【感想・ネタバレ・考察】ゴーストランドの惨劇 ホラーだけど愛が溢れている映画

感想

この作品はトラウマ映画と公表されていたので怖いのかなー?怖すぎたら嫌だな、ハウスジャックビルドみたいなのだったら絶望的だなぁとか思いながらビクビクしながら見てみることにした。そしたら意外とそこまで怖くなくて最初見終わっただけだとワケがわからなかった。なぜなら重要な役のベスが大人になった話、子供時代の話に何度も切り替わるからだ。どっちが正しいのかわからなくなってきて怖さが無くなっていくという状態。しかし最初から分かる人は怖いんじゃないかと思う。一度では分からなかったので3度見直した。そうしたら話の内容が、ぱっと見は女の子が拷問されるホラーのような作品に思えるけど、姉妹愛が重要な要素になっていて何度も妹に声をかけてくる姉、姉のために命をかけることになる妹の行動という極限状態の姉妹愛の尊さに少しジーンときた。

映画の怖さはとても物理的、直接的で叫び、怖い音、グロさと犯罪者の奇妙な性癖で恐怖を演出している。この直接的な恐怖は途中からしつこく感じてきて怖いというよりノイズに聞えてきたり怖さを感じさせるというより怖さを見せるという感じで映画に入り込むというよりまるで第三者の目で見るという感じになり怖くなくなっていた。また内容はスピリチュアルなものを含んでいてやっぱり極限の恐怖とまではいかなかった。そのためトラウマで怯えるという「ザ・バニシング 消失」や「ハウスジャックビルド」と比べて全くトラウマにならなかった。

姉の叫びがあまりにもノイズに聞えてきて感情を理解できなかったときがあったが、よくよく考えて見直しみることで姉妹の気持ちが理解できて母親の行動や発言が妹のベスのためのものだったと思えて姉妹愛、家族愛を感じさせてくる。しかしあまりにも直接的な見せ方なため二人の愛の見せ方から西洋っぽく東洋の日本人からすると西洋の愛を深くは感じられないかもしれない。またこのように西洋ホラー映画なのに感動してしまうのは海外ではあまりないかもしれない。これは物理的な表現のホラーの中に物理的でない愛の深さ、大切さを見出す東洋的な考えだと僕は思う。物理的な触れ合いに感動するか物理的でないシチュエーションに感動するかという違い。例えていうならエクソシストを見て怖いという西洋文化の人がいる一方家族愛に感動するという東洋の人がいるのと似ている。

そしてこの作品の恐怖の一つに意味がわからないことから来る恐怖があると思う。母親は生きているのか?死んだのか?ベスは夢から覚めたはずなのに死んでいるはずの母親は出てきて意味深なポーズをするのか?このあたりがわからないことでトラウマだぁぁぁってなるかもしれないけど理解してくると恐怖が次第になくなるのだ。どいやら僕は意味のわからない理不尽さからくる恐怖か深い意味を感じるが恐怖でないとあまり怖くないようだ。音は怖いけど。

監督はフランス人監督のようなのでハリウッド映画と比べてもやっぱりフランスらしく芸術センスが含まれていてちょっと頭を使う映画だったと思う。西洋の人っていろんなものに意味を持たせたいんだと思う。西洋の人が絵画を見るときは自分と向き合うわけで深い意味を考えるのと同じで映画にも監督は色んな意味を込めていると思った。
それと英語の記事にも悪魔のいけにえに似ているという話があるが、僕は悪魔のいけにえを見たことがないしトレーラーを見てもあんまりわからなかった。

ここでの感想考察は他の英語、日本語ブログの感想でも考察でも言われていない持論が含まれている。
結論から言うとゴーストランドの惨劇はストーリーも良く出ていて監督自身のことも見せていて今までにない新しい恐怖のホラー映画に挑戦した作品だったんだと思う。考えたり調べたりすることが多くてネタバレしないと分からない、気づきずらい映画だと思う。ただ結末まで見ただけでは分かりづらいことを解説。
個人的な評価は10点満点中9点、わかりづらい部分があるの部分で10点いかない。ホラー苦手な僕でも見ることができる怖すぎないでも怖い部分もあるので個人的には満足できた。B級映画とするのはもったいない作品だと思った。

ネタバレしながら解説

左から妹のベス、姉のヴェラ、母親
ベスが今回の主人公でベスは小説家。怪奇小説・幻想小説の先駆者の一人ハワード・フィリップス・ラヴクラフトが大好き。いつか小説家になりたいと思っている。

この三人が事件に巻き込まれていく。

母子家庭の家族は相続した家に引っ越しのため移動。その途中にキャンディトラックと遭遇する。

出典:IMDb

お店に寄り道したりしながら家に夜到着する。

部屋は暗く気味の悪い人形がたくさん置かれている

変な音がすると不思議がる姉妹だが古い家だからと気にせずそのままにしていると、突然母親に後ろから大男が現れ母親をふっとばしてしまう。この大男は知的障害があるのか少し行動がおかしい。ぬいぐるみの股間をかいだりしている。

出典:IMDb

そして姉妹は地下室に引っ張られていき暴行をうける。姉が引っ張られていくが妹のベスが一階にあがり別の女装男に合う。そこに母親が攻撃して女装男と大男を倒す。この大男と女装男はキャンディートラックに乗っていた人たちだ。(ちなみに女装男は設定では女性のようで女性として映画内では扱っている。でも最後にカツラが取れて髪がないので女性なのか男性なのかはっきりわからない。トランスジェンダーとも考えられるが演じている人が男性なため女装男として考えた。)

そして突然16年後のベスのシーンに変わる。ベスは16年前のこの事件の悪夢を見て飛び起きた。そして夫に抱きつく。ベスの過去の悲惨な事件を元にした小説で有名になっていた。ある日姉から「助けて」と電話がかかってくる。姉は母親と住んでいるはず。

