日本で感じる閉塞感についてまた思うこと

海外の人と話していると日本のような閉塞感を感じないことが多い。それは何故なのか。
それはいくつの理由が海外にあると思う。

・将来を不安に思っている人が日本より少ない

・嫌なことを我慢してまでずっとやり続ける人が少ない

・労働時間や労働の内容の割りに給料が低く、人生を楽しめる人が少ない。

・空気を読むが行き過ぎていて自制が強く働きすぎる

・年齢を気にしすぎる人が多い

経済成長している国の人と話すと閉塞感を感じないことから日本では将来へのお金の不安と我慢をしなければいけないことが多く自分をあまり出せないというストレスから閉塞感が生まれていると僕は思っている。
経済成長している時代というのは将来に夢も持ちやすいし給料も増えるし嫌なことを受け入れやすい。それでいて将来に不安がない人が多いからテキトウな人が多くなるためストレスを発散することがしやすい人が多いのだと思う。
お金がないのが原因なのかというとたぶん半分正解で半分間違っていると思う。それは今日本人が持っている価値観というのは昔から作られてきたものから来ていて、バブル崩壊してから30年以上の間に起こった大きな変化はお金をどう安くするかコストカットするかという労働環境の変化(派遣労働者の始まりなどの非正規社員の増加)や女性の人権、LGBTへの取り組みの変化の遅さからくる世界と比べて人権問題が強く残った差別を差別を思っていない社会にがあるにもかかわらず、昔ながらの価値観を引きずって正社員に絶対ならないといけない、お金を平均どれくらい稼げないといけない、大人として○○しないといけない、車を買う人は少なくなったけど車も新車、家も新築じゃないとという価値観も残っているし(その結果海外より日本は新車がたくさん走っている)、服も流行をおさえたいまどきのかっこいいものじゃないと恥ずかしいとか、いう昔ながらの価値観がある。

僕は昔ながらの価値観を変えたら生きやすい閉塞感も少ない社会になると思う。
例えば

周りを気にして流行の服をおいかけるのをやめる→ストレスが減る

年齢を気にしすぎるのをやめる、むしろ年齢を聞かない→ストレスが減る

空気を読んで場をわきまえるわきまえないというのを考えすぎるのをやめる。→ストレスが減る

嫌なことを何が何でもしがみついて頑張らない→ストレスが減る

お金がないから将来苦しくなると考えないでお金が少なくても生活できるような生活を考える。 →ストレスが減る

これらはアメリカで多くの人がしている行動だ。

人は働くために生きているわけでもなしい、自分が楽しむのを我慢して嫌なことをしつづけるために生きているわけでもない。
仕事をしていない人なんて世界にはたくさんいるわけでそんな人たちが仕事をしなくちゃ!大人としてなんとかしなくちゃ!社会人として稼げる人にならなと!と思っているかというとそんなことない。テキトウに生きている。発展途上国の話になるが家族に支えてもらうことを恥ずかしいと思うわけでもなく、仕事がないんだから仕事がある人が助けるというのも普通だ。

アメリカだって就職が難しくクビになる人も多いわけだから仕事がないからお金が稼げないからって日本ほど悲観することはない。また仕事を探すだけだ。サンフランシスコなどじゃ非常に物価が高いけど、アメリカの田舎のほうはずっと安い。

周りの人と比べて良い仕事、かっこいい仕事をしたいと思う人が多いけど、なんでカッコいいとかで仕事を選ぶのかがわからない。かっこいいから○○の大学に行こう、カッコいいからデザインの仕事がいいとか。かっこ悪いと思われる仕事をしている人が少しうしろめたい気持ちで働いているのかもしれないと思うと息苦しい社会だぁと思えてならない。

ちなみにこれはアメリカの良くないことだけど、アメリカには男とは女とはこうでなければという強い偏見、固定観念を持っている人がいるのでこれも意味不明である。

話を日本にもどして、仕事を戦場、立派な社会人とは戦場で立派に戦える人というような考え方があることが古い価値観だからやめたほうがいいだろう。もちろん古い価値観にそぐわない人を採用しない企業はたくさんあるけど他にもたくさん仕事はあるし、そもそもかっこいいとかそんなことで選ばず、きちんと育ててきたスキルがあれば価値観が違っても採用しようという企業はあると僕は思うのだ。少なくとも日本以外ではそうだと思う。

僕の価値観は日本で立派なビジネスマンになりたいというものではないなぜなら価値観が立派なビジネスマンとはおそらく大きく違うからだ。誰かが作った就職活動のハウツーのほうが重要ならこの記事は全くあてはまらないだろう。

なんで多くの人は東京や大阪などの大きな町に集まるのか?サンフランシスコよりもごみごみした町なのに異常事態の満員電車を毎日乗って異常に慣れていく。電車の中でひそひそとしか話すことができない。迷惑をかけることなく電車で楽しく友達と話しをすることも自制しなけばいけないことをなんで変なことと思えないのだろうか?良い教育、良い食べ物、良い職場が大きな町にはあると思うかもしれないけど、それは本当だろうか?良い教育って受験対策がしっかりされている教育のことだろうか?それより受験でイライラした教育よりのびのび教えることも重要だと思うし、子供の興味関心を高めるもしくは僕で言えば僕の興味関心があることを学ぶことのほうが重要だと思っている。おいしい食べ物は東京にもあるけど、新鮮さは欠けているし、意外と自分で作ったほうがおいしかったりもする。田舎に仕事がないというけどそんなことないと思う。ないなら作ればいいしそれか企業を誘致を政治家がすればいい。世界でも企業誘致を積極的にしているところには世界中から人が集まっている。

