多様化、多様性とはともて素晴らしい言葉だ。規制を払いどこか自由を感じ開放感がありいろんな人や業種の交流ができる心の広い社会のように聞えてくる。しかし多様性を進めて規制を排除しすぎると貧困が加速していくのではないかと思える。
例えば
結婚なんてしなくていい、離婚してもいい、好きな雇用形態を選んでアルバイトなどの非正規雇用でもいいやとか今前の親世代の標準的なコースから外れて自由に働けばいい。
こういったことが今とても問題になっていると思う。多様化を進めたのに結婚したくても出来ない人が増加、非正規で働く人の増加→相対的貧困の増加という流れになっていると思う。
本人の選択でそれらを選べたのならいい、しかし現実は選べないのだ。選べないのに多様化なんていうのはおかしい。
例としてはアメリカや中国で起業する人が多いのは失敗しても次やればいい、という根本的にお金の面で気にしなくても出来る環境があるからだと思う。投資する人がいる、または中国のように発展途上国のコストがやすくて起業して失敗すがリスクがあまりない。リスクを感じたり気軽に選択できない状況があるのが現在で現在の日本はリスクが増大している社会なんじゃないかと思う。今の親より将来は稼げると思う人はかなり少ないと思うし本人達も親より稼げるなんて思えない状況の人が多いと思う。
しかし日本以外の国では発展途上国でも先進国でも貧困層を除けば親より稼げるなんて思っている人はたくさんいると思うし、少なくとも僕の外国人の友達はそう思っているし彼ら彼女らの親も子供は親の年収を超えると思っていると思う。
つまり日本はすでにレールを外れた人は極度ではないが貧困化していると考えたほうがいいのではないかと思う。多様化というなのチャレンジできないリスク社会化。
ちなみに親世代ではこんなリスクなんて感じていないはずだ。レールにのって入ればいいしレールから外れても景気は上昇し稼げる社会があるわけだ。そりゃ一億総中流社会と言われるだけある。
リスクというのは人並みに生活できない貧困化していくということだ。現在の相対的貧困とは生きられるけど人並みに生活できていない状態に陥っている人がいるということだと思う。新卒一括採用などのレールから外れると挽回が大変な社会が今の日本だと思う。仕事だけじゃなくて結婚した人が離婚した場合、再婚できる可能性も低いのだろうと思えるのが日本。なんとも悲しい状況がある。
これは政治の問題もあるのだろうけどそもそも日本は多様性を重視しリスクをとって生きるという国ではなかったのではと思う。例えば江戸時代では藩から抜け出すことは普通はできないわけ鎖国だってしてきた、明治は文明開化で西洋のものが入ってくるがそれでも多様な社会というわけではなかったと思う。大正、昭和だって今ほど多様ではないと思うし、現代だって他国から見れば今でも日本は日本人だらけの国に見えるわけだ。多様性やリスクを誰しもが取る社会というのに慣れていない国なのにアメリカ型の多様社会なんてもってきたら貧困化するのも納得。
また日本人には恥の考えにより「普通」の生活ができないことは恥だと思うため就活や婚活を頑張る人も多く、仕事をしだすと真面目にする人が他国より多い。真面目に働くのに貧困が多い国とアメリカで言われたのも恥を意識して底辺に落ちやすい環境があるのに落ちないように我慢して働いている人が多いのだと思う。就活や婚活は冒険しないで頑張るというとても弱腰な状態が今の状態。政治の問題だけじゃなくて恥という意識が生きづらくさせている部分もあると思う。多様化社会という格差拡大にみんなの意識が追いついていけないのだ。上でもいったように日本は多様な社会に慣れていない国だから。
選択の自由の無い格差拡大は良くないとは思うけど日本人は自の恥という意識で気楽に結婚できなかったり我慢して仕事をずっとするという構造も見えてくる。これは今後変化していくとは思うし変化しないとこのままだとずっと結婚出来ない人が増えるかもしれないし、ずっとブラック企業で働いて過労死なんてなくならないかもしれないし、みんなの意識が変わらないと転職しやすい社会にならないんじゃないかと思う。意識と格差拡大の現実とのギャップがありすぎるためうまく社会が回っていないというのもあると思う。
アメリカのトランプ大統領になって僕ら留学生は非常に状況が悪くなった。移民や海外労働者が悪い、自由な貿易に問題があると言いだしアメリカファーストなんていう。これは今まで日本が真似ていたアメリカの自己責任論を問題視しだしているということがあって自己責任じゃなくて海外労働者や不平等な貿易に搾取されているんじゃないかという話である。日本でも自己責任論反対の考えが一般の人には広まっていると思うのだけど、自己責任論反対にしては移民政策や海外労働者を増やそうとしててアメリカが今自己責任はおかしんじゃないかと政策を変えて留学生も生きづらく移民だって制限されてきつつあるのに日本は昔のアメリカの真似をしているという状態。アメリカでさえ今までやってきた自由政策がおかしかったんじゃないと思っているのに。まぁたぶんアメリカは企業の力やお金を稼げる人の力が強くて格差を縮める政策を完全に出来るかどうかは疑問がある。
アメリカはすでに国民の中ではっきりとして格差によって分断されていると、というよりずっと昔からアメリカは分断されていて今加速しているんだと思う。そんな中日本は総中流社会というのを一応達成した歴史がある。そんな国はどこにもないためこれから日本で起こっていることは世界でも経験したことない中流から落ちていく分断社会ということだ。すでに日本でははっきり見えないだけで分断は起きているとは思うけど中流から下流に落ちることは不安が膨れ上がると思うので世界でも見た事ない貧困問題にぶちあたるかもしれない。
ちなみに僕は就活はあんまり気にしてないし婚活も気にしてない。日本だけに拘ると婚活競争に巻き込まれるだろうけど海外も視野に入れたり外国人を視野にいれるとそこまで過酷な競争ではないんじゃないかなと思っている。安定したパートナーを見つけられるか、という考えも今安定してなくても安定できる素質があるかどうかが重要だからスキルがある、真面目さがある将来性があるというのが重要なんじゃないかと思う。特に海外では安定なんてあんまりないので無職でも働ける力がある人かどうか重要だと思う。それと海外は日本ほど恥の考えがないから収入が低いからって結婚出来ないなんて思っていない人が多いと思う。これは僕が英語にそこまで抵抗がないことが要因なのと英語圏でもなんとかなるという経験からくる自信と海外の活気を知っているから最悪、アメリカでもダメ、他の先進国でもダメなら発展途上国で安く生活しながら成長していくのも有りかなって思っているところがあるからだと思う。タイとかフィリピンとか中国でも都会じゃなければたぶん大丈夫だろうし、給料は日本より低いだろうけどおそらく大変さは日本より少ないんじゃないかと思う。簡単に考えると日本で100万円バイトでもいいから稼ぐとタイやフィリピンだと居住日費を抑えると2年ぐらいは生活できるお金があることになると思う。食べ物は安いしスキルつければ日本で働くより稼げる可能性はあるし、またお金が溜まればもっと稼げる国にいってもいいと思う。出来る人ならコストが安いから起業しやちゃう人もいるだろうしお金がかからないということは気分も間違いなく良くなるし行動の制限も少なくなる。今日本で鬱病が多くなっているのも将来への不安や仕事への過剰な不安があるんだと思うんだけど、日本でダメなら別の国でも行けるっていう感覚があればそれはかなり楽になるじゃないかなって思う。特に発展途上国では日本人の高いスキルは求められていると思うし需要はなんかしらあると思う。それと親日国だと日本人は仕事見つかりやすいと僕は思っている。なぜなら親日国は甘い僕の考えだけど慕ってくれて助けてくれる可能性が反日国より多いと思う。それだけ人と触れ合うチャンスがあると思うし日本人を助けるコミュニティっていうかそういう人達が多くいると思う。だからこれはちょっと甘い考えだけど可能性はある考えで最悪お金がなくて困って生活できない場合でも親日が多ければ多いほど生き延びるもしくは仕事が見つかる、何かチャンスがある場合があるんじゃないかと思う。
今の日本に固執している就活はうまくいかない、給料は上がらない、将来は不安、結婚できないって鬱になるっていうルートは誰しもがなりえるはずだから、出来ることならリスクもあるけど海外は視野に入れたほうがいいんじゃないかと思う。それはもし失敗してもやり直しがしやすい社会で身をおくということである。そこにはリスクがあるけど希望もあるため希望を感じづらい選択のない生き方よりかはマシなんじゃないかと思うのだ。これはある種に諦めなんだと思う。就活は大変だし結婚や恋愛しようとしてもみんな今お金がなくて僕みたいに将来不安定な人とはあまり深い中になりたくないと思っている人ばかりで日本人の安定志向には疲れるところがあるのだ。安定はいいけど今そういう社会じゃないと思うし安定してない人とは付き合いませんなんてかなり低い確率の話で夢物語もいいところじゃないかと思うけどそういう現実が見えない人が多いから疲れる。