<ネタバレ、感想>Talk To Me トーク・トゥ・ミー

感想(ネタバレ含む)

A24のホラー映画ということで期待して見た。

思ったよりホラーというほどの怖さはなかったが西洋の10代なら怖いのかな?と思った。

西洋の10代なら怖いのかなと思った理由には西洋にありそうな内容だったからだ。

Talk To Me は霊を呼び寄せて呼び寄せたものに憑依させるのだけど、霊を招き入れて憑依されるというのは西洋でありがちで「エクソシスト」や「死霊のはらわた」など新しいわけではない。しかしエクソシストなどは当時はものすごい怖い作品として知られている。
そんな怖いとされる悪魔憑依を10代の子たちが遊びで行ってスマホで撮影しながらSNSに投稿するのは実際にアメリカなどで問題になる薬物でトリップして遊んでいるティーンネイジャーと重なって10代が薬物中毒になることを風刺しているようにも見える。

パーティーを開いて薬物でトリップなんていうのは西洋あるあるだろう。西洋のティーン達は笑えない内容だろうか。

そしこの映画の核心には人とのつながりを考えるようなメッセージがあると思った。

例えば手と手を繋なぐなどの繋ぐということが何度も映画には出てくる。

防腐処理された手だけでなくミアとダニエルが手と手を合わせたり、

悪魔である母親とミアが引っ付きあって寝ていたりと、悪魔だけども相反するものの共存できる世界、ミアとダニエルが反対向きで寝ていた入りと違う者同士が共存しあうことを見せているように思う。

ライリーが着ていたTシャツに「Balance of Opposites 」という相反するものの共存の言葉があるように違う者同士が触れ合いを持って共存することはこの映画の大切なポイントかもしれない。

これらのことは触れ合うことの意外と少ない西洋の希薄な社会に今求められていることのように思う。

核家族で家族の触れ合いが少なく格差も大きくあり自分のことしか考えられないほど心に余裕がなくなりつつある西洋社会にこそ必要なメッセージかもしれない。少なくとも僕はこの映画を見てそんな気持ちになった。

映画を見ていると今の10代には「死ななければなんだっていいでしょ?」みたいな浅はかさがあって、その自分勝手な考えで悲しむ人も苦しむ人もいて自分さえよければいいみたいな考えの人が多くなっているのではないかと思う。

特にミアは家庭環境が複雑で母親は自殺しているしミアがパーティーに何度もでて今さえ良ければいいという現実逃避した考えが結局ミアを苦しませるわけで、ミアの自分勝手な気持を優先するからライリーが死にかける。

それはSNSなどにアップされて誰かを傷つけてることも気が付かない現実を直視しないそんな浅はかな子供たちの世界にも見える。

監督自身、過去に大きな事故を起こして病院で体の震えが止まらなかったときに監督の妹が触れてくれたことで震えが止まった経験があり、それが今回の手と手を握ることにつながっているらしい。

触れ合いが大切でそれは相手のことを考えることが必要なんだ、という大切なメッセージが伝わってきた。

さらに映画のセリフの「Talk To Me」(話して)「I let you in」(入ってきて)なども相手と関わることの大切さを表しているように聞こえる。

ホラーだけど家族愛でもあったエクソシストのように今回の映画も愛あるホラー映画だった。

少し考察(ネタバレ含む)

冒頭のカンガルーの意味

1:カンガルーはミアがライリー殺さない伏線

ライリーは死にそうになっているカンガルーを見て解放させてあげられないかと話すが、ミアは結局のところ車で下敷きにすることはできずカンガルーをそのままにしてしまう。
もしかしたらミアは自分自身をカンガルーに被せて自分の葛藤を見ているのかもしれない。

映画の終盤には幻なのか霊なのわからない血まみれのカンガルーが現れる。そして冒頭のカンガルーを殺そうとして殺せなかったようにミアはライリーを解放させるために車に突き出して殺すのではなく自分自身が車に飛び出てライリーを殺さなかったのだった。

カンガルーはミア分自身を被せて自分の葛藤をカンガルーに見ているのかもしれないしカンガルーが殺されそうになりながら殺されなかったライリーを表していると言えるのかもしれない。

2:ミア自身の運命を象徴

カンガルーはミア自身の象徴と言えるのはカンガルーが道路の真ん中に倒れているシーンと最後にミアが道路の真ん中にとれているシーンが被るからである。

苦しんでいたカンガルーは後で死んでしまい病院に霊としてでてきたのだと考えると、ミアが死んで霊になるのもカンガルーと同じ道をたどっている。

結末の意味

ミアは最後にライリーを来る前の前に突き出す代わりに自ら車の前に飛び出しす。その後も生き延びたようにみえるが、ミアが病院を歩き治癒したライリーが家族と一緒にいてミアに気づかない、父親も回復しているのを見て声をかけるが父親からは返事がない、そして鏡に自分が写らないことでミアは自分が死んでいることに気づく。そして最後の瞬間はミアが暗闇の中に火のともったロウソクと手を見つけ握手とすると目の前に手を握っている男性が現れる。つまりミアは霊側にいるのだった。

ライリーは最後に完全に治癒したことは謎だが、おそらく、霊がライリーでもミアでもどちらが死んでもよくて誰かの魂を欲しがっていただけでミアが死んだのでライリーを手放すのには十分だったのかもしれない。

実はカンガルーによってすべてはコントロールされている説(半分冗談)

カンガルーの呪い

冒頭でカンガルーに出会ってしまったときからミアはカンガルーに取りつかれたのではないか?と思うと意外とおかしくないのだ。

ライリーが死にかけるのもミアが悪魔に取りつかれ続けるのもそして最後に死ぬのもすべてカンガルーのせいなのだ。

ライリーの顔をよく見てもらいたい、見ていると意外とカンガルーに見えないだろうか?カンガルーに似ているキャストを選んだのではないかと僕は思っている。

そして映画にはカンガルーの病院(Kangaroo Hospital)という題名の音楽が流れている個所がある。(どこかはわからないがあるようだ)。

おそらく最後の病院のシーンで流れる音楽なのではいかと思うがカンガルーに導かれてカンガルーが霊として現れる病院に来たと考えることができるかもしれない。

しかも血だらけのカンガルーを病院で追うことで結末に向かうのはまるで最初から最後までカンガルーの導きで映画が進んでいるようである。

最後のミアが道路で倒れているシーンも冒頭のカンガルーが道路で倒れているシーンも被るのはカンガルーと同じ運命を辿っている意味でありカンガルーの呪いと言ってもあながち間違いじゃないかもしれない、と思いたい。

そして病院にはエンジェルナンバーが複数出てくる。

ライリーがは入っていた病院の個室番号は「111」でありエンジェルナンバーだった。

希望を連想させる111はライリーが助かることを示しているようでありミアにポジティブな意味で新しい未来を行き自由になることを示しているように思う。

エンジェルナンバーに希望や飛躍する意味があるようにカンガルーの象徴の意味には「飛躍」というものがある。

つまりカンガルー似のライリーが入っている個室のエンジェルナンバー111はカンガルーも意味している可能性があるのだ。

そして病院の階段にあった「1」のエンジェルナンバーは「思いが現実になる」意味がある可能性があり、ミアはライリーを救いたいという気持ちが現実になり、ミアは死んで父親とも話せなくなるし暗い世界に行ってしまうがエンジェルナンバーの意味が正しければ不幸ではなく新しい世界で生きる意味があり、防腐された手を通して現実世界とかかわりを持つ生活をするのではないかと思えたりもする。

そう、この映画は裏テーマは「カンガルー愛、カンガルー大好き、カンガルーを見て!」なのである。やっぱりオーストラリアだからか?ホラーといいながら裏ではカンガルー全プッシュ映画だと思うと「クスッ」と少し微笑ましい笑いがでてしまう。

目新しいホラー映画がない中、カンガルーとホラーを組み合わせた映画は新しい映画だと言えるかもしれないし、カンガルーが気になってたまらなくなった映画でとてもユニークだった。

監督は好きなように考えてほしいと言っているので、カンガルー呪い説を半分冗句でも信じていたい。

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