東大ブランドってそんなにいいの?

東大の入学式で上野上野千鶴子さんが

「がんばっても報われない社会が待っている」

「あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。
恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。」
「 あなた方には、東大ブランドがまったく通用しない世界でも、どんな環境でも、どんな世界でも、たとえ難民になってでも、生きていける知を身につけてもらいたい。 」

と言われていた。

僕はブランドとかいうのが気持ち悪くて嫌いなんだけど、その中にも東大ブランドというのがある。僕の周りにもブランドを身にまとっている人なんてたくさんいて、学生なのに高級車に乗って、SNSにはカップルでの海外旅行写真なんて上げている女子や男子がいろいろいる。それらを見ていて思うのは気持ちが悪いということだ。気持ちが悪いという感情がどこから来るかというと、

・中身がないのにブランドに固執しているということと

・見た目ばかり気にして薄っぺらくてそれを自慢することと

・ハイブランド志向が頭が悪そうに見えること

・ブランド志向が、お金、利権などで人を差別、軽蔑しやすくしている根性

上記の理由だけじゃなかもしれないけど、とりあえずこの4つ。

上野さんが東大ブランドという言葉を使ったけど、上野さんが東大には他では変えられない壁がありブランドがあるという偏見を誘うような発言をされていて僕はガッカリだと思った。フェミニストの上野さんは女性の合格者が少ないことも言及しているけど東大ブランドというものにのっかかっちゃっているように見える。なんかしっくりこない。上野さんを否定しているわけじゃないし、僕は上野さんの本は昔好きで読んでいた。古本を読むことが多くて読んだ中で最初に上野さんを知ったのは遥 洋子 さんの東大で上野千鶴子にケンカを学ぶという本からだった。

とりあえず上野さんを悪くいうことではないということを言っておこう。

東大すごい、東大やば!東大生は頭がいい、とかはよく耳にする。海外留学している日本人でも東大から短期留学でなんて聞くと東大生を違った目で見る人は多いと思う。それだけ日本人にとっては東大というのは大きな力を秘めているブランド名なのだ。

しかし、ブランドディングなどというように他のものと差別化することで魅力を高めるというのは非常にわかる。ブランドが出来る要因に何かしらの信頼性などがあればブランド価値があると言ってもいい。でも行き過ぎたブランド志向は自慢などから人を軽蔑することに使われたりする。人の財布やバッグを見て「ダサい」とか、「かわいそう」とか笑いものにしたりするのはおかしいと思う。ダサいというのは何と比べてダサいと思っているのか謎だ。ボロボロの財布、バッグにも味がある。ブランド志向の人はボロボロの車を見てダサいと思ってバカにするかもしれない、でもアメリカには走っている車はボロボロの車が多い、発展途上国に行っても中古車でボロボロな車も走っている。それらを見てダサいと思ってバカにするのだろうか?
ボロボロの服を着ている人なんて世界中にたくさんいてそれらを見てダサい、近寄りたくない、と感じてしまうのだろうか?

上野さんがいう「 学内に多様性がなぜ必要かと言えば、新しい価値とはシステムとシステムのあいだ、異文化が摩擦するところに生まれるからです。 」

というのは異文化を受け入れることが前提となっているが、ブランド志向が強すぎると知らず知らずに人を差別してしまう人が多いと思うので、そんな人達に多様性なんてないのではないのだろうか?東大に本当の意味で多様性があるかというと無いのではないかと僕は東大ブランドなんて聞く思うのだ。そもそも日本では多様性というのは学ぶのが難しい。

そしてハイブランド志向が頭が悪そうと思うのも薄っぺらさから来ている。このブランドを持っていたら自慢できるし、他と差がつくという人を見下しているようなことを何も悪気がなく思っているところが頭が悪く見えるのだ。東大ということを自慢して何が悪い、努力して入学したのだから自慢しても当然、という考え方はある。しかし恵まれた環境の人とそうでない人では大学にさえいけない人もいるのだから恵まれている人が自慢するのはあまりにもむごい話だと思わないのだろうか?上野さんが言うように

「 恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。 」

まさにこういうことなのだ。東大というのを自慢するのはナンセンスなんだ。自慢する薄っぺらさが気持ち悪いと感じさせるんだ。

留学生の中に日本では想像できないぐらいのものすごくお金持ちの子がいて全身ブランド、住んでいる家も普通は住めない家賃を親が払って住めている人がいる。先生より高いバッグを持っていて春休みは何するの?って先生が聞くとハワイに彼氏と旅行とかいう子 笑
その子たちもSNSとかで自慢してはいるけど、特に多いのが中国人と韓国人。この二つは差別が根深くある社会だから差別とブランド志向は根深くつながっていると思っても変ではないと思う。心の面も先進国になるにはハイブランド志向とは違う志向が必要になると僕は思う。そうでないと中国と韓国と内面も似てしまってくる。
でもそれだけお金持ちだとお金の使い方も自分だけに使うわけでもなくおごったり、高いものを友達に上げたりと嫌味がない。それに比べて自分ばっかり自慢して自分ばっかり優越感に浸っている東大ブランドが大好きな人達が嫌味に聞えるし気持ち悪いのだ。

日本はオシャレな人が他国に比べて多いし車も町も綺麗でいいのだけど、見た目にこだわり過ぎていてそれが見た目への差別を生みやすい環境になっていると思う。

日本の女性が世界で一番見た目に自信がないと言われているがそれは女性だけでなく日本の男性もプレッシャーを感じている人は多いと思う。それだけ日本では見た目重視の人が多いと思うのだ。

