【書評】漫画 東京タラレバ娘から考える若いイケメンさえ選べないのは日本の貧困なんじゃないかということ

僕は漫画家の東村アキコの作品は好きでいくつも持っているんだけどその中で東京タラレバ娘は日本の貧困が見えてくる。

簡単に東京タラレバ娘のことを説明すると、

30を越えた女性でやりたいこで働きながら婚活しないとなぁと思いながらいい出会いもなく、女子会を開いて○○してたら、○○してれば、と言いあっている話である。
タラとレバのズバっと切り込んでくる言葉は胸にグサりときた人も多い作品である。

なぜ読者は胸を突き刺すような衝撃を受けたのだろう?そこにはわかっちゃいるけど言わないでほしい現実を漫画が言っているからである。

マンガのタラレバ女子の状況には結婚できなくなるかもしれないという不安がはっきりと見ててとれる。これは現在の貧困が見て取れ、マンガのタラレバ女子とは現代の貧困者に入るか入らないかギリギリラインで頑張っている女子を描いているように見えてくる。

現在の貧困とはなんのか?
1990年代はフリーターはいつでも正社員になれると思い、結婚したければいつでもお見合いをして結婚できる選択の自由があった聞いたことがある人もいると思う。それは現在は結婚さえなかなかできず今時期を逃がすと結婚できなくなるかも、妥協してでも結婚しないとという下流にならないための椅子取りゲームが繰り広げられている。この下流にならないために頑張ばらないといけない競争をさせられていることはすでに貧困ラインに足を踏みこむ一歩手前と考えてもおかしくない状況にあると思う。

マンガでは若いイケメンと結ばれるというシンデレラストーリーのようなものを描くが現実社会ではなかなか若いイケメンと付き合えるなんていうことはなく働いてない夢ばかり追いかけているイケメンより働いていて安定しているフツメン、ブサメンを選ぶのではないか?と思うのだ。イケメンに希望を持ちたい現実がありながらも希望を持てない状況がある。マンガは読者に貧困化しつつある現実の中ではなかなか持てない希望や夢を見させることで、イケメンにさえ希望を持てない世知辛い現実を突きつけてくる。若いイケメンを選べないことは選択の自由がないことであるのだ。なぜ不細工な男性と美人の組み合わせがあるのに不細工な女性とイケメンの組み合わせがほとんどないのか、そこも現代の貧困が隠れているからだと思う。

世の中は多様化し漫画のように女性も男性のように働けるようになり好きな仕事もでき貯金も貯められる人は現実にはいるだろう。しかし現実には漫画のタラレバ娘のように好きな仕事をしている人なんてあまり多くないはずである。結婚できると思っていたのに出来ず、正社員として働けると思ったのに好きでもない仕事でかつ非正規という現実。それに対してあーしていれば、こーしていればと考えるのよくあることなのではないだろうか?そういう厳しい状況なのに恥ずかしいという気持ちがみんなにあり、さらに年を重ね仕事をしていると社会の一員としてますます変に見られないように気にしだし、恥ずかしいことやおかしなことというリスクがあることには挑戦しなくなってくると思う。イケメンにチャレンジできない、年とっているしバカにされそう、周りからも変に思われるかも、趣味も合わないだろうしなんて考えて弱腰になる。この怯えはもし変に見られたり失敗したりするのは恥ずかしいし、身近な人に知られると仕事に影響して働けなくなるのではないか?という恐れもあるのではないかと思う。社会人としての行動をものすごく求められる現代はルールがあまりにもありすぎる。まだ一人前でもないしイケメンに声かけたら笑われるとでも思っているのかもしれない。しかしその思考も現代の貧困に適応した思考じゃないかと思う。

