【感想・ネタバレ・考察】プロミシング・ヤング・ウーマン 解決しないレイプ問題をフィクションを通して告発しているような映画。

レイプを告発するような映画は勇気のいることだと思うし賞賛できるだろうしかし、かわいい色使いと女性が活躍するトレーラーを見て面白そうだと思ってみた映画だけど、面白くなかった。トレーラーに騙されるのはよくあることなので仕方がないとしても、全く盛り上がらない内容だったので何でアカデミーにノミネートされたんだろうと思うぐらい微妙だった。一応、良かった点もあるので良し悪しについて簡単に言うと

良かった点

映画はレイプに対するリベンジがテーマでフィクションだけども世の中はレイプが起こっており断罪されないことがたくさんあるんだというメッセージがあり、ある種の告発映画になっている。イギリスの監督だけどもアメリカの女性が共感できるようなことがつめこまれている映画になっていると思う。例えば、アメリカではレイプカルチャーがあると言われており女子大学生は学校でレイプされることが多発している。数字でどれだけの人がレイプされているのかを知らなくてもアメリカの学校のトイレは足元が大きく開いており、レイプされていないか分かるようになっていることから社会にレイプが氾濫しているんじゃないかと想像はできる。またアメリカの大学では性教育のようなことも学校が提供しておりレイプに対処する方法、パートーナーが暴力的な場合にどうすればいいかなどを教えることは整っていると思う。レイプされた人はレイプされたことを証明することができないケースもあり加害者の弁護士がすごければレイプされた被害者にも問題があることを指摘され泣き寝入りすることもあるのだ。それだけレイプを深刻に考えているのがアメリカだと思う。こんな社会状況を踏まえてプロミシングヤングウーマンは女性がおろそかにされていることを訴えており社会正義を考えるキッカケとなる映画でもあるのですごい映画だとは思う。

主人公のキャシーがクラブで泥酔しているフリをして、泥酔している女性を家に持ち帰ってエロいことをしてようとする男性は普通の男性であり自分を良い人だと思っている。みんな自分のことを良い人だと思っているけど実はやっていることは悪いことなんだと見せ付けて気づかせることをしているのがこの映画なのだ。特にアメリカであれば男性はジェントルマンでいい人になることを求められるし、自信を持つような教育もされているので自分のことを自信を持って良い人だと思っている人は日本に比べて多いと思う。そんな男性を突然シラフになって地獄に落としてしまうだ。

キャシーが男性の家のベッドの上でパンツを脱がそうとしている男性に対して「何をしているの?」と何度も聞くが男性はキャシーが泥酔していると思っていて何も言うことをきかない。でもキャシーは酔っていないことを伝えると男性は驚いてしまう。

そのあとの裸足で外を歩くキャシーの姿と音楽のThe Weather GirlsのIt’s Raining Menがまるで勝利したかのような印象も与える。たぶん笑えるポイントなんだと思う。曲のチョイスは古いかなーと思いながらも好きではある。歌詞は「町に出て走り回り全身ずぶ濡れになり男が降って来る」というものだから寂しい女性の応援歌でもありこの映画が女性を応援しているのは明白である。

The Weather Girls – It's Raining Men (Video)

世の中のレイプをしている男性は普通の人だと言う人もいる。学歴もあり立派だと言われるような人が平然とレイプをしていることを映画を通して見せ付けられることに見ている男性は居心地のいい映画ではないだろう。それにアメリカには先進国の中で一番レイプが多いと思うのとアメリカは映画が国民に与える影響は強いと思うのでこの映画が良い方向にも悪い方向にも影響を与えるかもしれないと思った。アメリカってやばいんじゃないかと思えてくる爆弾映画なんだ。

それと男優でキックアスの面白いポジションの悪役で出てきたクリストファー・ミンツ=プラッセが出ていたのは良かった。個人的には主演女優よりもっと出たほうが面白くなったんじゃないかとも思う。

