【感想・ネタバレ・考察】パラサイト 半地下の家族 拝金主義でおかしくなっている韓国人を見せ付けてきた作品

韓国映画はほとんど見ないのだけど話題の映画だったので見てみた。エンタメとしては笑えて面白かったけど気になったことはあまりいいことではなかった。
僕は韓国人に対してあまり良い思いでもイメージもないので僕の感想や考察はバイアスがかかっているかもしれない。たぶん韓国人は好まない感想だろう 笑

パラサイトから思ったことは昔の韓国人の友達そっくりということ。

①人を騙し騙すことを悪いと思っていない

②寄生して生きる

③拝金主義者で愛に欠ける

④薄っぺらい韓国人

書いたことはほぼ僕の偏見が含まれた映画にあまり納得できない話で最後の追記にその後は韓国について調べなおして再度考えて映画を見るとちょっとだけ韓国の辛さがわかったかもという話だ。

①人を騙し騙すことを悪いと思っていない

キム家がパク家を平然と騙してお金持ちの生活に寄生していくのを見て韓国人は貧困問題に怒りながらも彼らには人としてしてはいけなことなどというのが僕らとは違うのかもしれないと思ったのだ。
僕の昔の韓国人の友達も僕にお金を要求しいと言われ断っても何度もお願いされるため小額だけ貸したのだ。そしたら約束の日になっても返さないしさらに多く要求してきたり、断ったら逆切れ。約束を守らないことに謝ることもせず、謝ることをプライドが傷つけられる恥ずかしいことと思っていた人だった。自分勝手で自分の間違いを認めず嘘ばかりつく。僕の印象は最悪だ。
それはキム家そっくり。キム家は人を騙して仕事を得て、一時的に搾取しているだけなのに自分がお金持ちになったんだと思い、でも勘違いだし現実を直視できないような人達だ。
これを貧困格差というのだろうか?
病気に近い。病気でなければホラーだ。
現実を見られない人は世の中たくさんいるし病院に行けないぐらいの生活ならまさに貧困格差。ギテクのような人を騙しても悪いと思っていないし当たり前と思っているのはすでに犯罪者。半地下の犯罪者が犯罪と思わず本人達の人生を騙して生きる姿に本当韓国ってこんなことあるよなーと昔の友達を思い出しながら思ったのだった。
そのため貧困格差は世界中の問題ではあるけど韓国の貧困は自業自得な部分があるように思う。
キム家は社会的弱者の貧困層と言っても働く能力はあるしどこが貧困層なのだろうとちょっと思ったのだ。世界中に貧困問題はたくさんあり共通の話題ではあるものの本当の弱者は働くことさえできない、騙すことさえできない、クソまみれで死んでいく人たちである。それがいるのがアメリカだ。
パラサイトではキム家もパク家もお金を通して騙し騙しあい搾取して搾取され共存をしている。共存さえできない弱者と比べるとなんともかわいいお話である。

つまり映画パラサイトを痛烈な貧困問題というには笑ってしまったのである。
監督はジョーダンピールと比べられることについてジョーダンピールの作品のほうが強烈だとは言っているので本人も僕が思うようにジョーダンピールと比べるとかわいいものだと思っているのかもしれない。
残念ながら僕には韓国映画は差別を無意識でも含んだものが多いと感じられるため貧困といいながらも無意識でにでもきちんと貧困をみない差別意識が含まれているんじゃないかとさえ思ってしまう。

しかしもし韓国に社会批判をすることへの重圧があるのならこの作品は痛烈批判できたことになるだろう。

②寄生して生きてる

キム家もパク家もどちらも寄生しあって生きている。貧困側はお金持ちに近づき、お金持ちは貧困側を利用して生活の向上をしようとする。寄生しないと生きていけない韓国にとても不思議な気持ちになった。寄生さえできるのである。
ジョータンピールのアスは寄生さえできない、戦わないといけない人たちが闇落ちしたようなキリスト教の慈愛の精神をもってキリストの聖戦を行うという貧困格差を見せた作品だった。闇落ちしても慈愛の精神を持ち、希望を持ち戦う姿にアメリカのなかなか解決しない問題を見せつけられた闇落ちしてもアメリカのことは好きなんだろうなぁと尊さまで感じたのだ。彼らは寄生できるのであえば寄生できない生活より寄生を選ぶだろう。
反対にパラサイトでは寄生ができ寄生がすべていけないかのように見せている。寄生は時には悪い意味だけではないのは誰でも想像がつくと思う。詳しくはわからないけど寄生虫には害を加えないものもいるというようなこと。僕らの社会でさえたくさん寄生していて社会が動いているのである。世の中には良い寄生と悪い寄生があるはずなのに寄生をすべて悪いものだということは僕は不思議に思う。そして貧困を表わす象徴に下から上に、上から下に、ということがいくつもでてくる。垂直に下から上に寄生すればいける社会は本当に貧困なのだろうかとさえ思ったのだ。厳しい環境は下から上にいけないはずだからである。
それをパラサイトでは貧困格差といっているので優しいかわいい社会じゃないかと思えたのだ。貧困と叫んでいることが韓国独特の勘違い思い込みをしているかのように聞えてくる。

貧困側のキム家が怒りで最後爆発してしまうのはキム家のおかれている状況に共感するが、貧困というよりお金の格差による妬みが膨らみ、自己中心的な人が多いことに怒りをおぼえたギテクの行動だったのではないかと思えるのだ。お金の格差は妬んでも変わらないのに無計画に行動しようとしていたギテクの自業自得とそのことがわからない勘違いからの逆ギレの怒りに見えるのだ。もちろん娘が死にそうになっているのに助けようとしないことに怒るのは当たり前。そんな当たり前のことを示さないといけないほどに韓国はねじれた社会なんだと思った。当たり前を当たり前と思ってえず気づかないことは恐怖でしかない。

僕の韓国人の昔の友達はシェアルームをしたいといい、一緒に住みはじめたらお金をすぐ払えないからと支払いを先延ばしにずっとしていた人だった。何度も要求しても何ヶ月も払わない。冷蔵庫からは僕が買ってきた食べ物を勝手に食べて僕の服を勝手に着て、僕の物を勝手に売ってなにもかも自分勝手だった。彼を見ていると今お金がないと嘆くより、タバコをやめたりお酒をやめたり暴飲暴食をやめればいいのではと思うのだった。自分の無計画性を逆切れしたかのように怒る姿はまるでキム家ではないか。
キム家はパク家の中で勝手に食べ物をたべて勝手にお風呂に入りやりたい放題だ。僕の韓国人との悪い記憶が走馬灯のように蘇ったのだった。

パラサイトはコメディとして面白かったけど。

③拝金主義で愛に欠ける

貧困側のキム家はお金のためなら人を騙してでもお金を手に入れようとする人達だ。スパイ映画のように工作までして自分の家族をパク家に雇ってもらうのだから、自分の家族にしか優しく接することができないんじゃなかと思えてくる。こんな人を雇うパク家はかわいそうだった。裕福なパク家もキム家を信じきっていてお金持ちは純粋で優しいというレベルではない。めいちゃくちゃ金持ちで社会経験が豊富なのに世間知らずレベルのおバカな人たちに見えてくる。
韓国の場合はお金持ちと貧乏の接点が雇われないと映画を見ているほとんどないようなので、お互いをなかなか知れないというのはあるかもしれないが知ることは愛でもあるので知ろうとしない社会は自分勝手で愛の欠ける社会に見えてくる。
キム家の奥さんはお金があればそれでいいような人である。キリスト教徒も多い韓国で思想よりキリストの慈愛の精神よりお金が大切と言っているかのような韓国社会が浮き出ているようである。
映画パラサイトと映画アスはまったく比べられないくらいパラサイトには愛がない。どちらも社会の病巣を見せているはずなのにアスには大切なものを提示する深い思想があるのに対してパラサイトには結局のところお金という問題が浮き上がってくる。僕はアスを見たて震え上がるほど衝撃を受けたのにパラサイトにはそれが無いのだ。やっぱり内容がアスに比べてかわいいからだろうか、とも思ったが、たぶん貧困問題を見せつつも結局韓国に根強くある拝金主義への問題でありそれによる捻じれた愛の欠けた社会への問題に見えてしまうのだ。お金に絡めるとどこか気持ちが薄っぺらく感じてくる。

ギウが水石を抱いているんだけど多くの解説記事がいうように石は富裕層への憧れと見るとギウの心境をもう病気なんじゃないかと思えてくる。石を抱いているなんて普通じゃない。狂気である。人間への愛よりお金なのかと。映画の最後にギウは水石を手放すがどこかまだ手放したくない印象からは韓国人はお金について病気みたいに取り付かれていると思えてくる。たぶん監督としてはおかしな拝金主義を手放して違う韓国になってもらいたいんじゃないかと思う。ギウが持ってきた水石で殴られ血だらけになるのも皮肉だ。