他国を見てみると若いイケメンと付き合うなんていう話はいろいろあり、若い男性のほうからだって年上女性が好きだという人もたくさんいるわけだ。女性だけでなく男性に恥ずかしいという考えがあり、年上すぎる女性はちょっと気にしすぎているのだと思う。タラレバ娘達は日本の恥の考えに翻弄されているわけである。自分を守らなくてはいけなくてリスクを取れないのは世知辛い現代では分かる話で、リスクを取れないとますますチャンスを逃がしていくという悪循環。「愛するより愛される幸せを選ぶんタラ」というきつい言葉からはリスクをとって頑張っても振り向いてもらえないという現実があり寄って来る人がどんな人でも妥協して受け止めないといけないということだ。これは言ってしまえば働けるんだからマシ、我慢して働けとブラック企業で自分を押し殺しながら働くという、自分に選択の自由がない貧困そのものではないか。行き着く先は鬱か過労死か。

しかしそれは本人だけの責任ではない、選択の自由あっても実は選択できない状況にさせてしまっている政治の問題でもある。景気が良くて仕事だって自由に選べることができ転職も難しくなくお金もどんどん貯まる社会であれば将来に希望があり若いイケメンにだって自身をもって声をかけ、若いイケメンだって自身のある年上女性から希望さえ感じるのではないかと思うのだ。

タラレバ娘が若いイケメンを選べない社会は貧困社会、貧困になりつつある社会ということである。

一例をあげればアメリカにはアメリカンドリームがあり貧困層も夢を見て頑張れたわけだ。しかし今はアメリカンドリームはあまりなくなり貧困が拡大となり犯罪も増加している。希望がない社会、希望を持てない社会は貧困なんだと思う。日本の高度成長期からバブル期あたりまでは希望がたぶんあったはずである。子供は親より稼げると思うのが当たり前で希望があるから気持ちも大きくなる。女性の社会進出が今より少なかったと思うからイケメンを選ぶ今より選べるかというとちょっと違うと思うが結婚だって出来るだけしたい人を選べたんじゃないかと思う。どんな人も中流で誰を選んでも困らない、あとは性格と見た目である。

若いイケメンに希望を見てそれをシンデレラストーリーとしてしまうほど、現実には簡単に好みの異性を選べない希望のない社会だというあらわれないのではないかと思えてくるのだ。

大学に行けば同じような服の学生、社会を見渡しても同じような服で出来る人を演出している人達、恥をかきたくない、何が何でもかきたくないという意識が男性だけでなく女性にも強くあるのだと思う。日本に蔓延している怯えなのだ。
この意識の行き着く先には生活保護なんて恥ずかしくて受け取れないという最後は犯罪か死という流れにしかならない。まさに自らを貧困にしてしまう考えだ。タラレバ娘達も世間一般にオシャレと思う出来る女性と思われる格好をしている。しかし本当にそれいいのか?と僕は思うのだ。

アメリカの例を出すと、ある程度はどんな格好していても見た目で出来る女性だ、なんていう見られ方はほとんどしない。アメリカは貧困が拡大しているがそれでもどこか行きやすさが残っているのは日本と比べて見た目をそこまで気にしないという気楽さがあるのだと思う。アメリカ人はセーフティーネットを受けられる権利があるなら恥ずかしいなんて思わないで堂々と受けるだろう。なぜならそれが権利でだからである。

タラレバ娘が「私達にはもう時間がない、もう女の子じゃないんだからキラキラした少女漫画みたいな恋愛なんてできない」という

キラキラした少女漫画のような恋愛は子供ではなく人並みの恋愛だったのではなだろうか?少なくとも若いときには人並みの恋愛の一つだったと思う。そんな人並みの恋愛さえ躊躇して自分を自制し変えていかなければいけないなんて、これを貧困になっているんだなって思えないだろうか?


