【ネタバレ・感想】ハウス・ジャック・ビルト 犯罪スレスレ?トラウマになるような強烈な描写がある映画。楽しめるかどうかは本当に人による映画。

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この映画を見ることを本当に迷った。映画史上名前が残るほどの病的な映画ということを聞いて僕をトラウマにさせてしまうんじゃないかと思ったからだ。僕はグロシーンがない「バニシング消失」を見た後もトラウマになるぐらいだから、この映画はものすごいインパクトが僕にとってあるだろうと想定できた。しかしそこまで問題の作品であれば見ないといけないとどこか思うところがあり見てしまったのだ。見る前に僕はすでにネットに公開されているグロシーンを確認してから見た。そのため「あーあのグロシーンがくるーーー・・・」と思いながら見ていた 笑
ちなみに僕はディレクターカット版を見た。

グロシーンを先に見ていたから気持ち悪さが軽減されていたけど見てなかった映画を見るのをやめていたかもしれない。

見ると「おえぇぇぇ」となること必須!
夜寝れなくなるかもしれない。

スプラッターとは違う残酷な人の感情をねじ伏せてくる気持ちの悪さがあり途中見れなくなるかと思うぐらいの映像描写があった。
ちなみに原題はThe House That Jack Built
日本ではカタカナでハウス・ジャック・ビルトなので、わかるんだけどちょっと意味が変わる。直訳すると「家・ジャック・建てた」になる。ちょっと意味がわかりづらくなる。英語の意味はジャックが立てた家、ということ。わかりやすくシンプルに「ジャックの家」でもいいんじゃないかなと思った。

まず最初の事件

傲慢な女性が車がパンクして動かなくなったから乗せて欲しいといってけっこう無理やり車に乗ってくる。そして車が殺人鬼が乗っている車みたいとかいろいろ煽るようなことを言ってがジャックに顔面をボコボコにされて殺される。顔面陥没。そして大きな冷凍庫室に入れられる。殺人とアートを関連させるかのごとくアート作品がいくつか映像に映し出される。

2つ目の事件

山の中に一人で住んでいる女性の家で保険調査員と偽り相手の首を絞めて殺してしまう。そして胸をナイフで刺して止めを刺す。そして椅子に座らせてアート作品のために写真を撮る。

殺した後に部屋に血痕が無いか気になって一度車に乗るがまた部屋に戻る。この車に乗ると部屋に血痕があるのではないかとおもって部屋に戻るを繰り返す。そして何度も掃除をする。どこか病的だ。

そんなことをしているとパトカーがサイレンが近づいてくるのに気づく。車に乗るもののまた血痕が気になって部屋に戻る。パトカーが近づいてきたときに隙を見て遺体を車からおろしてしげみに隠してなんとかその場をしのぐ。警察が部屋をチェックしている間もジャックは血痕がないか確かめながら行動をする。そして警察に別れを言って車に戻るとすぐにしげみに隠してあった遺体から出ているロープを大胆にも車の後ろにくくりつけ車で引っ張って脱出する。

道路は血だらけになるが突然雨が降ってくる。
車で引っ張られたため顔がすれて半分なくなっている。そしてそのまま冷凍庫室に保管!なんかこの顔が崩壊してたりすれてなくなったりしているのが気持ち悪い。

恋人を殺し、夜道をすれ違っただけの一人で歩いている女性を車でひき殺し、夜集めた部屋につれていくために大胆にもアパートの廊下を普通に死体を担いで歩いている。どういう神経をしているのか謎過ぎる。死体を並べて写真を撮って喜ぶジャック。ここまではシュールなホラーだと思えるが、ここからがおぞましい気持ち悪いところが始まっていく。