でも自慢したい気持ちはわかる。それが特別なことだったり普通できないことをやりとげたことなら自慢したいのも人の気持ちだと思う。でも自慢したい人ってすごいって思われたい、承認欲求が非常に強いんだと思う。友達にものすごい自慢したがりの人がいるけど、大げさにいったり嘘を言ったりとなんかかわいそうな人だ。自慢したい人は自慢しないと満たされない気持ちがあってそこにはどこか劣等感のようなものがあるんだと思う。

そんなこともあって東大自慢、東大ブランドなんて自信たっぷりいったり東大すげーとかいう友達を見ていて頭大丈夫か?どんな生き方してきたんだといつも思う。いじめられてきたのか、惨めな何かがあったのかとか思ってしまうのだ。日本で見た目に自信がない人が多いのも見た目へのプレッシャーにいじめられてきたことも影響しているのかもしれない。

東大でていると頭がいい人と出会えるとか就職活動が簡単とか良い人脈ができるとか聞くけど東大出身で面白い人というのは少ないと思う。どちらかというとマジメに勉強してきたタイプだし尖ったことをしようなんて思わない人がほとんどだと思うから面白い人だった日本の美大生のほうが面白い。良い人脈というのがどういうものが人によるけどただ、東大を入ることを目指してきた人達が多い場所と何かすることが決まっていてそれらをしたいと思って学校に集まる学生とでは面白さでは大きく違いがあると思う。ほとんどが東大に入りたいという思いだけだろうから何がしたいのか、したいことについて中学校、高校で学んできたのかどうかで面白さは全く変わってくる。小学校からマンガ家になると決めて頑張っていた友達がいるけど、東大に行く人より断然、話は面白い。昔ほどの就職はずっと雇用されるわけでもないしまた給料が昔ほど上がらないわけだから仕事も昔よりきついと思う人は多い中で東大を卒業すればそれらが解決するわけでもない。東大ブランドって多少思い込みのほうが強いんじゃないかと僕は思う。そもそも日本の大学で東大含めてまともに学生が勉強できる環境があるとは思えない。大学三年生から就職活動を始める人が多いだろうから勉強できる期間なんて海外の大学と比べると短い。本当に学生が勉強してしっかりと意味ある知識を得て社会に出たときに役立てる人になれるのかというとそう学校はなっていないと思う。もちろん海外の大学も卒業すれば社会の役にすぐたてる人は少ないがそれでもその学科を卒業したなりにかなり専門的な人にはなると思う。そもそも適当な論文を書いて卒業してしまう日本の学生がいると思うけど、そのような適当なのでは海外では卒業させてもらえない。もちろん海外の大学によるだろうけど、きちんと卒業させるという責任のあるところは卒業する資格があるかどうか学生をチェックする。

そもそも東大がらみでは大きな失敗が起こってきていることを忘れてはいけない。山一證券の倒産は理由の一つに東大で固められたメンバーによって起こされたというのは聞いたことがある人もいると思う。不必要なプライドはチームで仕事をするということを無視してしまうことがあるのだ。それに僕はしらないけど昔、官僚の集まるノーパンしゃぶしゃぶ事件というのがあったんでしょ?そして最近では東大生にはレイプというイメージがついてきているようにも感じるので東大生って事件起こしすぎてない?って感じる。オウム真理教には東大だけじゃなくて高学歴な人も多かったらしいし。

そう考えると東大ブランドってほんとうに価値あるブランドなの?昔ほどのブランド価値はなくてただの思い込みたいになってるんじゃないのかな?と思ったりもする。

マジメに勉強しているのはいいけどマジメすぎると騙されたり、世間知らずになったり、人として面白くない人になったり、プライドが強くてお金でしか魅力がない人に陥りやすいんじゃなかと思う。自分で考えることができない人になりがちだろうからそんな人が多い学校って魅力的な学生多い学校といえるのだろうか?論文数が多いとかじゃなくて学生として魅力的で多様の場としての学校と東大が言えるのかということだ。東大東大とまる東大を神のように称えて自慢している人をみるとそれ自慢できることなの?時代遅れなんじゃない?とか思ってしまう。もっと頭で考えたほうがいいと僕は感じる。意味の分からない学歴社会というのはそろそろやめたほうがいいと思う。学歴社会がきちんと効果的に回っているのならいいのだけど回ってない。アメリカも極度の学歴社会だけど、学歴だけでは人を判断できないので新卒採用なんていうのはアメリカにはない。学歴は学んできたことを証明するものだけど実際に何が出来るのかという点が重要なのがアメリカ。あとコネだけど。アメリカもまぁ変な社会だよ 笑
だから盲目的にアメリカ信仰なんてやめたほうがいい。まぁそれは今回は関係ない話だけど。

自慢する人達を見ていてどこが自慢なのかさっぱりわからないので気持ちが悪く感じるのだ。そんなに苦しい思いして勉強して入学できたことが素晴らしいのだろうか?みんな同じ科目勉強して受験させるなんていう時代遅れのシステムを通過したことが自慢なのだろうか?結局、何がしたいの?と聞いても受験勉強ばかりしてきた人にはわからない人が多い。何がしたいのと聞いてもわからない、何しにきたの?って感じなんだ。東大卒っていうのが欲しいだけ?
薄っぺらくて子供っぽい考えだと思う。

スポンサーリンク
レスポンシブ 広告
レスポンシブ 広告
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。