日本(東洋)とアメリカ(西洋)の自然に対する認識の違い

アメリカのクラス内での話、クラスにハチが飛んできてクラス内が騒ぎ出しあるクラスメイトがハチを殺してしまったことがあった。僕はハチがいたことをみんなが気づく前に知っていたし、このハチはミツバチだったのでそうそう人に危害を与えないと思っていのでほったらかしにしていたのだ。なぜミツバチとわかったかというと僕のすぐ近くのテーブルに止まっていたからはっきり見えたのだ。間違って部屋に入ってきてしまってさらに雨だったのでハチは濡れていて乾かしたかったのだろう。それをクラスメイトが騒ぎ出して殺してしまった。
たしかに大きなハエが部屋に入ってきたときは追い払うが殺そうとはおもったことがない。

生き物を簡単に殺してしまうのはアメリカの学生には多いんじゃないかと思う。

そういえば日本の有名なアニメで風の谷のナウシカがあるが、昆虫がたくさんでてくる。昆虫と人間とのあり方について描いているアメリカのアニメはほぼないと思う。

とんぼのような日本の歌はアメリカにはない。僕はアメリカ人は昆虫に対する知識や関わりというのが日本と比べてかなり少ないと感じている。
近所の人があまりにもカラスがなくものだから大声でカラスに怒鳴ったり、カラスを殺してしまいかねない勢いできれるのを見たりして、あーなんて心の狭い人達なんだと思ってしまう。だから桜が咲く桜並木がアメリカにあったとしてもどこか綺麗じゃないのだ。ただ桜をたくさん植えているだけ、道端は汚く桜の散る様子を綺麗に見るための環境が整っていない。雨の日に傘もささずにびしょびしょになりながら電車に乗り込んでくる人を見ていて、季節にあった感性が日本に比べて劣っているんじゃないかと思ってしまう。雨がしたたり葉っぱに当たる音た音が嫌いだったらしき近所の人は葉っぱを雨の日なのに切っていた。僕は雨の日は音は好きなんだけどそういう感性の人は少ないのかもしれない。そしてもちろん、サンフランシスコにも春夏秋冬はあるし雨季もある。それでも季節感がどこか欠けたように見えてくる。

この季節感と虫に対する考え方というのは密接なんじゃないかと思う。

海外のアートには人物がメインで描かれていることが多いけど日本のアートには植物、生き物というのは良く出てくる。日本は自然と共存する考え方がとてもある社会なんだと思う。

ハリウッド映画のように善悪がはっきりする作品というのはアメリカの考え方を象徴してると言えるが表立って答えがでてこないものに重点を置いている日本やアジアの感性というのはアメリカと比べて平和的な感性だなと思うのだ。

国際社会ではアメリカのように物事をはっきりいったほうがいいというのが当たり前にあるが、これの根本的な考え方には西洋の宗教、文化背景の考えとアジアの宗教、文化背景の違があり国際社会が西洋主体だからだと思う。もし東洋が国際社会の中心であれば物事ははっきりいうことがすべて正しいことではないということが当たり前の社会になったかもしれない。

世の中はいろんなもののの対立で渦巻いている。アメリカは国際社会だけじゃなくて国内でも対立やテロがあり、善悪で物事を考えることが進みすぎた社会なんじゃないかと思うのだ。

そもそもアジアに広がっていた仏教などはキリスト教と違い宗教戦争をしてこなかったと思う。そこには共存の考えかたがあっただろうし、多神教だからこそケンカなく生きる社会を目指そうとしていたんだと思う。キリスト教は戦争が常に多いのは善悪で考えているということが簡単に人を騙すことに使えやすいからだと思う。本当にクリスチャンは戦争なんて望んでいないらしいから争いごとを行う人はお金や利権を獲得するために善悪という簡単な考え方で洗脳しやすいキリスト教というのを使ったのかもしれない。

これらのことは自然と見ようとせず人がメインの考え方だ。

グローバリゼーションにより食べものを工業製品のように扱いだし世界中に広めたのは西洋だったことを考えると、食べ物、生き物に対しての感性は日本人とは大きく違うと思う。その結果、食べ物を投げたて遊んだり環境破壊も進むのだろう。

僕はアメリカにいて日本の良さをあらためて見つけることができてとても嬉しい。
それにアメリカ人には東洋の考え方をリスペクトする人もいることから東洋の考え方が古いとかダサいとか思うこともないと感じた。むしろ西洋の考え方も学び、東洋と西洋のいいところと悪いところがわかるようになり広い考え方を持てるようになるんじゃないかと思っている。

日本では外国人労働者を大量に受け入れるようになろうとしている中、西洋と東洋の考え方の違いが分からずほんとうにうまく行くのかちょっと心配である。東洋にも西洋にもそれぞれいいところがあるし、キリスト教は仏教からも学び仏教もキリスト教から学んで発展してきた歴史からしても、多文化を排除するのではなく自国の文化をださいとか古いとかさげすんだ考え方でなく両方をうまく取り入れて考えられるようになることはこれからの日本では重要になるとますます思う。

アメリカでもアジアの文化を学んでいる人が日本のような自然に対する認識になるかというとそれは難しいだろう。でも話せば分かってくれるので知識の共有が異文化には必要だとつくづく感じる。

スポンサーリンク
レスポンシブ 広告
レスポンシブ 広告
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。