人の評価を信じたらハズレて面白くなくなる時代

おいしいと評価のお店に行ってもまったくおいしくない。綺麗で雰囲気がいいとネットで評価が高い美容院に行ってもたいしたことがない。気づいたときにはいつも騙されているような気がして間違いたくないと思って選ぼうとするとハズレることが何故か多い。ネットではステマも多く商品紹介していて良さそうと思って買ってみるけどやっぱり思ったものと違う。結局、人の評価は当てにならない。

人の評価を信じたらハズレる時代と言えるのは情報が氾濫してツイッター、インスタグラム、フェイスブックなどの情報を簡単に信じても実は間違っていた、勘違いしていたという経験がある人も意外と多いと思う。評価している人はその人の評価基準で評価しているので嘘は言っていないと思うけどその評価が誰にでもあてはまるわけじゃない。それで後悔しない人はそれぐらいの生き方しかしていない、薄い評価基準しかもっていないんじゃないかと思う。
多くの人が基準を気にするからみんな同じことをしがちでみんな同じことしたら面白くなくなるのは明確だと思うのにみんなと同じで安心しているのかマニュアル大好き人間になっているんじゃないかと思う。

何かのルール、マニュアルに従うことは一定の質を保つけどそこから面白いものが生まれるかというと違うと思う。みんなで話し合って結論出すと何故か面白くない結論に落ち着くことがあるのも人の評価を気にするからハズレの結論になっちゃうんじゃないかと思う。もちろん一人で考えるより多くの意見をぶつけたほうがいい結論になると思うのは正しいだろう、でも話し合う人たちが同じような感覚しかなければ同じような結論にしかならないんだと思う。
これって日本の長期的な不景気の原因の一つなんじゃないかと思ったりもする。受験勉強、同じような考えの人を集めて話し合うと結論は似てくるんじゃないかと思う。よく日本にはビルゲイツやスティーブ・ジョブズは生まれないとかいうけど、同じような考えしかしていない人ばっかりだったらそりゃ生まれないだろうな、というのは簡単に考えられると思う。
受験勉強すべてが悪いわけではないけどなんでもかんでも一定の基準だけで選んでいたらいろんなことが停滞するんじゃないかと思うことがある。
わかりやすいのがユーチューバーで日本のユーチューバーは同じようなことをする人がものすごく多いんだけど、誰かの成功例を真似して誰も新しいこと生まず停滞感がある。日本のユーチューブのすごいのはVTuberをつくっちゃったところだけど一般的には新しいがない。炎上しとけばいいと安易に考えて炎上狙っているだけとか長期的に見ても見ている人を小バカにしているようで何が面白いんだろうと思ってしまう。誰かの評価基準を信じているだけだと面白くなくなっちゃうってことだ。アメリカみたいなめちゃくちゃにはならなくていいんだけどあまりにもみんな同じだと偏っちゃって気持ちも経済も停滞していくんじゃないかと思えてくる。

厳選したお店や商品は後悔することが多々あると思うと人材の厳選も実は間違っていることもあるんじゃないかなぁと思ったりもする。厳選するより厳選しないほうが実は優秀な人っているとか、実際のところわからないけど。

高評価はやらせばかりというのは騙され続ければ気づいてくるし、人気企業なんていうのも実態はブラックだったり逆にあまり刺激がなかったりやりたいことができなかったりと誰かの基準では良い企業だけど誰にでも良い企業かというと違う。外からの見栄えばかり良さそうな企業が実はブラックだったというのはあるあるな話だと思う。

日本は厳選を厳しくしていくように成長してきたと僕は思っている。
その結果が画一化された就職活動の格好、試験、マニュアルのようなファショントレンドや権威が大好きなツイッター。一定の評価にしたがって厳選した結果、ツイッターでは印象操作されていたり多様性が必要といいながら実は厳選されていて多様性がなかったりする。厳選するとハズレをひいちゃって多様性がなく面白くないものになりがちというのが浮き彫りになりつつある。