母親の住む実家に向かうと精神的におかしくなっている姉が叫んでいる。しかしこの16年後の姿は妹の夢の中だったのだ。恐怖で現実から逃げてしまい何も動かなくなった妹に何度も目を覚ましてもらうために叫んでいたのは姉だった。映像は大人のベスの綺麗な体徐々にボロボロになって現実に近づいていく。事件はまだ終わっていなかった。ベスの目の前に母親が女装男と戦っているシーンがまた繰り返しでてくる。そして今度は母親が殺される。現実はまだ子供のままで事件の真っ只中だったのだ。

出典:IMDb

映画では大人の状態でしばらく話が進む。大人の姉が奇妙な化粧を突然してベッドに縛られ突然、誰がいるわけっでもないのに(現実を見ていない妹には見えてない)殴られだす。妹が止めようとして目を離したすきに姉は地下に移動して閉じ困ってしまったと思う妹のベスは姉に声をかけるが返答がない。

突然男の声で「姉は壊した、今からお前の番だ」と言われる。
そして姉を引っ張る大男とすれ違う(ここはたぶん実際にすれ違ったわけじゃなくて妹が現実を見つつあるのだという表現だと思う。)

そして疲れ机にもたれて寝ているとき狼が吠えベスは目が覚める。母親を呼ぶが返答がない。(ここはベスの幻想の世界だけど死んだ母親が狼になり危険を暗示していると思う。狼はスピリチュアルでも危険の暗示。幻想世界だけど死んでも続く母親が子供への愛が描かれている)

突然女装男が現われベスは捕まり気づくと傷だけになっている。そこで母親がベスの目の前で殺される。ベスは母親が殺された現実を直視しだす。突然姉のヴェラが「やつらは殺したんだ」といいあらわれ、ベスは地下室にいる。泣いて怯えるベスに優しく抱きしめるヴェラ。そして男から子供に変わり。ベスが泣き止むと子供になっている。(現実を受け止めたベス)
ヴェラはベスにベスが「現実から離れたところに心が行っていて話しを聞いてくれなかった、どうやって現実に引き戻すがわからなかった」と語り泣きながら抱き合う。ヴェラは妹を目覚めさせるために何度もメッセージを送っていたのだ。
それでもやっぱり悪夢の現実を直視したくないベスは夢の世界の成功自分と現実に葛藤しヴェラを嫌うがヴェラは優しく抱きしめる。

いつの間にか寝てしまい目が覚めるベスにヴェラは「隠れなくちゃいけないこはゲーム、彼女(女装男)は隠れさせたいんだ!もし二階に連れて行かれても動かないで!」という。(ヴェラが犯罪者の思考が分かることから数日間も同じことをされたことが分かり何日もベスは夢の世界にいてヴェラがベスを助けようと何日も奮闘したのがわかる。またヴェラのほうがボコボコなため恐怖で動けなく現実を見れなくなった妹のために自分が犠牲になっていたのだと思う。)

隠れたはずだけどベスは見つかってしまう。そして二階に連れて行かれていて化粧をされ人形のように並べられる

出典:IMDb

大男が人形が大好きで遊んでもらうために人形の格好にさせられていた。大男は音や動きに反応するためヴェラはベスに泣いたり動いたりしないようにアドバイスしたのだ。ここはベスが攻撃をしてなんとか逃げ出す。そしてヴェラと外に逃げることに成功する。

出典:IMDb

警察を呼びとめる。警察はさらに他の助けを求めて二人を保護しようとしたとき、後ろから女装男が追いかけてきて警察は撃ち殺される。二人は連れ戻されるのだ。

出典:IMDb

キャンディートラックの中で絶望に落ち心ここにあらずのベス。ヴェラはしっかりしてほしく声をかけるがベスは反応しなくなる。ここでまた夢の世界に入っていく。

夢の中でベスの憧れる小説家ハワード・フィリップス・ラヴクラフトに会い「このときを待っていた、そしてやっと到達した」という。
ハワードはベスの小説を読んだ感想を言う。「これは傑作だ。でももし一文字でも変えたら僕は君にまた話すことはないだろう」
(この意味は恐らく小説は真実に基づいて書かれていて面白いがでもベスは夢の世界に逃げて現実を見ていない。夢の中にいつづけることは小説に沿わないことになる、つまりベスは小説家として有名にならないだろう、ベスは一生ベスの好きなラヴクラフトに会えないということだ。だからベスの描い素晴らしい現実を見るんだということであり姉を助けろ夢から覚めるんだというメッセージなのではないかと思う。)

突然、ボロボロになったヴェラが夢の中で現われそれを追いかけるベス。ヴェラは助けを呼んでいた。母親が現われ、「ヴェラのいうことは聞かないで、あっちにはあなたのためになるものは何もない。彼女の世界は怒りの世界。行きたいならいきなさい。」という母親にヴェラは私の姉妹だから助けたいと思い、現実世界に戻っていく。(実際に母親がお化けで現れたわけではなく恐らくベスの心の葛藤を描いている。)

現実世界に戻ると突然、大男にクビを絞められるがタイミングよく人形が動いて大きな音がでて大男は人形に気をとられる。その間に「助けて!」とヴェラが叫ぶ声をきき助けに向かうベス。
(その途中に一瞬映る白い狼の置物はこれからの展開が良くなることを象徴している。またジブリ映画でももののけ姫の白い強い山犬のイメージからももののけ姫の犬神のように強く立ち向かえという意味もあると思う。「生きろ!」という感じだ。これは監督が少なからず日本のセンスも映画に取り入れていると思えることから、もののけ姫からも戦う女性の姿勢というのを取り入れているんじゃないかと思う。)

暴行を受けるヴェラを助けるために戦いに行くベス、そして女装男の皮膚を狼のごとく噛み切る!(後ろにはキリストの絵が飾られておりベスを祝福そして勝利を暗示していると思う。)