経済成長には人口ボリュームが必要といい人口が減少する日本では給料の上昇も低いと考えられ、外国人労働者も増やそうとしている。たしかに人口ボリュームは大切なのだけど僕は過度の人口の多さは良くないと思っている。いってしまえば世の中、イス取りゲームのように数が決まっているわけだから、人数が多ければ仕事ができない、給料も増加できない、住む場所も良くない場所になったりと悪いことが多い。人は多くなってもいいけど集中しすぎるべきじゃないし、海外も視野に入れた人も多くなるべきなんだと思う。

人が多いとエネルギーも過度に必要だし環境問題もなかなか解決しない。原発なんて稼動しないといけないのも多い人を支えるだけのエネルギーが必要だからだろうし、人が多すぎることはよくないと思う。しかし中国を見ていても数の力というのはすごいと感じる。そのため人が多くなるのはいいけど、狭い日本なのだから違う場所に住むことも必要なんじゃないかと僕は思う。そもそも環境問題は世界の問題で人口問題と環境問題は密接だから世界の人だって人口増加がなんでもいいと思っているわけじゃないと思う。人類のためには多すぎる人口というのいは良くないのだと残念だけど思う、なぜならものすごい人口を保つためにもものすごい量も家畜も必要だしリスクを伴う原発だって稼動しないといけないかもしれない。
そんなこともあって人の多い場所って僕は好きじゃない。

それに日本では差別を差別を思っていない人が多いのでこれが解決すればもっと生きやすくなると思う。日本にある差別で改善したほうがいいのは見た目の差別と男女差別、年齢差別。
見た目の差別が根強くあるからかっこいい仕事がしたいとかかっこいい服がいいとか彼氏彼女は外人がいいとかいう。違う文化違う見た目に魅力を感じるのはわかるけど、それが差別も生むということをきちんと考えたほうがいい、なぜなら外国人だからかっこいいとか偏見、ステレオタイプでしかない発言だからだ。偏見、ステレオタイプなどは知識、経験不足から来ることが多い。見た目で差別があるからみんな同じようなスーツを着てしまうかわいそうな現象が起きるのが日本なのだ。年齢だってみんな年をとるし1年ぐらい違うぐらいでぺこぺこしたり気しすぎなんじゃないかと思う。年齢ってそんなに関係ないと思うけど年上を尊敬しないというわけじゃない。尊敬もしているし、少なくとも年齢の分、若い人より知識や経験も多い。
それに韓国に根強くある見た目と年齢による差別が好きじゃないからこそ、日本にもある似たようなこの差別はなくなってほしいと思っている。

ここで書いた内容の多くは日本では非常識な考え行動が多いと思うが僕は非常識というのはとても重要だと思っている。非常識の内容にきちんとした考えがないならただの変人だけど、納得できることがあるのであれば非常識が常識になったりもする。物を売る人だって他の人が非常識と思っていたことも覆されたときに商品が売れるようになったりすることも非常識というのがとても重要なことだといえる。現状の日本では空気を読むことばかりして非常識なことが生まれないというのも閉塞感の原因だろう。非常識は新しいビジネス、技術、サービスも生まれる。アメリカのさまざまな新しいサービスはできていろんな失敗がありながら社会に適応しようとサービスを改善していくのを見ていて非常識ってとてもパワーがあることだと感じる。

なんでも反対したほうがいいと言っているのではなく中身があるかないかで変態なのか頭のおかしい人なのか価値のある考えなのかが決まると思う。非常識が重要だからってバカ騒ぎをするとか変な格好をするとかじゃない。それだと見た目を気にする考えから離れていない中身の無い人でしかない。飾っただけの新しい見た目ではないのだ。中身があるかどうかが重要でカッコいいから○○の職業になりたい、学校にいきたいとかバカバカしいし根本的な考え方に差別が潜んでいるとも思えてならない。

お金がない人は田舎に行ったりして生活コストを下げたり、企業やお金持ちが作り上げてきたカッコいいという価値観から離れて高い時計なんて買わない、高いバッグなんて買わないという生き方だっていいと思う。見栄を張るのはいいけど見栄を張ってばかりだと周りばかり気にしてストレスになる。

日本の閉塞感っていろんなストレスから来ていると思うから、嫌ならやめる、やりたいことがあるならやる、コストがかかるならかからないような環境を整える、実家にいれるなら実家でもいいっていう行動と考え方が重要なんじゃないかな。何が何でも核家族じゃないといけない、一人の生活や家族を持って独立しないといけないというわけじゃないと思う。それは経済状況、社会のあり方によって変わる。自殺が多い人が多いのや閉塞感って考え方を変えると変わるんじゃないかと思うけど、どうだろう。自殺に向き合っていた友達がいたからこそ思う。

関連コンテンツ



スポンサーリンク
レスポンシブ 広告
レスポンシブ 広告

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする