【書評】 世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」 美術を学んでいる学生が感想と考察を考えた。

著者が言っていることは

分析、論理、理性に軸足をおいたサイエンス重視の意思決定は時代遅れということ

理由が正解のコモディティ化による差別化の消失、分析的・倫理的な情報処理スキルの方法論としての限界があるということと、世界中の市場が自己実現的消費へ向かいつつあるということである。

本は面白かったしが、反対するところもあったのでそれを説明する。

僕が言いたいのはアートは論理的ということ

本では測定できないものに美意識が問われる、ということを述べている。これはわかる話なのだが美意識は測定できると僕は思っている。なぜならこれからコンピューターはAIに人の美意識に近い作品を作ろうとしているしすでにいくつも作っている。測定できないものではコンピューターは作動しない。このことから美意識は測定できないふわふわしたものではなくきちんと論理的に説明できる美しさであるといえる。例えば日本の美とは海外の芸術から比べるとわかりづらい美意識に見える。海外では筋肉の美しさ、リアリティ、色、光という分かりやすさに対して日本の美はわびさびというわかりづらいもの。それは海外は足し算のアート、日本は引き算ということが言える。面白いアーティストにグスタフ・クリムトというアーティストがいるが彼の作品は西洋の美と日本の美を融合したものを作っている。これは足し算と引き算をうまく合わせた感情表現と言える。

著者が言っているサイエンス重視の意思決定は時代遅れになるというのは僕は賛成できない。なぜならアートはサイエンスだからである。アートはロジックがちりばめられており、分析することでアーティストの表現したかったものが見えてくる。アートがサイエンスという例はレオナルド・ダヴィンチが有名で「最後の晩餐」はサイエンスの塊である。サイエンスの例は一点透視法と黄金比が構図に使われているし、遠近法、光学を駆使し美しく光を表現し解剖かうによる筋肉のリアルさを表現している。アートを見る人がそれらを多少しらなければ見てもあまり分からないだろう。僕が思うのに現代は抽象的なものや感性に関わる部分を測定できるのに測定してこなかったことが問題だと思っている。それらを測定するためにアートを学ぶ必要があるのだ。

測定できるとなるといずれは正解はまたコモディティ化していくのだろうか?僕はしないと思う。なぜならアートはテクノロジーの進化によってどんどん変わるのでコモディティ化するよりも新しい感性、考え方、物のとらえ方のほうがどんどん出てくると思うのでコモディティ化しづらい。例を言えば、過去のアーティスト達は今ほどテクノロジーも進化してないし、進化が遅かったわけで時代ごとに時代にあった同じテクニック、同じような表現手法を使ってきたわけだ。これはある技術が進化しないから使う道具も求められるアートも同じでアートはコモディティ化していたと言ってもいいと思う。しかし、今より安全でない世の中では文化も破壊され、アートを壊され新しく支配した君主が今までにないアートを作らせたりするので完全にコモディティ化するまでに新しい考えが入ってきていたと思う。例、彫刻という3D作品を好まれていた時代はそのような作品が多くなるが、それを禁止することで2Dペイントアートや壁画が増えていく。

それでは論理でアートも白黒つくのかというとそういうわけではない。なぜならアートの作品はしゃべるわけじゃないので正しい答えがわからない。そのため見る人の想像力、知識から来る美意識によるので見る人によって答えが変わる。この答えが変わることを受け入れて考えということが今までのサイエンス重視の意思決定に抜けていた部分だと思う。多様な人種がこれから日本で増加すると思うのでこの多様性を受け入れて考えることのできる頭の柔らかい人にならないと文化の違う人と一緒に仕事をすることは難しいと思う。それの結果すでに日本の企業で働きたくない外国人が出てきていたり、日本人の働き方に合わせられないっていう外国人や日本人だって多いと思う。

そもそも海外の人は日本の人より明らかに論理的であるのでアートを論理が欠けた考え方とは考えないと僕は思う。それに日本のアーティスト達も論理的になぜそれが美しいと思うのか、かっこいいと思うのかというのを考えると思う。論理がわかっていないとアニメのかわいい絵なんて描けない。