↑キャシーを家に連れ込んで水を飲ませている。キックアスの影響もあってかこのあとのあたふたする顔がなんか面白い 笑

↑キックアス

悪かった点

ロマンティック&スリリングが宣伝文句なのにスリルもなくたいしてロマンティックでもなく楽しくない。脚本を作るのは大変なのはわかるけど面白くないんじゃ映画として高評価はできないと思う。トレーラーでは面白そうだったしダークコメディなくせにあんまりコメディ要素がない。そもそもMe too運動やキャンセルカルチャーみたいなことを映画にしたような作品なので、Me too運動やキャンセルカルチャーをあまり良いと思っていない僕からすると面白さは半減する。脚本が良いとか言われてもMe too運動って良い面もあるけど言ったモン勝ちみたいない理不尽さもあるから、時代に流行に沿ってるだけで脚本がいいとは思えなかった。

一応、ロマンティックなところは途中にミュージカル映画みたいなシーンがあって、パリス・ヒルトンのStars Are Blindが流れている。レゲェ調のラブソングで監督も好きな曲らしいが僕にはこの曲にラブラブな思い出なんてないのでおいてけぼり感というかあまり共感できなかった。パリス・ヒルトンがおバカなお騒がせセレブリティでラブソングを歌うというちょっとおバカなイメージもあるのと今回の映画がダークコメディでもあるのでチョイスとしてもものすごくいいとも思うけど。ピーンとこないんだよ。

Paris Hilton – Stars Are Blind (Official Music Video)

そして、リベンジをしているのに男性が死んでいくわけでもなく男性の社会的立場が危うくなることも大してなくて、これをリベンジというのだろうか?と思ってしまった。実際に殺してしまえば犯罪になるのはわかるけど、映画だしスリルもあったほうがいいのに中途半端な映画になっている。
自分を自信を持って良い人と思っているアメリカ人にはクラブでお持ち帰りした女性がいきなりシルフになったら自分の良い男性という良心と自信に強烈に突き刺ささる人もいるかもしれないけど、日本だと突き刺さりづらいんじゃないかとも思った。

あと「被害者の女性にも問題がある」ということがおかしいと言いたいのがこの映画でもあるんだけど、20歳を越えた女性でクラブで泥酔すればレイプされるかもと想像するのは大人として普通だと思う。それができないで被害者の女性には問題がないと一方的に突きつけることはおかしいんじゃないかと思う。ちょっとおバカなのはダークコメディだからいいのかもしれないけど。
お持ち帰り男への裁きとかしている女性がいたらサイコパスと思われるだろし異常者と言われるだろう。映画は正義を訴えているのにキャシーは異常者で社会をめちゃくちゃにしているようにも見えて共感できなかった。大人なんだから男女関係なく気をつけるのは当たり前。

サイコと言えば映画の終盤に流れている曲The Night of The Hunter (狩人の夜)という映画の「Children’s Lullaby」(子供の子守唄)だ。キャシーが親友ニーナのレイプシーンを見せられた後に外に出て泣いているシーンに流れる。


狩人の夜という映画を見たことはないが映画初期のサイコパス映画で女性を嫌悪し女性だけを狙った連続殺人犯の話だ。まさにプロミシング・ヤング・ウーマンの男性を嫌悪し男性ばかり狙っていくキャシーにぴったりの曲。もちろんキャシーは男性の味方をしている女性も嫌悪している。この曲のチョイスも面白いんだけど狩人の夜が全く面白くない脚本だったらしいのとプロミシング・ヤング・ウーマンも微妙な脚本という共通点も面白い部分だ。

THE NIGHT OF THE HUNTER – CHILDREN'S LULLABY(A FILM BY CHARLES LAUGHTON – 1955)

女性の味方のような映画なのにキャシーはけっこうなクズで、後に彼氏にもなる元クラスメイトがオーダーしたコーヒーに唾を入れるし、車を反対車線に止めてそれを注意した人の車をボコボコにするし、さらに恋人も裏切るり女性の地位を上げるどころか地位を下げるようなことしかしていない。これがフェミニストのファンタジーなのだろうか。そういえば日本のフェミニストが森発言の「わきまえる女性」にかみついていたけど、結局それは噛み付いている人の勘違いだった。気のせいかフェミニストは都合のいいようにとらえがちに見えるのでこの映画も都合のいいとらえ方をした脚本なんだろうか?と思ってしまう。ちなみに僕はフェミニストを嫌っているわけではない。
このクズ加減がコメディでもあるのかもしれないけど、全く笑えないしスカッともしない。

