近藤 麻理恵がアメリカで叩かれていることについて

近藤 麻理恵とは部屋の片付け本をアメリカで出版して有名になった人なのだけど、アメリカの有名作家に近藤は嫌いと言われて差別問題にまでなっちゃっている。
作家は謝罪をしているが、あえて僕は本心こそ最初の言動にあったのではないかと思っている。
後からであればジョークといったり嘘といったりなんでもいえる。
その本心のような最初の言葉を考えて、それが差別なのか差別じゃないのかと考えてみた。
特にアメリカはすぐに差別につなげる印象がるので本当に差別なのかを考える必要がある。

まず作家バーバラさんがいったことは

「白状します:私はこんまりが嫌い。なぜなら美的な感覚で言うと、私は散らかってる側の人間だから」

「彼女の言葉については、個人的には、彼女が膨大な数のアメリカ人視聴者に対して英語で喋らなくても別にいいけれど、(こんまりが英語を話さないことが)超大国としてのアメリカの衰退を示唆しているのは間違いない」

というものだ。

そして批判の一部は

「本気?こんまりが英語を話せないことは、彼女が日本人で、異なる文化から学ぶことがたくさんあるという意味でしかないと思います。日本語を話せない私たちにも、片付け術を教えてくれるこんまりに感謝しています」

「英語が第一言語ではない優しいアジア人の女性から、アメリカ人が一生懸命学ぼうとしている姿は、この排外主義が強まっている時代において、希望を与えてくれるものの一つだと思うけど」

「むしろアメリカの衰退は、世界中のみんなが僕たちの言葉を学んでくれることばかり期待して、他の国々みたいに、子供たちに外国語を教えたり、他の文化がいかに大事かを教えたり、他の言葉にも耳を傾けるべきだと教えたりしようとしないことにあると思う」

というものだ。
これ以外にも批判はネットにたくさんあるが、あえて僕はバーバラさんの発言は差別でないという立場で物事を考える。そしてその考えは近藤さんを批判するものでもない。

バーバラさんは間違っていないという考えをいくつかあげていく。

1:散らかっている部屋が好きな人は片付けをすすめてくる人を好きじゃない。

僕は作家バーバラさんがいうような散らかっている美的感覚をリスペクトする。見た目が雑、色がめちゃくちゃで整っていない、物がどこにあるかわからないけど本人はどこにあるかわかっている。そのようなほかの人がみたら汚い部屋にも実は美学があるのだと思う。その点から近藤さんだけじゃなくて数々の片付け術が教える方法は僕もあまり好きな無い。僕の部屋は汚くもなく綺麗でもない。引越しを考える場合あまり荷物をもてないというのもある。しかし、映画ブレイドランナーのような荒れた町々や汚れているシーンからは冒険心をくすぐる見て楽しいものがある。
一般的に考えて散らかっている部屋が好きな人はそれを片付けろといってくる人を好きじゃない。そのためバーバラさんが言ったことは一般的な意見とかわらないので差別かどうか疑問である。
付け加えておくと美学の無い乱雑な部屋は怠慢でしかない。ただ汚い部屋とわくわくする汚い部屋では違うのだ。もしあるのなら美的な汚い部屋のすすめのような本がみたい。

片付け術の好きなところは、綺麗にまとめようとする色をそろえる、いらないものは捨てるといった物をほったらかしにしない考え方がちりばめられていると思う。その点は素晴らしい。
綺麗にしたいのであればするべきなのだ。そしてその美学を学べばいい。

2:英語をしゃべらないで生きられるアメリカが示すことはアメリカの衰退をあらわしている可能性はある。

インターネットは簡単に人を批判することのできるツールだと思う。そしてすぐに聞こえが良さそうな方向に人を誘導させやすい。ここで言いたいのは日本でもアメリカでもインターネットで言っていることの反対に真実があることがあるということだ。

作家バーバラさんは頭の良い人だ。歴史問題、女性の人権、時事問題や経済関連のことを考えることが得意な人である。20冊以上の本を40年以上かけて出版している。アメリカを見続けてきた人なのだ。

このような人の発言を簡単に差別だと批判することが出来るだろうか?