そして警察が突入してきてすべて解決に向かう。担架にのせられ目が合う姉妹は愛しているという。

ベスが、ふと、家の二階を見るとそこには死んだはずの母親の姿があり下を指差している。下にはベスが投げたタイプライターが落ちている。(この意味ははっきり答えがないが、実はタイプライターは完全に壊れていなくてまだ小説をかけるよっていう母親のメッセージなんじゃないかと思う。ちなみに母親がいる右側の窓からタイプライターを投げてガラスが割れているはずなのだが割れていないのはたぶん映画のミスだと思う。この幽霊みたいなものが出てくるからこそ名前のゴーストランドという意味にもつながるんだと思う。そしてこれが幽霊かというとベスが恐怖で現実世界でも幻想が少し続いているともいえるし、または監督が本当にスプリチュアルなものを見せているのかもしれない。)

最後に救急車の中でベスが「小説を描くのが好き」と言う。(タイプライターは壊れていないし、死んだ母親が背中を押してくれいるから書きたいと思ったんだじゃないかと思う。)

この作品は過去の作品のオマージュが何か含まれているらしいけど僕はそれが何なのかわからない。でもここでは触れなかった狼のシーンもあり監督が何度もベスにエールや暗示のメッセージを送る設定にしているのでホラーなのに立ち上がる少女と双子の姉妹の愛というどこか強くて綺麗な話しにも見えてくる。ベスの魂が傷を負い魂が回復していく過程を描いた作品ともいえる。

その他の考察

人形の意味

人形の意味は明確にすべて語られているわけではない。しかしRue-Morgueというインタビュー記事によると監督は少しだけ人形の意味を語っている。

簡単に言うと、一つはシンプルに夢の世界を現しているそしてベスが子供と夢の大人の世界を行き来するゲートウェイのような役割があり、暗いおとぎ話にいったりきたりする。暗いおとぎ話は子供たちは受け付けたくない。
また監督は古いフランスのイラストレーター、ギュスターヴ・ドレから影響も受けておりその世界観も人形の世界に持ってきたらしい。このアーティストの作品はファンタジーの世界のようでどこかおどろおどろしさもある。今回の映画に合うコンセプトだ。

ギュスターヴ・ドレの作品例↓

そして映画内で怪奇小説・幻想小説の先駆者の一人ハワード・フィリップス・ラヴクラフトが出てくる。この小説はクトゥルフ神話が特に有名で暗黒な話でありファンタジーでホラーが含まれている。ゴーストランドの惨劇はこの小説の影響を受けていると思う。

また犯人が乗るキャンディートラックはグリム童話からアイデアをえている。ヘンデルとグレーテルがお菓子家に入りこみ魔女に食べられそうになる話である。キャンディートラックはお菓子の家であり人を食べるというところはベスが狼のように女装男を噛み切るところに反映させられているのかもしれない。女装男は魔女のような位置づけだ。
映画はホラーに焦点をあてているというよりベスの世界観に焦点を当てているように思う。それは分かりやすいホラーより人間重視、感情重視のホラーを作ろうとしたのだと思う。

奇妙なメイクの意味は?

アメリカの映画のポスターにも使われている奇妙なメイクには意味があると僕は思う。監督は全く語っていないがこれについて考えてみた。

このメイクはフランス人形のメイクにも似ているが、僕はそれだけがこのメイクの理由ではないと思っている。

フランス人形の例↓

これはGhost in the shellの芸者のメイクとビョークのホモジェニックというアルバムのジャケットにも似ているのである。特に口紅がフランス人形よりそっくりなのとわざわざ顔を白塗りにしてフランス人形よりも濃いメイクをしている意味を考えると芸者メイクを含んだフランス人形メイクじゃないかと思えてくる。この意味はGhost in the shellとビョークのメイクの意味を考えると見えてくる。

Ghost in the shell からは日本の象徴を見せており、顔が開き恐ろしいロボットの顔が出てくることから内なる怖さを表わしていると思う。

ビョークのジャケットにはWikipediaやその他にサイトでも同じことが語られており、「ウォーリアーを見せており戦わなければならないけど武器を持たず、愛を持つ」という意味がある。またどちらの写真も色は日本を表わしている。またジャケットのタイトルはホモジェニック、同類、同属のような意味で例えば日本のように日本人ばかりのことをホモジェニックと言う。ホモやゲイという意味ではない 笑

ベスのメイクにも同じようなことが言えると思う。ベスは人形のように扱われ、メイクは感情を出さない人形としてメイクをされていると思う。感情を出さないけどアートセンスを感じるこのメイクはフランス映画としても合うチョイスであり、またメイクの奥底には内なる秘めた感情という意味もあるのだと思う。その結果ベスは感情むき出しで武器を持たず姉への愛を持って戦い、武器の変わりに歯を使って相手を噛みちぎるのだ。これは人形がゲートウェイのような役割があるようにこのメイクにも夢と現実を行き来するゲートウェイの役割があるのだと思う。それとビョークのホモジェニックというアルバムの意味を考えると、メイクをされて人形のようになることは人形と同じようになるということだと思う。大男の好む同じような人形になることはホモジェニック(同じもの)を描いている。その点からもこのメイクは映画のテーマに合っているのだと思う。そしてベスは黒髪だけど役に合せて黒髪にしている。これはおどろおどろしさ合せた意味もあるだろうけど日本の雰囲気にも合せたと考えることもできると思う。これらは監督が対比させるものや対比する考えが好きなんだと思う。光と影、絶望と愛、夢と現実、性格の違う姉妹、怖さのないところに怖さを見せて、メイクで感情が隠れているところに実は激しい感情が隠れているという日本の能面のような感覚やメルヘンのおとぎ話と闇のおとぎ話そういう対比って日本の雰囲気がとても合うんじゃないかと思う。この映画とは関係ないけど光と闇なんて言い出したらもうアニメや日本のゲームとか日本の宗教の話にもなってくる。映画でチラッだけだけど二人の殺人鬼の気持ちがわかることがあり、敵と味方、敵にも感情があり味方にも相手を理解しなくてはいけないのではないかというヴィム・ヴェンダースの世界の涯ての鼓動で見せた日本思想に通じるものも感じる。

