立、自分だけのテリトリーをつくり自分の人生は自分で決めなければいけないという自覚が芽生える

・経済的な自立、誰にも管理されないことで自分でどうにかしなければいけないという意識が生まれ精神的にも物理的にも自立する

・親から自立をできない人は主体性に欠け、誰かがなんとかしてくれると考える傾向が多い、親子関係だけでなくビジネスに自分で判断できない責任感がないということになる。


一見、おかしなことを言っていないように思うかもしれない。しかし僕はかなり変だと思う。それでは何がどう変なのかを説明する。

そもそも親離れを何故しないといけないのか?親離れができないと判断できない責任感がない人になりビジネスでも困るからである、というのは大きな理由だと思うが親離れしないほうが良い判断ができやすいのと健全な責任感が育ちやすいと思うこと。

親は年とっているだけあって子供より知識があることがある。無いなんて思うのは親を馬鹿にしすぎだ。人は一人ではなかなか正確な判断はできない。すぐに判断が必要になるような場合は判断を間違ってしまうことは誰でもあると思う。スポーツでもゲームでもなんでも同じだ。
そんなときに必要なのは一人で判断しないということである。良い判断は自分を知っている人、信頼している人から得られることは僕は多いと思うからこそ親離れというのは強制するような考えはあまりよくないと思う。自分を過信せずアドバイスをもらうことのほうが重要だと思う。特に誰にも相談できずプライドが高く自分で判断しないといけないという考えではビジネスだけでなく人生も失敗するだろう。自殺を選ぶように。

資金援助というのもしてらえるならしてもらえばいいんじゃないかと思う。自立をするしないの前に親の気持ちを考えることも重要である。親孝行とは親が子供を資金面でも支援してそれに答えることも親孝行だと思うからだ。ステレオタイプにお金を援助してもらうことはいけないことというのは相手の気味ちがわからない人なのでやめたほうがいいと思う。

それに親離れという言葉が気持ち悪い。まるで赤ちゃんの乳離れみたいではないか。人を馬鹿にしているような言葉のセンスのなさには飽き飽きする。

精神的な自立といいながら子供は大人になれば親と同じ目線で相手を尊重して関わるというが、なぜ大人になって同じ目線なのか?子供のときでも同じ目線で関わることはできるはずである。そのほうが子供の大人への成長を促すことになり社会にとても子供になってもいいと思うのだけど。まるで子供は大人と同じ目線で関われないといういじめか差別、もしくは人権に関する遅れを感じる。どこかそれは幼稚だし子供が無理に大人になり子供を苦しめている発言のようで気分はいいものではない。目線に年齢、子供大人は関係ない。意見もいい正しいか間違っているかを年齢関係なく議論すべきなのである。

物理的な自立で自分だけのテリトリーを作るというが、ここは賛否両論あるかもしれないが僕は子供には必要ないと思う。子供の部屋というのはあるべきだけど完全に独立した子供だけしか入れないテリトリーはあるべきではない。親が最後の手段として助けられないかもしれない事態になるのはいけないからだ。テリトリーなんて無理に作る必要なんてないと思う

親から自立できない人は主体性に欠け、誰かがなんとかしてくれると考える傾向が多いというが全く信じられない。親離れでなく親を強く尊重し親のアドバイスを信頼しているからこそ親に聞くのである。親と信頼関係があるのは当然の話なのに主体性なんてないという言い方は違うんじゃないかなって思う。むしろ主体的な判断をするために信頼している人のアドバイスを聞くのは良い判断だと思う。資料を作成するのに信頼できるソースを使うことが当然のように信頼できる人からアドバイスをもらうことは当たり前なのだ。

どうも無理に親離れをさせたいような内容に見えて僕には気持ち悪く思えた。それと同じことを言う友達も変だなぁと思う。

リクナビについて思うことは、リクナビの言うことは当てにならないということ。リクナビは就活生の内定辞退率を黙って使うモラルなんてない企業だ。そんなのいいだろうと思う人は考えが甘すぎる。こんなことアメリカだ発覚したら大問題だ。フェイスブックなどがいい例だ。

それを大前提に考えるとリクナビの親離れできないことへの記事はおかしいんじゃないかと疑問を持ってみてもいいと思う。まずリクナビは少なからず発言力の高い媒体だ。そこが親離れを勧めることの意味を考えてもらいたい。言い方を帰ると親と子の絆を緩め少しづつ分断させていくという教えである。僕の考えなら親離れしなくても自立できると思うからとても違和感を感じる。それにリクナビの言うとおりの自立をしても経済的に成長はしないと僕は思う。

なぜなら日本が経済成長できないと理由の一つに発言力のある媒体を信じているというのは少なからずあると僕は思っている。そのため今まで成長できていないんだから発言力のある媒体はあまり信用しないということを意識を持ってやるべきだと思う。

なんでも自分でやらなければいけないというのは貧困になりやすい考えがあり、現在貧困格差が広がっているのもこの自立の考え方が広まっていることが影響がないとは言えないだろう。
出来ることは自分でやるけど出来ないことは頼ってやるというのも立派な自立なんじゃないかと思う。

リクナビの自立という意味と政治政権側が言う自己責任論はどこか似ている。公的な支援なしに自己責任で独り立ちできるようになるという考えだ。今まで言われてきた自己責任論は大きな間違いがあるというのはもう知っている人は多いと思うので自己責任論に似た自立という考え方にも新しい視点で考えないといけないと僕は思う。

アメリカでは社会的な支援が少ないため支援がないままでも生きているようにならなければいけないという考えはある。でもそれがいいわけじゃなくて支援があればみんな使いたいわけだ。支援を作らない政権側がおかしいだけで支援がないから貧困も生まれやすい。支援は社会に必要なものなのだ。

それを自立と自己責任論で支援なく自己責任で独り立ちできるようになる、親離れできるようになるようなことを勧めているのは貧困が加速していく原因なんじゃないかとアメリカの支援が少ない現状を見て思う。

それだでは経済成長どころかチャレンジができず閉じこもった社会になり暗い話が多く出る今の日本のようになるだけじゃないかなって感じるけど。だからこそ有名な媒体はまず信じない、信じるかどうか考えることからしないといけないんじゃないかなと思う。

この経済成長ができないのをたまたまではなくそういうふうにしてきたと仮定すると、何か工作めいたものを感じる。
リクナビの言うとおりの就活や面接、勉強なんてしていたらいけないんじゃないかなと思われも仕方が無いだろう。

でも大企業はリクナビのいうこと聞いているしリクナビの通りにしないと大企業に就職できないしと思うかもしれない。なんで大企業にそんなに就職したいのか疑問だ。終身雇用なんてほとんどないようなもので、給料は良いといっても良く言われる金額として1000万ぐらいだとしてそれで満足ならそれいいけどとっても小さいことだと思う。それにそんなに自立を促して競争させても意味がないというのは今までの結果が物語っているんだから過度な競争はやめる考えも持つべき。なので親離れなんていうのは気にしなくていいと思うし自立なんて無理にしなくていいだろう。ゆっくり自立していいし自立したくない人はしなくていいんだよ。そんな人世界中にたくさんいるよ。

日本の自立の考え方は利己主義と拝金主義と人間疎外が加速していくのではないかと思う。自分の領域、誰にも頼らない、自分だけの判断というのでは社会的に少なくとも孤立した考え方になってくる。これとは反対に面白いのがスイスの例。

本「自立する力を育てる教育: スイスの生活科に学ぶもの」によるとでスイスでも自立をうながす教育はされるものの利己主義、拝金主義、人間疎外はスイス・デモクラシーを脅かすもので、必要なものは平等、統一の中の多様性、精神的自律だ。

スイスを賞賛するわけではないがスイス・デモクラシーを脅かすものとして上げられているものは日本で存在しているものである。日本のデモクラシーがおかしくなっていっているように見えるのもスイス・デモクラシーを参考にするとその理由が見えてくるのではないかと思う。
スイスの言う自立とは主体性な経験を通じて探究心、知的好奇心につながらり自分でやろうとする行動、判断につながるというものである。主体的な経験とは例として愛されれば愛し返すという主体的な経験を通じて自立させていく。子供の自立にはやるらげる教育環境を整える必要があるというものだ。
そこには日本の自立という支援せずに生きるや疎外感、親離れというものはない。

他にはアメリカの例でいうとアメリカは争いが多い場所だと思う。それは色んな考えがありすぎていてスイスとは違うデモクラシーがあるからだ。拝金主義も人間疎外も利己主義もなんでもあるからこそまとまることができずトラブルが多いんだと僕は思う。なぜ中国人がアメリカに集まるか、一つの理由は中国人がアメリカを自由な中国と思って留学していく人が少なからずいるということ。
中国のように利己主義、人間疎外、拝金主義でも全く問題ないアメリカ、でも中国みたいな言論統制はされていない、一応アメリカにも言論統制はあるけど建前上されてはいない。分断があたりまえの中国はアメリカを分断されたデモクラシーにしてしまったんじゃないかと思うのだ。学校では決して安らげる場所ではなく日本もどちらかというとアメリカのような自立を促しているように思う。しかしアメリカと日本が違うのがアメリカは考えることが教育に含まれているということ。答えのないものから答えを導き出すための教育だ。それはアメリカにもスイスにもある自立という考えと共通している。

