美術なんて学ぶ意味ないという人がいたので、反論を考えた

僕はアートは人生で重要なものだと考えている。美術なんて意味がない、学ぶ価値がないそれよりどうお金を稼ぐかとかが重要だよという人がいた。

日本の学校でも美術や音楽の時間が削減されたり、今ではプログラミングの授業を多く取り入れようとさえしていると思う。

でも美術や音楽などのアートは人生に無くてはいけないものなんだから学ぶ価値がないなんていうのはナンセンスだ。

簡単になぜ学ぶ意味があるのかを書いてみた。

1:アートを学ぶことは100%視野を広げる

アートというと難しくとらえる人もいるかもしれないが、簡単なところで言うと漫画もアートだ。うまくイラストを書く人は、さまざまなルールを知っている。例えば虹はどういう条件で生まれるのか?このイラストにはどの光の色が不自然でないか?黄金比に沿った構成か?とかサイエンスに近い知識が必要なのだから、アートを学ぶことは見る世界を間違いなく変える。
これは簡単に言えば、なぜこのイラストはかっこよく見えるのか?なんでこのキャラクターはかわいいのか?このなぜ、なぜということに明確な答えをたくさん持つことがアートに必要なのだ。抽象的なことだけがすべてアートというわけではないと僕は考えている。
視野が広がると人生は必ず面白くなると思う。ちなみに僕が言っているのはアートの歴史を学ぶことではなく、アートを作るの必要な知識だ。もちろんアートの歴史を知ることも視野を広げる。

多くの日本人は日本国籍しかなく、また日本でしか生活してきていないと思う。でも世の中には国籍が複数あったり、生活は複数の国でしてきて、家族も元の国籍が違っている家庭もある。そんな人たちの子供がどうやって自分のアイデンティを確立するだろうか?自分は国籍は○○だけど、でも生活は違う国で、親も違う国の国籍。僕は何人なんだろう?と葛藤するかもしれない。これらの人を例えていうならニュータイプだ。

そしてこの葛藤の僕の答えは、アイデンティティは一つに絞る必要はないだ。音楽が違ういろんな国の文化の影響を受けているように、アイデンティも一つに絞る必要はない。僕はこれはこれからの社会に必要な考え方だと思われる。つまりアートは社会に必要なことを教えてくれて僕達の視野を広げるのだ。

2:アートを学ぶことは極端な話は戦争がなくなる。

戦争がなくなるなんて極端な!いいすぎだろ!というかもしれない。なぜ僕がそう思うのか?

これにはいくつか理由がある。

理由1:

音楽やアートから僕たちはさまざまなカルチャーを学ぶことができる。僕たちは一つのカルチャーで生きているわけではないし、生きていこうとするとあまりにも寂しいつまらない人生になると思う。想像してもらいたい、西洋の文化が日本になければ、J-POPも生まれないし、洋服だってない。違うカルチャーは人生でなくてはならないものなんだ。アートを学ぶことは異文化への尊敬が必ずある。異文化を認め共存することを学ぶ、気づかせることができるのがアートなんだ。経済中心で物事を考えるとそんなことは忘れてしまいそうで、多文化へのリスペクトを忘れてしまえば自分と違うものとのケンカや大きく言えば戦争だって起こってしまうと思う。だからアートを学ぶ価値はあるんだ。

理由2:

今はイスラム国などのテロが世界中で起きていて、テロを起こす人たちは過激思想に感化された人達だ。過激思想には相手をリスペクトすることが欠けていると僕は思う。なぜなら武力で世界を変えようということを過激思想とすれば、そこには相手を称え、自分に相手の存在を受け入れさせ、共存するということを選んでないからだ。
相手を認めそして受け入れることを学ぶ人は過激思想になりづらいと思う。
世の中にある無差別殺人には、強烈に自分に価値がない思う人や社会に絶望している人が起こしているケースはあると思うが、アートは自分を見つめなおすことと、自分の価値を見つけるのにとてもいい手段だ。
例えばドローイングが好きな人には絵を描いているとストレスが和らぐ人は多くいると思う。
アートの製作は実は精神を落ち着かせ、自分を見つめなおす機会にもなるんだ。社会に絶望しそうな人がもしアートの製作をしていたら、殺人事件は減っているんじゃないかと思ってしまう。そしてどうすれば良いアート作品ができるのかを他の人の作品と比べて自分のレベルを知ることができる。これは相手への尊敬心と自分の自尊心の確立になると思うので、無駄に自分に価値はないんだ!っと思わないようになるんじゃないかと思う。

