アメリカでの話しで、歩いていると人とすれ違うときに軽く「ニコッ」っとされることがよくある。さらに、走っていると「run,run」とか「なんで走ってるの?」とか、なんかいいねぇっていうような顔で見ている人がいたり、一度話しただけで、次から仲良くなったり。話したこともないおばあちゃんに突然、「ねぇ知ってる?近くの映画観に有名アーティストが来るんだって!」って言われたり。
一方、日本ではなかなか知らない人同士が笑顔ですれ違うということは無し、知らない人に突然話しかけることもない。
そんなこんなで日本人は冷たいのかなと考えたが、それは違うように思う。
なぜなら、日本人も知っている人同士だと助け合い優しくすることができる。例えばクラスメイトや会社の仲間とか。
この優しさを出すタイミング、人を受け入れるタイミングが他国と違うように思う。
日本人の優しさの感覚で少し似ていると思うのが、中国人だ。彼らは知らない人には分かりやすい冷たさがあるが、知ってる人というより友達や家族などはとてもフレンドリーだと思う。
優しくなれるタイミングが違う。
この優しさのタイミングは電車内で席を譲るということにも影響されているように思う。
電車で席を譲る人が少ないように見える日本とは違い、アメリカでは頻繁に席を譲る人がいる。
なぜ日本人はもっと優しくなれないのかと考えていると、学校の教育やメディアの宣伝の影響があるのではないかと思った。
学校ではみんな同じように振舞うことが求められる。みんな静かに、みんなと列になって歩く、目立たないように生きる教育と違いをなかなか受け入れない教育をされているように思う。
さらにメディアの宣伝、例えばファッション雑誌はカワイイとはこれだ!みたいに企画化されたカワイイ、モテを売っていたり、他を考えさせない印象を受ける。
日本はいろんなものが企画化、マニュアル化されているように見える。
他と違うこと、マニュアルとは違うことをするのを嫌い、違うものに厳しくあたるのは優しい社会とは言えない。
日本も優しい社会ではあるが、このパーソナルスペースの違いが少し冷たさを感じさせているのかもしれない。
もっと受け入れる社会にするには、身近なことで言えばカワイイは雑誌で言われているものだけじゃない!マニュアルはあくまでマニュアル、彼女や彼氏に送るプレゼントはマニュアルではなく、相手の好みにあったものを考えるとか、臨機応変な対応が必要なのではないだろうか。そしてもっと効率的、生産的に仕事をするにはどうすればいいか考えると、必要なものは他と違っていたとしても受け入れるようになるだろう。
今の日本社会は非効率、マニュアル社会に見える。