ネットの匿名性を無くすことは必要ない

実名を勧めたい勧める人は

・ネットリテラシーが低い

・権利側が監視したい

・だいたい面白くない人

・自己中な強者の理論

というのがあるんじゃないかと思う。

ネットリテラシーの低さ

匿名による誹謗中傷が多くそれが人を自殺まで追いやることがある、というのは分かる話だ。
しかし、それはネットリテラシーの低さが招いたことなんじゃないかと僕は思うのだ。
匿名とは実際は本との意味の匿名ではなく命の危険や犯罪があるなら相手を特定する手続きだってできる。
例えばここは僕が匿名で運営しているサイトだけど僕に命の危険がある可能性のある書き込みがあるのなら代理人の弁護士を雇って訴訟をするつもりで人物を特定するために動くだろう。
匿名は誰もわからないわけではないのである。
ネットの世界はまだ発展途上国だから対処の仕方を知らない人は自殺に追い込まれることはあるだろう。それに対処できない、真実を判断できない人は実名だろうが匿名だろうと関係ない。ネットリテラシーが低いかどうかだと思う。

ネットリテラシーの低さということで別の視点で言えば、匿名は新しい芸術を、考えを生んでいるということである。匿名で作られることが多い二次創作は面白いし二次創作の市場を拡大しているだろう。匿名だからこそ抑圧されることなく、誰かを気にすることなく自由に創作活動ができるのは匿名のメリットだ。これは思考や発言も同じで匿名だからこそ言えることがあるということだ。ファンアートや権力への皮肉を込めた作品なども匿名だから生まれやすいと思う。匿名だから著作権を気にせずできるというわけではない。匿名でも著作権を侵害していると思われれば犯人の特定はできると思うがそれをしないのは匿名による創作活動は一定の意味があり著作者も限度があれば受け入れているという部分はあるだろう。
これが実名になれば創作活動は減少し芸術の発展、ファンの増加、二次創作によるファン同士の国境を越えた交流さえも少なくなるかもしれない。
芸術や本は戦争中に取り締まられたのは誰でも知っていると思う。自由がなくなることを嫌っている人はたくさんいるはずなのに実名にすることで匿名で広がるはずの創造的な芸術や考え方が狭まることになる可能性もある。そして実名性の恐怖はもし戦時中になった場合、簡単に取り締まられるということ。平和ボケしていては実名が良いという人は出てくるだろうが簡単に取り締まられること避ける方法を残しておくということは自由を守るためには必要なことだと思う。
その点から実名を勧める人は自分のことしか考えていないんじゃないかと思う。

実名性を勧める人には匿名は健全なジャーナリズムではないと言う人もいるが、個人ブログにジャーナリズムがどうこう持ち込んでこられて匿名性を廃棄なんてするのはおかしな話だ。どのような人がどんな目的で書くのかをはっきりさせる意味のある実名性は西洋社会が作り出したシステムだと感じる。はっきり物事をさせるというのは西洋と東洋の言語による高文脈文化と低文脈文化からも説明でき、なんでもかんでも低文脈文化のアメリカのなんでもはっきり言わないとという考えを持ち込むのは文化の破壊と言えるだろう。
ただ信頼してもらえやすい記事を書く必要があるのではれば実名性がいいのは正しいだろう。でもそれは大多数の人に信頼してもらいたい人や企業がすればいいいだけなのだ。それに今のネットは実名であっても信頼できない人が多く、実名だろうが匿名だろうが信頼できるかどうかは読む側のリテラシーによるのだ。なので実名性が信頼してもらえるというのは半分本当で半分嘘。
アメリカで実名の記事が多いのは映画のレビューを見ても分かってくる。多くの人が実名記事を信頼しているはずだけど、実態は違う。実名で批判する人より匿名で映画を肯定する人が目立つことがあり実名記事は目立ちたいからか名前を売りたいからか映画をわざと悪く評価してあり逆にすごい映画には褒めまくっていたりする。実名性のこの行動は非常に気持ち悪い。ベタベタしたペコペコした記事より自由な記事のほうが健全だと思わないだろうか?

