【感想・ネタバレ】ベイビーティース  最初で最後のラブストーリー

この映画は闘病映画だと思うだろう。
しかし、普通の闘病映画ではない。

最後あたりまで主人公のミラにガンがあり死んでしまう映画なんだとはわからないし、闘病映画にありがちな死期が近くなり人生を本気で生きるようになったとかいうのでもなく、ごてごてのロマンティック映画でもない。

むしろ、自分の人生を精一杯生きることもできないうちに死んでしまうのである。でもガンで死にそうなミラと薬物中毒者の彼氏という変わった組み合わせだけど二人とも失うものがないからこそ二人の恋は損得でお互いを判断しているのではなくただお互いを必要としている相思相愛を描いているのである。

最初で最後の相思相愛。闘病がテーマでありながらも純愛に焦点を当てた映画なのだ。
恋愛感情が勘違いだったとしても、お互い若気のいたりと恋愛感情により盲目になりどこか調子にのっているところがあったとしても、不器用でどこか変でも未完成の恋愛だからこその純粋さがあり美しいのである。

薬物中毒者の彼氏なんて不自然すぎるとか、服装が変すぎるとか思ってもそのミスマッチ感がどこか笑えて、いいかげんさを感じながらもそれが10代だなぁと思うのだ。バカやったり、普通は薬物中毒者なんかと付き合わない、でも普通からはずれているから若さがあるのである。

海パンの彼氏との最初の出会い。駅のホームで海パン男との出会いって一目ぼれなんてちょっと面白い設定。

映画では語られていないが主人公ミラは自分がもうすぐ死ぬことを知っているんだと思う。それにとても愛のある家庭なのにミラは親に反抗的だし10代で死が近いことを自覚している人の中には反抗的になる場合もあると聞いたがあるので、ミラと同じようなことは起こってもおかしくはないと思った。

体に負担をかけるべきでないのにパンクファッションに身をつつみ彼氏のモーゼスとクラブに行き踊るのである。屋上で二人で寝ていたらモーゼスに用事ができてすぐ戻ってくるといってミラを屋上に一人きりにさせどこかに行ってしまう。ミラは寝てしまい気づいたらやっぱり一人で屋上にいて体調を崩してしまう。そして病院行きだ。
振り回されているようにも見えるミラだけどそれでもモーゼスのことが好き。

ミラにとってはモーゼスが必要で両親も仕方なく受け入れるようになるけどしばらくするとモーゼスとミラの仲が悪くなり、親に内緒にしていたミラのガンのしこりのことをモーゼスが親にぶっちゃけてしまい二人は仲はもう修復不可能かと思ったが、やっぱり二人もお互いを必要としていたからミラはモーゼスを受け入れるのだ。そして誕生日パーティーで楽しく時がする。この後の展開がまったくわからず、どうなっちゃうんだ?と思いながらみていると、驚きの展開になっていく。

夜、突然ミラはモーゼスに枕で窒息させて欲しいとお願いする。何度か断るがしつこくお願いしてくるミラに泣きそうになるモーゼスは彼女の言うとおりに窒息させようとする。

えええ!なんで?そうなるの!?と予想を超えた展開に「あわわわわ・・苦しいよー」と思っていたら

ミラが苦しくてもがきだしたときに枕から手を離すと、そのあとすぐにキスとセックスの流れになる。

とても奥深いものを感じた。死からの突然のセックスを自然と見られたのもそれが本能のようなものだったからだと思う。死はすべて失うことである。モーゼスも好きなミラを自分の手で苦しめて失いそうになりミラ自身も死を感じ、お互いが絶望的な喪失感を感じてしまう。だけどセックスがお互いの絶望によって失ったものを無意識に補完しようとしているように見えるのだ。ミラは窒息させて欲しいなんていうお願いは不良のモーゼスにしか出来ないと無意識にでも思ってんじゃないかと思う。だから普通は選ばない薬物中毒者のモーゼスを彼氏として選んだんじゃないかと考えるとなんか納得してしまう。闘病映画にあるがちの死を感じて人生を本気で生きられるとかではなく、死を感じることが生の実感につながり「生」を感じきっている美しさがあるのだ。生きているということなのだ。セックスは死んでいる人はできない生きているものにしかできないから、死にそうになったあとのセックスが生そのものに感じさせてくるのである。
そして朝、ミラは死んでいたのだ。
むなしくただ生きている人よりもミラの最後は人に生まれて人としての生を全うしたんだ。必要なものをただ求めることがただただ美しい。

死んだことともしらずにミラの両親は元気にモーゼスに語りかけるけど、死んだことが分かると別れの言葉も言えずモーゼスに対して怒り大泣きしてしまう。ミラは親不孝である。両親と仲が良くなかったミラは最後まで親のことを考えていなかったのだろう。死んだ後の親の気持ちも考えるのが正論かもしれない、だけどそんな正論ではミラが求める生を感じることはできないのだ。愛が自分自身を破滅もさせるけど自分自身を素直にもさせる。そんな生き方は不器用でも美しいのだ。

映画ベイビーティースがちょっと作られすぎかな?死ぬ前日はミラの誕生日でみんなに祝ってもらって一番楽しいときを過ごすんだけど、でも現実はなかなかそんなことないよなーと思ったりもした。
それとエンドロールのシーンはビーチなんだけど、初見ではいつのシーンがわからずにちょっともやもやしてしまうかもしれない。実はビーチはミラが死ぬ前日の朝で誕生日の日なのである。映画を見た後にビーチは死ぬ前日だったんだと気づきいたとき、スタッフロールをみながら映画は終わっていくんだと思いながら、ミラもこの後に死んだんだとちょっと悲しかった。そして悲しさだけでなくまるでミラの人生も綺麗にまとまった人生だったかのように綺麗にまとまった映画だとも思った。

ビーチシーンと誕生日パーティーのときのモーゼスの服は同じ。


それでもこの映画は良かった、感動した。

現代社会では死に向き合うことより死をエンタメにしていることも多くあり道徳も失いつつある。だからこそ、大切なものを失っているものを補完するかのようにこの映画は心に突き刺さるのである。危険を感じたときに愛は人を癒すことがあると思うのも日本でも東日本大震災のときに結婚が増加したというから危機があるときは愛を求めるのだ。ミラみたいに窒息を試みて自殺未遂はするべきではないけど、死を忘れないことは現代社会には必要なことなんじゃないかと思ったし、まだ死んでいないという実感は素晴らしいという物語だったように思う。ミラの役のエリザ・スカンレンは若草物語の病気で死んでしまう三女ベス役だったというのもあってちょっと悲しく切ない気持ちもあってただベイビーティースを見るのは違ってみてた部分もあったかもしれない。
設定が海外だからちょっと親近感に欠けるかも知れないけど10代の純愛映画って何見ても感動しかないよなー。

また女性監督ということで女性ならではの視点がいくつもあった。親への反抗心をパンク風の格好とメイクで表わしていたり、誕生日パーティーのドレスをみて喜んだり、セックスと生を密接に表現し、薬物中毒者の彼氏よりもミラの感情に焦点があるのも女性監督だからかと思えてくる。はかなくてでも綺麗で明るい雰囲気の映画は悲しみもあっても喜びに溢れている映画だと思った。良かった。

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