そしてネタバレになるが、

最後にキャシーが死んでしまうのも好きじゃない。カタルシスもなく何がしたかったのか分からなかった。レイプ犯の両手を手錠で動けなくさせたいたのに失敗してキャシーは殺されて警察が介入してキャシーが設定してあったメールが自動で送信され、まるでキャシーが勝利したかのようなになり映画は終わる。全く面白くなかった。全く勝利にもなっていない。
だけど曲のチョイスは面白くてキャシーが殺されて朝に燃やされた後、レイプ犯の幸せそうな結婚式の最中、キャシーが仕組んだ仕返し?のようなことが始まると同時にジュース・ニュートンの「Angel of The Morning」(夜明けの天使)が流れる。「両手を縛るものはもうないから私のことを朝の天使って呼んで」って歌なんだけど、両手を縛られていたレイプ犯からすると天使というより堕天使、死神かなーと思ったりもした。

Juice Newton – Angel Of The Morning (Official Music Video)

監督は女性であり長編映画としては処女作なんだけど、処女作ってだいたい面白いと思うのにインパクトに欠けて勢いを感じない映画だった。

しかも主演女優のキャシー役であるキャリー・マリガンの見た目がモテる綺麗どころのキャシーという設定より個人的には老けて見える。30代の女性監督だし若い女優を使いたくないっていう気持ちももしかしたらあるのかもしれないし、あえて中途半端な見た目の人を選んで外見至上主義者を露呈させ炎上させることも狙っているのか?とか勝手に思ったりもしたが、ポスターを見るとセクシーさを前面に出しているためそういうわけでもなさそうだ。

30代の女性監督として男性目線より女性目線でのセクシーな女性を選んでいるかもしれないと思うのは製作会社の影響もあるかもしれない。
製作会社は2014年にスーサイドスクワットで有名なハーレイクイン役のマーゴット・ロビー、マーゴットの現在の夫でもある監督のでもあるトム・アカーリー、映画プロデューサーのジョジー・マクナマラとマーゴットの友人でもありアシスタントのソフィア・カーとて設立されたラッキーチャップだ。ラッキーチャップは女性に焦点をあてた映画やテレビを製作しており、英語版のwikipediaによると作家や監督の観点から映画業界のジェンダーの不平等に引き起こされるギャップを埋め女性に焦点を当てたストーリーの製作に取り組んでいるらしい。従業員も主に女性で、まさに女性のための製作会社と言ってっもいいかもしれない。そんな会社がサポートしているわけだから、女性視点でセクシーな女優を選ぶのは無理はないかもしれない。ただそれでもやっぱり今回の主演女優は微妙と思っている人は意外と多いんじゃないかと思う。

フェミニンでかわいいラッキーチャップのオフィス↓

Inside Margot Robbie's Los Angeles Office Space | Open Door | Architectural Digest

最近の西洋の映画は政治やジェンダーに言及しすぎてエンタメとしての魅力に欠けているように思う。いや前からアメリカの映画は政治的な主張が多すぎて多様性がまずしくなりつつあるようにも思う。男嫌い全開を思わせる映画と言えば「ミッドサマー」があって、今回の映画の監督もミッドサマーからも影響を受けてるらしいだけど、ミッドサマーは内容が良かったんだよ。人間の根源を考えさせられる話だったけど、それと比べるとプロミシング・ヤング・ウーマンは薄っぺらい。価値観をただ押し付けている気もするし言ったもん勝ちっていう同性からも異性からも嫌われかねない考え全開だからカタルシスもない。もちろんカタルシスがある人はいるだろうけどそういう人はMe too運動もキャンセルカルチャーも受け入れる人なんだと思う。この映画がクソだという話じゃなくて言っているこはすごいのにキャンセルカルチャーとかと一緒で「でもめちゃくちゃなこと言ってない?」「自分勝手すぎない?」「同性からもそれ嫌われるよ?」とか思っちゃう。Me too運動とかキャンセルカルチャーはインパクトがあるけどそれはアメリカのおかしな側面でもあると思う。嘘ついて相手を攻撃していいわけないし、事実をねじまげて何か壊したり行動を正当化していいわけはないからね。それに「レイプ」「女性軽視」という点に注目することはアメリカ社会の闇を感じて面白そうなのに全体的に中途半端と感じた。ただ見る価値はあってフェミニストが何を考えているか、アメリカに興味がある人であればアメリカのレイプカルチャーを考えるキッカケになるのは間違いない。