理由3:

思想誘導に気づけ、簡単に思想コントロールされないようになる。そうなると戦争をしたい、させたい、何かに誘導したい人たちの隠れたメッセージに気づける。
もちろんどんなアートも何か意味があるため隠れたメッセージもあるだろう。だけどそこに危険なものがあるかどうかを知れるか知れないかとでは大きな違いがある。
アートには色々な形があり現代で特に人気のあるアートの形はゲーム、映画、漫画、アニメなどがあるだろう。それらの形でありがながら思想コントロールをしようと考える人たちや国はある。アートの勉強をすることで一方的に信じるわけでなく、また隠れたメッセージに気づきあぶないアート(映画、テレビドラマ、ゲームなど)なのか安心できるものなかのかを判断できるようになるだろう。頭が悪くなんでも受け入れようとはならないわけだ。
これらの理解には宗教、文化、作られた国、人、歴史などのバックグランドを考えないといけないと思うが古い伝統的なアートの理解もそれらを全部考えなければ理解はなかなかできない。そのためアートの理解とは下手にコントロールされない人になると言える。表面的には美しさ尊さなどを説明はできるが奥深くを理解することでアートを通した社会の動きなども見えてくるのだ。アートを軽く見てきた人が多い世の中では簡単に思想コントロールされる社会になるだろう。その理由は戦時中のプロパガンダアートや過去の宗教上のアートを見ていればわかってくる。しかしプロパガンダアートは理解できないや知識が無い人が見ると危ないと思うので闇雲にみないほうがいいだろう。といっても情報や画像や動画が溢れている現代で見ないようにするのは難しいけど。

他にも理由はありそうだが、これらの理由からアートを学ぶことは戦争の抑止力になると思う。刑務所などにいる犯罪者もアートを刑務所で学ぶべきだろう。

この意味はアート作品を分析比較して製作することを学ぶという点が重要だと思う。
椅子や机を作ったから事件は少なくなるかというのではなく、経済倫理をまずは捨てて各個人がアートを通して表現することが重要なのだ。

3:アートをみんなが学ぶことは生きやすい社会になる

好きな絵を描いたり、一見ガラクタのように見えるものを作ったするよりもっと社会に役立つものを作ったほうがいいだろうと思う人はたくさんいるだろう。

はっきり言うがその考えは間違っている。想像してもらいたい、絵がない社会、音楽がない世界、同じカルチャーしかない世界は面白いだろうか?人生において面白さは必要なのだ。経済倫理だけで物事を考えるとアートは必要ないという人は多くいる。さらに世の中アート抜きでは経済だって縮小するのだ。アート作品にお金を出す人はたくさんいる。例えば音楽や漫画、テレビゲーム。これらを社会にとって必要なことを認めることが生きやすい社会を生むと思う。
アートを学ばない人にこれらを認めましょうと言っても難しいかもしれない。なのでみんなが学べは生きやすい社会になるんじゃないかと思う。ちなみにテレビゲームは中毒性もあるが、ゲームキャラクターなどはアートになり、勉強しないとそれなりに作る事だってできない。ゲームとの付き合い方は考えないといけない問題だけど。

みんながそれぞれの価値を認め尊敬、尊重し合う社会だと自尊心も育ちやすいだろうし、絶望を感じて自殺する人だって減るだろう。

それには一般の人がアートで生活できる市場が必要にもなるとは思うけど、日本では今のところその市場は育ってないようにも見える。アニメや漫画やゲームはすごいけど、もっと一般の人の作品を売り買いするのが当たり前の社会になる必要があるだろう。

また、アートの製作には自分を見つめなおす力があり、さらに心を落ち着かせると上でも述べたが、これは社会が生きやすくなるのにとても重要だと思う。みんなが一度立ち止まって自分を見つめなおすことが習慣だとしたら、仕事で急がしすぎる社会になっていただろか?と考えてしまう。もっと仕事以外の時間を楽しもうという人が多くなっている社会になるんじゃないかと思う。政治のトップこそアーティストでもあるべきだと思う。


これらの理由から美術は学ぶ価値があるし教養なのである。

みんながアートを学ぶことは社会構造を変える力がある。

そしてみんなでアートを学んで人生楽しもう!

美術に関する他の記事

美術を学ぶこと

外国人の日本の美少女アニメファンについて思うこと

見た目は重要

アートは軽視できるできるものではない

【書評】 世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」 美術を学んでいる学生が感想と考察を考えた。

関連コンテンツ



スポンサーリンク
レスポンシブ 広告
レスポンシブ 広告

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする