【書評】「いつも誰かに振り回される」が一瞬で変わる方法 

マンがでわかる「いつも誰かに振りまわされる」が一瞬で変わる方法を読んた。
結果として面白かったが賛成反対それぞれ僕にはあった。
「反対だなぁ」と思うことをメインに感想を書いた。

賛成するところは「自分は自分、相手は相手」と考えて「自分がダメ」と思わない、という部分は当然だと思った。相手に「○○さんはもう○○して」とか言われてもそういう会話を楽しんでしまえばいいと思う。「あーまた言っているんだ、適当なこと言ってなんて返答来るかなー」って笑って楽しんでしまえばいいじゃないかと思うのだ。

反対部分は読んでいて気持ちが悪かった。たぶん僕に合わなかったんだと思う。

振り回される人は


・人の言葉を真にうけすぎて振り回される

他人の感情に敏感で聞き流せず不安や恐怖で苦しくなっていく。そんなときは「相手の気持ちはわからない自分の気持ちもわからない」と唱える


とある。

僕が振り回される気持ちを理解していないのかもしれないけど相手の言っていることを聞かないようにバリアを張って自分を言い聞かせることが気持ちが悪かった。

どんどん自分が悪いんじゃないかと深堀してしまい不安になるということだけど、僕の気持ちとしては深堀できていなくて自分勝手に考えすぎているだけに見える。根拠がないのに不安や恐怖を感じているんだったら相手の気持ちや考えを聞いたほうがいい。「なんでそんなことをいうのか?」「どんな意味があるのか?」など気になることをただ聞くだけでスッキリすると思う。自分に自己暗示をかけて「相手の気持ちはわからない自分の気持ちもわからない」と唱えるより「わからないからこそ相手の気持ちを聞こう」としたほうがいい。
相手が友達や大好きな人ならモヤモヤしたままじゃなくて相手に質問しないといけないと僕は思う。聞くことが怖いと思うかもしれないけど本当に愛があれば知りたいと思うのは当たり前で聞いてくれて相手も嬉しいはずだ。愛と攻撃は紙一重で好きだから期待するしケンカにもなるけどお互い好きだから納得できればもっと好きになるはずなのだ。逆に相手に愛がければ怒って関係が悪くなって修正ができないかもしれない。そのときは自分勝手な人だと思って縁を切ればいいのだ。
振り回される人は相手を傷つけたくないと思っている優しい人かもしれない。でもその優しさは嘘の優しさだ。自分に自己暗示で現実を見ないで自分に嘘をついて自分を誤魔化して、相手に苦痛を与えられて自分にも優しくないし相手が傷つけていることに気づかないことを教えて上げれてない。優しいのなら自分にも嘘をつかない優しさとおかしいことはおかしいと教えてあげる優しさを持ったほうがいいと思う。


「いつも彼氏にムカつくのに自分じゃないと彼は駄目な気がする」という怒りを愛と勘違いしていて「やっぱり彼と会わないと寂しくてやっぱり好きなんだ」という感情を「腐れ縁」でそれを断ち切るには近づかないことである


と本はいう。

僕は腐れ縁が何がいけないのかわからないのだ。ムカついてでも相手が自分じゃないとダメなんだと思ったとしても、ムカついたことを解決していける関係なら腐れ縁でもいいんじゃないかと思う。友達でも小学校からの長い付き合いだと腐れ縁みたいなものでどんな理屈があっても仲良くできたりできるのは腐れ縁の特権なんじゃないかと思う。
気の使い方が自分の気持ちに正直になれていない自分に優しくできなくて、不健全な方法だと思えてしまう。気を使っても裏切られるのはお互いが本当に愛をもってないからだと思うし、愛があれば気づかって言ったことに「なんでお前がそんなことを言うんだ」と言われたら「気遣って言っているんだけどなんでそんな言い方されなければいけないんだ」と言えばいい。それで問題が起きても、先送りしていた問題が来ただけだと思う。向き合っていない人間関係はいつか崩壊すると思うから亀裂が大きくなる前に向き合ったほうがいいと思うのだ。
相手が求めることをしてあげることは素晴らしいことでどんどんしてあげればいいと思うのに、本はそれだと相手はモンスター化して振り回す存在にしていまうから相手の気持ちを考えないようにして視野を広げれるようになろうというのだ。
謎なのである。相手のことを気遣ってしてあげて、でも相手がこちらの気持ちを考えて気づかっていないのならそれについて話せばいいんじゃないかと思う。自己暗示で「相手のことを考えない」なんて言っていたら人の気持ちのことを考えられなくなることを推奨しているようで、仲直り、仲良くできるどころか二人の関係は問題の先送りしているだけでゆっくり分断されていくだけだと思ってしまう。

そして本では容姿に自信が持てない理由


・普通の人が持つ「自分は平均以上」という感覚がなく劣等感があり価値判断を他人にゆだね、他人の意見、目線が気になり自分がバカにされているんじゃないかと思ってしまう。そして自信がない人の近くにいると気持ちが移って自信がなくなるから、自分の都合のいいように考えたりシャットダウンしたりする必要がある