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コメント

  1. cas より:

    映画評とても興味深く拝見いたしました。
    これを「フェミニスト映画」とラベリングして、映画的な面白さが足りないと評させることこそ、劇中でキャシーが撲滅しようとしていたことではないでしょうか。まるでライアン(傍観者)のような意見が印象的でした;)

    • ぶち より:

      コメントありがとうございます。フェミニスト映画が面白くないとは全く思っていませんしそう言ってません。フェミストとラベリングされるものは映画に限らず本や人もなぜか好んでチェックしたりもします。それでもフェミニストの意見に全面的に賛成できるわけではないというのは他のフェミニストも同じ意見な人はいるでしょう。映画のものたりなさはフェミニズムから来ているわけではないです。おそらくキャンセルカルチャーとMe too運動のような映画なのが僕の好みに合わないということです。世界にはいろんな人がいますのでそのようなカルチャーを好まない人もいるんですね。僕自身はフェミニストかどうかはわかりませんがフェミニストとも話が合うことは多いです。それと映画の面白くなさのもう一つの原因が政治的な主張を入れすぎていることです。この意見は僕だけでなくアメリカ人でもそう思う人はいるでしょう。なぜアメリカの映画やコミックの作品が日本のアニメや漫画ほどバリエーションが少ないか考えればわかります。けっしてアメリカ映画が悪いというわけではないです。素晴らしいです。プロミシングヤングウーマンは女性で固めた映画ですので新しい試みですごいと思います。ただ、政治に関連する主張が多すぎてちょっとお腹いっぱいになってしまっているかもしれませんね。ただですよ、このような映画は日本ではあまりないので日本人に影響を良くも悪くも与える可能性はあります。映画から西洋の良い姿勢を学べればいいですね。

      • cas より:

        お返事をありがとうございます!
        すみません、説明不足でしたが、先のコメントについて「フェミニスト映画とラベリングする」ことと「映画的な面白みが足りない」ということは分けて考えているつもりでした。「フェミニスト映画“だから”面白みが足りない」という意見をおっしゃっていたようには捉えておりませんし、その通りではないとも思っています。

        政治的な主張をエンタメに取り入れているのは、確かにアメリカ的かもしれませんが、今回の問題は政治的なものとしての側面よりもより普遍的な問題を扱っているように感じます。「政治的」と身近な問題と切り離して考えることが、この映画などではより顕著に、当事者意識として受け取れる範囲を狭めてしまうようにも思います(そういう意味では確かに「面白みが足りない」と感じられるのかもしれません)。
        「ライアン的な意見」と申し上げたのはこのためでした。
        話がそれてしまいますが、この映画において断罪を受ける「男」たちが過去に映画で演じていた「良い人役」の印象を持っているのも印象的でした。そういう意味でも映画という装置をより俯瞰的に用いている、文化的な楽しみにも溢れているようにも感じています(「楽しみ」と表現するのは不適切かもしれません)。

        ただ、実際に「政治的すぎる作品」に対して堅苦しさを感じることや、日本のアニメや漫画のバリエーションの豊かさなどについては同意見です。これは文化的な差なだけなのかもしれませんが、より日本のエンタメ文化は欧米的に、欧米のエンタメ文化はニッチな日本的に食い込んでいる作品も散見され始めている印象ですので(もっと言えば中国や東南アジア圏も素晴らしい作品が多い印象です。今まで不勉強だけだったかもしれませんが…)、今後の映画界やエンタメ界が楽しみではあります。

        長文をだらだらと失礼いたしました。また、気分を害してしまい申し訳ございませんでした。
        多岐に渡るジャンルと深い考察の記事を楽しく拝見させていただきました。
        今後にも期待しております。

        • ぶち より:

          すごく丁寧な返答ありがとうございます。
          たしかに普遍的な問題を扱っていますね。政治的と言うのではなくポリコレと言った方がよかったかもしれませんね。
          ポリコレは政治的正当性と訳されることがあるので「政治的」と言いましたが、実際にはポリコレはもっと広い意味で使われています。今回の
          映画で取り扱っている普遍的な問題もポリコレに含まれます。ちょっと暴力的なキャンセルカルチャーはポリコレと密接
          ですので極端なキャンセルカルチャーみたいなことをするキャシーを好めませんでした。ポリコレの考えはいいんですがポリコレで生き辛くなっている部分もあると思ってします。
          まぁキャシーみたいなことをする人なんて実際にはいないわけですからコメディーとしても面白いですし、キャリーマリガンにキャシーみたなイメージはなですから見る価値ありますね。
          喜んでもらえて嬉しいです。

  2. 布川 より:

    拝見しました。キャシーが最後に死ぬのが良くないとおっしゃられてましたが、アルを公的に裁くためにはキャシー自身が殺されなければいけなかったのでは?と思いました。何人もの男を制裁してきたキャシーが告発したとしても精神異常者として片付けられるだけで取り合ってもらえないから、自分自身を殺した罪でしかアル裁けないと考えたのではないでしょうか。弁護士の家に行くときも万が一の為に用心棒を雇ったりしている時点で、ある程度男性との体格差や力の差を恐れてはいるものの、キャシー自身が女性であるからこそ男性が本気を出した時の力には敵わないと踏んで、元々死ぬ覚悟でアルに特攻したのでは、と思いました。キャシーが死ぬ意味ですが、これはアルを「ニーナをレイプした罪」で裁かなかった自分自身への制裁ではないかとも思われます。

    • ぶち より:

      いろいろと賛同できる考察ありがとうございます。キャシーは死ぬ覚悟で最後は間違いなく向かっていったでしょう。精神異常者として扱ってもらえない女性で誰にも相手にされないのなら死ぬ気でやらないといけないし、死ぬことでもしないと裁けないというのもわかります。そしてキャシーの死ぬ意味をニーナをレイプした罪で裁かなかった自分自身への制裁という考えも面白いですし納得できます。因果応報です。
      キャシーの死は尊いです。死んでも魂はニーナと共にいるでしょう。尊いからこそレイプカルチャーを考えさせられるわけです。キャシーはニーナの死から自分が何も出来なかったことに悔やんでいるでしょうし、気持ちの整理がつかず心の傷口は拡大しているからこそ大人になっても自分の人生をうまく歩めていないんだと思います。過去にずっと縛られて苦しんでいるんです。過去に縛られることを良くないというのが普通ですがキャシーにはそれができないんです。心に大きな闇を抱えてそこから脱出できなければ狂うしかないわけです。死に向かっていくしかないんです。それでもキャシーは普通の女性です。心の傷が癒されていなくて、もうどうしもないだけの普通の女性です。そんな女性が死んだニーナのために出来ることは死の覚悟をして復讐をすることなんだと思います。すごい話です。でもコメディとしてもちょっと笑いました。普通キャシーみたいなことをする人はいませんからね。
      ただ、死ぬのが良くないと言ったのは好みの話で主人公が死ぬ話はあまり好きじゃないなぁと思ったということですね。救いがもうちょっと欲しかったです。狂った女性だって生きてほしいですし、死んだニーナへの思いを忘れずにニーナの分も行き続けてもらうことがニーナにとっても嬉しいことだと思うからです。そして死んで罪を償うことが最善だと僕は思わないので、そこが好きじゃなかったです。