誠実は必要ないお金だということのおかしさ

誠実や思いやりだけじゃ生きていけないんだ、お金がないと生きられない。気持ちよりまず先にお金。

というのはわかる話だけど僕はこの理屈を好きじゃないしなんかおかしいと感じてくる。
僕はお金という一つの価値観だけに縛られる必要はないと思う。

正解のない時代でどんな価値観だって受け入れていい、だけどお金がまずは第一という強い価値観に生きるにはそれに負けることのない豊かな価値観をがないと新しく生まれてくる即効性のある価値観に振り回されるだけだと思う。
人が持っている価値観の外に出るのはなかなか難しいからこそ、それを体験するのが海外でのカルチャーショックで当たり前と思っていたことが違うということを知ることになる。
即効性のある価値観に負けないためには自分の持っている価値観を見つめて知ることが重要で、見つめるためにはカルチャーショックもそうだし映画、本、音楽、アートに触れることでも見つけることができるはずだ。それらが嫌いでも人生に何か価値観を変えてしまう出来事が起きると自分の価値観を見つめることになる。例えば地震、病気など今までの価値観では生きていけないと感じたときに自分が変わるんだと思う。だから平和ボケでは気づけないことが多いんだと思う。

そう思うからか、お金がすべて、お金がないと結婚なんてできないなんていう人には人生薄っぺらい人の意見にしか聞えてこない。人生絶望を感じても生きて行けるねばりづよさや楽観性がなくなんでも楽しもう、感謝や感激や優しさなんてない人として問題があると人かもしれない。失敗なんてあまりしたことない人だとそんな考えになるかもしれない。

それにお金だけの価値観にとらわれることは一つの価値観に縛られていることで争いになりやすいことだと思う。戦いやケンカは価値観の押し付け合いで、例えばキリストとイスラムの戦いもお互いの愛を守る戦いで言い換えれば押し付けあいにもなるかもしれない。一神教だからそれはしょうがないだろうけど、多様性を求める社会であれば一つの価値観にとらわれず現在の価値観の外にでて広い価値観を知り豊かにしていかないと平和にはならないんじゃないかと思う。けっして宗教を否定してるわけではなく違う価値観を受け入れる気持ちが大切なんじゃないかということなのだ。

世の中にある「お金がない」という価値観を一度おかしいんじゃないかと考えると世界中のビジネスは変わらないといけないぐらいビジネスできなくなるぐらい価値観が変わる可能性がある。
例えば、結婚もお金がないと将来計画ができないというがお金がなくても結婚して生活している人なんて世界中たくさんいるので、「を基準にしてお金がないとダメ、と言っているのかがわからなくなってくる。なんでそんな高級車に乗りたいの?なんでそんな高級な食べ物食べたいの?それ家で作れないの?どんな気持ちを満たしたいからそんなことしたいの?狭い自己満足なのか広い視点でみた結果なのか。それには人によって違う幸せの価値観を本人の中で明確にないといけないと思う。それができるとお金がない人は結婚できないという嘘には惑わされなくなるだろう。

お金がないと勉強できない、というのも半分は本当だけど半分は嘘。アメリカのような教育費が高いところではお金がないと良い教育は受けられないことは正しいだろう、でも国を変えたり人に恵まれている場合など低コストで教育を受けられる環境があればお金がないと勉強できないというわけではない。日本だといろんなものが安いし無料で使える図書館もあるしネットでも日本語で勉強できるしやろうと思えば低コストで勉強できると思う。

またお金がないと考えている人は心に人を羨ましがる気持ちがある人も多いと思う。それはもう病気みたいな話でそれにつけこむビジネスは多くて搾取と言ってもいいかもしれない。
例えばキラキラして良い部屋住みたい、キラキラした車がいい、高級な食べ物を食べたい、服だってたくさん買いたいとか。
それらを見て自分の生活と比べて悲しくなってくる人は多いのかもしれない。それも同じことで楽しいことや幸せの価値観を考えたことがない人なんだと思う。
本当に楽しいことがある人はそんな価値観にとらわれないと思うし気にしないと思う。貧乏でも愛があるから楽しくて幸せを感じている人達にはお金がないからって気持ちがブレて悲しい気持ちにはなりづらいと、僕は発展途上国の人と話していて思う。
なんで幸せなのかというと他人の幸せの基準に合わせないからだと思う。日本の基準は高くて貧乏の人が基準に合わせようとすると惨めな気持ちになるのどうしようもない。その解決方法は別の価値観を持つ以外にはないと僕は思う。
学生みんながブランドバッグを持っていて貧乏な子だけ持っていなかったら惨めになると思うけど、それはブランドバッグを持つのが当たり前の世界にいるからで違う世界に目を向けるべきなのだ。
現在の日本では海外に行く人が少なくなっているのでいろんな価値観があることを知らない人が多いんだと思う。ブランド物に包まれた生活している人を幸せと思うのもブランド物を手に入れることの裏に親がものすごく仕事して死にそうになっていたり、子供は親のお金がなくなったら能力のないボンクラでしかないことが見えていなかったり、お金持ちでも仕事が大変そうでない家庭でも愛情が欠けている家庭があったり、もしかしたら悪い仕事で稼いでいる人かもしれないのが見えていないのだ。
広い気持ちで色んな価値観について考えないと搾取されるだけの人になるんだと思う。
羨ましい気持ちになったら勘違いの可能性やただのエゴの場合もあるのでまず落ち着いたほうがいいと思う。なぜ羨ましいと思われることを見せようとしているのか理由を考えられない狭い価値観にとらわれているから騙される人が多いんだと思う。もう羨ましいという気持ちがない無我の境地にいったほうがいい 笑

