昭和の雑誌の表紙などから見える今と昔

昭和20年~40年代あたりの表紙を紹介している本がある。この本で紹介されていた昭和の雑誌の表紙がおもしろかったのでいろいろ考えた。

科学に関連する雑誌などは現在売り上げが悪くなっているときくが、昭和では未来を描く科学にも興味があったと思われる表紙がたくさんあったと思った。

「おお、うちゅうタワーだ」昭和35年9月『たのしい三年生』

本に記載さてれいるが要約すると「昭和20年、敗戦国となった日本では夢を見る余裕もない日々がありその後、復興したあと高度経済成長期では原子力、コンピューター、ロボット、スピード時代、宇宙時代というキーワードが使われ、将来に夢を持っている」人が多いようだったので、多くの人は未来にワクワクしていたのだろうと思われる。

現在、将来をワクワクしている人は昔ほど多くないのではないだろうか。今のほうが昔より豊かで貧乏じゃないはずなのに自殺は多く、苦しんで生活している人が多いのかと思うと不思議な世の中になったのだなと思ってしまう。

おそらく今は昔よりいろんなバイアスがかかっているから生きづらいのだろうと思う。例えば
昔の絵はかわいくないし、こうしなくちゃいけないという決まりも今ほどなかったと思う。
大学は絶対に卒業しなくてはいけないとか、就職活動ではリクルートスーツは絶対とかあれこれ事前に覚えることや練習したりすることが今の世の中多すぎるのだろうと思う。

覚えることがどんどん多くなることは今の人は昔の人がやらなかったコンピューターにも精通しなければいけなかったりSPI試験なんていう意味不明の試験も必死に勉強したり大きな負担が昔より多いのだと思う。それでは生きづらくなるのは仕方がない。

日本の高度成長期といわれている発展途上国の人たちはいい加減な人が多いけどSPI試験もないし未来に夢を持っていてワクワクしているのを見ていてやっぱり日本は若い人が生きづらくなりつつあるのかなと思うこのごろなのだ。

「夜のないせかい 人口たいよう」昭和36年1月号『たのしい三年生』

ものすごく非現実だと思うような絵でも夢を持ってみられていたと思うと面白い。発想は面白いけどものすごく暑そうだし、むき出しの装置だからのっとられたりしたら武器にも使われそうで危なっかしい。ツッコミどころが満載の絵だけどツッコミなんて気にしていたらこんなのは描けない。相手がどう思うかなんて今ほど気にしていないのかもしれない。

現在日本では変化が大きくないからロボットやコンピューターに大きな憧れはないのかもしれない。プログラミングを学ぼうとする人が多くなろうとしているけど、お金が良さそうだ、仕事に困りそうにないという思いはあってもワクワクした面白いものを作れることに関われると思ってプログラミングを選択する人は少ないんじゃないかと思うがどうだろう。見た目ばかりばかり話題になるけど聞いていて僕はつまらない考えだなぁといつも思ってしまう。

心の奥底では大きな将来の不安があるから安全な道ばかり進むのかもしれないと思えば僕は楽観的で不安と思ってなさすぎなのかもしれないが、不安なんて気にしていても解決しないから僕はあまり気にしていない。仕事は日本だけじゃないしどーにかなると思っている。

「でっかいゆめの海底ランド」昭和39年10月号 『ぼくら』

人口が多くなっている時代にはこのように海底にまで人が住むようになると思っている人も多かったのかもしれない。今では環境破壊の問題もありなかなか海底を開発して人が住むめるゆうにするというのは難しいと思うけど環境破壊なんて考えないという意気込みはなかなか面白い。考えないからこそ勢いがあるんだと思うけど、現在は立ち止まってまず考えることも日本では多いからどうしても勢いというのは昔ほどはないのが日本だと思う。なかなか難しいものだ。