韓国の昔の友達も一緒でお金ばかり考えていて、気持ちなんて何もないような人だったと僕は思う。気持ちがあれば約束だって守るし、間違っていれば謝るだろう。本当にこの作品を貧困問題は世界の問題ですといって監督が公開したのが不思議だ。韓国にとってあまりにも恥ずかしいことだからである。韓国人は嘘つきで愛に欠けてお金しか考えていない害虫側の寄生虫として生きる人が多いんだと言っているようなものだからだ。
僕は他の韓国人に一番大切なものは何かという話をしたことがあった。面白いことにその答えはお金だった。だからやっぱりキム家のような人がたくさんいるんだと思えてくる。
お金持ちのパク家に雇われたキム家の母親はもう貧乏じゃないと元ハウスキーパーが悲しい局面にいるのに冷たく対応する。そして貧困同士がいいあって弱みを握り戦う姿が貧困同士さえ助け合えない韓国なんじゃないかと思わされた。
世界の貧困にはいろんなタイプの貧困がいると思うが、助け合える貧困と助け合えない貧困はいるのだ。フィリピンなどのアジア圏では貧困同士が助け合っているのに対しアフリカだったかブラジルだったか忘れたが相互での助け合いが薄い国があるのだ。貧困同士が助け合えない社会は犯罪も高まり愛にも欠けてくると思う。本当に映画のように貧困同士が助け合えない社会が韓国ならもう愛なんてあってないようなものなんだと思ってしまう。キム家もパク家も思いやりにかけるため犯罪が起きてしまう。思いやりを持ちましょう、みたいなメッセージは日本人にはすでに持っているから韓国人にはぐさっとくるものかなと思えてくる。日本はいつも思いやりをもってやっているのに裏切っているのはどっちだろう。

しかし、ギテクのやってはいけないことしてしまったと思う悲しみもや殺してしまった雇主のドンイクに対して地下に隠れながらも謝っている姿からは僕の知らない韓国の姿があった。ギテクはお金より家族愛なんだと見せつけ死んだ雇い主にもお金だけじゃないんだといわんばかりの苦しみを見せ付けてくる。でもそんなことは当たり前なのである。このような見せ方をしないといけないほど韓国社会は拝金主義なんだと僕は思ってしまった。

すべて自業自得なのだ。屁理屈でもなく富裕層と貧困のパク家とキム家を見ても自業自得から起こっている結末なんじゃないかと思える。もっと計画的にもっと自分を信じ、お金だけでなく人同士が信頼できるようになるべきなんだと僕は思うのだ。

自業自得はときどきギャグに見える。自虐ネタのようなものだ。韓国社会を悪くいうつもりはないが自虐ネタのつまった社会に見えてしまう。

自業自得と言えば韓国はホワイト国除外もされたり中国にさえ韓国に冷たくしたりトランプからは韓国を良く思われないなど様々あるけど全部韓国がやっているのを見て、「あーまたやっているのか」というギャグみたいな気持ちと真剣なんだろうなぁという気持ちの狭間でちょっと笑ってしまうのだ。

僕の昔の韓国人の友達も僕が立て替えたお金を払えるように計画を話してきたけど全部守られなかった。
ただ嘘だろうなぁと僕が分かってくるとギャグをいって乗り切ろうとするやつだったから面白かったんだけど、相手の苦しみも悲しみも真剣さが伝わらなくて全部話すことがギャグにしか聞えなくなったこともあった 笑
そう思うとこの映画で真剣に話していることがもう笑えてきてしまった。
嘘つくなよーって思ってまたギャグで乗り切るの?って思う。
不細工でもギャグセンスがあればチャーミングだから武器になるかもしれない。それってやっぱり生きるのがきつい社会ではギャグセンスもないと生き残れないのか?と思いながら韓国の奇妙な気持ちに彼らに日本人と本当に分かり合える道徳心があるんだろうかと思ってしまう。
そういえば日本のコメディアンにも韓国籍の人は多いので韓国社会の過酷さとの在日韓国人の漫才師との間にはギャクセンスの上昇が何か関係があるかもとも思った。