次の事件で母と子供二人が銃殺されてしまう。子供を二人とも殺された後、母親だけになり母親に語りかけるジャック。子供に作ったパイを食べさせてみてはどうか?子供達は死んでいるけどピクニックをしているかのようにシートに座らされている。ここはグロい。子供の吹っ飛ばされた足の切断面などが映し出される。そして好きな数はあるかと聞いて12と答えた母親。12までを1から数えだすジャック。そして撃ち殺される母親。むごすぎる。死んだ我が子を置いて逃げるなんて難しいわけで、死んだ子供達を見せ付けられピクニックごっこをさせられて恐怖で泣き声を出すのもできなくなり泣くことさえも十分にできず撃ち殺される。かわいそうすぎる。もしかしたらこのあたりで退出者がでてくるかも。

この後にある冷凍庫シーンで子供にカメラがズームになるところははあまりにも残酷だと感じた。気持ちは「!!!!」カメラズームになって「うわ・・・うわわわわわわ」っていうふうになった。ブラックコメディなのかもしれないけど、映画だと分かっていても僕は生きていた子供の笑顔が思い出さされて気持ち悪さとショックが襲い掛かってきてずっと見ることができなかったし吐きそうになった。ジャックは子供の死体の表情を無理やり笑っているように細工していく・・・・。痛々しいし、見ていて苦しい・・・。強烈すぎる!これは途中退席者でるのもわかる。
この笑うように細工された男の子はところどころ画面に映されるからびっくりするよ。もう映すをやめてほしかった。

そして次に殺されるのが金髪の白人女性。胸を丸出しにされて胸の周りに赤いペンで線をひかれる。あまりにも変な行動で女性は逃げて外にいた警官に助けを求めるが、飲みすぎだと思われ相手をしてもらえず警察はどこかにいってしまう。窓を開けて助けを求めても誰も助けにこない。電話のコードで縛られたあと上半身の服をはがされ麻酔もされないまま赤い色のマークをつけたところをナイフで切る。胸を切るシーンとか気持ちが悪すぎる。

そしてジャックが使っている財布が切り取った胸・・・

最後の事件

複数の人の頭を並べてライフルで貫通させようとするうおぞましい実験。しかしジャックが購入した銃弾では目的が達成できないとしり、実験が途中でとまり銃弾を購入したお店に再度向かうが手に入らない。そしてキャンピングカーにいるジャックの友達のおじいさんに銃弾をもらうとするがジャックのやっていることは知っているとここでジャックが銃を向けられ警察を呼ばれる。しかしジャックは相手を安心させ隙をついてナイフで殺してしまう。

警察が来るがジャックは服を入れ替えて変装して警察を待ち構えていた。警察がジャックをやったか、と安心したところをジャックが銃を撃って殺しパトカーをかっぱらって自宅に戻る。サイレンが鳴りっぱなしのまま冷凍庫室に戻り銃弾をセットするが銃とターゲットとの距離が近すぎて狙いがさだまらない。そして冷凍庫室の奥の扉を開けて銃をセットしなおすがその間にサイレンを聞いた別のパトカーがやってくる。
銃がセットできて撃とうとしたところジャックの後ろからジャックの名前を呼ぶ声が突然する。そこにいたのば身なりを整えているヴァージという名前のおじいさん。

このおじいさんはすべてのジャックの殺人現場に実はいたのだ。そして「家は出来たの?」って聞く。ジャックは家のこと思い出し、ヴァージに諭されその場にあった素材を使って家を建てようとする。それが死体を使った家だ。

そうこうしている間に冷凍個室の扉を警察に開けられる。自分で作った死体の家に入るおじいさん、そして後を追うと床に穴が開いてある。そこに入ることにするジャック。ここからスピリチュアルな世界がずっと続く。そして最後は溶岩に落ちて突然映画が終わる。最後意味がわからない 笑 おそらく最後はシュルレアリスムアートなんだと思う。空想のような精神世界のような非現実的なアートだ。

感想

最初に見始めたときは、ぶるぶるぶるぶるしながら見ていて、冷凍庫の男の子のシーンはトラウマ必須だった!顔のドアップがなくとも映画ではチラホラ男の子が映り、「あー!」「ぎょ!」って思わされることが何度もあった。人を切るシーンもあんまりゆっくり見せて欲しくないのに僕にとっても十分すぎるぐらいゆっくりだった。

でも最後に行くにつれて全く怖くなくて意味分からなくなった。この最後の怖くないシーンのおかげで心が癒された感じがする。

しかしこの作品の言いたかったことは僕の考えだと殺人とアートを使ったメッセージでそれはとても生と死について考えさせられた作品になった。これはただのサイコパスの連続殺人犯の映画ではない。アートの意味を考えさせられた。

サイコパスであるジャックに共感するところあるというと変と思うかもしれないがアートを学んだことがある全世界の人は共感するところが絶対あったと思う。

共感するところを説明するところ。

1:ジャックは戦時中のすべてのアイコンはインパクトがありそれらすべてはジャックにとって贅沢なアートだということ。

2:ジャックのいう破壊と分解というのは重要な要素だと思ったこと。

3:朽ちていくことに美しさがあると思っていること。

1のジャックがいう戦時中のアイコンの一例は敵が吊るされているシーンとかである。これらの意味はたしかに戦時中であれば自国の強さを表わし、敵兵士を見世物のように扱うことによって国民の気持ちをまとめていたと思われる。それらをジャックはアートだといってることに僕は納得がいく。なぜならアートとはアイコンでもあり、アイコンとは時代によって形も意味も変わってくる。またこの戦時中のアートは現代のアート違い国民を政府の味方にするためのアートの使われ方をしていた。それは殺人とアートが一緒と言っても間違いない時代だったわけだ。
現代社会ではアートに意味がなくともそれがアートだという考え方がある。それは正しいと思うのだけどアートに意味を持たせなければアートは廃れていきやすいと思うからこそ、意味を持たすことは重要だと僕は思っている。しかしジャックの行っているアートというのは現代では合わないし、そこそも意味もないし、死体をつかったおぞましいことにしか見えない。

でも、ピカソは「芸術作品は、部屋を飾るためにあるのではない。敵との闘争における武器なのだ」「あらゆる創作行為は、まず何よりも破壊行為である」

と言っている。ジャックがやったことは現代のタブーであり破壊活動になるのだけどその行動が正しければ素晴らしい創作行為になっただろうと思った。それだけジャックはアーティストとしての素質のある行動をしていると思った。

2は破壊と分解は上でもピカソの引用のように破壊から創作活動は始まる。それに破壊と分解からイノベーションは起こる。新しいことには破壊と分解が必要でアートは時代の最先端の技術を組み合わせることも多く常に新しい取り組みという破壊と分解の行動が求められる。ジャックの言っていることは間違いではない。日本の成長もスクラップアンドビルドをしてきたからだと言えるし、イノベーションとは破壊と創造から生まれる。新しいテクノロジーは仕事を奪い社会を一部破壊したかのように変えてしまう。

3はジャックの腐っていく行為も高貴なものという考えをヴァージが反キリストの考えと映画では語っているのだけど、誤解があるかもしれないけどそれは僕はちょっと違うと思う。
腐敗に対して価値を僕は置きたくないが、日本の美学に古びて死にゆくものから感じる美学というのがあるのと西洋のキリスト文化と日本の死と生の文化はオーストリアのクリムトの作品で東洋と西洋の融合として表現されているためけっして古びたものがすべて反キリストというわけではない。ここでいう反キリストと叫ばれていることはジャックの考えに尊厳が欠けているということだと思う。キリストの世界と仏教の世界は共通したものがたくさんありお互いが理解し合えるものがたくさんある。そのため東洋の生と死から見出す美学を西洋に持っていっても理屈しっかりして人が納得できるものであれば受け入れられる。儚いものはエフェメラルアートといってそういう分野もあるのだ。しかし人を殺してという行為からは美しさは感じられないし危なさしかない。

ジャックに共感できないところ

1:人の感情を無視しているところ

2:腐敗が美しいと思っていること。

1はジャックが人の気持ちを理解できない、人間らしさが無いところから来ている。だから殺人をアートにしてしまうことができている。アートからは作者の努力、尊厳、深い意味が見え隠れして何かの尊厳を傷つけるようなアートというのはアートになりえない。ギリシャアートも神の尊厳、神への信仰であり、古代の建築物も神と密接したものがあるからこその形なわけ。それらすべてには愛も含まれている。戦時中も敵兵士を殺してものが描写されてもそれが許されているからこそアートになりえるのは愛国心を高めるために使われたからでもある。もし尊厳やそこに愛があるなら殺人を使ったアートなんてしないと思う。ジャックはサイコパスであり死体に愛を持つ変わった嗜好を持つ人だったのだろうか?死体の写真を撮ってものすごく満足そうにみせる顔はそのグロテクスな写真に愛を持っているかのようだ。これはジャックのただのサディズムから来る行為でなく人間性の欠落した傷害に近い症状を感じる。

2:人を殺してその腐敗が美しいなんて、頭がおかしすぎる。日本の文化の死生感は誰も死ぬから死を受け入れれ、それに威厳を感じ儚くも弱弱しくも散っていく姿に生命の力強さを感じ、人の尊さを考えさせられるだと思う。そこには人への尊厳がしっかりあり、むやみやたら殺したりすることなんてないのだ。むやみやたらに殺すなどとどの宗教もどの人種も認めない人としての問題行為。なのにジャックの発言はまる自分が正しいかのように腐敗は美しい、まるで人口を減らすことが地球や環境のためになるかのように自信たっぷりな発言である。そういうのは屁理屈で、オカルトとも言える。死とアートはよく組み合わさられるけど。死を扱うアートであれば人の尊厳を無視することはできない。ジャックの人殺しアートは明らかに人の生と死への尊厳を無視し自分勝手な野蛮の行為なため、アートとしての存在価値はないと僕は思う。なぜならそれは人の死を使って遊んでいるのと変わらないと思うからだ。とても自己中心的だ。

サイコパスとか人の気持ちが分からないの前になんで殺していいと思えるのか僕には謎過ぎる。ジャックは子供時代にアヒルの赤ちゃんを捕まえて足をはさみで切ってしまう。よくあるサイコパスの子供時代の行為だ。でもいつも思うけどなんで命を自分の手で殺してもいいと思うんだろうと。ジャックが説明するアートにはまるでとても意味が合って洗練されたアートのように説明する。たしかにジャックが例に出すアートの例は共産主義が広がっている世界の中国とソ連と独裁国家ヒトラーであり、殺人が価値あるアイコンになった時代でもある。しかしその時代と現代では全く違うわけでジャックは自己中心的に物事を考える自己中な人にしか見えなかった。

それと僕の大好きなクリムトの作品の描写が使われて入るんだけどこれには大きなショックを受けた。クリムトは死と生を表現していて日本の文化さえも取り込んでいるアートだ。ジャックがクリムトの作品に言及しているわけではないが殺人アートと死と生を表現するクリムトのアートと日本のアートという二つは殺人にまったく関係性がないのに描写しているところは、ちょっと捻じ曲げすぎなんじゃないかなーと感じた。

芸術分野の死を扱うアートのクリムト作品をなぜ僕が好きかというと死と生から人の行き方、本質を見せてくるから学べることがあり尊敬できると思っているからこそ好きなのだ。

クリムトの作品については長く説明している僕の記事があるので興味があると読んでみるといい。

グスタフ・クリムトの作品から見えるさまざまな考察

ジャックが最後にスピリチュアルな世界にいるとき草刈の光景が広がりジャックは涙を流しそうになる。ジャックはこの光景が好きで、リズムに合わせてみんなが同じような行動をするのが気に入っていた、それはノスタルジーからくる切ないような悲しいような懐かしいような、ジャックが忘れかけている何かがそこにありジャックの心に響いたから涙を流しそうになったと思える。この草刈のシーンは社会主義リアリズムの芸術を見せていると思う。社会主義リアリズムの芸術は一般の人の労働を描くことで人と人の意識を固めてみんな同じように頑張っていると思わせ国家をまとめることに使われアートになる。一致団結がキーワードになる。まとまりがない世界だからこそジャックは社会主義リアリズムに魅力を感じたのかもしれないし、社会主義リアリズムに憧れを持っていたのかもしれない。それはジャックの住んでいるアメリカでは欠けていることになる。そしてジャックが尊敬するピアニストのグレン・グールドはピアノ界では特別な存在で完璧に演奏することより独創性を重要視し、アートを創造しているピアニストと言える。そして彼の曲は同じ曲でもすべてを分解して組み直したかのように別の曲に変えてしまう。伝統的なピアノ界のルールとは違う方法を取ることは革命でありイノベーションであり破壊と分解からもたらされている。新しいことをすると批判が伴うのは当然といわんばかり殺人を正当化しようと説明している。それが建築にはさまざまなアート要素があり殺人にも同じことが言えるとジャックが考えていてアートにはさまざまなことはアートと言えるといい、ポール・ゴーギャンだと思われる作品が画面にいくつか出る。ポールゴーギャンは伝統的な西洋アートを嫌ったフランスの画家でタヒチなどの環境に憧れ西洋アートにない世界を描いたものを残している。別の考え方、今までないことは過去の様々なアーティストは批判されてきた、そしてジャックも同じなんだと思っているんだとおもう。

ポールゴーギャンのアート↑

ジャックのような屁理屈の考えで殺人をしてしまう人は世界でありそうだから怖い。アートは人を動かしてしまう。なぜならそこにロジックがあり感情が含まれているから見る人が中途半端に理解すると間違った方向になっちゃうんだと思う。

それにジャックがウィリアム・ブレイクの子羊と虎の詩を例として語っているけど、まるで虎が子羊を殺すようなことが当たり前のように人殺しがあってもおかしくない、殺されてアートにされた人は永遠とアートの中に行き、神聖なものになるだろうと考えているのもとても自分勝手だけど、どこかでこんなことを考える歴史上の人物がいた気がするけど、ぱっと出てこないが、似た考えでチャーリーチャップリンが「一人殺せば悪党で、百万人殺せば英雄、数が殺人を神聖化する」と言っている。大量殺人によって人は神聖化することがたびたび起こるけどそれは事実を隠して人の気持ちも誘導されごまかされる考え方になる。このことからジャックの精神状態は殺人ではなく神聖なことをしているんだ!と言っているようなことかもしれない。これは時代が変われば神聖で通ることもあっただろうけど、ジャックの心理と時代にあった心理とは大きくギャップがあるようだ。ジャックは殺した人はアートになり神聖化されるとまるで死んだ人にも尊厳を持っているいるかのような考えだけど、それはまったくの屁理屈だけどもそんな屁理屈でも屁理屈と思えない気づけない人が同じ過ちをしてしまうんだと思う。それが殺人じゃなくても小さいことでもなんでも。「倫理は芸術を殺す」というのは屁理屈だと思う。

最後のシーンで水の中を泳いだりさまざまな場所に行くけどここは地獄から天国に向かおうとしているシーンなんだと思う。
わかりやすいのがダンテの子舟を真似したシーン。

死者のいる川を下る子舟に死者がしがみついている。
地獄から天国というものを見せることとジャックの置かれている現状を重ねるのは面白いんだけど、僕としてはストーリーにも力を持って入れて欲しかったと思った。
でもこの真似しているところはアートのファンとしては面白いと思った。

現代の世の中ほど死体を普通にエンターテイメントにする時代はないと僕は思っている。ゾンビ、ホラー映画、とにかくたくさんあるのだけど、だからこそジャックの殺人アートというのを他人事には思えなかった。僕達が見ているホラーは殺人をエンターテイメントとしてみている。スプラッターは血だらけでグロいのが売りだ。僕達は人を実際には殺さなくともそのようなことを頭の中で楽しんでいる。

僕がホラーが嫌いなのもそれらを見て楽しみたくないというのがある。楽しめないから怖いとも言えるし。楽しめる人はわくわくしながらお化け屋敷でも楽しめるのだろうけど僕には無理だ。死に関することを麻痺させることは僕はよくないと思っている。麻痺させることでおぞましさはエスカレートするし恐怖の本質を理解しないことになると思う。

この映画から学んだことは、アートってやっぱり人を動かす力があるということ。ジャックはアート知識を間違った使い方をしているけれどもジャックを行動させることができている。アート軽視することが多い現代でアートってすごいって考えさせられたし、アートとアートじゃないものの境とはということを殺人アートを通してあらためて考えさせられた。これは哲学であり西洋と東洋のアート論だと思う。ジャックのアートに秘められているロジックを説明してそれを深く洞察できないと面白くない映画になると思う。強烈な描写の子供の死体を使った遊びのようなことをただの話題性作りと考えることもできるけど、この作品はアートに関係させているからアート目線で考えてみていた。殺人アートと子供の死体で遊ぶことというのは人への尊厳を軽視したもので、ジャックの尋常じゃない性格を見せ付けていると思った。

アメリカで面白くないと思った人と面白いと思った人に大きく二つに分かれていることからすると、アートについてあまり知らない人と知っている人が大きく二つに分かれているんだと思う。それはアメリカが中間層がほとんどなくて貧困層と富裕層の国になっているともいえるのかもしれない。

制作費は推定で10億円を超えているみたいだけど興行収益は全世界で2億円前後っぽい。情報が正しければ赤字。面白いことにロシアが飛びぬけて興行収益が高く、その次にイタリアとフランス。おそらくイタリアとフランスはアートに敏感なため殺人とアートというテーマに興味を持った人が多かったのだと思う。そしてろロシアの人気は映画の内容がソ連の当事の考えを称えているのようなジャックの思想があるのでロシア人としては興味深かったに違いない。中国では公開されていないのかな?ロシアと同じで中国でも興味もたれそうなのに。もし中国政府が公開を禁止にしているとするなら、この映画には国民に悪い影響があると思われているからだと思う。それはたぶん教育格差がある中国では映画を見ることで影響されてしまう人が出てくるのからあぶないと思われているのだろう。これはどの国にも同じことが言えるけど知識が無い人が見る人の知識を超えて見せることで見る人は影響されやすいから気をつけながらみたほうがいい。そう、この映画は気をつけながらみたほうがいいと思う。しかし全体的に人気がないことから、やっぱりアートを使ったエンターテイメントとしては見る人の知識量に左右されすぎていると思うのでもうちょっと面白くなるよう、ストーリー構成を考えるべきなんじゃないかと思えてくる。みんなが面白いと思う構成を考えることもアートに繋がる創造性だし監督の自己中心的なものを感じて分かりづらいと思う。

物足りなかったところ

ジャックのアート論は面白かったんだけど、アート論の多くが共産主義の時代のアート論で建築の話は古代ギリシャからの理論を用いている。でももっといろんな時代のアーティストとアート作品から論理をもってきてもよかったんだじゃないかなと思う。例えばレオナルドダビンチは新しい技法を取り入れていってしまえばルールの破壊と創造をしてきた人だし、レオナルドダビンチはアンチ宗教だからジャックとかさなる。そしてダビンチの死後にダビンチを尊敬するカラヴァジオは暴力と殺人が付きまとうアーティストだし、さらにタブーとされる死体をモデルにしてしまう。さらにアンチ宗教というのもジャックっぽい。死体をモデルにするジャックと重ねても面白かったかもしれない。バイオリニストのパガニーニだって悪魔と呼ばれたわけでその時代の人々の思考を超越し音楽を作ったわけで破壊と創造がなければできなかった。そしてそこからパガニーニの超絶技巧練習曲、ラカンパネラにつなげれば「やば・・」って思ったかも。そして破壊と創造に絡めて魔女狩りと日本の文化が広まってヨーロッパの人のアートの認識を変えたジャポニズムを入れて欲しかった。そこからまぁ無理だろうけど日本のアニメ論と死生観を入れればオタクにも受けるかもしれない。あとアートじゃないけど女性の有名騎士ジャンヌダルクも面白いと思う。なぜならジャックは自分を神のように神聖化しているわけだから、神聖化されているジャンヌダルクは面白いと思う。色んな視点でもっと説明があったらもっと楽しめたかも。でもそういうことってアートとか歴史を学んでいない人にはあんまり共感できないと思うから、現代社会の問題を含めて話すと面白かったかも。例えば死刑制度の問題と殺人の正義を議論するトロッコ問題(5人を助けるために1人を殺すかどうか)とかは現代の人では賛否がわかれるのでジャックに共感する人が多発する可能性がある。

