【感想・ネタバレ・考察】ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語 切なく悲しくでも幸せになれる作品

感動する、泣けると聞いて映画ミッドサマーのフローレンス・ピューも出演してるしそんなにすごい映画なら見てみたいと思って見た作品。
若草物語を知らないしホラーでもなく女の子達がワイワイしていて、展開がゆっくりに感じ何が面白いんだろうと疑いながら見ていた。
そして後から分かってきたのが劇的で悲しくて切なく展開される主人公ジョーの行き方。

時代は19世紀、結婚して家庭の中に納まるのが頭り前。姉妹たちは病気で亡くなったベスを除き結婚していく。髪を短く切り男の子っぽくしたジョーはエレガントな社会なんて嫌いで愛が女性のためにあるなんていう押し付けがましい考えにうんざりしている。
好きでお金持ちでもあるローリーから愛の告白をされても受け入れられないジョーに苦しくて切なくなってしまう。
そんな葛藤の後ジョーは妻になることは最悪な運命だと考えていたのを若くて愚かだったと後悔し、最悪な運命は好きなローリーがいない人生を生きることと考えを一度改めてしまう。決められている強い伝統から抜け出そうとすると大変だと思うし、下手したら夢も愛も両方失う可能性もある。それでも結果として愛も夢も手に入れて幸せなジョーに良かったと思った。
名前がジョーという男性っぽい名前なのも女性に縛られず好きなように生きていこうというメッセージがあるようで良い。

良かったのだけど女性が家庭におさまらない解放された生き方をしていこうとするフェミニズムを見せながらも僕は逆に解放を進めすぎた現代と彼女達を比べて彼女達の家族愛が少し羨ましかった。
伝統から抜け出すのは難しい。抜け出すと伝統の持つ助けやサポートもなくなるかもしれない。新しい生き方を模索しながら世の中の正しさと自分の心のギャップに葛藤するジョーに家族は優しく受け止める。美しい家族愛は核家族が進んだ僕たちの世界で忘れて欠けている人はいるんじゃないかと思う。自由の解放を進めて辿り着いたのがおかしなグローバリズムと貧困の拡大だから苦しくても優しく受け止めてくれる居場所のある彼女達の家族愛は素晴らしいなぁと思ったのだ。

アニメ「若おかみは小学生」でも伝統と家族愛を見せ付けてくる映画だった。自分で決められることが少ない生き方でも好きな家族がいて家族愛があって信頼できるから嫌なも苦しくても耐え生きられる。それは今よりも自由が少なかった過去の人類が行ってきた愛の形だと思う。貧乏はつらい、お金がなければ生きるのが大変になる。でも大切なのはお金だけじゃなくて愛なのだ。ストーリー・オブ・マイライフを見てもお金が幸せと信じるエイミーが後でお金だけじゃなく心も大切と気づき拒絶していたローリーと結ばれるのも自由やお金も必要だけど大切な愛を忘れちゃいけないんだというメッセージだ。居場所のある家族愛があるからジョーは自分の夢を追うことができたのだ。マーチ伯母のように「私はリッチだから」と裕福が素晴らしいように見せながらも孤独は悲しいと僕に感じさせてくる。愛は自由になんでもできることだけじゃなく家族愛のように誰かに何か言われることも愛。好きなものを食べて好きなときにどこにでも行ってなんでも自分で決められるそんなことばかりだと愛を忘れているようで逆にうんざりしてきてしまうのだ。誰かに指示してもらいたいと思うことさえ思えてしまうからこそジョーの絆のある助け合う家族が美しいと感じたんだと思うし、その気持ちがあるからか19世紀に住んでみたいと思わされたのかもしれない。
そもそも若草物語が古い作品なので現代の薄れている愛がそこにあっても不思議じゃない。

ジョーが言う「子供時代は終わった」からは昔は良かった、今はみんな変わってしまった。昔の良さはどこいっちゃったんだろう、というノスタルジックな切ない思いにさせられる。
僕は原作を知らない、しかしこの「子供時代は終わった」というセリフがアメリカの保守が「昔は良かった」と懐かしがっていることと何か被って聞える。
もしそうならストーリー・オブ・マイライフはただのフェミニズム映画でなく時代回帰の良さを見せるフェミニズムなんだろうかと思ったりもした。左派が今までの狂った自由主義をやめてもっと優しい自由主義にしようと考えているように過激だったフェミニズムも同じように優しいフェミニズムに戻ろうといっているようである。フェミニズムのあり方を考えさせられる。
僕は左派も右派もイデオロギーに関係なく平等と公平は大切だと思うので今の過激な世界から優しい世界になってほしいと思う。

