やりがい搾取は何故出来るんだろう

やりがい搾取というのは給料が低いけど成長できるから頑張りたいという人などを長時間労働させることをいうらしが、なぜ「やりがい」というのに騙されるのだろう?そんなことをだらだら考えたつぶやきだ。

アニメーターが働く環境もやりがい搾取だとは思うがやりがいのある職場をアピールするっていうことは問題がある職場だけどその困難を乗り切って働ける働きがいのある職場ということだろう。

でも問題に多く直面する会社って問題があるんじゃないかと思うことと、なんでわざわざやりがいと会社からもらわないといけないのかがわからない。
やりがいって自分のやりたいことをやることに困難がでてくることを解決することがやりがいを感じることだと思うから、やりたくない仕事をしていて困難に直面してもそこにやりがいを感じづらいと僕は思う。やりがいとは楽しみでもあると思うので楽しめないくて苦しいことが多すぎるならそれは苦行でしかない。搾取である。
僕もアルバイトをしていたときに今思えばやりがい搾取をされていたと思うことがあるが、なぜつまらないアルバイトを続けていたんだろうと思ってしまう。社会経験、成長という意味不明な言葉によってやらされていただけだ。そんなことより人生は楽しむためにあるのだから自分のやりたいことにやりがいを感じる時間をたくさん持ちたい。

例えば好きなゲームをしていてゲームのキャラクターを強くしたいけど時間がない。どうするかというのを考えて模索して普通ではできない方法で解決してしまったりしたらやりがいのあることだったと思える。

人から与えられたものにやりがいというのはあまりないと僕は思うから、やりがい搾取に陥ってしまう人はやりたいことがない人なんじゃないかと思うのだ。

やりたいことなんて時間がなくてできない、お金もないっていう友達もいるけどそんな友達はいつまでたってもやりたいことなんてしていない。そもそもやりたいことがないのかもしれない。やりたいことがないっていう人はけっこう多いと思う。
やりたいことがある人と話しているとやりたいことへの情熱があるし楽しそうである。そんな人わざわざSNSに旅行とか他の自慢話を投稿はほとんどしないと思うし話もあまりしない人が多いと思う。なぜならやりたいことがあるからそれのために勉強や成長、作業など黙々とする人が多いからだ。そう考えると現在SNSでたくさんの人が自慢話をしているのを見てどれだけやりたいことがない人だらけなんだろうって思ってしまう。フェイスブックなどで他の人から「いいね」をもらかどうかなんて気にしてなくて、自分の楽しいことがあるから他人から評価されることを楽しみにはしていないと思う。

やりがい搾取には我慢して仕事していることや長いこと仕事をしていることがえらいや重要などと思っている。

搾取や騙されることって勘違いや幻想などが絡み合って起きていると思うがそのような幻想や勘違いは出来る限りなくしたほうがいい。学校で学ぶことはやりがいがあるって思うとしても学校がやりがいをくれるわけじゃなくて自分ですすんで勉強していかないとやりがいなんてあまり感じない。誰かからやりがいをもらおうなんていう考えを変えないといつまでたっても搾取されてしまうんじゃないかと思ってしまう。

騙されないことややりがいのある好きなことをやるっていうことは自分を知っていないといけないと思うが、日本でもアメリカでも自分のことを冷静に見つめれる人って本当に少ないから実際にやってみてやっぱりなんか違うと思う人は多いと思う。アメリカの場合は違うと思えばやめたり方向性を変更するけど日本だとそのまま我慢してやったり。

日本だと転職をアメリカほどしない人が多いだろうからどうしてもやりがい搾取があるんだろうけど、出来るなら低賃金で長時間労働させられるんだったらやめて違うところにいけばいい。無理にしがみつく必要はない。

普通はすぐやめない普通は転職あまりしない普通は○○しないっていう普通っていうことを考え直したほうがいい。特に日本人は普通は普通はってよくいうから自分を普通って枠にはめているのと同じで搾取される考え方にも自分をはめちゃっているんじゃないかとさえ思う。アメリカにいる日本人学生も普通っていう言葉が好きな人が意外と多くて不思議。日本の普通って日本の大学行くルートだろうにアメリカに来ている時点で普通じゃないのに普通に何故か拘っていて変だなぁといつも思う。

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