日本、日本人絶賛の話はとても嬉しい。例えば日本はおもてないしがあって、さらに人にも優しくてとっても礼儀正しい。これはよく聞く話だけど、それは一面ではそうだけど別の視点で見るととても残酷な日本人が見えてくると思う。
アメリカで色んな人が知らない人にすれ違いざまに笑顔をくれたり、違う人種を受け入れようとする土台が日本より多い。これは知らない人でも信用しよう、受け入れようという姿勢でもあると思う。
逆に、日本は知らない人にはとても厳しいと思う。知らない人には冷たく厳しくまたそっけなかったりする。例えば日本の電車の中で席をゆずる人が少ないのも、他人に厳しいというものあると思う。もし知り合いだったら無理なく席は譲れるだろう。また恥ずかしいからという理由で席を譲らないとすれば、自分のことしか考えていない行動だといえる。
さらに別の例では、日本の裁判員裁判では死刑の判決が多く出るとも聞く。これは他人には厳しいという文化?が影響しているのではないだろか。とても残酷といえると思う。
日本社会では礼儀正しくしなければいけないというものは、電車でいえば電車内では静かにしないと!、携帯電話は絶対つかっちゃいけない!、このような「○○しちゃいけない!」ということが日本では多いので、それは人を追い込こんでしまい、欝や精神病にもさせてしまうのではないだろうか。
そして僕の考えでは知らない人を信用できない文化は民主主義としてはミスマッチ。なぜなら民主主義には多数派だけの意見ではなく少数派意見も取りいれて考えないと、多数派の意見だけがいつも正しいという間違った判断をしてしまう。知らない人は少数派かもしれない、知らない人を信用しづらい、のけ者にしてしまうというのは民主主義の危機なのではないだろうか?今でも「おひとりさま」と言う言葉が使われることに日本の民主主義は大丈夫なのだろうか?と考えてしまう。この意味は一人でなにかすることが悪いというのではなく、人同士に信頼関係が薄れたことで一人でいることを選択していることが多くなったのではないか、ということだ。アパートにしても両隣に住んでる人さえしらない、人とのつながりが薄れてくることは民主主義にとってとても危険なことなんじゃないかということである。
そのほかに、外国人が日本で職を得るのも難しい。それは言葉の壁もあるが、日本人以外を信用してない、扱いづらいという意識があると思う。効率重視で完璧に意思の疎通ができないといけないとか、完璧でなくても仕事によっては簡単な意思の疎通さえできればできる仕事もあるのにも、なかなか企業は外国人を雇うことはしないと思う。どこか差別意識があるのではないかと疑ってしまう。また仕事の募集欄でも、少なくなったが今でも年齢制限のある募集をみる。このよな年齢差別や外国人差別がいまだにあたりまえにある。
このようなことから、見知らぬ人、他人に対して冷たいという文化というのは残酷な一面があると思う。現代の日本社会、日本人を残酷であるという一面を認めないといけないんじゃないかと思う。
そうすることで、もっと日本は良くなるだろう。