コンマリメソッドの人気からみえる現代社会の問題点

コンマリメソッドとは近藤麻理恵さんがする片付け方のことだ。
アメリカで大ブームになっているコンマリメソッドを見ていてそんなに特別なことしてないのになんで人気なんだろう?と思った人はいると思う。もちろんNetflixの影響はものすごく大きい。しかし内容も良いと思われないとこんなに人気にはならないと思う。僕はコンマリメソッドの人気はアメリカや日本の問題を浮きぼりにしている部分があると思っている。

僕が思う近藤さんの考えで重要なポイントは

・片付けをして部屋を劇的に変えるとその人の人生、生き方まで変えてしまう。片付けることで自分のやりたいこと目的もしっかり見えてきて人生が大きく変わるということだ。

・片付けは物を通して自分と対話をする作業

・モノを捨てる前に理想の暮らしを考える

現代社会の問題で大量消費大量廃棄というのがある。これは特にアメリカでは問題だろう。
物が大量にある時代だからこそ、物に対する価値は少なくなっている。これは物が短命になっているということだ。物の扱いが軽くなればなるほど物以外に対しても軽く扱う傾向になると僕は思っている。
アメリカでは銃での乱射により命の価値を軽く考える人が増えているし、極度の経済格差により一人ひとりが人として成長するための教育も受けられない、生活もできないという人権に対する価値も薄くなっている。日本であれば自殺率が高いというのも命に対するとらえ方が低くなってきている結果だと思う。そして世の中にはSNSという情報の価値を低くしてしまったツールがある。昔であれば芸能人の生活などはものすごく価値があっただろうに今ではSNSによって昔ほどの価値がなくなってきている。

このようにいろいろな物の価値が薄くなっているのが今の時代なのだ。
コンマリメソッドの考え方にはこれらの問題を解決する思想が含まれている。そのためアメリカでは独特な考え方ととらえら人気もでたのかもしれない。

コンマリメソッドには物を感謝する、物を通して対話をすることで捨てる物にもまず考えることをすすめている。それはときめくかどうかというシンプルなものだけど少なからず対話することでただの物ではなくただ捨てるという粗末な考え方ではないのだ。

コンマリメソッドには計画性を持って掃除、整頓をしないといけない考え方がある。物を立てて置くや透明な箱に物を置くという、後で使う人のことも考えた計画性のある片付けの仕方だ。このような計画性というのはいろんな物が短命になりつつある世界にはとても必要な考え方だ、なぜなら世の中自己中心的に考える人が多いし、特にアメリカでは多い。日本でもアメリカナイズされていく人達は自己中心的な考え方が広がっていると感じる。自己中心的な考え方は生き方をシンプルにするけど一方で冷たい考え方でもある。自分の仕事じゃないからそこまでしなくていい、自分の問題じゃないから考えなくてもいい。でもちょっと助けてあげることで良くなるのにしないという人が多いのだ。
これはホームレスにお金を上げたり食べ物をあげたりするから冷たくないし助けているという話ではない。ホームレスにはわかりやすい命の危険がある。何も言わなくとも考えなくとも人はわかる。しかし僕が言っているのはホームレスのように分かりやすい対象じゃないと人は問題をわかりづらくなってきているのではないか?ということだ。それがSNSにあらわれている傾向である。インスタグラムでは偽者の写真がたくさんあるし、インターネットにはたくさんのフェイクニュースがある。Youtubeでは頭を使って想像しないといけないものよりパッと見てわかる面白い動画が人気になる傾向を見ても、想像するということおろそかにしてしまう世の中なのだ。

特にアメリカでは食べ物を投げたりして遊ぶ人がいるので、日本以上に物に対する考え方が薄いと感じる。ただの食べ物だけどそれらを短命に扱わない考え方は、動物を大切にする植物を大切にする、社会のコミュニティのあり方まで関係している考え方なのだ。
これは現在の資本主義社会の問題でもあるのだ。ただお金を稼ぐだけじゃなくて気持ちを考えるということを忘れてはいけないのだ。

