STEM教育というものについて思うこと。

STEMはサイエンスとテクノロジーとエンジニアリングと数学のことらしいのだが、これとは別にSTEAMというアートが加わった教育スタイルがある。

日本では遅れをとっているように見えるこれらの分野で、もし日本のが取り組むとなるとSTEAMよりSTEMが取り込まれるんじゃないかと思った。なぜならアートに関しては日本はまだまだ発展途上に見え、プログラマー教育を充実させないとなどの話があるからだ。たまたまクラスメイトと関連した内容の議論することもあったので、このアートの部分はどう大切なのかということを僕なりに、なぜアートも必要なのかを考えて見た。

1 STEMだけ知識だけではいいものはできない

今でも日本では必要人材はプログラマーと叫んでし、科学、工学などの研究分野に目が行きがちだと思う。でもそれらだけでは人が生活していて居心地のいいものは出来づらい。アートというのは複雑な読解が難しい作品だけではなく、人がそのアート作品を使う、置くことでハッピーになれて生活の質を明らかに向上できることも含まれている。数学や工学の知識だけでは、人の感情は理解できない。

具体的な例としては、プログラマーが作ったツール、はインターフェイスがプログラマーよりになりユーザーやアーティストが使いやすいとは言いがたい。さらにたぶん、ゲームで言えばユーザーはキャラクターを動かして楽しむが、プログラマーだけの人が作ると、見た目がかっこ悪いとか、面白さに欠けるということが起きると思う。そのほかに障害者をささえる製品があったとする、例えば義足。人の感情を考えるのが苦手な人、または効率しか考えない人が作った義足は義足を使いたい消費者が納得できるものになるだろうか?色のコンビネーション、サイズ、手触りなどの心地よさはアートを勉強してないとなかなか目がいかないと思う。

忘れてはいけないのは仕事は社会を良くするためにある。社会を良くする要素のなかには芸術的な感性と知識が必要なのだ。

2 アートをおろそかにすると、将来手的に面白みのない社会になる

僕はアートがそこまで必要に思われない社会と必要と思われる社会があると思う。必要でないと思われる社会とは生活に必死で生活必需品のほうが必要な社会だ。例えば戦時中とか、生きるために働いて働いて働くことしかないと思われる社会。アートは極端な話、生活になくてもいい。例えばオシャレな服、生きる上に服は着ることができればいい。もしお金に切迫している社会だとオシャレな服なんて買わないだろう。ただ、そんな社会にすごいアートが出たりもするが。。。

一方、アートが必要と思われる社会は、成熟した社会だ。働くことだけなく、生活を充実させることに重きをおいて、人生を楽しむことを考える社会。この場合、いろんなアート作品が出やすい。ピンからキリまでいろんなアートがでると思う。人々の多くが人生を楽しむことに重きを置いているので文化的にも面白いものになっていく。面白い服、面白いデザイン、形、色の組み合わせ、消費者が使っていて心地よい製品になっていくだろう。

日本の場合アートって必要なの?って思う人が多いみたいだから、成熟社会としては中途半端だと思われる。いろんな物や情報が外から入ってくるから、物はものすごく多いが、生活の質が向上しているとは思えない。もちろん戦後からはものすごく生活はよくなったんだろうけど、その成長は途中で止まったかのように見える。

日本で多くの過労死があるように働くことが人生で一番重要のようにとらえている社会構造があるのだと思う。アートを疎かにすると、世界の人々からも面白みに欠ける社会と思われ日がくるかもしれない。

3 STEMとアートの勉強しアートを取りいれることで人間的にも成長できる

よくアートを勉強することで新しいアイデアが生まれる、とかイノベーションが起こせるとか聞くけど、それは抽象的で分かりづらい。新しいアイデアも生まれるとは思うが、それは日ごろから色や形、かっこいいや面白い、かわいいなどの感性について考えているからでてきるわけで、アートを学んでも考えてないと出てきづらいと思う。

例えば、マンションデザインするデザイナーがいるとしよう、このデザイナーの任務は人々が見て興味を惹かれる見た目を考えて、実用的にも住める建築上の問題をクリアした設計を考えることだ。でもかっこいいマンションを考えてと言われても日ごろから考えてないと、アイデアなんてでてこないと思う。そういうと、じゃあデザインを勉強するために美術館に芸術鑑賞しにいったほうがいい、とかアートの歴史を勉強したほうがいいとか、なんか小難しくとらえてしまいがち。その勉強もいいが、重要なのが、マンションデザイナーなら、日ごろからなんであのマンションはかっこいいんだろう、なんでこのドアは開け心地がいいんだろう、とかそこから派生してなんでこの服は目を惹くんだろうとか考えることが重要だろう。その考えを通して色のコンビネーションや形を理解していく。そこにアートを通して色の理論も勉強すればいい。これらの勉強と思考は人生を豊かにするのは間違いない。なぜならいろいろの違った視点を発見しやすくなるし、違う思考の人を受け入れやすくなるだろう。そして相手の気持ちも考えられる人になりやすいと思われる。マンションデザイナーだけでなくても、ゲームデザイナーでもプロダクトデザインでも同じだろう。なぜこのゲームキャラはかっこいいのか、なぜこの戦闘シーンのUIは使いやすいのか、なんであのプロダクトは売れたのか?なぜあのハンバーガーはおいしいのか?料理もアートの一部だ。

4 STEAMとは僕らの想像を超えてものすごい熱意と努力が必要で、それを学べた人材はものすごい貴重になる。

STEAMを教育に取り入れよう!っとなってもなかなか難しいと思う。それは日本の教育の場合、画一的な教育を小学校からしていき、大学入試で使えるような教育をする。大学入学後、今まで学んだことを忘れてまうような薄っぺらい人は多いと思う。でも僕が思うSTEAM教育は到達点は科学、技術、工学、数学のそのどれかもしくは複数に特化する実用的な人材を作り、人がどう思うがという感情的なことをアートを通して自分のSTEMの分野で考えられる人材を作ることだろう。多くに人がSTEMもしくはAのどれからに落ち着いてしまう。なぜならそのどの分野も学ぶことは膨大でお金もかかる。お金がかからないような仕組みに社会がなったとしても、強い熱意なくしてはそれらの勉強は続かない。そこでSTEAMを学べた人はSTEMとAの仲介する立場にもなると思う。開発者とユーザーの間に立つ人。

例えばプログラマーの会話は一般の人が聞いてもアーティストが聞いてもわからなかったりするし、アーティストの会話は非効率にも聞こえるときがあるかもしれない。そこにどっちの立場と考えを理解する人がくると、イノベーションが起きるんじゃないかと思う。もっといいツールに気づいたり、もっといい仕事の仕方に気づいたり、新しいサービスができたり。

STEAMってすごい人を作るんだなーと思ってもこれはとても大変なこと。STEAMを学ぶ人は多くの分野の最先端も常に勉強することになるだろうから、常に新しいことの研究、新しいツールの練習をし自分の技術と知識を証明するために何かの実績を残していくことに追われるだろう。さらに日本語だけでは情報量にかけるかもしれない、さらにコミュニケーション能力も必要だ。

つまり知識の豊富なテクニカルなエンジニアでありユーザーの気持ちを抑えられるデザインができるアーティストでもある人材を作ることになるんだと思う。開発者としての知識とアーティストとしてのデザイン知識を使って良いUIとUXを作ることになる。もしくはその両者の指導する立場になるのかもしれない。

まぁSTEAM教育はそこまでシリアスにとても難しい到達点だと考えてないかもしれないが、僕が思う実用レベルに達するには高い到達点には間違いないと思う。でもそこまで学ぶのには長い年月が必要だけど、それらを学んだあと、働く労力に合う給料がもらえるかどうかは別問題だ。

ちなみにアメリカの大学のSTEMに関する学科を卒業するとOPTの期間が延びるみたいだけど、STEMに関する学科を卒業しても本当に使えるレベルに達しているかは、本当にその人次第。大学を卒業しても日本の高校三年生レベルの数学も学んでない人もたくさんいる。本当の意味で使えるようになるにはかなりの努力忍耐と学んだことを実践で活かす日々の研究が必要だと思われる。

結論として

アートの勉強は人間的に大きく成長させてくれるし、面白い魅力的な社会を作っていく。そしてSTEAMを学べた人はとても貴重になるだろう。でも日本でアートを実用の教科として位置づけて教育するのはなかなか難しいのかな。

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