それと生きるのがきついアメリカではギャグセンスはあまり関係ないと僕は思う、ギャグセンスより仕事のスキルだからである。とすると韓国の社会は僕から見てのギャグセンスのような詐欺テクニックがあれば寄生もできるのだとして優しい社会だとさえやっぱり思えてくる。もちろん日本もある意味優しい社会だ。

例えるなら漫画「明日クビになりそうである
クズ社員宮元がギャグのような自作自演で自分の怠慢を隠して働く話である。
今思えばクズ社員宮元も韓国人みたいな特徴がある。作者のことを韓国人だとは思っていないんだけどクズぶりが過去の僕の韓国人の友達に似ているのだ 笑
韓国人の昔の友達がビジネスマンになったら宮元みたいな人になるのかなーと 笑
宮元はギャグセンスでなんとか会社に寄生していると言ってもいいぐらいのセコイやつなのだ 笑

アカデミー賞っていうけど全くアカデミー賞レベルではないとは個人的に思う。ほんとに不思議だ。西洋人は分かってないことがたくさんあるんだろうなぁ。

⑤韓国人の薄っぺらいさ

パク家を見ていると薄っぺらく見える。パク家の奥さんが英語をちょこちょこしゃべるのがおかしくて韓国人はコンプレックスの塊なのかと思ったのだ。アメリカの真似でもしていないとエリートと思われないとでも思っているかのように韓国語とわざと英語を組み合わせててきたり突然短い文を英語をしゃべってくるのを見てギャグな人達だなぁと思わされた。アメリカ人はたぶんこれ笑っただろうなぁ。韓国社会の貧困はギャグみたいな精神が含まれているんじゃないかと思う。アメリカを未だに信仰している人が韓国にたくさんいるんだと思うと時代遅れだと思わされる。僕はアメリカで勉強をしているけどそれは学びたいことがあるからであってアメリカに憧れなんて全く無い。むしろアメリカにがっかりすることが多い。
インディアンの格好をする意味もアメリカへの憧れがあると、富裕層の教養のなさを感じさせ呆れてしまうのである。歴史なんて関係ないお金と楽しいかどうか。

そもそもパク家のことを熟知しているハウスキーパーのムングァンをクビにしちゃうんだから韓国人の信頼ってなんなんだろうって思った。普通、長い付き合いがあって熟知している人がクビになるようなことをしてもまずは疑うんじゃないかと思うのに何も疑わずクビ。これだけだと韓国の富裕層は何も考えていないんじゃないかと思えてくる。

僕の昔の韓国人の友達も薄っぺらかったと思う。約束に重みもなく信用なんてなく、僕が学校に行っている間に他の韓国人の知り合いを泊めさせていたということが後で発覚したことがあった。気づいたキッカケは臭いがいつもと違う、部屋にある物の位置がいつもと違うということからだった。まさにキム家。家賃を変わりに立て替えてあげているのに黙って誰かを住ましてご飯を食べてお風呂に入ってテレビを見てまさに寄生虫 笑
すべて薄っぺらい、嘘で作られた生き方のように思えてくる。かわいそうだけど。
韓国人との付き合い方においてお金で困っている人は僕だけではない。
僕のアメリカの韓国人の友達も同じ韓国人とは友達になりたくもないと言っているのである。友達になるとお金のトラブルが多くて避けたいらしい。韓国人同士でも信用しあっていないことがあるのである。薄っぺらさからくる信頼されなくなる自業自得なのだ。
薄っぺらさは映画で示されたように金持ちのパク家は大雨のおかげで空気が綺麗になったと考えるが貧困のキム家は大雨で大変になってそんなことまったく考えない。
映画だけどちょっと無理がありすぎる設定で、そこそもあんなに大雨が降ったらお金持ちでも周りのことを気にするだろう。気にしないのが韓国なのだろうか。もしそうなら韓国人の精神状態は大丈夫なのかと疑ってしまう。薄っぺらすぎて人への思いやりさえ忘れているのだろうか。

しかしこのような不条理があるからだろうかギテクはキレたのだろう、パク家のドンイクを刺し殺してしまう。ギテクの娘が刺されて息子のギウも頭が血だらけになりながらもパク家たちはギテクにパク家の倒れた息子を病院に運ぶように要求する。パク家は自分達のことしか考えていないのだ。

死にかけたギウが病院で目覚めたあと、ギウは不気味に笑うようになっていた。精神がおかしくなったのだろうか、それとも頭がおかしくなたのだろうか。妹が死んだことを知ってもしばらくの間、笑っているのである。かわいそうだった。