【感想・ネタバレ・考察】世界の涯ての鼓動 日本思想の永遠の愛と魂を感じる映画

ちなみにビョークのライブのメイクも映画のメイクに似ている。ビョークは日本人に似ていると言われたことから日本に興味を持って日本好きになった人らしい。

メイクにはゲートウェイの役割があるからか戦い終わった後すぐにはベスはメイクが残っているが、救急車の担架で運ばれている時はメイクが突然なくなっている。これはミスではなく恐らく夢が解けた、もしくは自分を取り戻せたという意味ととらえたほうが意味が合う。また監督はインタビューで女性の強さについて語っている。


多くの場合、男性よりも女性の方が勇敢だということも理由の一つとしてあるかもしれない。どんなに大変な現場でも、女性の方が進んでいく力を持っているし、自分の感情を見せることも女性の方が怖がらない部分があるんだ。引用:Real Sound


戦いが終わった後↓

運ばれているシーン↓

ちなみに最後に死んだ母親が突然出てくるシーンはリングにも同じようなシーンがある。リングには意味がないようだけど、母親の指差す先はタイプライターであり意味がある。指差すところにきちんとタイプライターがあることから非現実的な話だけど母親は幽霊なんじゃないかなって思うけど、ベスの幻想が現実に戻っても続いているとも考えられる。でも狼が出てきたりキリストの絵があったりすることからスピリチュアルなものがあると考えるんじゃないかと考えることも自然だと思う。死んでもどこかでベスとヴェラを助けているというスピリチュアルであり母親の魂を描いているのではないかと思う。これは死んでも魂は永遠にあるという西洋とは違う死生観が出ていて監督は日本に感化されているんじゃないかと思ったりもする。そしてリングに使われたシーンに似せたことで少し不気味さも出てくる。それもそのはず、監督は前作マーターズのインタビューで日本のホラー映画リングに影響を受けていることを語っている。リングを見て心を奪われ、日本ホラーの何が次に起こるかわからない怖い展開を気に入っているようだ。つまり監督は映画にジャパニーズホラーを組み込みフランス映画に融合させているということだ。恐らくリングに影響されたら呪怨や他の日本の作品からも影響を受けたと思うので見えないところで日本のセンスを含んでいると思われる。それが不気味であり奇妙なメイクにも影響され、おどろおどろしい暗黒空間の人形ハウスとおどろおどろしさを見せるジャパニーズホラーがあったんじゃないかと思える。
引用aintitcool

ゴーストランドの惨劇のゴーストの意味

一つはヴェラがベスの幻想の世界で誰もいないのに殴られてしまうというシーンがある。このことから幽霊のようなことが起きたようにベスには見えたことを言ってるんじゃないかと思う。
ベスは幽霊を信じているんだと思う、だから幻想だろうけど幽霊みたいなのが出てきたりするのはベスの視点で見ているからだと思う。ベスにとってはゴーストランドだったんだと思う。

またベスの幻想世界と現実にある闇のおとぎ話の世界のような人形達観がゴーストランドっぽくもあり、人形が勝手に動いてきたかのようなシーンもあったり、最後にベスが人形に話しかけるようなシーンは人形だけと心があるかのようにベスにとっては感じていたのだと思う。

たまたまか人形の口元をふさいで「静にして」っていっているかのようなベス↓

夢の中で鏡をのぞくといるはずの人形がいない。「助けて」という声が聞えて振り向くと人形が外に出ていて、人形に近づき人形が動いた瞬間、鏡から手が出てベスが鏡の中に取り込まれてしまう。これは姉のヴェラが人形のようにされていることから勝手に外に出ていた人形はこの時点では姉を表わしているんじゃないかと思う。現実逃避したベスだけど少し姉を思う気持ちがあるんだと思う。またこの勝手に動いているように見える人形はベスがホラー好きすぎて幽霊のようなものが現れたと夢想しているんじゃないかと思う。

人形が勝手に動くというのはゴーストのような話で、もちろん現実に動いていたわけではないのだろうけどベスにとってはゴーストが溢れていた世界だったんだと思う。このことからゴーストランドはベスの世界でありベスが見た、感じたゴーストの意味なんだと思う。ゴーストはいると思えば本人にとってはいるしいないと思う人にはいない存在。だからゴーストなんていないって思っている人はベスの気持ちがわからないんじゃないかなって思う。ホラー小説家とか幻想みたり幻想がいきすぎて幽霊みちゃったとか話しを聞いたことないだろうか?ベスには幻想であっても幽霊のようなものが見えていて、実際にはないはずなのに死んだ母親から夢の中で勇気をもらい最後に戦うまでになったんだと思う。そして人形が最後にタイミングよく動くのはベスには人形と心が通じると思ったふしがたぶんあってこの気持ちに答えたいと思った監督が人形を最後に動かしたんだと思う。

人形はベスを見ている(もしかしたら気にかけている感じ、やっぱり姉だからかな?)↓

出典:IMDb

Help Me!!と鏡にかかれているのは鏡の奥にいる人形は姉を意味しているのかも。

ガラスの奥にいるのは姉↓

ベスが危険なときにまるでベスを助けるがごとく人形が動き出す!