原作を知っている人は映画を見てあまり良くなかったと思う人もいるようだけどとりあえず僕は原作を知らないし映画は良いと思った。

キャストで一番気になったのがフローレンス・ピュー。
映画ミッドサマーで狂った世界の中のカタルシスを見せ付けた彼女はやっぱり心の中も演技をしていたときの気持ちを引きずって荒れていたんだと思う発言がわかるのが、
「リトル・ウーメン(英題)はミッドサマーの後のセラピー」
と言ったことだ。記事nerdist

ミッドサマーのダニーは絶望の先の幸せという自己がなくなった狂ったもののみ見ることができる世界は演技者の心も普通じゃなかったのだろう。それと比べてストーリー・オブ・マイライフのエイミーは夢や野望を持ち自己もしっかりもっている。エイミーはちょっと生意気なところもあるけどまっすぐ自分の信じる道を生きていることが自分を失っているダニーを演じた後のフローレンス・ピューの心を助けたに違いない。
しかしストーリー・オブ・マイライフにはミッドサマーと被る部分がいくつか出てくる。壁の模様が花柄だったり花の王冠を頭に乗せてみんなでダンスするのだ。でも逆に被る部分があるからダニーの気持ちから解放されたのかもしれない。

ストーリー・オブ・マイライフ

花の王冠とダンス

花の模様の壁と鏡

ミッドサマー

花の王冠
花模様の壁
鏡に向き合うシーン

そう考えているエイミーとジョーの対立でエイミーはジョーより顔を歪めるころが気のせいか多いように思う。これはフローレンス・ピューがミッドサマーの影響を受けて心を解放させようともがいていると考えると納得できてしまう。他の演技者よりどこか大げさで浮いているというか何か違う雰囲気を出すフローレンス・ピューにエイミーはそういうキャラなのかも、とかフローレンス・ピューが面白い人だしそういうキャラだからだと思っていたけどミッドサマーの感情を解放させようとしていたから何か違和感を感じたのかもしれない。

いくつもある感情的な表情のフローレンス・ピューの一部の参考シーン

もちろん泣くシーンだけど何か今回の演技は泣いたり顔を歪めたりすることが多い。

大げさに驚く!

笑い方も気取っていないフローレンス・ピューらしいといえばそうなのかもしれないけど、なんか大げさというか他の人と違う。「あははは」よりも「がははは」って笑っているようにも聞える。エイミーは一番オシャレなポジションだと思うんだけど気品が少しないように思うのはミッドサマーで強く抑えこまれた感情があればそりゃ少しは下品でなんかワイルドだと思われることだってしたくなるのかもしれない。ここまでミッドサマーと違うキャラを演じたら解放されてもう自分を取り戻せたんじゃないかと思う、たぶん 笑

だからといってフローレンス・ピューの演技が悪くてキャスティングミスだとは思わない。フローレンス・ピューは過去に女性の枠に収まらない演技をしてきているので現代の若い層のフェミニズムのシンボルだと思う。例えばファイティング・ファミリーはファイターとして戦う女性役だしミッドサマーはホラーだけどフェミニズムが含まれている映画だった。そういったシンボルだからキャスティングされることもおかしくないし、大人しいエイミーを演じるよりもガサツだけどオシャレなエイミーを見れたことも価値があったと思う。

インタビューによると監督は「どこにでもいるような女子で出身や時代に関係ない演技」を求めていたらしく昔の若草物語に沿うわけではなく現代的な女子を求めていたのと役者の話に柔軟に対応してもらえて自由に演じられたらしいのでフローレンス・ピューのミッドサマーでの病んだ気持ちにも現場ではいくつか配慮があったのかもしれない。

また劇を見ているような映画なので年齢設定と見た目に違和感があっても気にするほどでもないと思ったし、個人的にはフローレンス・ピューのぽちゃっとした見た目もかわいくていい。

