アメリカではスーパーボールの話題が多い今日この頃。
レディガガの歌う国歌がすごい、またファッションも面白いとテレビでは話題なっていた。
スーパーボールとはアメリカンフットボールのことで、アメリカカルチャーを語る上では重要なスポーツ。
テレビを通してみても、その盛り上がり方は日本では感じることがない迫力を感じた。
国歌斉唱では静かに陶酔している選手や歌を口ずさんでいる選手、サビで盛り上がる観客。
日本では感じたことのない盛り上がり方にいろんなアメリカの番組を通して驚いた。
ちなみに面白いことにフィリピンでは映画館で映画の上映される前に国歌が流れる。
さらにフィリピン人の友達は国歌は嫌いじゃないという。
なんか僕は羨ましいと思ってしまった。
僕はアメリカの国歌がよくて日本の国歌が悪いとも思ってない。
各国それぞれ特徴があるのは当然。
ただ、日本の国歌から力を感じない。
僕が小学生のときも国歌を歌うことはなかったしクラスメイトも歌っていなかった。国歌に対しはあまりいい思い出がない。
海外の友達にも言われたが、たぶん愛国心が欠けているからかもしれない。
これはおおくの日本人に当てはまることだと思う。
最近では愛国心だけではなく、下の記事によると日本人は自分の会社を信じていない割合が他国より高いらしい。
愛国心の欠如と会社への不信感というキーワードは、孤独死とも無縁ではないだろう。
「無縁社会を生きる」という本に
少し前の情報だが”年間孤立指数3万2000人”とある。
誰にも気づかれずに死んでいく人たちがこれだけいるのだ。
さらにこの本によると無縁社会になっているのは”企業という共同体の崩壊も無絆の一因”とある。
終身雇用の崩壊しているとは言っても、会社は積極的に自らリストラをしようとしないので、「うちは終身雇用だよ」といいながら必死に会社にしがみついている人もいるだろう。
必死にしがみつく人が多ければ多いほど、会社の自分の価値を下げていることになり、自分を安売りしていることになる。それでは転職が難しい社会になるのもかわる気がする。
悲観している人が多いのもわかる。
僕が海外の友達が国歌が大好きということを羨ましいと思ったのは、その言葉に悲観を感じなかったからだろう。彼ら彼女らは少なくとも国歌から力をもらっている。どんなに政治家が悪いことを彼らの国でしても、それでも国歌が大好きで国を信じている。
その国への信頼と愛は僕と比べてとても強いものに感じた。僕たちが考える右翼左翼というのは偏りすぎた考え方なのかもしれない。
いつか自国を誇れる国歌と信頼できる会社がある国になってもらいたい。そうなった時は生きやすい希望を強く感じる国になったときなのかもしれないと思う今日この頃。
参考にした本