ベスの代わりに襲われた人形は首を取られてしまった、でもこのタイミングで警察が来てベスたちは助かる。人形が身代わりになってくれたから助かったのだ。

人形の顔が上むいていてこのあとベスの顔が映りベスは大男を見ているようでもあるし人形を見ているようにも見える。この関係からこのシーンは何か意味があるのだと思う。ベスにとって人形とベストの間に友情かもしれないしスピリチュアルな何かがあるのかもしれない。まるでベスの意味深な静かな表情からは人形を見つめながら「ありがとう」って思ったかもしれないし、人形は「助けられて嬉しい」って思っているのかもしれない。

ベスにとってはたぶんスピリチュアルを信じていてこの事件はベスにとってゴーストランドだったんだと思う。もちろんベスが恐怖で心を閉ざしちゃって幻想世界に入っちゃうことも関係しているんだろうけど。スピリチュアルや幽霊なんて見せていないっていう人はいるかもしれないがベスの設定のホラー好き、引きこもりがちっぽい性格、人形と心が通じると思っているかもしれない雰囲気などからからスピリチュアルってベスにとってはあったんだと思う。何度も脅かしてきた人形だけど可愛く見えてくる。

またこのガラスの中のシーンは別の見方もできてベスがガラスの中にいることは閉じこもることで現実逃避で現実逃避から脱出することをガラスの中から出ていくことで表現しているのとも言える。
現実逃避したベスがガラスの中に閉じこもってしまったけどガラスの外ではヴェラが「助けてー」って言っている、ガラスの奥にるのは姉かと思えばもしかしたらガラスの奥にいるのはベスでガラスの奥にいたのはベスなのかもしれないというふうにも考えられる。

悪魔のいけにえのオマージュが含まれていることについては調べると少しだけ監督は語っている。映画の家は「悪魔のいけにえ」に似ていてもっとバロック調でありもっとヨーロッパ風の家で、「悪魔のいけにえ」を見たときに理不尽すぎる恐怖に衝撃を受けたそうなので、「悪魔のいけにえ」を見ていないとやっぱりどこがオマージュなのが分からないっぽい。
引用:Rue-Morgue
いろんなものを組み合わせていて「悪魔のいけにえ」に暗黒小説の世界観とフランスのイラストレーションと日本のホラーを混ぜ合わせてものすごく怖くなったと思ったら、対比がたくさんあってアートセンスも高めたことで芸術的になったりして怖さ薄まっているんだと思う。もっというとストーリーに「悪魔のいけにえ」アート部分で日本とフランスのセンス、スピリチュアルも部分で日本のセンスなんじゃないかと思う。服従しなければいけない理不尽さを演出したいはずなのにそれが弱まっちゃっているか、なんかもの足りないなーって思った。

この作品が他のホラー映画より怖さが少ないと思ったのも良くある怖い素材を使いつつもホラー映画のお決まりの怖さを作るより監督の個人的なが感情を重要視して作品を作り始めたことも重要だろう。

引用:Rue-Morgue

おそらく感情を重要視しすぎることで姉妹愛や家族愛を見せてさらに女装男と大男の関係性もちらつかせどこか人間的であったんだと思う。ゴーストランドの怖さってすごく簡単にいうとビックリ箱みたいなもんで、いろんなヒントさえ知っていれば後にひく恐怖があまりない。でも良くあるヒーロー映画のような綺麗過ぎるストーリーじゃなくて現実に近く作った作品だと思う。それは姉妹がどう生き延びるのかを描いた作品であって最後も綺麗な終わりではなく二人ともボコボコにされているわけで警察が突入してきたときに姉妹は抱き合って泣いている。とても現実的で綺麗なストーリーではない。ゾンビはでない、悪魔も出ないのにスピリチュアル、ファンタジー要素も含みながら現実に近く作ろうとしているため、スピリチュアルとファンタジーをベスの精神的な部分に絡めて見せていて、本当に恐怖に落とし込められた人はベスみたいになるのかもなーって思いながら見た。でも現実的なホラーを見せたいのであればスピリチュアルな部分を除いてくれたほうがよかったんじゃないかと思えてくる。ベス視点のスピリチュアルがあると視聴者としてはちょっと分かりづらくなるんじゃないかなって思った。

今回の作品はただ見ただけだとかなり残酷な話だけど、色々なものに意味があり姉妹は応援されたり、姉妹に危険を知らせたりするキーワード、ヒントがあり恐怖にブレーキをかけてくるとても親切設計のホラー映画だったと思う。監督がわざわざ用意したキーワードは僕らに絶望はならなくていいって言っているようなもの。だからこそ僕はそんなに怖くなかった。監督は観客を何が何でも怖がらしたいわけじゃないからわざとアートとかスピリチュアルな部分でメッセージを送っていて、絶望のふちから立ち上がり生き抜く姉妹愛で感動させたいんだと思う。ベスの視点に立てばものすごく怖いけど別の視点に立ってベスが気づかないことに気づきながら見ると怖さが薄まる。しかも屋敷の中がおどろおどろしくて怖いと言ってもいくつかのシーンでは怖いはずのシーンなのに綺麗なんだよね。
例えば下のシーンでは壁の模様はかわいいし、ランプのかわいい、ベスの後ろの青い色のアートは綺麗。人形はちょっと不気味だけどどこかメルヘンちっくな世界観に大男が人形の腕を焼いてて奇妙な世界観がでている。大男は知能が遅れていて子供っぽいわけだけど、そこに恐怖を感じない。実際に世の中には知能が遅れていて暴力がひどくて隔離施設に入れられる人っているんだけ、それとこの大男はなんか似ていてかわいそうな人だなーって思ってしまった。知的障害がある人が大きな犯罪に関わるという作品でもあるんだろうし魔女みたいなもう一人の女装男は大男を大切に思っていて、そこに敵ながらも愛ばあるという監督の対比がでていているから怖さがまた薄まっちゃう。べスも母親殺されてかわいそうだけど。姉のヴェラが「これはゲーム」とベスにいうようにもうどうしようもないぜ絶望感があるホラーには感じづらかったし敵に全面的に恐怖を持ちづらい映画だったと思う。
出典:IMDb

このようにいろいろ考えるとこの映画はとてもフランスっぽい映画なんだと思う。ファンタジーであり怪奇小説のようなホラーを含み文学小説のような人の感情、深さを感じさせてもくるし、そしてもののけ姫のような白い狼、芸者のようなメイク、リングのようなポーズからは日本の文化も含んでいると感じる。日本のアニメなどはクトゥルフ神話とも相性がいいと思うのでクトゥルフ神話などを作った小説家ハワード・フィリップス・ラヴクラフトを好きだと思う監督が日本センスと取り込んできたと思ってもおかしくない。「悪魔のいけにえ」のような設定でもゴーストランドの惨劇はスプラッターでもなくグロすぎるわけでもなく、どこか芸術センスを感じどこか綺麗であり、トラウマよりも姉妹の美しい愛、スピリチュアルなセンスを使った母親の娘への愛を感じさせてくれた映画だった。しかしいくら日本をあらわしたようなメイクでも僕はあのメイクはちょっと不気味で苦手だ。