しかも映画の最後はギウのお金を貯めるという将来のプランを少し話して、お金持ちになって父親が地下に隠れている豪邸を買う計画をして終わる。
ここでまたお金の話かと僕はうんざりしたのだった。ギウの夢であるお金持ちになったあとの父親との再会に家族愛のようなものを見せていてもそこには何もカタルシスはない。映画の最後にギウが犯罪者になってしまった父親を家を購入することで捕まらず助けようとする「計画が叶うのはとんでもない時間がかかるといってそのときまで気をつけて」というメッセージで終わる。叶いそうにない非現実な計画はまるで結果的に親を見捨て入るかのような話である。現実を見ないでまるで夢の中に逃げ込んでいるかのような計画に、僕はギウの奇妙な正義感と韓国の家族愛の奇妙な強さに狂気を感じ怖くなったのだ。

今回の映画には韓国人の大切にしているアイデンティティがお金なんだということしか伝わらなかった。お金をアイデンティティにしないといけないなんてなんて薄っぺらいんだろう。それが最後のお金が大切なんだというメッセージから思ったことなのだ。アイデンティティは自己を認識することである。自分にとって大切なもの、自分を形成している捨てられないものなのだ。それを家族だけしか考えない捻じれた愛とお金が重要だというメッセージからは韓国人の自己認識なんてないんじゃないのか?とい疑うほどのものだった。お金による階級から出来上がる優劣からでしか自己を認識できないのだろうか?そんな疑問を与えてきた今回作は興味深い。これが本当に賞をとるほどの作品だというから不思議だ。

お金がなくても優しく接する人はたくさん世の中にいる。個人的に思うのが信仰心のある人たちだ。彼ら彼女らはお金で人を判断しない人が多いと思うし、お金がなくても優しくできていたのは人類の歴史でも当たり前にあったことのはずだ。それが今はお金がないと優しくなれないというのは全く他人を考えた行動ができず自己中心的で拝金主義の韓国と何も変わらない人が多いということなのかもしれない。それを恥とも思えない精神が蔓延しパラサイトを最高に心に刺さるというのは「人として」世界の中でも認められない民度が低い考えの人が多いんだと思ったのだ。

監督はどのようにこの結末を作ったのか気になるところだが、貧困を考えるキッカケにしたいようなので僕が言っているような韓国人の駄目なところを全部皮肉っているのだろか?もしそうであれば「お金がないと優しくなれないんだ」と共感した人さえ皮肉っているのかもしれない。

良かったところ

足を車の中であげているシーンが日本の感覚ではないマナーでアメリカでもありえる雑さと自由さに好感を持てた。

最後のあたりに地下に住む人が包丁をもってパーティーをしている場所にいって誰かを探している様子があるのに誰も気づかず立っているのがなんか面白かった 笑

まとめ

映画パラサイトは韓国について悪い印象が生まれるのに堂々とこの映画を有名にした監督をすごいと思う。世界で反韓が高まっているのに、今後ますます反韓が高まるのではと思えてくる。それは監督が韓国を本当に良くなるキッカケをつくりたいと思ったからかもしれないし韓国の解決しない貧困問題にイライラしている監督の怒りもあるのかもしれない。監督についてはインタビューを見て優しそうで好感を持てた。

エンタメとしては面白かった。パク家が突然戻ってくることになったときに慌てるキム家たちにハラハラしながらも笑えたし、音楽もシリアスなところなど惹き込まれてよかった。韓国人との接し方を考えさせられた映画で韓国人の一部を除いて信用できないと固く思わされた映画だった。
韓国の光と影を見せているのだろうけど僕が韓国の事情をまだまだ知らないからか影側の過酷さをイメージできなかった。なんで騙してまで仕事をするのか、詐欺をしないとどうにもならない社会が小さい韓国という国に根強くあるのなら貧困問題以前にもう韓国人はどうにもならないんだと韓国人と仲良くなるのをためらわせてくる。そんな社会に生きないといけないキム家も騙されるパク家もかわいそうだっただけキム家は人と騙すので真っ当ではない。