映画『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』フローレンス・ピュー インタビュー映像
『ファイティング・ファミリー』予告編
不気味な祝祭…アリ・アスター最新作『ミッドサマー』本編映像

フローレンス・ピューがフェミニズムのシンボルのようにジョーを演じたシアーシャ・ローナンもそのシンボルだしメグを演じたエマ・ワトソンも女性の人権運動をしていて国連の親善大使に任命されるぐらいだからフェミニズムのシンボルだ。ベス役のエリザ・スカンレンも「Babyteeth」という深刻な病気を持つミラというマイノリティの女の子役で恋と愛を描く作品は新しい女性の生き方を見せまた、今までの男性主導の映画にはなかった女性ならではの映画でもあるだろう。フェミニズムのシンボルといっていいだろう。

Babyteeth – Official Trailer I HD I IFC Films

あまり活躍がなかったマーチ伯母役のメリル・ストリープはファッション業界のトップを描く「プラダを着た悪魔」に出演しているし数々のインタビューで女性の強さ、権利、生き方について述べているので大御所フェミニスト代表だろう。記事Bazaar

四姉妹の母役のローラ・ダーンも同じくBazaarの記事を見ていると女性の考えについての発言があるのがわかるしとにかく色々な作品で演じていてハリウッド女優代表。

こうやって考えている「ストーリーマイライフ」はがっちがちのフェミニズム映画だ。
若草物語は年配の人向けかと思いきや今回は若い人をターゲットにした映画だといえる。若いフェミニストの代表のような人達がキャスティングされ現代の女子らしい雰囲気をだすことも目標にしているため古い価値観が取り払われた若草物語なのだと思う。今までのフェミニズムではなくフェミニズムにも多様な考えがあり新しいフェミニズムを見せたのが今回の映画だと思う。結婚したっていいし、お金より愛をとってもいいし、男性を毛嫌いするわけでもなく男性を攻撃するわけでもなく男性社会をなんでもかんでも嫌うわけでもなく自分にとっての幸せを突き進めることが大切という今風のフェミニズム。女性の自由と平等を支持はしつつも結婚だって幸せだと感じる人だっている。今までのフェミニズムが不平等を叫んでばかりで違和感を感じる若い世代にとっては映画のようなソフトなフェミニズムが必要なんじゃないかと思えてくる。それはフェミニスト批判をして一つの価値観を押し付けることではなく、幸せは人それぞれで考えも違うだからそれらを受け止めて本当の意味で自由であり平等なのだ。だから結婚制度を批判する人がいてもメグみたいに結婚が幸せと信じる人がいてもいいのだ。フローレンス・ピューが女性らしさに拘らず自分をインスタで出したり、エマ・ワトソンがセミヌードを出したりしても自分のための幸せであればフェミニズムに沿わないわけではない。女らしさだって否定するばかりじゃなく女性らしさも自分の幸せのためなら受け入れる。男女ともに見た目が違いそれぞれ違う美があるのだからその美を受け入れて伸ばす。綺麗になりたいんだからセミヌードで綺麗にみせたっていいじゃないかと、男女は別の生きもので違う見た目なんだからそれぞれの綺麗さを受け入れることだって自由であり平等なんだというそれが新しいイマドキのフェミニズムなのだと思う。そんなのフェミニズムといわないと思う人がいるかもしれないがエマ・ワトソンはそれでも世界中でフェミニストと認められている人である。僕もそのフェミニズムには共感する。怒ってばかりじゃなくて女性には女性の美しさもあるんだからそれが好きなら女性の良さを追求していけばいいのである。ただ不等な扱いをされて自由と平等が犯されているのならそこはおかしいという部分ではあるのは変わらない。映画は現代女性が南北戦争時代にタイムスリップしたみたいで面白い。

ただちょっと残念なところを言えば死んだベスを除けばハッピーエンドになってしまうことがどこかご都合主義で美しく見せようとする理想主義なところがある。でもそれを生ぬるいと感じてしまう人もいると思うけど生ぬるさから脱出するにはホラーにしないと難しいと思うからドラマとしては泣けるし綺麗だし良作だと思う。

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