なぜ美人は人気でモテるのか?

モテるということは人の気持ちを惹きつけていることになるのでモテることには何かしら価値があると思われる。それではモテるとはいったいどんな理由があってモテるのか?そういったことをちょっと考えてみた。

美人には美人と感じる構造がある。誤解するかもしれないけど極端に言えば美人は人間らしいからである。

美人というのは時代、国によって定義が変わってくる。それはその時代に好まれる顔があって、国によって求める理想像が違うため美人もさまざまだと思う。それでも美人ということで人は綺麗だなぁ、いいなぁってすでにハッピーになっている。でも何故見た目がいいことは人をハッピーにし虜にするのか?

美人を考えるうえで何故恐怖を感じることがあるのか?を考えたい。
人はモンスターより人間の形をしたものを怖がることが多いというのはわかると思う。おそらく人間の形をしていないモンスターは違うものとしてみることができるが、人間の形に近いゾンビやフランケンシュタインなどは不完全という人間とはこういうものだという理想から外れ、それはアンバランスに思わせアンバランスは音楽でいう不協和音のようなもので不快感が恐ろしささえ感じさせてくる。人間に似ているのに不完全なものに恐怖や不快感を感じるのは理想から大きく外れるからだと思う。

例えば古代ギリシャでは理想の神は理想の男性像と同じで理想な筋肉があり理想の身長、理想の顔を持っていた。神は美しいものだったのだ。美男子であり美女ということになる。美しいものを神のようにたたえる考えは西洋だけでなく東洋にもある。力のある人は美人を集めて子孫を残してきたことを考えると美人には人類にとって価値が高いことになる。この価値を感じて美人は価値が高い、すごい、理想的と美人がモテる話になってくる。

国が違えは理想像が違うので別の国の美人を見ても美人と思えないっていう人がいると思う。これはその国で求められている人、生きるために求められてきた顔、プロポーションが違うからだと思う。例えば貧困国では太っている女性が美人と思われたりするけど、ものすごく太った人を見て日本人は美人とは思わないだろう。美人には血みどろの歴史を生き抜いてきて選び抜かれてきた価値があるからモテるのだ。それは理想に完璧に近い人間らしいということになる。

逆に不細工の話をしてみよう。なぜ不細工はモテないかというと、理想から大きく離れるからであるといえると思う。それは不快感やときには恐怖さえ与える負の側面がある。例えば人間の形をしていて人間だけど顔が理想から大きく離れると、「人間なのに人間と思われるものがから大きく離れている」と頭が混乱してきてこの混乱が恐怖を生みだしてくると思う。

もうちょっと分かりやすく説明すると不気味の谷というのがあると思う。不気味の谷は人そっくりな顔なのにどこか違うと感じそれが分からず頭が混乱してきて恐怖を感じるという現象である。完璧に近い顔でも人間と何か違うということが恐怖を起こしてくる。不気味の谷には不完全さがあり不完全つまり人が人として持っているものを持っていないことに恐怖を感じる。

人はそれぞれ理想が違っていてそれは人それぞれ美人と思う範囲が異なるということになる。みんなそれぞれの基準を持っているから不細工がみんな選ばれないわけではないということになってくる。もし不細工の中でもとくに不細工だった場合、なかなか人から選ばれないだろうしその理由は、人が理想とするものからかけ離れているいるからであり、もしかしたらそういった人は人間としても不完全な部分が顔にあるのかもしれない。

あと普通の不細工を見ても人間とは何か違うとは思わないけど人類が理想とする顔ではないのでそれが多少不快感を起こしていると思う。不快だなんてなんて失礼な人なんだ!って思うかもしれない。これは人間の無意識の中の話や頭ではあまり気づかいないと思う感性の話をしているので不細工を見たからといって頭の中で意識的に不快感を感じるっていう話ではない。不快感というのは視覚的なところから発生させることができる。例えばものすごく細かく作られノートルダム大聖堂の見た目は豪華と言えるけど、権威を感じ権威を見せないといけなかった当事の教会の強大な力と恐怖さえも感じてくる。細かさからは畏怖の念を感じるけど執念にも見えるどこかとんでもない精神性があり恐ろしくなってくるのだ。これと同じことが顔にもあり、権威的な顔、不細工な顔、怖い顔などきちんとあり不細工には不細工なりの理由があるのだ。