多様性がもとめられる社会でも嘘をつき搾取することは受け入れられるわけはない。この映画を見て喜んでいる韓国文大統領が気持ちがわからないとも思ったのだった。
ちなみに個人的には韓国人の女の子ってかわいくないイメージなんだけど、映画に出ていた美人役のチョ・ヨジョンは韓国の中では綺麗なほうだろうなぁと思った。ちなみに僕のアメリカの韓国人の女の子のクラスメイトが「韓国人男性はかっこよくない」と言っていた。
彼女らはもしかしたら特殊かもしれないけど韓国に憧れも持っていないだろうし、見た目よりお金という部分があるだろうし。

追記:色々過去の友達を重ねて文句を言ってきたが、それでも韓国の苦しさを知りたかったので別の視点で考えたらちょっと考えを変えた

映画パラサイトを見てなかなか貧困の苦しさが分からなかったのでいくつか韓国について本を読んだり今と昔の韓国の友達を重ねてみた。

キム家はスキルがあるけど仕事がないのは韓国ではありえる話らしくアメリカの韓国のクラスメイトがいうには韓国では仕事がほとんどないらしい。出来る限り海外で挑戦はしているけど無理なら韓国に戻り全く学んだことと関係ない仕事をすると思う、と言っていた。
キム家の仕事を得るための動きが早いのを見て、怠慢により仕事がないわけではないのではないか?という思いになったのだ。
確かに韓国人には自業自得と言われるような行動があるけど、そういう行動にさせてしまう、そういう気持ちにさせてしまう韓国の環境があるのではないかと思ったのだ。
キム家のギテクはビジネスに挑戦したけど失敗し無計画でという考えを持っている。これは計画的になんていかない韓国の厳しい不安定な環境があり、ギテクが計画的に行うことを諦めてしまうぐらい苦しい韓国があるのではないかと思ったのだ。
キム家は詐欺師である。しかしそんなことをしなければいけないほど仕事がなく仕事を得ることに飢えているというふうに見えてくる。
ギテクはビジネスに挑戦できた人なので日本人と比べてとても積極的で野心的だ。
野心をもって積極的に動かないと死んでしまうかもしれない貧困が韓国に苦しんでいるんだと思うと、僕の昔の韓国人の友達の行動も分かってくる。しかし理解したからといって人を騙したり盗んだりすることを肯定することはできない。
それでもギテクは富裕層の何も苦しんでいない姿と自分だけしか考えていないことに怒りを覚え人を殺してしまう。娘が刺され死にそうになっているのにパク家の子供ために車を出せということにギテクが殺してしまうほどになったのはとてもわかることだ。
殺してもギテクが殺してしまったことを後悔している姿からも人間味のある優しい人なんだと好感さえもててしまう。

犯罪者に好感を持つなんておかしなはずだ。しかしギテクの状況を完全にギテクの自業自得だけで責めるのは僕にはできない。映画パラサイトを絶賛するメディアを見て嫌気を感じても今回、パラサイトと再度見て考えさせられたのは韓国の狭いマーケットでの競争が過酷で過酷な状況に置かれているのに本人のせいだけにするのは自己責任論と同じ考えだと思い、僕はその考え方が嫌いだからである。

どうしても海外で出会う韓国人はあまり韓国を好きではないように感じ映画パラサイトに批判的に見てしまうとこらがあるが、ここも狭い韓国で韓国人同士でさえ強く対立し人の声に耳を傾けられない思いやりに欠ける部分があったのではないか?とさえ思うのだ。思いやりの無さのせいでキム家とパク家の間で起こった事件が起こったことは日本と韓国の関係そのものだというだけでなく韓国内でも同じことが起きていてみんな苦しい環境に心が擦り減っているんじゃないかと思ってしまった。競争による貧困格差はアメリカはすさまじいが韓国は競争社会でありながら人同士の関係にアメリカ以上にストレスがあると思える。上下関係、狭い国でのネットのデマにより自殺、競争の結果海外に行く人も多いチャレンジ精神が旺盛なのにお金だけなくなってしまいここでも金銭問題や自殺が起きるようなことだ。それらをふまえて思うのは、英語を教えられる能力があるギウなどは教師演じればできてしまうほど、韓国の競争にもまれ勉強漬けの生活を送っていたのだろうと思えるのだ。映画を見ただけでは全くわからない。
この過酷さを身近で軽く押してくれたのがアメリカの韓国人のクラスメイトで、韓国で3つも4つも言語を学んでいたと言っていたのだ。かなり過酷な勉強だったんだろうなぁと思う。

こんな過酷な状況で絶望を感じ人を殺してしまうなんてことが韓国にもあるだろうに、キム家はそれと比べれば希望を持っており、ギウも最後はいつかギテクを金持ちになって助けたいと思っている。この希望がなければ韓国社会は終わってしまうのではないかと思うほど壮絶な環境があるのだろうと僕は思う。映画が希望を見せるのは希望を見せないといけないぐらい今の韓国に絶望が生まれつつあるんじゃないかと僕は思う。アートや昔から残っている教えとかも同じことが言える。例えばみんなができないけど必要としていることが教えと残った中国の孔子、中世の騎士に欠けていた騎士としての心構えを描いたアートなど。希望がある社会は当たり前の社会だと思うのに、わざわざ希望を見せないといけないのは貧困層に希望が消えそうになっていて、消えそうな希望に必死にしがみつかないと地獄に落とされそうになる社会が韓国にはあるんじゃないかと思うと涙が出そうだった。しかもギウの叶いそうにない夢で終わってしまうだろうと思う計画に韓国は自分を騙してでも希望にしがみつかないといけないのかとも思ったのだ。それか騙しているわけではなく本当にかすかな希望しか残らないような韓国がなりつつあるのかもしれない。

彼らの宗教心は薄いかもしれない、拝金主義で薄っぺらい部分はあるかもしれない。でも愛の形は様々で世界の過酷の資本主義による競争は韓国だけでなくアメリカの人間関係も薄っぺらくしているように思う。ジョーダンピールが怒りを込めてつくった映画アスもキリスト宗教さえお金に魂を売るかのように見え、思いやりのかけるアメリカ社会を皮肉っているのだ。
それでもアメリカ人が拝金主義になかなか見えないのは彼らは少なくとも助け合っているからである。弱い者にお金をあげて、食べ物を差し出し、企業はお金を募金して貧困を助けようとしたり過酷なアメリカでもお金のあるものが助けることで過酷さを和らげている部分はある。それに比べると利他の精神を持ち合わせている人は韓国人はそのようなことをする人は少ないんじゃないかと思う。それも拝金主義者だと僕に思わせてくる一つの要因ではある。しかし拝金主義と責めることは半分正しくて半分間違っているのだと思うのも、拝金主義になんてなりたくないけどならざるおえない環境があるだけなんじゃないかと思うからだ。韓国は国家が破産しそうになりIMFの力を借りなければいけなかったのが大きな間違いだったのかもしれないが、その結果気づかないうちに環境は行動を変えるてしまって行動を変えると心も変わり心も変わると人は変わってしまうんだと思う。そんなことを考えながらもそれでもアカデミー賞というのが信じられない内容ではある。

パラサイトには敵はいない。キム家もパク家もお金と世界の流れに飲み込まれている犠牲者にさえ見てて、どこか韓国人と分かち合うことができそうに見えてもそれでも僕はやっぱり一部の韓国人を除いては仲良くするのが難しいと思ってしまう。それだけ韓国人と日本人の考え方の違うのだ。それは相手が当たり前に搾取することがあるんじゃないかという思いが日本と韓国間のやり取りを見たり僕の経験などから思う。マザーテレサのようにそんな犯罪さえ許してしまうことが愛だといえるかもしれないけど僕にはその愛が欠けているようだ。犯罪を愛で許してしまうのは法治国家ではなかなか難しいはずだ。法律よりパク家とキム家それぞれの愛を優先し自己中心的になっている両者はまるで心と社会が求めることが絡み合っていないように見える。国際社会の自己責任の考え方に無理やり合わせられているように見える韓国は心が経済成長の早さに追いつけず拝金主義になってしまう環境があり幸せにはなかなかなれないのようにも思えてくる。少なくともねじまがったお金優先の社会では僕は苦しくて幸せにはなれないだろう。同じ国民がひどくいがみ合う社会と諦めたら死んでしまうかもしれない社会が健全な社会とは思えないし、貧乏と富裕層が助け合いさえできないほど自分中心だとしたら、難しいだろうけど成長を急ぐことから一度離れて自分たちを見つめなおしてほしいと希望を込めて過去のキム家みたいな友達を思い出しながら僕は思う。
韓国がらみで何かに巻き込まれるのも嫌で接点を持ちたくもないけど、それでも話のわかる友達の韓国人と話すときのように韓国と日本がいつか仲良くなれる未来があるんじゃないかと希望を持っていたと改めて考えさせらた映画だった。害虫側の寄生虫みたいに嫌いだけど面白いやつだったから。

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