捨てる物にまで感謝するなんて意味がわからないという人は日本にもいる。それだけアメリカナイズされているのだ。捨てるものに感謝するというのはそれらすべてに尊厳があるということを認めている。その尊厳は作った人への感謝であり、役に立ってきた物への感謝なのだ。
この考え方がわからないからこそ、大量消費大量廃棄、極度の教育格差が広がるのだ。自由と権利を主張することはできるけど、傲慢になってはいけないのだ。だからこそ世界一豊かなはずのアメリカは世界一の格差社会なのだ。平等な国なのに差別がなぜ多いのか?なぜお金が豊かさのバロメーターと考えている人が多いのか。たくさんの矛盾が生まれているけどその矛盾を少しでも生める手助けする考え方にコンマリメソッドがあるのだと思う。僕の考えるコンマリメソッドの重要なところは神秘性ではない。人としての考え方なのだ。
アメリカにはイギリスのような階級制度もないから人の価値を見た目やお金で考えたり、開拓してきた国だから攻撃的な考え方もあるがあり、それらはアメリカの成功を助けてきた考え方でもあると思う。しかしアメリカにも足りないことがあり、それがコンマリメソッドのいう感謝尊重なのだ。

そしてアメリカにも日本には大きな犯罪は増えていると僕は思う。この問題の多くは人の心の問題から起きた事件が目立つ。例えば貧困から、バカにされたから、嫌いだからなど。
幸せを感じていない人が多いのだ。負の側面が多く氾濫する世の中でコンマリメソッドという、いろいろなものに感謝する、そして捨てるものにも感謝するという負の側面を取り払う考え方が注目を集めてしまうのは自然なことなのではないかと思う。これに気づいているかどうかでその人の感謝の気持ち度合いも変わってくる。なぜなら感謝することに気づいていて感謝する人は怒ったり、絶望を感じたりできない。なぜなら感謝は正の側面で負の側面と一緒に感じることができないからだ。そのため感謝をするということは嫌な気持ちを取り払うことに繋がり幸せになるという理屈がある。感謝は心の潤滑剤であり社会の潤滑剤なのだ。資本主義社会というのはこの潤滑剤に欠けた社会であるのだ。もちろんアメリカには宗教はある。そして宗教観というのは少なくとも人の心に寄り添ってきたと思っているキリスト教の誕生も貧困に寄り添ってできて宗教には社会の心の負の側面の潤滑剤のような効果があったのだ。でも今のアメリカで熱心なキリスト教徒がどれだけいるのか疑問である。そして日本も同じでなのだ。日本では宗教があるのに宗教を熱心に学ぶ人は少ない、そのためアメリカのように大きな事件というのも起こってくるのである。宗教を熱心に学ぶ必要があるという話ではない。物を短命に扱う考え方は改める時代になりつつあるにではないかということと、その考え方は宗教観からも学べるということである。

アメリカの人の多くが自信家な人が多い。それはいいことなのだけどあまりにも強い自信は時には見つめなおすということをおろそかにしては失敗することがあると思う。逆に日本では自信がない人が多い。日本人は自信がない人が多いから見つめなおしすぎてあれも出来たかコレもできたか、あれは忘れてないかなどと不安を持っている人が多い。このアメリカと日本を足して半分にしたバランスがいいのだと僕は思うのだ。

コンマリメソッドの考え方の先には日本のような美的感覚と平和にする考え方が含まれている。日本の美的感覚とは秋には紅葉を見て植物を美しいと思い、冬には冬景色を綺麗と思い、冬景色にも威厳や尊厳を感じ今だけの短命だからこその美しさを楽しむということだ。これは命を考えるからこそできる楽しみなのである。このような美的感覚は戦争や争いからはほど遠い考え方だ。汚い場所か増えると犯罪は起きやすい。でももし町が綺麗になれば犯罪の抑制にもなるのだ。アメリカで汚い場所が多いのも犯罪が増加している傾向だと思うから、コンマリメソッドは役に立つのではと思う。感謝する気持ちが社会にたくさんあればあるほど悪い感情は生まれづらい。平和になるための考え方なのだ。日本は犯罪は多いがそれでも感謝をしたりリスペクトをする習慣がある。例えば食べる前に「いただきます」食べた後に「ごちそうさま」これは物との対話だ。人のの名前に「さん」「様」をつける、おじぎをするなどまだまだたくさんあるが何かとリスペクトすることが多いのが日本の社会だ。しかしこれらをただの習慣として行う人が多いのでもっと意味を考えると良い社会になるのではないかと僕は思う。ただ習慣でやっているだけではおじぎなんてしなくていい、アメリカみたいに「さん」づけしなくていいという感謝とはほど遠い考え方になっていくからだ。

僕はコンマリメソッドだけじゃなくて日本にもたくさんの整理整頓の考え方があり、どれも素晴らしいと思う。たまたまコンマリメソッドが人気のアメリカで犯罪者の減少、心が幸せな人が多くなる社会になるといいなと思っている。はたしてあきやすい人が多いアメリカでどこまでコンマリメソッドを続けていける人がいるのか。

近藤 麻理恵がアメリカで叩かれていることについて
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