そして著者は論理をないがしろにするというわけじゃなくて白黒はっきり判断がつかないことは直感で判断することを勧めている。過去の偉人達も直感で判断しうまくいっていると。僕は直感は非常に論理的だと思っている。人間の直感は時々、コンピューターよりも性格にすばやく答えを出す。コンピューターと人間が戦う勝負では直感で判断する人のほうが判断が早いケースがあるがやはり直感だけに頼ると失敗する。しかし、コンピューターはすべてのパターンを計算するのに対して人の脳はうまいこと考えないでいいところを削って答えを出すために、その処理がうまい人は直感が正しいことが多いんだと僕は思う。この処理は経験と多角的な知識から来ると思う。プログラミングをするとなんでこんなこともコンピューターは分からないんだっていうところがでてくるが、人はコンピューターが考えないといけないことを考えなくても判断できる処理能力があるのだ。そのため考えても答えがでないことは自分の直感を信じて行動することが正解につながるというのは一つの論理的な答えであると思う。数学で言えばうまく脳の中で平均をとっているのか微積分のようなことをしてすばやく処理しているのと考えると直感で数学っぽいと思えてくる。微積分って普通時間がかかる計算はパッと答えがでるわけで処理が少ない考え方だ。
さらに直感を信じて進むことで別の道が広がる可能性が広がりそこには成功があるかもしれない。でも直感を信じず答えがでなければ行動できないから何も変化が生まれない。ビジネスは成長しないということになる。人生は100%の答えって出すのは難しいから70~90%でも行動することでどんどん正しい答えに近づいていくという精度をあげることができると思う。つまり直感っていうのは論理的で戦略的な考え方だということ。この試行錯誤を繰り返して最善の解に到達することについては著者も述べている

これは本の中でも言っている将棋の羽生氏の引用で

「高度に複雑で抽象的な問題を扱う際は、解は論理的に導くものではなくむしろ美意識に従って直感的に把握される。それは結果的に正しくしかも効率的である」

ということと同じ考えになるだろう。これを論理的でない直感と言っているが僕はこの考え型はとても論理的だと思える。

そして著者の言っている論理と理性を軸にすれば他者と考え方がかぶるというのは僕は疑問だ。なぜなら他社と考え方をかぶらないためにも論理と理性は必要だと思うからだ。本の中で言っている

サイエンス:様々な情報を分析した結果、このような意思決定をしました
クラフト:過去の失敗経験をふまえた結果、このような意思を決定しました
アート:なんとなく、フワッと、これがいいかなと思って意思決定しました。

というのがあるが、このアートの部分はアーティストが言うならその直感が正しいこともありえるのでわかるが、アートがすべてフワっとした考え方というわけではない。上でも書いたようにアートは論理的だ。また本では画期的なイノベーションには「非論理的ではなく超論理的ともいえる意思決定が行われている」と言っている。

イノベーションの多いアメリカでアメリカ人と接していて思うのがアメリカ人はあんまり深く考えていないということ。超論理的というより「これ良さそう、とりあえずやってみよ」って軽く考えているところがあるのでチャレンジをどんどんするんだと思うこと。例としてはアマゾンは当たらしサービス出してやめてを繰り返し、Uberはドライバー、給料、安全面の問題は未だに残っているけどサービスは続いている。給料とか安全面とかサービスを続けるのにものすごく必要なことなのに、それが欠けていてできるのは何も考えてなかったからだとしか思えない。その結果Uberでは未だに殺される人が出てくるしストライキだってある。

あと気になるのが世界観とストーリーは決してコピーできないということ。僕は完全コピーは無理でもかなり真似できるんじゃないかと思う。今ではマンガやゲームの世界観は世界中で真似られて同じコンセプトのストーリーと思われる映画やマンガは多い。ゲームではリーグオブレジェンドが世界で猛威を振るったとおもったら中国が真似てモバイルレジェンドなんていうのが出てきた。ゲームの世界観もかなりそっくりで訴訟が起こった話は有名である。ゲームがデジタルだからコピーできたという話ではなく例えばゲームキャラクターは同じでないのに雰囲気や色合い世界観がそっくりなのだ。そもそもアートは世界観の真似から学ぶことが多いわけで弟子が師匠の作品に似せた絵を描くために世界観、ストーリーを理解して真似るなんていうのはアートではある話でだと思う。真似できるとは論理的ということである。

それと本の中で横文字とちょっと多く感じたのと難解に言っているんじゃないかと感じさせられた箇所があった。できたらわかりやすく書いてもらえばすんなり頭に入ってきたと思うのでよかったかなーって思う。

言い忘れたがアートには右脳と左脳があって現代は左脳社会だと僕は思っている。左脳社会の西洋から流れてきたんじゃないかと思うのと、東洋はどちらかというと右脳社会だと思う。今は日本は左脳社会に覆われているから反対側の社会も使ったほうがいいんじゃないかなって思う。グローバルになるってことはどうしても左脳社会になるんだと思うけど、抽象的な右脳社会を論理的に理解できることがこれから重要になるんじゃないかなって思う。右脳社会の極地はハーバードの脳科学者が事故で脳を負傷して右脳だけにしばらくなった人がいて、その状態から回復したときに話した内容がたしか、右脳の世界は悟りの境地、ニルヴァーナ。幸せだった。というような内容だったと思う。人間社会にはこの抽象的な右脳社会を取り込まないと幸せって遠くなっちゃうんじゃないかなって思う。それが可能なのがアートとか音楽とかそういった芸術分野なんだと思う。

賛成のところ

大賛成な点はアートを通して美意識を学びそれに基づいた自己規範を身に着けるという点。これは本でも述べているように犯罪の防止にもつながるのは頷ける。なぜなら犯罪を防止するのはやってはいけないという自己規範があるからであり、美意識とはルールなのでその人の行動、考え方に影響を与える。ちょっとグロテスクな話をすれば日本では切腹というのがあったわけでそれは侍の美意識であり行動規範である。この強烈な死と密接している美意識は生と死を常に意識させ恥ずかしくないように生きるために嘘偽りのない真摯に行動させただろうと想像する。美意識は人の行動を変えるのだ。これは逆に間違った美意識は犯罪者にもしてしまうということにもなる。正しい美意識には正しい哲学、道徳、考え方が備わっていて、日本では懸念する人は多いけど宗教にもつながる話になる。世界のエリートが美意識を鍛えると同時に世界のエリートは宗教だって理解していると思う。宗教は新興宗教じゃなくて主にキリスト教、イスラム教、仏教の世界三大宗教だと思う。なぜならこれらのネットワークが広くて強くてそれがビジネスにつながるからだと思う。

本の中ではオウム真理教には美意識の欠如があったということを述べている点は非常に面白いと思った。なぜなら僕はアートがない宗教はオカルトか営利目的の新興宗教だと思っているからだ。宗教はアートがあってそれを信仰するわけだけどアートが稚拙だと何を信仰しているの?って疑問。現在もある宗教でもそうだけど具体的にどの宗教とはいわないけどアートが ない営利目的の薄っぺらい宗教って多いと思う。本では述べられていないがオウムは美意識として規範としてアニメが宗教の中にでてきていたと思う。彼れは答えの出ない世の中でさらに、アニメに答えを求める世代が多い時代とかぶりアニメに答えを求めて逃げた懐疑的な側面もあると思う。どこかの本でみたけどこの当事、殺人はなぜいけないんですか?って言う人が平然といた時代だよね?

つまり美意識は自分の防衛にも役立つ。もっと分かりやすくいうと発言にトゲがある人がいる。それをトゲと感じたのは少なからずトゲとトゲじゃないという区別する美意識があるからで、トゲのある人は攻撃してくる場合もあるし心に問題を抱えている場合があるからそれらを避けようと察することができるのが美意識。

最近ではホラー映画ハウスジャックビルトが日本で完全ノーカットで放映されたみたいだけど、他国では規制されていたことを考えると日本は美意識に欠けてきている人が多くなっているのかもしれない。この映画はモラルに悪影響がある映画で普通の人が同じようなものを作ったとしたら犯罪者かもしれないと思われかねない作品なのだ。

そして次に、世界は自己実現欲求が高まるというのは賛成である。しかしこれが最大化するのはかなり先の話だと思う。なぜなら世界には僕らの想像以上の貧困層がおり自己実現なんて考えられない人はものすごくいる。そのため自己実現欲求と言えるのは先進国でも発展途上国でも社会的に中流以上の人だと思う。また現在貧困の人だけじゃなく貧困の増加もしているので自己実現欲求が最大になる市場が来るのはまだまだ先だと思う。本の中でも言っているように世界のエリートは美意識を鍛えるというのは間違っていないと思う。アメリカでは貧困層が通う学校より裕福層が通う学校のほうがアートに関する授業が多いというし、そもそも貧困層ではお金にするまで時間がかかるアートを学び努力することができない人もいてアートなんてやらない人もいるだろう。いわゆる白人貧困のヒルビリーや薬物中毒、家庭問題とか。しかしもし貧困問題も解決してきたら自己実現欲求が最大化した世界になるかもしれないのでそのときはアーティスト達は仕事があふれているかもしれない。

え?アートって論理的なのじゃ今までの考え方でいいの?

今までやってきたとおり、論理と理性を軸とした考え方で正しいの?、というとちょっと違う。著者は語っていないが僕はアートを学ぶことで多角的に歴史、数学、物理、理科、語学などさまざまな物の理解を早めることができると思っている。なぜならアートと数学は密接だし物理現象だって考えることでリアルな作品になったりする。自然界にある形は数学をベースとした美しさがあるのし、物理だって物理現象を数字に取ると美しい放物線を描いたり物理というルールという美がそこにはあるわけだ。そのためリアルな作品を作ろうとすると嫌でも物理を勉強したり数学だって勉強したほうがいい。勉強しなくてもアートはできるけどあまりリアルじゃなかったり説得力に欠ける作品になるんじゃないかと思う。
今までは論理的に他と同じようなことを考えるというまるで受験勉強のようなことをしてきたわけで、これからは論理的に他とは違う魅力のあるものを考えるということが重要なんだと思う。この考え方を養うのにアートは役立つということである。

筆者も言っているように観察眼というのが仕事でもアートでも重要と僕も思う。僕が思うのにすぐれたアーティストは幅広く勉強している人が多くてその結果、洞察力の高い人も多いと僕は思う。レオナルドダヴィンチはものすごく勉強家だったことは有名だ。そして著者は言っていないがアートは歴史も学んだほうがいいと僕は思う。アートの歴史を学ぶことでアーティストの思考も見えてきてさらにアーティストのことも調べたくなるだろうし、アーティストを調べるとアートにアーティストの性格が現れているのもわかってくる。本で引用されているカラバッジオの作品「聖マタイの召命」は明暗を使ってキリストに関連した絵画だけどもこの当事としては珍しい一般的な人の日常の一部を取り上げている。これはカラバッジオがキリスト教が嫌いで伝統的な手法を使いたくなかったのと、本人が殺人者で心に闇があることが明暗法にあらわれていると僕は思っている。

結論

この本は面白かったし、アートを学んでいる僕も興味深いところがあったが主にアートを勉強してない人への本のように思う。日本はアートへの関心がない人が多いと思うのでこの本を見ると面白いと思う。それとエリートでもエリートじゃなくてもアートは学んだほうがいいと僕は思う。美意識が高い人は海外でも尊敬されるし、かわいそうだけど貧困層にはない考えだと思うから、アートをしている分かっている出来るということは貧困とも思われない さらにすごい作品だと言葉がなくとも尊敬されるツールになるからこれからの多様な社会では言葉のいらない意思の疎通ができる道具って重要だと思う。これは今までさんざんアートは論理と言ってきたけど人間って論理的に考えなくてもアートを通すと論理的にすばやく処理するんだよね。絵とか音楽とか。それが直感的に心に届く。そして感動させちゃう力になる。アートは言語の壁を越えるから人と人をつなぐ大切な道具だと思う。

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