「誰が書いたのか」それを伝えて何かしたいなら意味があるのがバイアスがかかることを避けるなら匿名以外ないのである。特に日本ではアメリカより男女、年齢、見た目のバイアスがかかりやすいと思うのでアメリカの言うとおりというのはマッチしないことも多いと思うのでだからこそ何でもかんでも実名というのは健全なメディアではないといえるのだ。

権利側は監視したほうがメリットがある

インターネットの発展について行けない社会と政治があるからネットリテラシーが低いままで、実名で監視したほうがコントロールしやすいと思う部分もあるんじゃないかと思う。でもそれは中国共産党のような世界だ。
言論の自由を抑制した中国のようになりたい人は誰もいないはずなのだ。実名性を勧めたい人はそのようなことを考えていない人が中国工作員なんじゃないかと思ってしまう。実名という人を気をつけてみたほうがいいと僕は思う。

監視社会というのはこれから起ころうとしていることだと思うのもAIの開発を強化していることと、排外的になりつつある世界では監視を強化していく流れも出てくるのではないかと思う。災害が忘れた頃に来るように、戦争も忘れたころにやってくる。自由の良さを忘れたころに戦時下のような言論統制が行われることもあるかもしれない。
そもそもインターネットのもともとの発想は自由の場であるので、できることなら抑制があるべきではない。テクノロジーと自由を信じたユートピア思想でありそれがネットの大切な思想だと思う。
これは著作権からも解放された世界があってもいいという考えは根本にあるかもしれない。少なくとも国家に反対する考えを自由に言える世界であり国家の制度である著作権を含める様々な権利からの解放のあるユートピア。もちろん現在そんなユートピアはなく著作権をあまりにも侵していれば取り締まられるが、それでもインターネットの自由の精神は存在しており発現、創作など自由な部分はある。それが大切だと思う。インターネットは法律に対抗した世界であり、だからこそハッカーが生まれたり政治家が追いつけないほどの世界があるわけだ。カウンターカルチャーが生まれる場所であるインターネットが実名になったら権力側に寄り添った自由が無くなる実質言論統制になる世界になるかもしれない。カウンターカルチャーが生まれづらい環境は面白い世界ではないだろう。それはどんな人も参加できる世界が必要なのである。力のあるものだけが発言できる世の中ではなく弱い者でも発言できる自由があるのがインターネットなのだ。
現実を補完し拡張できるものであり様々な可能性のあるフロンティア世界があるのがインターネットでありそれは匿名性のほうが実名性よりも発揮される。なぜなら実名により行動や発言が阻害されると自由を失うことでありきたりなことしか挑戦できなくなるだろう。ありきたりなビジネスありきたりな戦略、ありきたりな生き方。匿名性とビジネスがリンクしない人が多いと思うが、匿名性の発言は実名性の信頼されている人の発言よりも強烈なことが多々ある。それが人を動かし政治を変えビジネスを変え、市場も動かすことはあると思う。
実名が増えれば増えるほど匿名の発言が目立つようになるだろう。その発言も日頃から実名では言えないことを考えていないとすぐには出てこない。匿名性の価値をうまく使う人は実名で活動しない人のほうが使えるんじゃないかと思う。だから面白い作品が生まれたり面白い話が生まれるんだと思うし、カウンターカルチャーが生まれるんだと思う。
そんな思想があるはずのインターネットに実名がいいんだ、という声が見つけることが意外と多いと思うのはインターネットについて学ぶ人があんまりいないからだと思う。学校でも学ばない、家庭でも学ばないネットでも学べない。そうなると実名がいい、と思う人は出てくるのはなんとなく分かる。しかしそれは日本の歴史を学ばないことの弊害が生まれてるのと同じで、弱い僕たちが搾取され自由がなくなることに繋がるかもしれない。

実名を勧めたい人はだいたい面白くない人

面白いのが実名性を勧めたいと発言する人はあまり面白い人でない人が多いのではないか?と思うこと。誰かは言わないが面白くない人が増えると自由じゃなくなるじゃないかと思う。自由は変な人、狂っている人、様々な人を含めたことなのでそんな普通ではない人を排除しようとする人はだいたい面白くない 笑
そんな人たちが芸術を殺していくのか、文化の発展を止め、成熟した精神世界を抑制させようとするのかと思うと不条理な世界に苦しくなってくる。

勘違いだと思うのが臆病な弱虫が匿名で発言するんだと考える人がいる。大きな勘違いだ。ほとんどの人は弱者であり強者と思っていることが勘違いであり発言を促すには弱者が言いやすい環境が必要だと思うのだ。それができないと有名な人、実名な人、権力者だけしか発言しづらい世の中になるのではないかと思う。
それは民主的ではない。民主主義が正しいと思うなら匿名性排除の考えから離れるべきだろう。
それにそんな弱い者いじめみたない発言をする人もだいたい面白い人じゃないと思う。想像すれば分かるがいじめる人は世界で普通にいる話で面白いことが気にいらなくていじめる、というのはよくある話だ。面白いことを無くそうとするなんてつまらない人なのだ。
しかもそんな人に限って普通にいるいじめっ子だったりするんじゃないかと思う。狂ったぐらいのいじめならある意味、創造的で文学的で面白い部分もあるかもしれないのに普通だとつまらない世界でしかない。