批判では近藤さんが英語を話せないことは批判しているかのように言っているが、そもそもバーバラさんは近藤さんが英語を話せないことを問題にしていない。ただ近藤さんをアメリカの衰退の象徴として扱ってはいる。それが近藤さんが英語をしゃべらないのは問題ということではない。
アメリカはどんどん衰退しているのではないかと言っているのだ。

どう衰退しているのか、たぶんだがその国の言語をしゃべることができない人が多くなればその国には問題が氾濫してくると思われる。コミュニケーションがとれず何を考えているのかわからない。テロなども起きて国民も英語圏で英語しゃべることのできない人に不信感さえ抱きかねない。その結果、排外的な考えが広がっているのだと思う。日本は言葉の壁がしっかりした国だからわかりづらいだろうが、もし日本語しゃべることができない人がたくさん増えれば日本の文化が損なわれていくとおもわないだろうか?日本の価値観も変えていかなければいけない。それはグローバル化でもあるし、文化の衰退とも言える。僕はなんでもグローバル化はいいとは全く思わない。グローバル化を押し進めているアメリカだけど、それがアメリカの文化を壊して、不法意移民の増加、犯罪が増えたり違法なことが当たり前に行われる社会にどんどんなっているとすればそれは衰退の方向に向かっているのと同じである。

日本がアメリカより平和なのは明きらかに言葉の壁があるからだ。英語のしゃべることのできない人が当たり前に仕事ができるようになっていることは良いことだけども、危険も潜んでいるのだ。目に見えない衰退があるかもしれないとバーバラさんは感じているのかもしれない。

そしてアメリカの衰退は、世界中のみんなが僕たちの言葉を学んでくれることばかり期待して、他の国々みたいに、子供たちに外国語を教えたり、他の文化がいかに大事かを教えたり、他の言葉にも耳を傾けるべきだと教えたりしようとしないことにある、という考え方は正しいと思う。でもそれがバーバラさんの意見を批判しているわけではないし、そもそもバーバラさんは近藤さんが英語でみんなにしゃべることに反対していないし、他の言葉からも学ぶことを批判もしていないし、アメリカの衰退をあらわしているのではないかと、話している。
そのためアジア人だからとか、他国の人からは学ばないといった差別的な発言ではないのだと思う。

僕はその国の母国語を学ぶことはその国にとっての防衛にもなると思うし、文化が失うことも防げると思っているのでとってもいいことだと思う。アメリカでは英語をしゃべることのできない人でもいろんなサポートがあって仕事ができたり、学校にいけたりする。しかし、その人達に英語を学ばせようとしてこなかったことは衰退につながる問題になると考える。なぜなら言語はその国の防衛に関わっているし、教養の無い人を寄せ付けない壁にもなっている。異文化が集まるアメリカだからこそコミュニケーションは重要なのだから、共通の言語として英語は学ぶ必要はあるのだと思う。それが国民の言葉が通じない異文化の人達への不安を取り除き地域の安心感も増すのではないかと思う。

今はアメリカではたくさんの人が英語をしゃべっている、でももしこれが半分以上の国民が英語をしゃべることのできない人だらけになるとどうなるのか、アメリカは今以上にまとまることの出来ない国になると思う。それが衰退なのだ。

お年寄りのバーバラさんのいうことは意外と間違って無いのではないかと思う。長くアメリカを見てきているわけだし、しかも頭がいい。

3:付け加えていうならアメリカ人がしないといけないことは英語以外の言語も学ぶこと

英語を使わない人が生活できるアメリカ社会が衰退を表しているというのは半分正しい。
しかし、グローバルを押し進めるのであればアメリカ国民は英語ともう一つ別の言語もしっかり勉強するべきなのだ。それがアメリカの発展につながると思う。