僕は人の作った価値観に沿うことがものすごく嫌いだし、面白くもないし、気持ち悪くなってくる。だから羨ましいと思うこともないし自慢してくる人がいたら、かわいそうな人なんだろうなぁ。家庭に問題にあるのかな?人間関係に何かあったのかな?とか思ってしまう。
人の価値観に合わせないといけないことは合わせるけど、基本合わせないほうが楽しいし本当の意味の個人主義の多様性社会では、真似しないことが魅力的な人間になれるんじゃないかと思う。
そういう点からも個人主義を本当の意味で好きなじゃない人が多くて、多様性なんてあまり考えていない人がたくさんいるんだと思う。みんなが同じ価値観ならコントロールしやすいし。
コントロールされているかもと思うと恐怖でしかない。お金しか考えていない悪魔が人を生贄にして搾取していくようで怖い気持ちにもなる。
すっかり忘れている人は多いかもしれないけどお金持ちのジョブズは昔はお金なんて気にしてない、頭がおかしい狂人と言われるぐらい人を振り回した人なのに好きなことを自分がやりたいようにしてそれが世界の今までの価値観を変えて新しい価値観を生んだわけだ。勝つための王道なんて気にしないジョブズがやりたいようにだけやることで生まれた新しい価値観は現在の価値観からすると狂っていると思われるところから生まれることがあるという例であり、誰かが作った基準に合わせることは面白くないという例でもある。

誰かが作った誰かのための成長神話やお金があってはじめて心に余裕ができ人に優しくできるという偏った幸せの価値観に賛同しているだけでは何も変わらない。そこから一歩踏み出せて初めて人生が始まるんだと思う。お金がないと大切な人を守れない生きていけないという根本的なことさえも否定できることこそ、お金がなくても幸せを持っている世界中の人と話しても恥ずかしくない渡り合える人間になると思うからだ。
僕が発展途上国や先進諸国でも友達に「お金じゃない」と言ってどう思われたか。みんな驚いてでも「そんな日本人がいるから日本人っていいよね」って言われたりするのだ。世界中はお金じゃないという意見が欲しいのである。世界は無意識にでも心に開いた小さな穴を埋める大切な何かを求めているのだ。その一つが僕の発言の「お金じゃない」なのだ。

お金じゃないなんていうと何か信仰しているのか?裕福なんじゃないないの?と思う人もいるかもしれない。確かに留学できているわけだから貧乏ではないだろう、だからと言ってお金がある人の心の余裕から来る発言ではないのだ。お金があまりなくてもお金ばかり追っている人より幸せな気持ちで生きている人を知っているからで僕はお金がなくなって好きなことさえできれば生きていけるとも思う。好きなことの基準が高いこともあるから好きなことにお金はかかることはあるけど、それでも僕の求め基準が少し違っていてお金をかけても満足できないことが多い。だから不満がないところに行こうとしたらお金じゃ解決できない僕の不満を解決する場所にいかないといけない。例えば料理だって僕が好きなものを食べたいだけで、お店に行っても満足しない。極端な話しお茶漬けに美しさを感じて贅沢な料理にさえ感じるのにおいしくて手軽に食べられるお茶漬けなんてレストランで売っていない。自分で作ったほうがおいしい。オシャレな食べものより気持ちが満足するものが欲しいだけで、満足するにはある程度自分でやらないといけないことが多いのだ。僕の好みがマイナーすぎて世間にないことが多いのかもしれない。それにお金をかけて服を買ってもシーズンが変わるとダサいものになることに寂しい気持ちにもなるので、それだったらシーズンを追いかけるのやめて服にあまりお金を使わなくていいとなる。海外生活すると流行を追わない人が多いから流行ばかり追っていることがバカらしくなってくる。お金でただ物の移動していくことに悲しいことが多いのだ。それってコマのように人を使うブラック企業や自己責任論を生んでしまう現在の問題につながら話だとも思うからお金がすべてなんていうことに寂しく感じる。もちろん最低限のお金はないと生活できないのは事実なのでお金がなくてもいいとは言えないけど。
それに信仰しているっていうのも過度にお金信仰している人と比べると僕のほうはマシだと思う。
生産性ばかり求めている人は、その競争社会の先に何があるのか想像できないのだ。その結果今の様々な歪みが生じて世界の社会構造が破壊されていると思えてくるのに。

変人と言われても狂人と言われてもそこに好きなことをしたいという愛があるのなら僕は間違っているとは言えない。自分に無いことを悲しむよりそれを楽しんで生きてきたのが人類だと思う。そのためかものすごい説得力がある価値観が「お金がすべてだよ、お金のことを考えていないのは幸せになれない」って言ってきても、別に幸せって一つじゃないから、なんでそっちの幸せに合わせないといけないのか?と思ってしまう。

だからお金がすべてという人の意見は信じる価値はない。

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