一方日本の場合、自立は主体性を持つ人になるために必要といいながら受験勉強やSPIなんかをさせるわけで全く主体性のない教育だと思うのだ。それで本当に自立という自分で考え行動し答えのないものから答えを導き出す人になれるのか?ということである。不思議なのが主体性はビジネスで必要といいながら企業は何もわからない新人をとって会社色に染めたいという考えもあるというので、いったい企業や日本のいう主体性とはちぐはぐなことを言っているように思えてくる。

日本の受験勉強は中国の主体性を育むことができない教育のようにも見える。
日本の大学は海外の大学より卒業が簡単とたくさんの人が言うし僕も簡単だと思っている。簡単な分、学外でやることを考えて行動しないと意味ある学生生活にならないという点から主体性がとても大切なように思ったりもするが、多くの人が主体的に大学生活を全うできるとは思えない。反対に海外では主体的にしなければ卒業できないということになり、言われたことだけ勉強すればいいわけでもなく主体的とはさらに一歩踏み込んで考えて答えを出すということである。プロジェクトによってはチームワークも大切になるのは当たり前で強制的に主体的にしないといけないのとほとんどを自分の判断だけに任されている、ほったらかされているような日本の大学と比べても主体性は強制されたほうが身に着くのではないかとも思う。
これはあくまでも日本でいう主体性でなく海外でいう主体性ということではあるけど、どちらの主体性がいいかというと海外のほうが自分で考えるようになり生きる上で重要な主体性が身につくのではないかと思う。
最近ではローマ教皇が来日し世界中に問題になっている心の問題のときに人とコミュニケーションがうまくとれない孤独な状態をゾンビ化といった。これは海外より日本のほうがグサっと心に突き刺さるのではないかとも思う。それは自立と自主性の考え方が日本と海外で大きく違うからではないかと僕は思うのだ。上でも述べたように日本の自立の考え方が疎外感を拡大していくのと親離れなどという人とのコミュニケーションをあえて切り離していく考え方が含まれている。まさに自立という名のゾンビ化みたいなものだ。

自己責任についてもアメリカから日本は責任感を持って働くのに経済成長をあまりしていなく給料があまり上昇していない国と言われていることについて、馬鹿にされていると思っていない人が多いのも不思議でならない。そう考えられないことさえ自立した考えがないのか、すでにゾンビ化しちゃっているのかなって思ったりもする。

これらのことから考えると、リクナビや政権側がいう自立というのはデモクラシーをおかしくする社会を分断していくものなのではないかということだ。
もしそうなら大きな罪だと僕は思う。社会をあえて分断する方向にしていく政策をし続けたことは取り返しがつかないことになると思えるからだ。
そして友達が「自立しないといけない」というのは勘違いであるというのが僕の結論だ。

でもそんなこというと社会的に主体性のない人と言われたり、親不孝だのダメ人間だの言われるわけだけど、そういうことは無視して僕は僕が調べて考えに基づく自立を信じるので誰かに言われて自立というのとは大きく違う。社会が言う自立というのを守らないといけないなら僕はそういう会社で働きたくもないしそういう会社で働かなくても選択肢はたくさんあるので別の道を選ぶと思う。
僕は日本は好きなので日本を悪くいいたくはないけどおかしいと思うことには賛同できないということだ。

きちんとした証拠もないので陰謀論にはなるが陰謀論もあながち間違いじゃないこともあるため僕の陰謀論を言うと中国マネーに日本はすっかりやられちゃっているんじゃないかということ。中国がしたいことが団結する力を弱め社会的分断を作り国を弱めることが目的にあるかもしれないからだ。もしそうならリクナビも政権側がいうことや記事は中国寄りそった話なんじゃないかということ。まぁ真相はわからないけど、中国陰謀論は現在の日本の状態をみたりリクナビの自立という考え方から全く嘘っぽく聞えない。むしろ自然 笑

なんでも証拠がないくても自然なことだと思えることは黒なことが多いと思うので僕は世間で言われる「自立」という考え方には賛同できない。

そして自民党は経済界とくっついているわけで経済界の支持がリクナビのような自立を促すものであったともしすると経済界のトップの人たちは悪い人が多いのかな?と思ってしまう。
そんな悪い人が多くいるかもしれない会社に入社して、自分は給料が良いと自慢して偉そうにするのは恥ずかしいことなんじゃないかなって思ったりもする。もし経済界のトップの人が悪い人ばかりならね。

関連コンテンツ



スポンサーリンク
レスポンシブ 広告
レスポンシブ 広告

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする