【感想・ネタバレ・考察】ワイルドライフ これはアメリカのヒルビリー家庭の話かも?

子供の目線で描かれた家族の離婚映画。ホラー映画でもないしヒーロー映画でもないあんまり見たことない変わった映画になる。この映画は家族の絆や愛を感じる映画とも言えるし主人公を通して子供の成長、生きる強さを見せているともいえるがそれよりも僕は1960年代アメリカの白人貧困ヒルビリー、レッドネック、ホワイト・トラッシュを描いたものではないかとも思えてくる。

出典:IMDb

この家庭は普通の家庭が崩壊していく過程を見えているわけではなく普通より下流の家庭であり貧困のヒルビリーの中でもマシな家庭を見せているように思う。

どこがヒルビリーなのかというと

1:1960年代のモンタナ州という田舎が舞台ということ

1960年代はアメリカでも景気が良くなっていって時期でさらに激動と言える社会が大きく変わる時期。そんな激動も感じない景気も感じない地域はアメリカの田舎にあった。それがアメリカの繁栄から取り残されタ白人達ヒルビリーだ。貧困から脱却することも難しく今でも貧困層が多いといわれているモンタナ州や他の田舎の人々はアメリカの大統領トランプを支持したといわれている。

家族が別の地域からモンタナ州に引っ越してきたわけで、この時代のモンタナ州って仕事があんまりないところらしいから貧困に陥りやすいと想像する。

2:貧困だと思えるところがある

父親ジェリーは解雇され出稼ぎで山火事を止めに行く。日雇いや不安定な職を転々とする人々はヒルビリーで多い。さらに、この当事貧困層が着る服の一つの柄色のネルシャツは、父親ジェリーの柄はなくともネルシャツということでかぶる。柄がないネルシャツは昔から肉体労働者が着る傾向がある。映画では母親父親の髪型を整えているのでヒルビリーの中でもマシな家庭なのだと思う。
さらに父親はゴルフ場で仕事があったけどクビになる。父親のスキル不足を感じる。
そしてクビになったら子供を働かせてしまうわけだから、これはどこにでもある普通の家庭ではないと思う。

3:ヒルビリーならではの性格が両親にある

ヒルビリーは犯罪や薬物中毒など問題が多いの、お金の問題で離婚もあるのがヒルビリー。主人公ジョーの母親は家から出て行って戻ってこない夫に対して女を作ってでていったと考え、他の裕福な男性と関係を持つ。そして母親は泣きながら「他に道があるなら教えて」と話すシーンがある。おそらく母親は相談できる人がいないから自分の選択でジョーを悲しませることになると知りつつもジョーには悪いけど今はこの方法がベストだと思うわけだ。他の相談できる人がいないというのはヒルビリーにある話である。これはモンタナ州に引っ越してきた移住者なので、田舎は移住者に冷たいということもあるらしいので相談できる友達も出来づらかったのかもしれない。

また父親はお酒をよく飲み、最後では相手の男の家を燃やそうとしたところもカッとなる性格はヒルビリーっぽい。ヒルビリーの人生には周囲は荒れていることが多いと思うので性格も怒りやすくなるったりすると思う。
そして父親ジェリーがバイトなんて大人のやるようなことじゃないって思って働くことを拒否する点も、ヒルビリーにありがちな男ってこーじゃん、勉強だせー男ならそんなんしないのような偏った価値観で物事を判断している。人の話を聞かずに山火事を消す仕事に向かうのも変なプライドが邪魔をし頭が固くなっているヒルビリーっぽい。

主人公ジョーはヒルビリーの中でも精神的に強い子だと思う。ヒルビリーの家庭の子は生まれてから大人になるまで災難に襲われない人はいない。そのため子供によってはくじけてしまうこともあると言われていてそれが貧困から脱出できない原因の一つだと思うんだけど中にはくじけず逆境を乗り越える人もいる。映画の中のジョーは普通ならくじけかねないところ、ジョーは心優しく両親より大人な態度で最後は接していると思う。逆境を乗り越える力がジョーにはあるのだ。僕なら母親がドレスを着て女をだしてキスしたり肉体関係があるところを見たらくじけるかもしれない。

アメリカでは今も昔も貧しい家庭に生まれた人は成功する人はあまりいないと思う。多くの家庭は子供たちは大人のたちより経済的に成功すると思うところヒルビリーの家庭は悲観していることもあり親より成功すると思う人は少ない。将来に希望を感じない、周囲でやっても無駄という人が多いなかで育つヒルビリーはすべてのやるきを奪うのだ。

そして14歳という年齢はまだ周りのことが目に入ってこない時期だと思う。学校の交友関係、宿題と意外と両親のことを考える余裕なんてないのはよくある話だと思う。なので気づいたら父親が家にしばらくもどってこなくなっていたとか、母親が暗い顔をしていることが多くなっていたとかヒルビリーにありそうな話である。

この映画を見てとても悲しい、切ない、そして優しい息子とコメントする海外の人はヒルビリーの家庭ではなく中流以上の家庭じゃないかと思うことと、そのため中流以上にも共感してもらうためにヒルビリーの中でも比較的マシな家庭を演出しているのではないかと思う。マシと思える箇所は


1:ゴミが散乱していない

2:核家族

3:主人公ジョーがいい子。


核家族で生活できるということは祖父や祖母の助けがなくとも生活が成り立つ環境が一応あるといえるのでものすごい貧困ではない。貧困だとゴミは散乱、ケンカは頻繁にあると思うがジョーが14歳になるまで親の問題に気づかないぐらいなのでケンカは頻繁になかったんじゃないかと思う。そしてジョーがいい子なのも比較的悪くない環境だったのだと思える。そして母親が裕福な人と知り合えるというのもマシな家庭だということが言える。ヒルビリー家庭の一部を描いているっていっても間違いじゃないと思うけど、特殊で貧困でないと思われる妻ジャネットと貧困のジェリーが結婚したなかなか希なケースなんじゃないかと思う。
離婚した後、しばらくたって母親のジャネットは教師として父親のジェリーは営業職として働くという点は教師として働けるジャネットはヒルビリーじゃないのだと思う。一方ジェリーは営業職で相当過酷な仕事をしていると想定する。すべては夫ジェリーのヒリビリーのせいでめちゃくちゃになっている。離婚しちゃったけどなんとか貧困から脱出して子供も優秀だっていう本当のヒルビリーが見たらたぶん夢のような話じゃないかと思う。その夢のような話に共感したり中流の人も離婚したけどうまく生活できるようになってよかったねって共感しやすい設定なのかも。

ちなみにヒルビリーに片足を突っ込んでいるような家庭でも脱出できるのはお金を除くと教育レベルが高いか人間関係に恵まれている人になるらしい。父親ジェリー以外は教育レベルが高そうだ。

14歳のジョー

出典:IMDb

この映画の一番のメッセージはジョーが言っているように「二人から人生のすべてを学んだ」ということだ。大切なものを捨てなければいけない、大切なものどちらかを選ばなければいけない、親だって完璧じゃない、親は大好きだけど親みたいなケンカのある家庭を持ちたくないのでそのためにはどうすればいいかという将来へのことも含め人生のすべてを親から学んだということだと思う。
多くのヒルビリーは親からすべてを学べない家庭が多いと思う。なぜなら親が教育的でなかったりめちゃくちゃだったりする家庭が多いと思うからだ。母親ジャネットは教育的だったし、家庭の崩壊を通して社会のあり方をジョーは学んだと思う。ジョーの家庭はマシな家庭だったんだ。こんな離婚をしないためにもお金を稼ごうとジョーは思うだろうし、そのため将来に向けて勉強できる子になるだろうし、家庭の収入が少なくともコミュニティカレッジに入りそこから有名大学に貧困層向けの奨学金を得て入学できるかもしれない。

この映画から僕は日本にもヒルビリーのような人が多くなっているんじゃないかと思った。日本は大学に行く人が多く、教育も他国に比べて十分に受けられているが精神的には相対的に貧困が増加していると思う。その精神的な貧困というのはヒルビリーと重なる。どういった点が重なるかというと、


1:将来に希望を持っていない人が増えている(例:自殺者の増加)

2:変なプライド(例:働いたら負け)

3:結婚できない人が多くなっている

4:核家族では生活が苦しい家庭が多くなってきている


ジョーのように前向きに行動できれば精神的にもヒルビリーから逃れられると思うのだけど日本では精神的にヒルビリーっぽい人が多いと思う。発言にはお金がないから、境遇が悪いから、コネもない、能力も無い。50円や100円のコーヒーも買えないという人がいるぐらいだから精神的な貧困はかなりだと思う。ジョーはお金がないなら働こうとし、離婚の危機でもくじけず前向きに行動している。この行動、精神は学べることがあると思う。そしてヒルビリー問題の解決と日本の貧困問題の解決は似ているんじゃないかと思う。ヒルビリーの問題は未だに完璧に解決手段があるわけではない。日本で言っているようにただ安心して生活できるようになりたい、これはヒルビリーも同じことを考えている。エリートのように高額な年収でなくてもオシャレな高級な社交的なパーティーなんて参加する必要もなく、ただ普通に暮せるようになりたいということ。

ヒルビリーに関して勉強したあとこの映画を見ると見方が変わると思う。

参考にしたヒルビリーの本

この本ではヒルビリーだった著者が成功しヒルビリーの現実を語っている。ヒルビリーでも成功できるのだけど、ヒルビリーは成功するための努力ができなかったり、どうすればいいかわからない人が多い。答えの見えないこの問題に本を読んで分かってくることはヒルビリーは社会的関係資本(ソーシャルキャピタル)を気にしない人が多いということ。これは簡単に言うと価値のある人脈ということ。一般的に人脈作りというのは価値がないと僕は思うのだけど、どれだけ多くのことを学べる環境にいるかということは価値ある人脈の多さと比例すると思う。何をすればいいかの優先順位や困ったときに相談にのってくれたり自分のためになるサポートをしてくれる。信頼関係があるからできることで身近であれば一般的に親や祖父母といった血がつながっている人、学校の信頼できる先生や信頼できる友人などだ。

ジョーの家庭はソーシャルキャピタルに欠けていると言えるのだ。そのため家庭の問題が大きくなり離婚となったのことも原因の一つだろう。日本でも社会的に信頼できるつながりが希薄になって、SNSを使って薄っぺらつながりばかり増えることが多いと思う。

しかし現代はインターネットが発達して昔以上に人間関係が良好でなくとも情報を集めることができる時代なためインターネットをうまくつかって正しい情報を見つける力があることも重要だと思う。

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