アメリカの文化は他国に比べれば乏しいがそれでもアメリカにはアメリカの文化がある。アメリカには公用語がないなんていうけど、全くの嘘だ。どこいっても英語だし、電話でも英語、全部英語が基本。スペイン語、中国語も多く使われるけど基本は英語。英語がしゃべられないと生活が難しくなるのだから公用語は明らかに英語なのだ。
もちろんアメリカには英語をしゃべらない人に対して差別する人はいる。それはもちろん悲しいことだけど、そのような差別する人が少なくなるためにもアメリカ人がしないといけないのは英語以外も学ぶことなのだ。言語から他国に興味を持ち、他国の文化や考え方を学び、言語を学ぶことの大変さを理解するということだ。そしてアメリカにいる外国人もアメリカの文化を理解するために英語を勉強し続けるべきだと思う。
違う文化が共存するとはお互いが常に勉強しなければいけないことであり、勉強が嫌いで好き勝手にやらせていてはなりたたない。国際結婚でうまくいっている人はお互いがそれぞれの文化や考え方を理解しようとしているし、それがすれ違えば離婚となる。結婚する前からそれぞれの文化や習慣について理解をしてこなかった家庭は後からこんなのじゃなかったといって離婚する危機にもなるのだ。相手の家庭は日本で考えられないことをする、とかなんでそれを外国人の妻や旦那は教えくれないのかとか、お互いじっくり理解していかないといろいろ問題になるのだ。なのでコミュニケーションは重要だし、相手の国の言語を理解することもしたほうがいいのだ。
その点からアメリカの異文化がごちゃまぜになっていて排外的な考えが広まっているのは、国際結婚の離婚危機みたいな感じでアメリカは英語をしゃべれない人ばかりになるとバラバラになっちゃうんじゃないの?っていうバーバラさんの考えもあったんじゃないかと思う。

話をまとめるとバーバラさんの言っていることは差別ではなくてアメリカの衰退を表しているのではないかと言える。アメリカ人はネットでもネット外でも簡単に批判するけど、批判するまえに何が衰退なのか考えてもらいたいと思った。そしてアメリカ人は他国の言語も勉強したほうがいい。
それとバーバラさんがもし正しいことを言っているのなら正しいことと言えばいいのだけど、アメリカの差別に対する批判は想像以上に強くて社会でまとまに生活できなくなる人もいるだろうと想像するぐらい批判がある。そのためバーバラさんはあまり話を大きくしたくなかったのではないかと思う。さらにアメリカの衰退が本当にあるのかという証拠を出すなんていうのはものすごく大変なことになると思う。数字で証拠をだすのが難しい衰退というのは長年の勘やバーバラさんのセンスでの発言ではみんなが納得できるような信憑性は薄いと思われる。僕は数字だけじゃないところが重要だと思うのだけ、一般的にいろんな人が世の中にはいるのだから数字がないなら理解させることは難しくなるだろう。そう考えると謝って間違ったユーモアとでも言って退いたほうが賢いのかもしれない。

ちなみに、片付け術は昔からたくさんのいろんな人から本がでているけど近藤さんが有名になれたのはNetfilixのおかげでもあるだろう。まだまだ日本のコンテンツは海外に発信されてないんだなと改めて考えさせられた。近藤さんのように物を感謝して捨てるやときめくかどうかで捨てるかというのは近藤さん以外の人もやっている人は少なからずいると僕は思う。近藤さんが日本文化の象徴というか、前からあったメソッドなので物を大切にするや感謝するというのは日本の考え方の一つでもあると思う。でもかなり片付け本を調べて何冊も読んで自分で考えて綺麗にしようとしないとなかなか誰しもが真似できないとは思う。僕は家に入って挨拶はしないけどもし思い入れのある家や物なら感謝するかもしれない。例えばパソコンが壊れたとき、僕は本当に気持ちが落ち込んだんだけど、なんとか修理して直して復活したときはパソコンが動いてくれてことに感謝してしまった。もっときれいに使おう、掃除こまめにしよって思ったよ。電源をつけるたびに、今日壊れるかもと思いつつ今日も動いた良かったと思いつつ感謝したりもする。買い換えるのは簡単だけど思いいれのあるパソコンだと買い換えて売ってさよならって訳じゃない。たぶんそれと同じで家にも強く思いいれがあれば感謝はするだろう。ただ家の場合は自分で作れないから思い入れの度合いは低いかもしれない。

