働かないといけないという偏った思想

漫画風イラストの練習

このよの中には働かなくても生活できる、生きていける人達がいる。
そう思うのはアメリカの留学生を見ていて日本では考えられない高い家賃、食費、学費を親のサポートがあって生活している学生がいることだ。

最近ではカナダで誘拐された中国人はランボルギーニを乗っていたということからも世の中には働かなくても生活できる人たちがいることを知ることができる。

彼らはなにがなんでも働かなくてはいけないとは思っていないし、ある程度やりたいことをしながら生きていると思う。それでも働きたいと思っている裕福な学生がいるけど彼らは好きなことを学んで好きで学んだことを活かしたいと思っていて、お金のためというよりその人が憧れている特定の企業などで働きたいと思っている傾向はあると思う。

日本にもこのように働かなくても生きていける人達はいると僕は思っている。推測だけどお金にもつながりづらい日本の美大に好きで行って卒業してそれでもお金に困窮することなく生活できている人はいる。音大でも同じだ。世界にいる飛びぬけたリッチではないけど働かなくても生活できる層だ。美大や音大に行く人がみんながお金持ちというわけではないと思うけどそういう人はいるだろう。

何がなんでも働かないといけないと絶対に思っているのはプロパガンダみたいなもので今の不景気の日本を作ってきた考えの一つと僕は思っている。これはダラダラして惰性に任せて生きていくことを話しているわけではない。違うチャレンジが重要だということだ。

オシム監督が本「考えよ! –なぜ日本人はリスクを冒さないのか?」で語っている。

リスクを負わぬものに勝利なし、とオシム監督は言う

簡単にいうとチャレンジしろと言っている。オシム監督はリスクをとらないとサッカーだって勝利は無いし、それが今の日本なんだと言っているが僕はちょっと違う考えがあるので補足と反論に近いものを言うと、

リスクはリスクをある程度(60~70%)担保できないのならリスクをとるべきではないと思うこと。また命に関わることは出来るのなら取るべきではない(あくまでできるのならの話、必要があれば戦争で自国を守ることは仕方が無いことだと思う)ということだ。オシム監督はこのリスクを取らない選択の説明がなかったがリスクを取る選択は共感できる。特に責任の強い立場になればなるほどリスクをとらなくなるとはわかる。

多くの人が同じことをするなか(リスク回避)、お金のなる人って他の人と違う選択をしていて、言ってしまえばリスクを担保する経済力があるのでリスクをとって挑戦しようという考え方がそこにはあるのだと思う。アメリカのヒッピー文化が1960年代から発展していたのも新しい考え、事に挑戦できるお金持ちがヒッピー文化を大きくしてきたと僕は思っているし、ヒッピーをやめてコンピュータ関連に走り出した人たちも多くいたわけで結局、新しい挑戦ができるリスクをある程度気にしなくてもできる人たちがイノベーションを起こしてきているわけだ。リスクの回避には完璧なものはないのだから負債を多少負ってしまうのはしょうがない。

一般的な就職できるコースから外れて美大や音大に行く人たちは本人が意識しているかどうかを置いておいてリスクを取って挑戦しているといえる。もっというなら美大や音大は国立より高い傾向が高いのだから大きな投資をしているわけだ。投資にはリスクがつきものだ。

つまり意外と裕福そうはリスクをおかしているんじゃないかと思うのだ。
しかしこれではお金持ちしか挑戦できないから働かないないなんて思想はなかなか現実的ではない。

そこで考え方を広げるとお金は必要で稼がないといけないけど無理にサラリーマンしなくてもいい、嫌でも働き続けなければいけないというのは幻想だ、という考えでもいえると思う。働かなくてもいい、つもり辛いことなんてしなくて稼げているのならある意味遊びみたいなものだ。それはお金持ちが労働はしてなくても好きなことをしているのと変わらない。お金を作っているのか作っていないのかの違いだ。

何がなんでも一般的なルートで働かないといけないという偏った考え方は大きな間違いだ。
もちろんお金の無い人だってリスクをおってチャレンジすることができる。それは大きなお金の負債を抱えるようなリスクではなく、お金を使えないから時間はかかるけどインターネットを使って地道にやりたいことを勉強したり、仕事をしながら余った時間に勉強したりという、ものすごくは大変で命を短くしそうだけど新しいチャレンジはできる。

アメリカでイノベーションが多く生まれるのもお金のある家庭の人がリスクを気にせずに挑戦できるということも一つだろうし、もちろんお金の調達がしやすいというのもあると思う。

しかしそのようにやりたいことをしながら生きていくことは可能だろうけど、貧困、裕福関係なくやりたいことが無い人が世界では多いと思うのだ。

このことからやりたいことを

やりたいことを見つけ、それに向かって勉強できるかどうかで多くの人と比べてものすごい差がうまれる。

何が何でも働かなければならないという考えから脱却したほうが面白い人生だろうし楽しいだろうと思う。

何もかも苦もなく手に入れてしまう裕福な人たちのつまらない環境だからこそ新しいことを生み出してしまうと思うこと。天国なんていうのはつまらないところなんだと思うからこそお金のある人たちって違う行動、考えをしているんだなって思う。

それと裕福でない人の出来る限り働かない戦略は裕福の人たちより戦略的にしなければいけないと思う。

お金の管理は細かくなるはずだし、節約は出来るだけしないといけないだろうし、人との繋がりは貧困化しないためにも必要になってくるだろう。特に人のつながりは重要で若い人のいない地域では若手にちょっとしたことを手伝ってほしいと思っている人たちもいるし食べ物もくれるだろうし、そういう人たちと助け合って大量に余る時間で好きなことをするって言う方法ももしかしたらあるかもしれない。

結局ホームレスだって人の集まるところのゴミから物を拾って売ったり、人の集まるところのほうが食べ物をくれる可能性が上がるから人との関わりとは離れられない。この人との関わりが特に重要になるのが貧困の人たちだと思えるのだ。ニートなんていうのはサポートしてくれるお金のある家庭がないとできない。

読んでいておもしろかったのが「働かないで生きていく」という本

何この表紙、内容がしょぼそうだなーとか思いながら読んでいるとちょこちょこ面白い話をする。ただこの本で僕とはちょっと考え方違うなと思ったことは小説家、至道がいう要約すると「なにもかもが無価値だ」ということだ。これは面白くするために言っているのか本気で言っているのかよくわからないが、世の中に価値ある人なんていない、非常識も常識も無価値、人命は地球より重いなんていう大衆の考えるようなことは多くが無価値、というものすごく極端な考え方を述べている。まぁ作家の人は不思議な考え方の人が多いから面白いし、全く考え方の違う人の話は何か学ぶものがある。おそらくこの人はアーティスト的なマインドがないもしくは欠けているからそう思うのではないかと思った。なぜなら価値がないなんて考えるとアートは成り立たない。大衆の考え方が間違っていることが多いことは賛成するけど。

でももし、みんなが働かなくても生きていけるようになるとその国は滅びてしまうだろう。労働は移民に頼り、その国で移民達が身につけた技術と人材は将来漏出する可能性もあり、移民がいなければ何もできないという国として大きな問題に突き当たるだろう。古代ローマ帝国が滅んだのも平和すぎて低コストで労働してくれる奴隷もいて裕福な人達は平和ボケで国を守る軍隊も弱体化したことが要因だとも言われている。お金があって働かなくてもいいからって平和ボケしているわけにはいかないのだ。

世の中にはいろいろな生き方をしている人がいるので絶対にこれじゃないとという考えには陥らないようにしたい。

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