という。

なんで自分の都合のいいように考えるような自分に嘘をつかないといけないのか謎なのだ。誤魔化してシャットダウンして本当に容姿が悪いならシャットダウンをやめた途端、周りから負の感情が伝わってくると思う。それより自分の容姿が悪いことは認め違う魅力を知るべきだと思う。容姿のいい人には悪い人にはない悩みがあったり容姿の悪い人には容姿のいい人にない悩みがあるものだと思う。人は一緒じゃないのだから容姿の悪い人が容姿のいい人と同じことをしようとしても不幸になることが多い。もちろん真似をして容姿がよくなればいんんだけど本当に容姿が悪い人は逆効果だろう。それだったら違う人生を受け入れて違う生き方をしたほうが楽だと思う。自分は自分、人は人なのだ。誰かが作った「綺麗」という容姿に合わせず自分の魅力を出せる見せ方がすぐに見当たらなくても徐々に知っていけばいいだろうし、本当の不細工だと不細工を綺麗にするお手本が世の中に少ないと思うからすぐには答えは見つからないのだ。なので自分は社会が作った「綺麗」に合わない人なんだと思って「自由」に「違う魅力」を楽しんだほうがいい。世の中は不細工向けの商品より平均以上に合わせた商品が多いからそこに巻き込まれたらどんどん不細工は悲しくなっていくだろう。

しかも「自分は平均以上」とみんなが思っているとしたら気持ち悪すぎる。根拠のない自信で平均以上と考えることがもう何も考えていない。平均以上じゃないと心底思うから美人を真似しようとは思わないしトレンドを追わないのだ。トレンドは平均以上でないと綺麗にならないと思うので本当の不細工には合わない。そもそもなんで不細工がいけないと思うことが不細工の中の魅力を感じていなくて見た目第一の薄っぺらい新興宗教でもやっているのかと思えてくる。言ってしまえばキリスト教徒でもないのにロザリオをファッションで取り入れているようなもので薄っぺらさを感じるのだ。そんな人には「キリスト教徒でもないのになんでロザリオしているの?」と聞いてみよう、たぶん「かっこいいから」というだろう。でも時間がたてば次第に本人も薄っぺらさに気づきかっこ悪いことに気づくんじゃないかと思う。気づけないなら本当の薄っぺらい人だ。
みんなが不細工は美人とは合わない生き方を認めて不細工の魅力を見つけると不細工は不細工ではなくなるんじゃないかと思う。

面白かったのが


いつも自分ばかり仕事を押し付けられてやりたくないことをやらされると思う人は緊張度が高くみんなと打ち解けなくてビクビクして周囲に気を使うので自動的に上下関係ができて自己主張できず支配される、その解決策に本音モードになる


というのがある。

本音と違い本音モードとは自分をガラっと変えるイメージで言えなかったことを言える気分にして実際に言うことみたいだけど、不思議なのがなんで最初から本音モードで生きていないのかということ。人生は嘘モードで生きているんだろうか?嘘で固めたピエロなのか?バカにされてるかもと考えてしまうのは本気で生きていないだけで本気で生きて入れば相手もバカじゃないからなかなかバカにしてこないんじゃないかと思う。日本ではなぁなぁのことなかれ主義なところはあるけど自分にも嘘をつくのはかわいそうである。自分を愛せない人は他人を愛する心の余裕が無いというように自分に嘘をついているかもわからない人は他人に嘘をついているかもわからない。自分の気持ちがはっきりわからず人生の中で本当に好きになった人や愛を感じたことがないんだと思う。そんな人が嘘モードで生きて本音モードなんていうおままごとで自分に暗示をかけると思うとなんかの宗教みたいで怖い。
本音モードという暗示を使わないといけないのは人生を見つめず人生不真面目に生きているようなもので、好きな人がいても相手の心にぽっかり穴が空いて悲しんでいるんだろうなぁと思ってしまう。本心について向き合うことや言うことを人生で逃げてきたのかな?心の中は自分を守りたくて、心の中に大切な人や物がないんだと思う。とても罪深いことだ。

他の暗示からもそうだけど振り回される人は勘違いしている人が多いと思う。誰かに利用されていると思ったり、言われて「後でやろうと思っていた」とわたわたしたりするのも罪悪感を持っているからだし相手の好意を喜んで受け入れられないからと心に自由がないからだと思う。大きなお世話なことも楽しんでしまえばいいだけなのに。

こうやって書いていると僕自身のことも見つめられて良い本だと思った。だけど僕にはどこか生ぬるくて合わないと思うから、ただ読んだだけでは僕にとっては良い本にはならないんだと思う。
僕とは違う考えで悩む人がいることや暗示の仕方はそれぞれ違うんだと思ったのは面白かったし、自分の心に向きあえれていないことは本では言っているのも賛同できるポイントで、僕はアートをするから心と向き合っているんだとも改めて気づけてよかった。だからアートとかしない人よりどう僕がしたいのかの気持ちに敏感なんだと思うからアートすれば無理に自己暗示かけなくても解決しそうだけど。この本の暗示もたぶんいいんだろうけど、僕はただ気取らずに自分に嘘をつかずに僕の中の様々な好きな物のために好きな物を裏切らない生き方をしたいだけ。そのほうが自己中じゃないと思うし、それが愛という暗示でそれが幸せであり僕の生きる意味だと思うのだ。気持ちに正直に生きないと僕が気持ち悪くなるから嫌なんだ。

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