そのほかに気になったところ

宣伝に使われていたポスターはアーティスティックで不自然で人間的でないポーズが怖さも見せていると思う。白黒もアーティスティックだけどピカソが使った緑や赤、青、黄色も取り入れるともっと直感的に恐怖が引き立つんじゃないかとおもった。

ピカソの「泣く女」↑

やっぱり三つ目の事件の子供はポスターに使われてないようだ。そしてこの中で一番非人間的なのが1と2の事件のポスター。全く事件の内容には関係していないポーズだけど1と2が怖く感じる。トラの顔のポスターはオーストラリアのポスターで「誰も作らない映画、フォン・トリアーのような、そしてもし彼らが作ったとしたら、彼らはたぶん逮捕されるだろう。」

と書いている。

逮捕される、というのは発言しているのがすごい。逮捕されかねない内容を規制かけないで全部公開しちゃう日本もすごいけど。アメリカのカット版はR指定で日本の完全ノーカット版はR18+なんだけど世の中にあるR20ってどんな映画なんだって思ってしまった。僕が見たらもう寝れなくなるかもしれない 笑

ちなみに日本の宣伝では「ゾッとするほど、魅力的」となっている。

僕はゾッとして吐きそうだった 笑

結局

この映画は見るべきかどうかというと、僕は見てよかったと思っている。描写は苦手だったけど。美術に興味を持つ人なら見ても損はないと思う。屁理屈な考えのジャックだけどそういう考えもあるんだと思わされた。ただこの映画は誰でもお勧めできるってわけじゃない。倫理観の危険性が含まれるからだ。哲学を学んで追求しすぎることで陥る、もう解決しないなら自分の考えを持てばいいという独自の曲がった考えて行動する懐疑主義に陥る可能性もあるんじゃないかなとおもう。ジャックの言っていることを知識がないまま考え込むと危ない方向に行く可能性もあるから親と一緒に見るとか分からないんだったら考えずにサラッと見るとかにしたほうがいいかも。倫理や哲学っていうのは中途半端に考え込むと危ない方向に行く場合があるというのは過去の歴史が証明している。オカルトとかオウム真理教とか。そうなると「なんで人を殺してはいけないの?明確な答えがでない、ならいいでしょ」ってなる。オウム真理教のように勉強が出来る頭がだけだとあぶないよね。アートや宗教はそういう難しい質問に対してものすごい力で答えが返ってくるのでアートも宗教も学んでないガリ勉だとオカルトをオカルトと思わないとかなっちゃう。アートや宗教倫理が含まれるものは人の心理を操作してしまう力があるからジャックが言う共産主義の時代には国が戦争と殺人をもアート(シンボル)にして人の心をまとめて操作したわけだよね。ジャックは操作されちゃった人なのかもしれない。

でも、はたしてアートを学ばない人にとってこの映画を興味を持って最後まで見ることができるだろうか?と疑問に思うこともある。最初の数十分でたいくつになって寝ちゃうんじゃないかと思う。たくさん出てくるアートに興味を持って、そのアートを出すの?まさかそのアート?なんであのアートは出さないんだろう?とか頭で色々考えれないと、ジャックとヴァージの長い会話もつまらないと思ってくるかもしれない。そしてこの映画はアート教育の重要性を教えてくれようにも感じた。アートを通した間違った倫理観のとらえ方が殺人を生み出すということだ。

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