しかしときめくかどうかで捨てるかどうかを捨てるという判断の仕方は経済観がなく経済損得のない考え方なので一般的ではないと思うことと、現代社会で好きなものばかりに囲まれて生活している人は少ないからこそコンマリメソッドにちょっと納得できないところはあるかもしれない。言ってしまえば資本主義型の考えの経済倫理による片付けの仕方と近藤さんのような経済倫理を取り除いた気持ち第一の考え方。例えていうなら気持ち第一型は仕事をした場合、気持ちで行動してしまい上司におこらえるパターンなため、一般的ではない。もっと例えるなら、経済倫理を持ち込んだことで裁判では同じ人間の死でも支払われる金額は大きく変わる。でも気持ち第一型であればどれだけ悲しいかを感じることで価値が変わるのだ。裁判員型とでも言ったほうがいいだろうか。でも僕はこの自分がどう思うか、という片付け方はわかる。例えば僕の好きなフィギュアがたくさんあっていくつも捨てなければいけないとしたとき、持つことが必要にないと思うものを探すのに触って感じるものがあるかどうかはものすごく重要だと思う。服が好きで好きでしょうがない人が服を捨てるのは自分の一部を捨ててしまうようなものだというが、その中でも捨てるものを選ぶときにときめくかどうかは判断基準としていいと思う。でも不思議なのがこのコンマリメソッドが珍しいまたは新しいものとして取り上げられてしまっているのと見ると、世の中の製品の尊厳というのは低くなりつつある時代なのかもしれない。物が大量にない時代と大量にある現代では物に対する思いや大切にする仕方は明らかに違う。今は物そ物が大量にある現代に生きているからこそコンマリメソッドが新しく見えるのだろう。物が大量にある時代は物に対する思いは薄くいいかげんにでも物を捨てられる。特にアメリカは物をいいかげんに扱う人が多いし食べ物を投げたりして遊ぶ人が多いからその点からアメリカでは物に近藤さんのように感謝する感じるという人は日本より少ないだろう。だからアメリカでは近藤さんのやり方は目新しくて面白いのだ。なんせ近藤さんは人生を賭けて片付けについて小さい頃から考えてきた人らしいから他の人とは違う考え方をしているのは仕方ない。でも人生を賭けているからこそどう捨てるべきかを考えたとき、物を尊重できるかどうかに重きをおいてしまうのはわかる。
ちなみに近藤さんは服を選ぶときによく触ってときめくかどうか確かめるが、僕は服にあまり思いいれもないからそんなことはしない。でもパソコンとフィギュアは廃棄するべきかどうか触って確かめる。でも近藤さんのようにときめくからって体全体で表現なんてしない 笑 そして僕がこの気持ち型の片付けの仕方でちょっと嫌いなところがある。それは気持ちが優先して気持ちをこめたように物を大切に握ったり触ったりするところだ。いいんだけど物を大切にしたい場合は傷つけたくない損傷を与えたくないと思えばあまり気持ちをこめるために触ったりしたくない。ちょっと触るのはいいと思うけど。例えば財布を気持ちをこめて抑えるように触るとか、財布がつぶれるから僕はしたくない。形が崩れるから嫌なのだ。

アメリカでこの近藤さんのやり方を分からない人っているんじゃないかな?なんで捨てるものにも感謝しなければいけないのか。それだけ大量消費、大量廃棄が進んだアメリカだということだ。日本の宗教観に近い近藤さんの考え方はアメリカにとって珍しくて面白いがなぜならそれはとても神秘的だから。近藤さんの考え方が広まればアメリカの大量消費社会がもしかしたら変わるかもしれない。それは国民の考え方が変わるまでに3,40年は必要とするだろうからなかなかアメリカが変わるわけではないだろうけど、40年間もこの片付け方をたくさんの人が続けたらアメリカは大切にするという考え方が進み、極度の個人主義が抑えられ極端な貧困も改善されるんじゃないだろうか?ま、一時のブームでずっと続くわけではないだろうから、そんなことにはならないと思うけど。なぜならアメリカ人はテキトウな人が本当に多くてコンマリメソッドを続けていけないと思うからだ。ドナルド・トランプを見ると怒りっぽいのがわかるが、トランプみたいに怒りっぽい人は意外と多いと思う。コンマリメソッドは怒りっぽければできないし、物と自分との対話なわけだから、ぶちきれやすくて「対話なんていいから、やれよ!」っていう人たちには向いていないメソッドなのだと思う。しかし根気よく続けていければアメリカは変わるだろう。

そして近藤さんの人気から思ったのが綺麗にするだけじゃなくて日本的な部屋の改造というのはアメリカでウケるのかもと思った。日本にはたくさんの部屋を安く改造するアイデアというのがたくさんある。アメリカでも自宅を改造する人が多いけど完成した見た目の綺麗さで言えば日本のお部屋改造のほうが魅力的だろう。

コンマリメソッドの人気からみえる現代社会の問題点

アンチも多い近藤麻理恵の良さ

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