監督は語っていないけど実はアナザーストーリーがあるんじゃないかという今までの考えをひっくりかえしてしまう恐ろしい考えもある。

ゴーストアイランドというゴーストと付くだけあってリアルな世界を見せて終わったように見せておいて実はまだベスの夢の中だからゴーストがでちゃっているんじゃないかとも思えてくるということ。つまり本当のベスはまだ目が覚めていないなくて殺人鬼とまだ一緒にいる。そして最後のシーンではベスの顔のアップで終わっていて、これから作品を書き続けるという希望にも見えるけど、もしこの作品に最後に現実を見せておいて実はまだ夢なんだっていう大きな対比をもってきていたら顔のアップが見せるのは夢(ファンタジー)からまだ目が覚めていないという意味にも見えてくる。ゴーストアイランドだから現実なんて無いんだ、ってことで映画の海外のポスターになっているベスのメイクをしている顔は夢から結局覚めていないという意味にも見えてきたり。映画の製作のミスだと思ったガラスを割ったのに最後で割れていない窓やメイクが最後では勝手に取れているなんていうのも夢の世界だから起こったことというつながりがでてくる。映画は愛を見せててたように思わせておいて実は愛なんて描いていなくてすべてベスの夢ということ。愛はベスの願望だったってこと。

ラストで無表情に上を見つめるベス↓

さらにベスは最後にヴェラに「愛している」というけどヴェラは笑顔を見せただけで返答がない。それだけ返答できない心理状態、体の状態だったんだと思う。また担架がベスとヴェラでは違い、ヴェラのほうがひどい状態を見せているんじゃないかと思う。ヴェラは全身を包まれていることから緊急医療室に運ばれたんじゃないかと思う。このことから実はヴェラは死んでいて、それによって正気を失ったベスが夢の世界に入って夢の中で担架に運ばれるベスの「愛している」への返答はヴェラは死んでいるから反応がない。

さらに担架で運ばれるときにベスが見つめる人形は鳥小屋にいれられている。これはまだ実はベスは殺人鬼に捕まったまま身動きがとれないのが続いているというメッセージにとることもできる。そして左奥の人形をしばらく見つめるのだけど、この人形は溶けている人形で大男に溶かされたんだと思う。長く見つめる意味を考えるとヴェが体を人形のように溶かされて死んだんじゃないかなって思う。その結果担架で運ばれているヴェラは全身を覆われている。もちろんヴァラは映画では溶かされた形跡はない。でもそれもすべてベスの夢だからと考えると納得がいく。

上でも説明した人形には現実逃避した世界で勝手に鏡から出ていた人形は姉のヴェラを表わしているんじゃないかということから考えると、現実に戻った後でもまだ夢の中で人形が鏡の中からタイミングよく出てきて大男の気をひくのは姉が助けようとしたんじゃないかと思うのと大男に首をもぎとられた人形から姉は死んだんじゃないかということ。
しかも夢の中だけど姉は殺人鬼に「姉は壊したから次はお前の番だ!」と言われている。

今回監督は血やお化けなどをだしていなくて残酷すぎるという批判がないように作っているんじゃないかと思う。それでも残酷的な描写を残すために人形などを使ったんじゃないかと思う。批判を避けるために姉が首をもぎとられたのは見せず人形で見せてきたんじゃないかなって勝手に思ったりする。監督はマーターズを批判されていることは知っているし気にかけていると思うし。

姉妹が助かって一応ハッピーエンドになると見せかけての実はバッドエンドなんだよっていう対比とも考えることができる。悪夢にうなされ現実逃避しているベスがまだいるかもしれないという絶望でしかない話になる。

でもそれだとやっぱり分かりづらすぎてありえないかって思うし演技している人のインタビューを見るとそんなこと微塵も感じない。そこまで考えて作っていたら本当に怖いしトラウマだしR15指定じゃ足りないんじゃないかと思うけど。なんでかというとホラー通信というインタビュー記事によると「ベスの性格は監督の14歳の頃と同じ」と言って14歳の頃の気持ちを考えながらそのころの監督が震え上がるよう話を盛り込んできて、さらにすべて夢でしたってなるとトラウマだからR15より高そうって思ったのだ。もし演技した人はそこまで知らされていなくて監督がすべては夢だったと仕組んだことだとしたら、監督が語っていないから誰にも真実が分からない。フランス語でのインタビューは何を言っているのかわからないので、もしかしたらフランス語で何かヒントになることが語られているかもしれないけど。
でもやっぱりそこまで監督が考えてやったのかはかなり疑問。なぜなら夢と現実のような対比をたくさん見せてはいるけどその対比にさらに実は全部夢だった対比をかぶせてくるなんていうことやってきたらわかりづらすぎて怖さに気づいてもらえないからホラー映画としてないんじゃないかと思う。気づける人だけが怖くなるホラー映画なんてエンターテイメントとしては微妙だと思うから。それでもラブクラフトみたいない世界にしたかったと思えばありえなくもない話。
ホラー通信によると監督は「僕は観客にショックを与えたいわけでも、不快にさせたいわけでもないんです。僕のゴールはあなた(観客)の心を揺さぶること。僕のハートにあるのはいつもそれなんです」って言っているから、監督が意図しなかった感じに視聴者に感じられたとしてもそれで心を揺さぶったわけだから目的を達成できた映画だとも言える。だとすると答えは一つでなくアナザーストーリーはあると考えたい人はそれでいいのだと思う。

エンディングで流れる曲は二つ、A StoryとSadness(悲しみ)

