日本語と英語のについてあれこれ 3

アメリカ人の物欲の強さを考えたとき、アメリカに限りらず英語圏の人達は日本人より物欲が強いのではないかと仮説を立てる。

日本語と英語が社会風土、習慣などから影響を受けて発展してきた言語ということから考えてみると、日本語は物理的に離れていて英語は物理的に近い言葉ではないかということ。
アメリカの家が日本より物理的に広いし、僕はアメリカの家庭に遊びにいったことがないので映画やテレビ、友達の言動から想像すると日本より質素ではないと感じる。見た目だけではなく行動も。例えばテレビのニュース番組もビジュアル的に日本のニュースより派手に大げさに見せているように感じるし、学生の食べ方を見ていても好きな肉ばかり。食欲を抑えられず太っている人の多さ、ストライキの多さ、極端な経済格差、たくさんしゃべる人が多いのも欲の表れではないかと思う。

反対に日本語がシンプルさを基準としているように、裕福な日本人家庭に遊びに行っても物の多さより物をあまりおかずに綺麗にスペースをつくり質素にも見える部屋作りしている人がいるというのは日本人なら想像つくだろう。派手に見せるよりガツガツするより質素にシンプルに綺麗にすることが日本語のルーツなんだと思う。

考えてみればイスラム教、カトリックの建物というのは明らかに日本の伝統的な建物より細かなデザインをこれでもかと作っている。イスラム模様が神と数学に関係しているのとカトリックも数学的な発想なくしては神を表現するデザインにはならない。数学は物理的にしっかりと密接しているため物理的に密接しなければいけない言語が英語なのではないだろうか。

反対に日本のお寺をみると細かなデザインより自然の木の形を残した柱、壁、色合いなど数学よりも自然に密接した世界観が日本にはある。日本の神がすべてに宿る、自然にも宿ると考えることによると思われる。そのため自然を大切にする哲学は日本とアメリカでは若干違うと思うことと、日本語にもこの哲学が影響していると思う。英語でlogos, pathos, ethosというのがある。logosはロジック、pathosは感情、ethosは道徳である。英語はlogosよりで日本語はethosとpathos よりだろう。面白いことに英語と日本語を話せる外国人が英語を話すときと日本語を話すときでは性格が若干変わっているように見えるという話しがある。僕のクラスメイトもそうだ。英語のときは態度も悪いように見え、言葉遣いも汚いように聞えるのに日本語だとものすごく丁寧になる。明らかに日本語は人の欲を抑制する効果がある。それは日本語が英語よりも丁寧に話す言葉がちりばめられているからだと思う。

これらのことから英語というのは自分を抑制するよこと良しとする言語でなく、主張を促し論争を良しとする言語だと言える。そして英語は人の欲望を強くするとも言えるかと思う。
物欲が非常に高ければ戦いにもなるだろうし、お金がないなら奪おうという考えにもなるだろう。アメリカでホームレスがお金がないから人からお金を盗むという事件があるが、盗むことが悪い思ってないのとお金のある人から盗むのだから盗まれた人がどう思うより盗むことが当然といった考えがあるように思う。ストライキの多さもお金の、働き方が正等でないと従業員が思えば主張してストライキを通して戦うわけだ。日本語も英語もどちらもいいところがあるがバランスが重要だと感じる。極端な欲の追求が今の極端な経済格差があるアメリカであり、極端にルールを守る社会の日本だからこそ、自殺、うつ、息苦しさもあるのだ。
日本語はある意味、人を無防備にさせるのだろうし、英語は待つことを良しとしないのでガツガツさせる。どちらもバランスが保つことができればいい社会でありいい言語であると思う。そこで思うのが世の中の人は英語と日本語の両方を学ぶべきなんじゃないかということ。意外と日本人は気づいていないが日本語には本当に人を柔らかくする力がある、そして英語には人を欲のためにはっきりさせる力がある。台湾の首相が台湾が民主化したのは日本人のおかげだという記事があるが、これも日本社会にある日本の教えによって民主化できたということだ。日本語にはこの日本の教えもしっかりと含まれているので日本語を学ぶことで人のまとまりというのがしやすい社会になるのではと思う。実際に東日本大震災では日本人は各国ではみないまとまりを見せた。あのときに略奪があったかどうかは不明だが、自分の欲が第一優先ではまとまることもできないし、略奪だらけになるだろう。ちなみに僕の先輩で日本で働いている人がいる。彼はブラック企業で働いているのだが、東日本大震災のとき上司に東日本に行って物奪って来くればいい、とか嘘のように聞える本当の話を聞いた。彼の働いている会社はものすごいブラックなため、ブラック企業というのは日本語の特性を利用して人を悪い方向に引きずっているのではないかおt思う。最近の日本では否定的に自虐的にものすごく考える人が多いが、ちなみに大昔がどうなのかはしらないが日本語の特性から悪く使えば人は自制が強くなりストレスが高まり生きることさえ難しくさせる機能がある。なので日本語だけじゃなくて英語も学んで違う価値観を持つようにしたほうがいいんじゃなかと思う。

今の社会で年をとっている人で英語を使える人は少ないだろうから、もし将来日本語と英語を使える人が社会でものすごく多くなり、政治、経済界の世界でも多くなれば日本社会はもっといい社会になるんじゃないだろうか。

ちなみに韓国語は上下関係を日本以上に強制させるため、その結果韓国の企業は日本よりパワハラが多いしブラックだとも聞く。上司を、年上を尊敬するのはいいが極端なこととそしてそんな尊敬することを悪く利用、都合よく利用すれば社会は生き苦しくなるのだろう。

スポンサーリンク
レスポンシブ 広告
レスポンシブ 広告
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。