アメリカのマネをすると圧倒的な格差社会になる

格差というのは昔からあったので、格差があることは仕方はないことなのだ。なぜなら格差は人の能力格差、経済格差、教育格差などたくさんあり、さらに差別などの不平等な格差というのは世界中にあるので格差がなかった時代というのはないわけだ。格差による収入や教育、家庭環境、生活水準により階層というのが生まれるわけだけど、階層社会というのは一般市民の不満がでやすい社会だと思われる。階層と言えば似た話で貴族社会があったわけで、階層を作るシステムにも弱者からお金、時間の搾取などがある。階層を作って上層の人だけが満足に暮せる社会というのは下層の人にとって不満でしかなく、ストライキや暴動などにつながるわけだ。

僕の感覚では日本はアメリカより中間層が多くて極端な低年収と高年収の人が少ない社会だと思うので、アメリカよりは不満が出ずらい社会なんじゃないかと思う。教育格差があってもアメリカより教育を受けられる人は多いと思うし、子供でホームレスをしている人なんて日本では見ない。

同じ階級のものだけでつるむ社会というのは全体的に給料も増えないだろうし貧困化しやすいんじゃないかと思う。韓国内で仕事が少ないと言う人が多くいるのに、少ない仕事のポジションを奪い合う過酷な競争社会があるわけだ。アメリカで就職するより韓国で就職することのほうが僕は過酷なんじゃないかと、韓国の友達の話をきいていて思う。しかしアメリカの格差はひどすぎるんじゃないかと感じることが多い。まるでカースト制度のようなものだ。
言いたくないが黒人の貧困層は多いと感じるし、黒人の犯罪者は多いんじゃないかと思う。不法移民にも甘いところがあるので、貧困は拡大しているのだと思う。そしてホームレスにもお金をあげる人が多いのも、ホームレスがやる気を出して働くこうともしない社会なんだと思う。お金がないからある人が助けてくれ。その考え方は分かるが、それに甘えまくっていてドラッグをやってない人で改善できるだろうに改善しようと思っていない人もたくさんいるんだと思う。それで社会がなりったってはいるので、甘えられるところは甘えればいいんだけど格差はどんどん広がるいっぽうだ。マクドナルドに行っても他のバーガー店より貧困な人が多い印象を受けるし、貧困とわかるような人達がそこら中にいるのは異常としか思えない。

アメリカは差別にうるさい国で日本のアニメを見てやせすぎているから、もっと脂肪をつけたキャラにしろー、と考える保護者は多いんだと思うが多様な社会を描こうとして太っている人を良しとする考えは、今のアメリカには必要ないことだと僕は思う。日本でなら太っている人を多様性として描いてもいいだろう。なぜなら、アメリカは太っていることと貧困は明らかに密接につながっているので太っていることを問題ないとすることは貧困を増やすことにもつながりかねないと僕は思う。貧困の人は空腹て高カロリーな食べ物を食べる傾向が高いと思うし、アメリカ人は詭弁をいうのが得意なので、すぐ差別と考えて物事を問題化しかねない。

アメリカの映画の受賞で黒人やアジア人が少ないと言って問題視するのはいいのだけど、審査する人達は白人ばかり白人以外も審査員に入れようとしても、そもそも映画やドラマは白人を描いたものがほうが多いのだから黒人やアジア人を受賞しようとしてもなかなか賞をあげたいと思われる人は少ない。審査員を変えました、多様性のために黒人、アジア人を採用しました、って言っても法律でそうしなくてはいけないだけだから採用したくない人を無理に採用していては根本的な問題にならない。アメリカ社会がそもそも白人メインの社会なのだから無理に黒人、アジア人を選ぶと「え、この人が?」っていうことになる。
詭弁というか平等や差別をなくそうとする姿勢はいいが、そのやり方が捻じ曲がっているように見える社会なのだ。

近所のアメリカ人がアメリカ人は運動大好きなんだよ!って教えてくれるけど、運動している人って白人が多いし、多いと言っても日本で運動する人の数のほうが感覚として多いのではないかと思う。日本に帰省した時に思うのだけど、少なからず僕の周りで運動している人達の数はアメリカより日本が多いと思う。
アメリカ人は自分達が一番と思っているのか、あまり現実を見ていないだけなのか、言っていることと現実が合ってないことが多い。

アメリカのやってきたグローバリゼーションは世界中にファーストフード的な考えを広めてきたと思うけど、それは全くいい結果になっていない。大量生産、大量消費をさせるアメリカの考え方で食べ物だけでなく車も世界中に輸出をして成功したものの、文化がそこにあるかというと、そこにはない。大量にフォーカスしているアメリカの考えは良いと思う文化は見えてこない。

アメリカは大量という大雑把なことが得意だけど、細かなことは得意じゃない。それを証明するような事柄はたくさんあるし、面白い例は無駄にも必要な無駄があるという考え方だ。大量に作って余ったものは無駄だったけどそれは必要な無駄なんだ、というもの。これの考え方は悪くないとは思うが、本当に無駄なのに、必要な無駄なんだと思ってしまって思考が止まってしまっていては、太りもするし競争に必要な格差でなく、無駄に必要ない格差は広がるだけなんだと思う。

ドナルドトランプがアメリカ人を第一優先というけど、アメリカという社会は移民でなりたってきた社会で日本と違うわけだから日本が日本人を第一優先で考えるというのとは違う。それなのに、アメリカ人を第一優先というのはアメリカの根本的な考えからも離れてしまうのではないかと思う。アメリカというのは本当に捻じ曲がっていて現実を見てないし、詭弁に騙されやすい社会なんじゃないかと思ってしまう。

圧倒的な格差社会のアメリカは根本的なことを解決できずにきた結果なのだと思う。
根本的なものとは、たぶん教育水準を上げることと、食に関する教養をつけることと、銃問題と自己中心主義が当たり前と言う考えの是正だろう。仕事でそれは僕の仕事じゃないから知らない、関係ないっていう人は本当に多いと思う、そう思うのは僕の先生も授業中によく、それは僕には関係ないと言うからだ。アメリカではそれが当たり前かもしれないけど、その考え方が他のことに興味を持たせないし、他のことに興味をもたない人ばかりだと知識が偏って、深い問題点は見えるかもしれないけど、広く浅く知っておいたほうがいい問題点って見えてない人が多いんじゃないかなー。その結果が極端な格差社会になったんじゃないかな。仕事も極端、食べ方も極端、いろいろ極端すぎる。

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