現在の多くの貧困は相対的貧困であり生きられるけど人並みの生き方がでいなくなっている、もしくは出来なくなりつつある人達のことである。人並みの結婚、人並みの生活、人並みの恋愛、今まで考えていた人並みが出来なくなり、自己責任論により自分を責めもう女の子じゃないんだからと自分を納得させる。なんとも世知辛い。
専業主婦、専業主夫さえなるには難しくなりつつある社会は人並みがなくなりつつあり貧困化しているんだと思えてくる。多様な恋愛感があってもいいと思うのに多様な社会になりつつあるのに実はリスクが増加している。これでは若いイケメンにも躊躇するのもわかる。

ベンチに中から偉そうに見物していつでもいけると自信満々、一番おいしいところで大逆転ホームランを打てると信じていたのに打てずに戦力外通告。合コンばなりやっている若い女の子たちを馬鹿にしてでも現実はうまくかない。これは社会を停滞させる政治に問題があるからであり不景気に適応してきたチャレンジできないという思考があるからだと思えてくる。夢を持って頑張っているイケメンに恋してもいいんじゃないかと思う。

自信が年齢によって砕けていくのは本当に正しい世の中なのだろうか?年齢によって選択を変えなくてはいけない年齢が上がるにつれてストレスが増す社会とは健全な社会だろうか?僕はそれは全く健全でないと思う。

結婚は無理にしなくたっていいと思うし色んな幸せの形があっていい、でもそれは誰もがすぐに結婚できる社会があっての話だと思う。漫画で「相手を見つけるためにはそれなりの狩場に行くしかないんタラ、お金払ってな!」とグサっとくるセリフがある。でもこれも貧困社会ならでもの話なんじゃないかと思えるのだ。

言っていることは正しい、人の集まるところにいかないと出会えない。しかし結婚さえもお金を払わないといけない社会とはお金のない人は結婚できない社会でありそんな社会は健全な社会ではないと思う。発展途上国を例にだすと、働いていなくてお金がなくても結婚している人なんてたくさんいる。そもそも日本のようにレールがあるわけでもないので仕事だって見つからない人はたくさんいるわけで、仕事がなくても結婚するのは普通である。将来仕事ができたり、仕事がある人が稼いで無い人は男性でも家で出来ることをしたりすればいいのだ。お金がないと結婚できない社会は人類の存続に関わるしそれをおかしいと思えないタラレバ娘は精神的に病んでいるんじゃないかと思えてくる。

昔の日本でも紹介なんて当たり前、お金も必要なく紹介されるなんて良くある話と聞く、それは発展途上国でも紹介なんて日本よりあって、経済的に貧乏な国でも人口も多くて活気があって希望があって自信があるんだと思う。希望や自身を失いつつあるのは貧困社会になりつつあるように思うのだ。女子会して婚期がなくなるなんてお金のある人、余裕のある人しか選択の自由にさせない社会のそのものではないと思える。

お金に余裕がなくても家族がいなくても好きな人と楽しく一緒に生きていける社会が健全な社会なんじゃないかと思う。この作品は面白かった、この面白さは社会を反映しており、年齢によって結婚できず今にも底辺に落ちていきそうな見た目は出来るけど苦しんでいる女性の思考が笑わせてくる。しかしよーく考えると昔には無かった結婚問題、世界の中で大きな経済成長が止まっている日本特有の貧困問題なんじゃないかと思えてくる。夢なんて追えない夢を追うのがリスクでしかない社会。昔はイケメンと結婚なんて夢じゃない世界があったはずなのに、他国を見ればイケメンから声をかけてくることもあると思うのに男女ともにそんなことさえリスクをとれない社会はあまりにも苦しい社会なんじゃないかと思う。

個人で出来る改善策というのは限られていて大きな景気がよくなる事件でも日本でおきるか政治が変わらない限り現状は変わらないのだろうし、個人で余裕のある人は日本のレールから外れて日本から出て行くという選択もできるだろう。しかしそれは一部の人間だけで多くの人はリスクを気にしないといけないいつでも貧困化しそうなところで生きているんだと思う。だから東京タラレバ娘は共感されたんだと思う。

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