【ネタバレ・感想・考察】ミッドサマー ダニの愛の居場所を見つける旅だと思った

最初見たとき思ったのはミッドサマーは不思議な映画だった。
気持ち悪いグロテスクでホラー要素もありながら監督本人が言うように失恋映画であり監督の心の傷を癒すセラピー映画だというのも怖さだけじゃなくて喜びさえも生まれてくるのだ。

ダニの彼氏のクリスチャンが最後は燃やされるのにダニは笑顔になる。そこを狂気ととらえるよりもダニの逃れられない苦しみから解放され未来に向けて生きていけるんだ、と僕はそういうふうにダニの気持ちをうけとって嬉しかった。

ミッドサマーをあくまでもセラピー映画だと思えば最後に彼氏が死のうが死んでも笑顔でいられるダニに頭がおかしいと思うより、ここまで狂気染みたものを作らない解放されないくらいダニに投影している監督が苦しんで痛んだと思う。家族も死んで彼氏にも優しくしてもらえない、でもカルト集団の村の人から「あなたは今家族よね?」とメールクイーンになったと言われダニは「はい」と答えるのだ。
自分の居場所をやっとみつけたんだと思った。これは心の世界を見せる映画で心の中で今でもさまよった過去に縛られている監督が映画で表現しないといけないぐらい自分が壊れそうなぐらい心のより所、居場所がなくてダニが監督に代わってダニの居場所を見つける物語なんだと思う。

「あなたは今家族よね?」↓


おとぎ話でありセラピー映画なのにダニの今後がカルト集団の一人になるとかダニの人生はそれでいいのかとかそういうことは全部置いといて解放されたことに喜びを感じることが重要なんじゃないかと思う。セラピー映画と家は「マーウェン」というのを見たことがあるが、自分を投影しているものは最後はハッピーエンドになって自分の気持ちが解放されるようにするものだと思う。
おとぎ話というのは映画の最初に昔話が始まり扉が左右に開くように下の絵が開く
出典:IMDb

笑いと狂気の境界線をうまく見せているのもミッドサマーである。
ダニが泣きながら叫んでいるのに周りに女性が一緒に「わーわー」いって笑いにも泣いてるようにも見えるおかしな雰囲気をかもしだす。

出典:IMDb

本人の悩みが深ければ深いほど他人から見れば理解ができず、そんなに悩むことじゃないと笑えるようなことなんだと思う。ミッドサマーを見てダニが泣いているシーンで笑ってしまった僕は監督の深い悩みと闇に気づけなかったんだと思ったのだ。
周りの人がダニと一緒に泣くのはまるで辛いときに悲しい曲を聴けば癒されるようなもので一緒に泣いてもらえる人が必要なんじゃないかと思った。辛ければつらいレベルに合う暗い曲を聴き、あまりにも悲しいとなんでそんな暗い曲聴いているのとびっくりするものである。監督はダニのように一緒に泣いてくれる人もいなく辛さを共感できず、せめて映画の中だけでも一緒に泣いてもらいたいと思ったんじゃないかと僕は感じた。それが過去に縛られる監督の気持ちを浄化させる方法なのだろう。
過去の悲しみの浄化なので彼氏にも悪い意味で死んでもらうわけではない。
クリスチャンはクマの皮を着て燃やされる。これはバイキングの神のテュールのシンボルのクマかオーディンのシンボルだとか言われるが、どれも狂戦士の証であり神に近づいた存在ということである。クリスチャンは最後そうなったことで監督の心に奥底にある駄目な彼氏なのか彼女を尊重し成仏してもらう意味があるんじゃないかと僕は感じたのだ。燃えて死ぬことで永遠に心の中で成仏し心の中で生きることになる。燃やすほど嫌いになったと思う彼氏でも好きだからこその行為なのだ。監督の心の闇を旅し成仏させる映画なのだ。

ダニの家にあった絵にクマと女の子が描かれている。ダニは熊のクリスチャンのことが大好きで監督は今でも冷たくされた昔の彼氏か彼女かが好きなんだと思うのだ。
なので冷たい彼氏への仕返しでダニが彼氏を燃やすというのは違うんだと思った。