厳選と言えば結婚するために男女ともに厳選するけど誰かの評価基準をみんな同じように信じて人を評価していると思うけどそれで結婚なんてできていない人が多いと思う。結婚できていなのはその評価基準に騙されているということに気づいていない。評価基準が年収何百万とか言ってもそんな人は少ない人だったり、本人に魅力がなければその評価基準を信じても全く役にたたなかったり。いつまで周りを気にした周りが高評価するものだけを選ぼうとするんだろう?と思う。ネットにあった情報が正しいと思って男性は女性はこんなふうにならないと選ばれない!とか思うのは変な話しでそれでいつまでたってもいい人がいないとか中身がない人なのかなって思ってしまう。ブランドしか興味ないみたいない。人の評価なんて信じていたらハズレることは多い。ネットの判断基準に振り回されすぎな気がする。

そして最近騙されたのが「13歳からのアート思考」という本が評価が高くてちょっと前に話題になっていたので面白いのかなと思って読んだらあまり面白くなったことだ。アートが全くわからない人や13歳にはちょうどいいだろうけど、知っている人には内容が薄いと感じるものだった。また騙されたと思ったのだ。話題性のない本だった読むこともなかったし大多数の評価はあてにならなとあらためて思ったのだ。世の中の大多数には薄っぺらい内容で満足するらしいので、僕が言っている厳選なんて意味ないっていう考えもわからないかもしれない。自分を持っていなければ厳選に頼るほうがいいだろうし知識がなければ厳選されたもので満足してしまうと思う。売るためには多数派に受け入れてもらわなければならないだろうからどうしてもあまり難しくなく薄くても受け入れられやすいものを作ろうとするのはわかるけど。
アートの話をすれば既存の尺度で評価できないから創造的でビジネスで言えばイノベーションのわけだ。評価が高い本ほど同じような人が多いということなので創造的で革新的なものではないというケースが多いんだと思う。

厳選の仕方もオタクが厳選したのとオタクでもない平凡な人が厳選したのでは面白さが違う。平凡な周りを気にした厳選では平凡なものになりがち。そんな人たちが厳選したランキングなんてつまらなくなるのは当たり前だけどオタクの厳選は違う。オタクの厳選は普通では気づけないものに気づき、普通の人からすると創造的もしくはぶっとんだ厳選になりがちだと思う。
だけどオタクを批判したりする社会があるので、実は多くの人は間違った評価と厳選をしちゃっているんじゃないかと思ったり思わなかったりする。
ネットに大量の情報があるんだから学校なんて必要ない、本なんて読まないという人がいる。特にアートでは芸術やアートスキルを高める情報なんてネットに大量にあるから学校なんて必要ないとかいう人もいる。でもその評価の仕方がもうおかしすぎる。ネットの情報はすべてじゃないしそれだけ学んでも個性的にはなれないと思う。そんなの考えればわかることで同じ情報しか触れていなければ創造的なものなんて作れない。

学校のディスカッションでも評価しか考えていない発言はだいたい面白くない。当たり障りのない意見だし、間違ったことを言いたくないのだろうけどそれだと評価は悪くは無いけど普通で終わる。評価を気にしないと悪い成績を取るリスクはあるが、それは先生も納得しないぐらいの考えが足りなかっただけだろうから精進すればいいだけだと思う。

誰かの評価を信じて幸せになれるんだったらいいのに失敗、ハズレになることが多い。
評価を信じて幸せになって日本の景気も良くなっていればいいのに不景気になって気持ちも落ち込んでいく。そんな評価はあてにならないんじゃないかと思う。半分詐欺みたいなことがいっぱい世の中にあるから偉い人の評価さえ盲信しないほうがいいと思う。

でも僕は今度こそ騙されないぞーと思いながらまたたぶん騙されるんだろうけど 笑

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