さらに例を出すと美人の顔は整っているというのはわかると思う。これは逆に言えば不細工はアンバランスで不完全なものだといえる。けっして生物学的に不完全な人間だとは言っていない。対照的と非対称だとどちらが整っているかというのと同じことである。もちろん非対称が整っていて不完全性の中にある混沌とした世界に統一感を感じ美しさを感じるかもしれない。その場合はその人にとっては世間一般的な不細工な人は美人ということになってくる。

僕はブス専って言われることもあったぐらい不細工も美人も好きなんだけど、例えばブルドッグという犬の顔は整った美人ではない。でもこのだるそうな顔で不完全とも言える非対称的な顔が非常に愛らしく不完全性がさらに生き物らしさを出していて完璧な美人な犬より犬らしいとも見えてくる。しかし一般的には美人な犬は犬からもモテモテで不完全な顔の犬より完璧な犬のほうがモテるのだけど。不完全性を美しいと思うのは人間ぐらいなんじゃないかと思う 笑

人間としての形の理想から離れていればいるほど不快感と恐怖は高まっていくのは普段の生活でも見つけることができる。例えば蛇を見たときに恐怖を感じるのは手がない足がないという人とは大きく違うことから、不完全に見えるから恐怖を感じると思う。

美人がモテる理由は、アート視点では「形やプロポーションなどが理想とされるものに近いから」歴史視点では「力のある人が子孫を残してきた選び抜かれた人達だから」

これらをまとめていうと理想像=古代では神に近い存在だった=不完全でない=生物学上だけでなく人として求めてきた非常に人間らしい形

ということになってくると思う。

美人は性格が良くなりやすいと思うのでモテやすい

美人の人は多くの人に「かわいい」「綺麗」って言われている。文句をあまり言われない環境にいた人とバカにされて生きた人では性格が多く違うと思うのは誰もが賛同するところだろう。美人は性格が良くなりやすい環境に置かれていると言える。しかしもし美人の周りに悪い人が多ければ美人は悪い人と関わりやすくなると思うので美人は危険も付きまとっているといえる。そんな危険な側面があっても悪い人にも褒められ権威のある人からも褒められる。そして美人は嫉妬を買って嫌われやすいとも言える性格が良くならないと生き残れないというのはあると思う。美人で性格が悪い人は悪か環境が非常に悪い人だと思う。

そして美人な人ってなんでか貧乏な家庭じゃないことが多いようにおもう。気のせいかもしれないけどお金持ちが女性を選べることが多いとしたら美人を選ぶだろうから貧乏じゃない家庭に美人が多いのは間違っていないかもしれない。家庭環境が良い場合は性格も良くなりやすいと思うので美人は性格がいいといえる。さらに家庭が貧乏でないと美人な子供はスペックが高くなりやすいし経験も豊富な人になると思う。そうなると心は広くなるし知識も多くなるし見る世界が不細工と美人では変わってくることになる。

不細工をちょっとまとめると、残念だけど不細工は理想に近くない人類が求めてきた完璧でない顔だといえる。誤解がないように言っておくが不細工だから人間じゃないなんて言っていない、不細工だから全く価値がないなんて言っていないし差別でなくいろいろな視点から見た考え方なのだ。歴史と人類が行ってきたことから考えた結果、不細工と美人には大きな違いがあるということた。
つまり美人には無意識にも「人類の生存戦略の中で生き残ってきた価値ある顔だから」「理想的な形などは人を幸せにする」という価値があるからモテるということだ。

美人に生まれてこなかったからといって悲観する必要はない。見た目だけが人の魅力じゃないし人類に不細工がいるということは不細工でも需要があり何か魅力があったからだといえる。もし美人だけが子孫を残すことができたなら人類は美人ばかりになっているだろうから。本人の魅力を見つけて磨いていけば不細工をカバーできるほどの魅力になると思う。なので整形すればいいなんて安易な考えはやめたほうがいいと思う。整形しても性格美人にはなれなし、性格が悪ければ結局不細工にも見えてくる。

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