最近では民主主義の考え方が揺らいでいる世の中ではあるが、今までの民主主義が民主的でなかったから、国民に寄り添ってなかったからなんじゃないかと思う。資本主義と競争原理により格差が拡大し弱い国民は置いてけぼりになり嘘の民主主義が拡大したのではないかと僕は思っている。それも国民をネットで権利者側の都合のいいようにコントロールしようとした部分もあるだろう。それから脱却するには権威やバックグランド、名前に拘らないインターネットの根本の思想を考える必要があるだろう。多くの人が不思議だけど名前や実名に拘る人が多いので自由なんて頭にない人が多いのかな?と思ってしまう。奴隷は奴隷ということに気づかなくなっていくものだ。ブラック企業を当たり前と思い、不健全な環境を当たり前と思う人が多く、有名な人が言ったからと子供みたいな意見しか言えない人が多いなら奴隷になってしまうだろう。
有名な人が言ったからとか権威しか信じれない人はだいたい面白くない人だろう。

自己中な強者の理論

実名にしたい人は現実のビジネスにつなげたい人が多いんじゃないかと思う。実名でやらないともったいないよ、と言いたいのは分かる。
しかしそれはビジネスをしたい人の考えであってお金に拘らない人も世の中にはたくさんいる。ビジネスを考えない人はその理論は当てはまらない。
それよりも実名にする危険性をあまり考えずに勧められることが強いものの考えだといえるだろう。実名にすることで犯罪に巻き込まれたら実名を勧めた人は責任を取れるのだろうか?どこから自分は大丈夫だという根拠のない自信が出てくるのだろうか?
匿名の価値は責任を持たなくていいというものが含まれていると思う。責任を取れないものがいきなり実名になったら困ることがたくさん出てくるだろう。そういう人は発言するなというのは間違いで、少数派や弱者でも発言できるようにする必要はあると思う。
その発言が嘘やひどい罵倒であったら、それをほったらかしにするんじゃなくてプラットホーム側で発言を止めるようにすればいいんじゃないかと思う。
例えばブログを運営していれば発言している人のIPを特定してロックすることもできるし、ブログを運営してないならブログ運営者に訴えることもできるだろう。匿名でもあまりにもひどいとバレちゃうし犯罪者になっちゃうよ、とわかればおかしな発言は無くなると思うけど、世界中おかしな発言があるのはそれができない、やり方を知らないからだと思う。
Youtubeでも罵倒してくるコメントがあるとして、それのアカウントがすぐにバンされるわけではない、それが嫌ならコメントできないように設定すればいいいけど、集客を考えるとコメントも重要だからなかなか消せないわけだ。匿名が悪いわけではなくてお金に縛られている考えは大きな問題だし、実際にコメント欄をトラブル防止のために表示させない人もいるので、そういう人は匿名が、実名がとあまりごちゃごちゃ言っていないんじゃないかと思う。ひどいコメントが嫌なら見ないようにすればいいだけなんじゃないかと思う。
自分達だけ都合のいいように「匿名反対」というのはひどい話だ。安易に実名をして苦しむからみんな匿名をやめて実名にするべきなど、いい迷惑なんじゃないかと思う。
自衛の仕方を知らないことで実名にすれば解決するだろうというのは安易すぎる。
もちろん好きで実名を公開したわけでなく選択の余地はなかったとい言う人はいるかもしれない。それだとしても自分で自衛するようにしないといけないし、それが出来ない環境があればそのは環境が悪いんだと思う。

それに匿名でないと言えない人は匿名で救われるのだ。それを忘れてはいけない。
もし匿名で言えなくなるとこの人達はストレスは溜まるし犯罪にはしる可能性だってあるかもしれない。ネットが居場所の人は匿名だから何でもいえるから居場所になるのだ。居場所を無理やり取ろうとすることが本当にいいことだろうか?

それと実名にすることで個人情報を集めようとする人は必ず出てくるだろう。一人の個人情報が集まれば集まるほどその人の使うパスワードも解読しやすくなるだろうし犯罪にあっという間に使われると思う。その責任は実名を勧めた人は取れるのか?ということである。

今後、中国が弱まると実名性を進めて生きたい勢力が弱まると思うので匿名性の価値が徐々にまた高まるんじゃないかと思う。

これらのことを考慮すると実名は日本の言論空間にあった尊さを含み日本なりの成熟を示しているだろう。
実名を成熟した人と社会だというのはそれぐらいでしか考えられない西洋社会の考えの偏った考えから抜けられないステレオタイプの発言と言えるかもしれない。だからと言って日本社会が成熟したメディア社会とは言っていない。ただ西欧の基準がすべて正しいというのは違うということだ。

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