ちなみに熊の皮を着るというとニコラス・ケイジが映画「ウィッカーマン」で見せたものにも見えてちょっと笑ってしまった 笑

三角の建物は北欧神話のユグドラシルの木を連想させる。ユグドラシルの木は世界を現す巨大な木だけどシンボルで表わすと三つの三角形なのである。ここでクリスチャンがクマになって燃やさせることは神秘的な行為でありあくまでもただの殺人で終わらさず浄化、成仏の意味があるのかなと思った。そうとう監督悲しかったんだなー。

ユグドラシルの木

カルト集団を説明した絵が気持ち悪かった。
目がぐるぐるとなっているのは飲み物に、女性の陰毛が混ざった食べ物と月経の血を入れた飲み物でスピリチュアルな意味を込め、さらにドラッグに近いものが混ぜられているのを飲んだからである。

クリスチャンの飲み物だけ赤っぽく色が変わっている。

これら闇とスピリチュアルが組み合わさり、世界は絶望だけど希望と幸せがある最後のダニの笑顔から僕は絵画のロマン主義のフリードッヒの海辺の僧侶(修道士)を思い出した。
海辺の僧侶は僕の記事でちらほら参考に使うほど面白い作品である。
作者は弟を事故で亡くして本人も自殺未遂する。でも生き続けなければいけない、希望を持たなければいけない悲しみを抱えたまま。大きな空からは死んだ弟や自分の悲しみを大きく包み希望を見せ、永遠に弟への愛を忘れない悲しさと辛さと希望が入り混じっているようである。
ダニの状況にそっくりなのだ。家族をなくし自殺未遂になりかねないほど薬を飲み、バッドトリップをして世界がめちゃくちゃに見えてくる。でも生き続けなければいけないのだ。ダニの最後の笑顔はまるで下の絵画の「海辺の僧侶」の大きな空のように希望を見せつけ、悲しい経験と緒に生き続け永遠に亡くなった家族と冷たいけどそれでも好きな彼氏への愛を忘れないという意味があるように思えてくるのだ。
それが冷たい彼氏を表わしているクマにキスする少女の絵であるのだと思う。失われたものを求める、求めたいという気持ちだ。
おとぎ話という名のロマン主義のような詩的な映画なのだ。
そして死と愛と希望の複雑な感情表現がなんか日本っぽいなぁと感じるのだ。
そもそも舞台が北欧というのも北欧と日本には共通点があるし監督も日本映画に影響されているし。

監督のアリ・アスターはジョーダンピールと比べられたりするけど全く違うジャンルのホラーを作っていると思える。ジョーダンビールが政治的であり監督の怒りみたいなのが含まれているのに対してアリ・アスターは理屈を超えてもうちょっと抽象的で内面的な悲しさ、優しさ、愛のようなものを表わしている。どちらも面白いがアリ・アスターの作品の理解はジョーダンピールのようにパズルを組み合わせて考えることが難しい部分があり新しい感覚のホラーだなと思った。個人的にパズルを組み合わせてもしっくりこないと感じたのは僕たちの理解を超えた悲しみがあって、複雑な感情のダニの愛に気づくかどうかが大切だったんだと思った。
たぶんみんな笑うシーンがあるけどそれはダニの気持ちが分かっていないということなのだ。もちろんわからなくてもいいしわかろうとすると辛くなるかもしれない。

ちなみに顔がぐちゃぐちゃなシーンが何度か出てきて気持ち悪かった 笑
ぐちゃぐちゃになるシーンをそんなにゆっくりみたことないからそこは嫌だった 笑
怖く見せているわけではないのはこれが一般的に恐怖を楽しむ映画じゃなくて監督の心の中そのものだと思うからだ。だけど衝撃的。それに最後に内蔵出されて吊るされている顔は目がくりぬかれていて顔をしっかり見ることになるから、見せ方は怖くはないけど記憶に残る 笑
例えば目がくりぬかれているゾンビとか見ても記憶に残らないのにそれとは今回違うんだよなぁ。
血が出てないだけマシだったけど。

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