英語のポスターに書かれているTrue Evil Never Dies(本当の悪魔は決して死なない)からはまるで理不尽なまでの恐怖を感じてくるメッセージである。悪魔は死なないからストーリーという名前の曲でベスがストーリーを今後書いていくのかと思わせつつも実は悪夢のストーリーはまだ終わらないという話にも見えたり、悲しみという曲から悲しい話だったと過去の話とみることもできつつも、悪魔は死なないことから悲しみはまだ終わらないというようにもとらえることができる。つまりまだベスの悪夢は続いているのかもしれない。深く考えれば考えるほど怖いし、シンプルに映画で見せたことがすべてだと思えば愛の溢れる映画だったという話にもなる。

曲Sadnessは悲しい曲だけどかすかに明るさが含まれる曲だと思う。悲しみが溢れる絶望的な環境の中で夢の中に希望を見出し姉妹愛と家族愛を思い続けながらも、現実にはまだ終わらない絶望の中の鳥小屋に犯罪者と一緒にいるかもと思うとあまりにも救いがなさ過ぎる話になる。最後は大男に溶かされるかバラバラにされるのか・・・・。

この映画は実は気をつけないといけない映画だと思われる。R15指定だがゴーストランドの惨劇は監督の鬱と自殺を何度も考えた体験も元になっているようで全体的に暗く、スッキリしない映画となっている。10代の子が見ると少なからず影響される人もいるのではないかと思う。監督の前作マーターズも同じことが言えて、さらにマーターズを担当したメイクアップアーティストはマーターズの仕事が終わって自殺している。英語記事
特に音は怖くておどろおどろしさが出ていた。
このことから映画に関わった大人でさえ影響を受けているため子供が鬱になったり自殺する可能性は無いわけではない。僕のように色々調べて考えることでこの映画の暗い意味やスッキリしない意味を知ってもやもやをスッキリさせることは鬱や自殺防止になるだろう。なぜなら考えて分かってくるとすべてのヒントが恐怖にブレーキをかけるからだ。しかし最後に書いたすべては夢だったという全部を覆す考えがあるとかなりトラウマなので僕も考えていてビクビクした 笑
考えることが難しい場合はあまり考えないことがいいと思う。

心の支えのためにさらに別の考え方、ハッピーエンドはやっぱりあるのかもということを述べる。

ハッピーエンドかなと思うためのキーポイントがある。
1:最後にベスが「小説を書くのが好き」といってベスがカメラ目線で映画が終わる。
2:エンドクレジットでは映画では珍しくわざわざゴーストランドの大きなタイトルが現れる
3:映画の一番最初に小説家ラブクラフトのセリフから引用したかと思わせてベスの言葉があらわれる
4:映画は監督の13歳の頃の鬱や葛藤が元になっている。監督には兄がいてヴェラは兄でベスは監督といった感じ

映画のテーマはベスとヴェラがいかに悲惨の経験を乗り越えて成長するかを見せている。つまり実際に監督にあった兄弟の問題と鬱を乗り越える話をベスとヴェラにダブらせているんじゃないかということ。これらのことから言えることは、ベスはハッピーエンドで終わり将来小説家として成功しさらに映画化まで成功したと見ることもできる。なぜか? ベスは監督自身と考えているので、今回の映画のライターは実際に監督自信であり監督が小説家として成功し映画化できているということである。小説を書くのが好きと言ってカメラを見て終わるのは小説を書き続けるという希望であり、映画の最初で有名人ラブクラフトが書いたかのように見せ実はべスの文だったというのは、ベスがベスの言葉を引用されるほど有名な小説家になったかとも考えられ、最後のエンドクレジットの露骨に大きなタイトルからベスが有名になったので小説が売れ映画化されたということにも見える。ベスは生きて有名になりハッピーエンドであり、それは今の監督自身のことなのだ。そう考えると絶望的な映画に見えてきたと思ったらベスが幸せになってそうで気持ちもちょっとスッキリする 笑

それと僕がこの映画を見て怖さにブレーキがかかっていたのも監督が鬱と自殺の死と生の葛藤で生きるために格闘してきたのが伝わるからだと思う。それは上でも述べたように色々なヒント、キーワードから怖さにブレーキがかかったと僕は感じていた、それらの数々のヒントは監督が葛藤して自殺に打ち勝つために必要だった希望のようなもので精神的に悩んでいる人を支える優しい言葉のようなものだったのではないかと思うのだ。その点からも絶望から立ち上がるストーリーで終わらせるのが自然なのかなって思う。

でもかすかにでも夢は続いているバッドエンドがあったかもと思わされたのは監督が深い闇を抱えているんじゃないかと思う。それが無意識でも続いていてそれが映画に出ているのかもしれない。ホラー通信によるとこの監督は10代の頃、女の子にもモテないし人付き合いが苦手、自分自身が醜いモンスターなんじゃないかと思って過ごし、出会ったのがホラー映画だったというから、心に闇を抱えているんだと思う。うつはうつる。それは空気感染でなく精神的伝染現象によりうつる。相手が持っているうつの度合いより強い理屈があり健康的な精神でなければ相手に完全に共感してしまい同じ気持ちになりうつ症状がでるのだと思う。リングじゃないけど映像からも伝染ってすると思っている。僕はこの映画を見て監督のやりたいことを知ろうと思えば思うほど監督のうつに触れ、監督のうつに呑み込まれそうになったけど、残念ながら監督のように自分を嫌ったりほとんどしないし、子供のころだって精神的に追い詰められる経験もないし、女の子の友達もいるし監督は悩みすぎだって思ったから僕が悩まされることもなかった。僕と監督は違いすぎる性格なのかなって思った。マーターズを批判されすぎて悩みすぎているのかな?監督にはもっと自信もって生きて欲しい 笑
と、するとベスで妄想癖があるホラー小説好きで、恐怖で精神を閉じただけじゃなくて鬱も持っていて幻想が見えていたのかも。

まぁ結論としてはハッピーエンドで終わったと考えたほうが気持ちがいいのでそう思いたい。

ベスの言葉を引用している↓

エンドクレジットに出てくるタイトル↓

ラブクラフトについて

映画ではラブクラフトは全く関係ないと思う人が多いと思う。おどろおどろしさだけでラブクラフトを引用するのは納得いかないという人もいると思う。クリーチャーもいないし惑星はないし英語でも日本語のブログの感想でもラブクラフトなんて関係ないっていう意見がほとんど。でも実はラブクラフトについては監督はインタビューで語っている。Rue-Morgue
ここまで考察記事を読んだ人なら納得できる部分はあるんじゃないかと思う。

長いので簡単に要約して説明すると、


ラブクラフトというのを批判するのはおかしな批判だ、なぜならゴーストランドの惨劇はラブクラフトの小説にはなれない、ベスの世界なんだ。ベスが小説家になるために闇の部分を使ってはいるけどもしラブクラフトの世界を作っていたら映画は完全に矛盾した話になっていただろう。ベスがベス自信の声を見つけることが重要なんだ。僕は何度も夢の中でアルジェントかカーペンター(たぶんイタリアのホラー映画監督ダリオ・アルジェントとホラー映画の巨匠ジョン・カーペンター)が出てきて「君は映画を作った、君の声を見つけた、君はホラー映画を真似る二流じゃない
みんな真似から始めて自分のオリジナルを作るのには時間がかかる。
ラブクラフトの話は僕は10代の頃に夢に見ていた話でラブクラフトは僕にとって重要な話なんだ。ラブクラフトは関係ないっていうけどこれは僕にとって映画を作る上で大切な理由の一つなんだ。(恐らく十代の頃の映画のコピーしかできなかった監督にとってラブクラフトは重要だったんだと思う。)
だけど、ラブクラフティアン(ラブクラフトの世界)ではなくケラーリアン(ケラーはベスの名前でそれにリアンをつけたもの Elizabeth Keller-ian)なんだよ。映画で起こるすべてが彼女の小説の基になっているから。

僕にとってラブクラフトはトビー・フーパー(アメリカのホラー映画監督、脚本家で悪魔のいけにえが特に有名)なんだよ。


つまり監督はラブクラフトを引用した理由は監督の子供時代に影響を受けた話でありベスが小説化として成長するのに必要なもので、トビー・フーパーが好きだから悪魔のいけにえのオマージュを入れてきたりしているのはそれが監督にとってラブクラフトでもあるから。もちろんおどろおどろしさもラブクラフトであるんだろうけど。

それと僕の考えだけどラブクラフトについて監督は語っていないことがあって気づいていれば監督がインタビューではっきり答えればいいのに答えていないからもしかしたら監督が気づいていないのかもしれないけど、実は監督がなぜラブクラフトと今回の映画をリンクさせたのかが分かることがある。
ニコニコ大百科によると

「まるで関係の無い複数の作品間に同名のアイテムを登場させ、更には実在する土着信仰と結びつけるという鼻薬まで嗅がせて読者の想像力を働かせ、読者が自ずと“隠された世界の実相”を暴き出し、自らの想像力によって恐怖してしまうように施された、隠される事で機能する大掛かりな仕掛けであったのだ。」

これはゴーストランドの惨劇でいろいろなものが隠されていて想像力が必要な作品だったこととリンクしている。監督はラブクラフトの想像力が必要な作品に感化されていたのだと思う。

さらに別のニコニコ大百科によると、

「人間をアリに置き換え、人間社会をアリの巣の中で完結しているような社会と考えればよい。アリには「大気」や「人間の足」という認識はなく、人間が大気を掻き分けてアリを踏みつぶし殺害したという事象はアリからでは理解できず、そこにはアリでも認識できる程度の結果、つまり潰れた同胞の死体が残るのみである。アリに比する人間、つまり人間に比しての「宇宙的存在」が成す”事象”は、アリのように矮小な人間には理解できず、ただ意志疎通も理解も拒まれる絶対的他者への「宇宙的恐怖(コズミック・ホラー)」のみがそこにある--というような思想が少なからぬラヴクラフト作品の根底にある。」

つまりアリのように気づかいない人には存在は気づかない、でも見方を変えれば人は悪魔にもなる、大男は精神障害だけど狂気的殺人鬼であり、人形も怖く見えたりかわいく見えてたりと見方を変えると変わる。

そしてラブクラフトの小説「冬至祭」では「悪魔は存在せぬものを人の目に現実の如く顕然せしむる」とある。
存在しないものを人の目に現実のように見させるのが悪魔だということだ。今回の映画では考えれば考えるほど映画では語っていない物語がでてくる。想像力により存在しないものを現実のように見させる悪魔のようなことが映画には組み込まれいるのだと思う。

ゴーストランドの惨劇はラブクラフトが用いた想像力によって恐怖に落とし込めるやり方に挑戦した作品なんだと思う。

それと監督のインタビューからすると映画はベスが小説家になるための話でありある種のベスの伝記でありハッピーエンドで終わる話に見えるのだけど、それでもバッドエンドがありそうなのは監督がラブクラフトが好きでラブクラフト的な作品を作ろうとした結果、隠された恐怖を作ろうとした部分もあったんじゃないかなって思う。監督にとってのラブクラフトのトビー・フーパーの作品のオマージュを含みながらもラブクラフトの世界が見せる隠された恐怖を監督が好きな対比を使って映画を作ったんじゃないかと思う。無意識にでもラブラクフトの想像による恐怖を演出できる作家性が監督にあるなら、愛の反対は救いの無い絶望といった感じで恐怖が続くストーリーもありえるかもしれない。

ちなみにベス役のエミリア・ジョーンズは実はブロンドヘアーで役のベスとは雰囲気が大きく違う。かわいい!映画の不気味さはどこにいったのか 笑

英語だけどインタビューではベスみたいにネガティブなことをブロックすることはよくあるしベスは大好きだよって語っている。笑顔もかわいい。

日本の独占インタビューも独占というだけあって英語のインタビューとは全く違うことを語っていて面白い。

エミリア・ジョーンズは2002年2月23日にロンドンで生まれている。8歳のときから演技を始めたようだ。

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