「夢を呼ぶ未来の自動車 空中自動車レース」昭和32年11月号『冒険王』

車がどんどん発達すると思われて車を購入する人が多く現在のような道路の発展に繋がっている。現在、車を購入する人は少なくなっていると思うので昭和20年から40年とは全く現在は反対の世界だといえる。夢があるのがユートピアなら夢も少なく自殺も多い現在はディストピアなのだろうか。しかし現代は食べ物も安くおいしいわけだから、食べ物がおいしいということはディストピアではないと僕は思いたい。不幸に思う人は食べ物がおいしいと感じていいないのかもしれない。海外の食事を食べるとどれだけ日本食が安くておいしいかわかるから海外でしばらく生活してみるといい。

僕も現在の世の中からこれらかの自動車の大きな発展、進化というのはあまり感じないけどそれは日本が成熟しすぎたということなのかもしれないと考えると成熟していない国はまだまだ自動車も必要としているのだろう。成長を感じるのは携帯やゲームやコンピューター関連ばかりだ。成長速度が遅くなると給料も増えづらくなるから現代は夢を持ちづらいというのはわかる。現代には現代の生き方で生きないと昔と同じような生き方では苦しくなるのだと思う。

「地球最後の日」昭和43年6亜gつ『少年キング』

昭和40年代は環境問題が深刻化していく時代だからこそこのような滅亡論が流行していたらしい。現在も滅亡した世界というのはゲームでも使われるぐらい人気はある。昔は滅亡論を深刻に現在よりとらえていたと僕は思う。今までに起きなかった想像もしていなかったことが起ころうとしている時代だから滅亡論も深刻にとらえてそれを改善しようといろいろしてきたのだと思う。山あり谷ありの多い社会だったのだろう。

現在は滅亡世界はゲームのエンターテイメントの一部だ。異世界なわけであって身近なものではない。どこか冷めてしまっている人が多いのかもしれない。テロも多くなってきたり、命を軽くとらえている人が多くなっているのも現代ならでは問題だと思うので世の中変な社会になってきているのかもしれない。そして日本は平和ボケもあるからか悩んでいるいる時間もない戦後の人と比べると平和でかつ悩む時間もある現代の人は悩みを持ちやすいのかもしれない。

僕は悩む暇がないぐらい趣味に没頭することがあるので、楽観的なところがあるのは悩んでないからだと思う。むやみに悩む必要はないと僕は思っている。外国の人と話すのだってうまくしゃべられないからと悩んでいたらなにもできない。話さないと伝わらないし、発音が悪くて伝わらないならわからせる手段を使って伝えないといけない。わからないんだったらわからせるか諦めるかしかないから。アメリカの先生だって留学生に話がうまく伝わらない場合伝わるようにいろいろ手段を変える人もいる。そんな先生ばかりじゃないけど、話してわからなければ別の手段で伝えるっていう人はいる。楽観的というかむやみに悩まないって重要なんじゃないかなって思う。自殺が増えるのも悩みすぎなんじゃなかと思う。自殺した人は悩みすぎって言っても悩むことをやめたくてもやめられないのは分かる。それが悩みだから悩みを解決しないと悩みはなくならない。でも本当にそれって重要な悩みなのかなーって思う。極端な話、女の子が間違って丸坊主にされてしまって、 丸坊主になったから恥ずかしくて隠してこそこそして周りばかり気にして悩んでいてストレスがたまるより、坊主になったことを見せてスッキリしたほうがいい。僕は女の子じゃないけど坊主にされたら嫌だ。でもアメリカで切りたい髪形の写真を持って美容院に行ったときに、美容院のスタッフに写真に沿わないで丸坊主にされたことがある。それを恥ずかしいって思って悩んでたら宿題もできないし、友達関係も問題が生じるから悩んでなんていられない。それにアメリカだと坊主にしてくる女の子もいる。突然坊主にしてきて僕はびっくりしたけど、坊主だからって恥ずかしがることはないってことだ。
ただ、坊主は嫌だけどね。まぁ、アメリカは見た目がダサいから日本と比べるのはどうかと思うが、日本は気にしすぎだと思う。

日本は昔と比べていろんな気にしないといけない、やらなければいけないことが多くなっている。それでは声を上げてあーしたい、こーしたというのも難しい。
それに比べて今日サンフランシスコを含めたベイエリアでは子供たちが声を上げて町を歩くという行動があった。たくさんの子供たちが気候変動ストライキをしていた。

写真は一部の人だけど、周りには報道カメラマンやたくさんの大人の人とずっと奥まで人の列が続いていた。
このストライキについては本気でやっている人はどれだけいるのか謎だけど、ストライキにのかかって学校を休みたいだけの人もいるかもしれない。気候問題と環境問題と食糧問題は密接だから肉を食べるのを少なくするという考えが生まれていいと思うのに、この学生達はランチの時間にバーガーショップにたくさん入ってバーガーを食べていた。世界の学生の流行のストライキに影響されているのかもしれないが、こんな単純だと思う行動も日本ではなかなかできない。なかなか生きづらい社会だ。もっと意見を言える社会になればいいとは思う。

これからの日本はもっともっと外国人労働者が増えるだろうから、これからの日本は起こったことのない事件、変化がでてくると思う。食べ物だって外国人が食べたいものが少ないと思うし、とくに現地にある食べ物が少ないからストレスが溜まるから事件が起こる可能性があるし、外国人と結婚する人が多くなるかもしれないけど、どこの国の人も日本の金銭感覚が違うだろから、結婚して後悔する、お金も戻って来ない、彼らが作る新しいサービスも日本のクオリティほどでなく問題が多くなるかもしれないとこから悩みはもっと今より多くなるかもしれないから悩んでばかりいると生きていけないと思う。日本語もうまくしゃべられない人が上司になったり、今までにないことはたくさん起きる。

昔や発展途上国から学べることは悩みすぎない、見た目ばかり気にしないことだ。ある程度、楽観的になることは重要なんじゃないかと思う。

受験が悩みなら受験が必要ない学校に行くとか海外行くとか、お金が足りないなら無理に大学行かないとか、大学に無理にいかなくても高校卒業から働いている人でも稼いでいる人はたくさんいるし、必要があればのちのち大学に行けばいいと思う。とはいうものの、高卒から働くのってけっこう大変なことだろうから、もっと高卒も就職支援かスキル身につけることのできるほとんどお金のかからない学校か施設が増えるといいと思う。高校でスキルもつけないのに働くのは大変だろうから。と、いってもなかなか社会は変わらないから結局、自分自身で対策していくしかないのが世の中だと思うと残念な社会だと感じる。

人は身分相応、向き不向きがあるからみんながやるから無理してもやるっていうことはしないていいと思う。営業が不得意な人はなかな得意にならないだろうから稼げないだろうし、お金持ちばかり回りにいて、その人達の生活スタイルに合わせていたら大変だから合わせる必要はない。どこの国もそんなもんだと思う。例えばお金がなくてゲームに課金できないとして、それでもゲームをしたいとする。強くなるためにものすごい時間をかけないと結局課金者との距離は縮めるの難しいと気づくだろうし、そんなに時間をかけていると現実世界で成長する時間もとれないから稼げない人になってしまう。課金してない人は結局、多くの場合弱いカモにしかならない。身分相応って言ってしまえばお金によってじゃないとどうしても縮まらない差があるっていうことだと思うから、それをわからないといつまでたってもいつか強くなれると夢を持ってずっとゲームして後悔するというパターンになると思う。無課金者が勝つにはチートか、チートにならない方法でアドバンテージが取れる仕組みを作るしかない。もちろん格闘ゲームのようにプレイングによって差がうまれることもあるけど、それは課金ゲームではない。僕が言っているの課金ゲームの話だ。

というように向き不向きをしって頑張っても無理なっことを知らないといけないし、身分相応というのがあってみんながやるから同じことをやるというのはおかしな話というのを知らないといけないと思う。今は大きく格差が広がっている世の中だからみんなと同じというのは難しくなっていると思う。人それぞれにあった生き方をするべきなんだと思う。

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