エルトン・ジョンも言った「多くのアーティスティックな人はゲイ」ということについて考えてみる。
僕は意見としてゲイの多くが普通の人よりアーティスティックだというのはちょっと違和感がある。ジョンの言っていることは恐らく間違っていないはずだ。それだけ人生経験をしてきているので発言に少なからず重みがあり信憑性がある。しかし僕が違和感を感じたのがジョンは西洋人である。恐らく西洋センスから考えた発言なのではないかと思う。なぜなら日本にはゲイじゃなくてもアーティスティックな人はたくさんいるしそれは西洋より多い気がするからだ。
日本人男性って他の国に行くとゲイに見られたりするって聞いたことないだろうか?それはそれだけ感覚が西洋の男性像とかけ離れているからだと思う。西洋の人からするとそれはゲイのようなセンスなんだと思う。でも日本人からするとそうじゃない。つまりゲイだからアーティスティックな人が多いというのは西洋に当てはまり日本には当てはまらないのではないか、ということだ。
想像だけど西洋のキリスト教って一神教だし西洋の映画も悪と正義をはっきり分けるし、男性像女性像ってはっきりあってそれぞれが男性と女性を演じる、ならないければいけない。言い方は悪いが考え方に一つのことを選ぶのが正しいと思っている感じがあるのだ。もちろんゲイ、レズだけじゃなくてバイもいる。でもバイよりレズ、ゲイってはっきりしている人のほうが多い気がするのだ。このことは愛されたい愛したいという気持ちはかなりの割合で一つの性へ向けた気持ちなんだと思う。だから別にゲイだからアーティスティックというより愛への対象が違うだけなんじゃないかと思うのだ。
日本人はかなりアーティスティックな人が多いのも色々なことを受け入れる土台があるんだと思う。実際に日本は色々なものを輸入したり、違う文化を取り入れたりすることは他国より簡単で多いと思う。例えばクリスマスも楽しむし、お正月は神社に行くとか。アメリカでもヨーロッパでも他の人種や宗教と同じようなことをすると差別やら自国のことを考えていないとか敵意を持つ人が日本より多いと思う。つまり日本を除く国ではあまり色んな考えを意外にも受け入れる土台がないといっていいんじゃないかと思う。受け入れるけど真似しない、制限だって簡単にするとか日本と違うこの考え方がアーティスティックなゲイが多い海外、ゲイじゃなくてもアーティスティックの日本という違いにあらわれているんじゃないかと思う。
日本全体が色々なことを取り入れやすいからこクリスマスは宗教イベントで聖夜のはずがカップルの性夜になっちゃっているわけでしょ。その考え方の時点で宗教の壁を越えた発想ができちゃっているんだから他の国からすれば狂っているけどアーティスティックなことを考えられる環境って日本は高いんじゃないかなって思う。
日本におけるアーティスト達って日本の普通のサラリーマンコースの人じゃないわけで大きく普通の人から感覚が違うんだと思う。だから普通でない発想ができる。ゲイがクリエイティブというのは普通でない発想ができるからだと思うんだけど、今の日本男性は女子力なんて求められたりすることからも別にゲイじゃなくても発想豊かな人は多いんじゃないかなって思う。それってとっても心が広くて頭の柔らかい発想だと思う。アメリカで女子力高い男性なんていったらもうゲイだ。西洋ってハイブリッドな考えができない人が多いと思うからちょっとハイブリッドになるとゲイ化しちゃう。これは日本の古い男性女性にも同じことが言えるかもしれない。男性とは女性とはって固執した考えがあると思うから。
性の壁を越えて色々な角度から考えられる人がゲイみたいな考えは間違っていると僕は思っている。それは固執した考え方に聞えるし、西洋の人が男性、女性、ゲイ、レズというものに固執している人が多いとすると頭が固い人が多いのかなって思ってしまう。なぜなら一つのことばかり考えるから、「あー僕は私はゲイ、レズなのかも」って考え出すわけで、普通の人だって人生に最低一度はこの人なら同姓でも結婚していいとか思う人はいるんじゃないかと思う。そう思うのはアメリカでそんな質問がクラスメイトからあって僕は考えたことないって言ったら嘘つきとか言われたことがあったから、意外にも世の中には一度は同姓でもこの人ならいいって考えたことがある人が多いんだと思う。この点からも別に同姓が好きでもゲイじゃないんじゃないかなって思う。それだけ魅力的な同姓がいたって話しなんだと思う。そもそも僕はゲイじゃないけど僕からしたらアメリカのゲイは男っぽすぎて西洋の中の女性像に合せているんだなって感じる。逆に彼らからすると日本人男性は女性っぽいのかもしれない。日本人クラスメイトの男の子は肌も服も髪も眉毛も気にする人が多いからまぁ100%に近くそう思われるよね。しかも今の日本男子は見た目を昔以上に気にしなくちゃいけなくて昔の女性化のような状態なわけで、それは女性が男女平等に仕事をできる社会でなくお嫁に行くのが良いっていうコースで見た目を綺麗にしないといけない。海外からすると日本男子はゲイだけどそれは見た目で決め付けているだけのステレオタイプでしかないと思う。
僕の持論だけどゲイやレズって思う人は頭の中で同姓のことを興味をもって同姓のことを考えることをたくさんしてきたんじゃないかなって思う、たくさん考えるから同姓に性的な興味をもつんじゃないかなって思うわけだ。だからゲイの人が男性を考える場合は普通の男性よりなかなか分かっていることが多いんだと思う。それと同じで男性でゲイでない人のほうがゲイより女性のためのメイクってできる人って出てくるんじゃないかなって思う。なぜかというと、男性が女性に興味を持って興味を持てば持つほど女性のことを知りたいと思うだろうしメイクがあまりにも下手なら女性のためにメイクをしてあげようって人もあらわれるんじゃないかなって遠い将来だけど思う。今は男性は仕事で忙しい人が多くてそこまで興味を持てないだろうから無理だろうけど、このまま日本で男性が女性の理解を高めるために女子力を高めていって仕事も今以上に男女で平等に働き助け合うとなった場合、日本の価値観的には海外の男性より日本の男性のほうが女性への理解を示しやすいんじゃないかなって思う。それは日本の男女平等が海外の男女平等とは違う方向に進んでいくということを意味するんだと思う。もうすでに日本の感覚は海外とはずれているがあるのは知っている人も多いと思う。ワークライフバランス、男女の役割、見た目の美的感覚、好まれるエンターテイメントやファンションも違う。だからこそ普通の男性がゲイよりうまく好きな女性のためにメイクをするという時代もきちゃうかもしれない。日本って昔からよく言えば調和、協調を重んじてきて、それは人間社会だけじゃなくて自然界にも影響を与えている。サルが温泉につかるなんて日本ぐらいで自然界のすることを無理に排除せず人間社会とも調和しようとする考えだと思う。海外だとこれが難しい。調和があるからごんぎつねっていう話が日本で生まれるし、さらに自然を尊く思う人がたくさんいるわけだ。こんな調和好きな人たちが進めていく男女平等は男性も女性のためにメイクをしてあげようと思う人が生まれてきてもおかしくないとちょっと思ったりする。日本でも昔から女役の男性は人気だったわけだからだからと言って女役が必ずゲイってわけじゃない。美的感覚がが日本と他国では違うってことだ。それと日本って化粧する男の娘が女性からモテようと思ってちょっと流行っているけど、この化粧をして不細工を隠すとかって女性がずっとやってきたことだと思うから日本の男性はゲイじゃないのに女性化しつつあるんだと思う。美人の女性は化粧しなくてもいいけど不細工は髪形、化粧、服装で盛らないといけないのは昔の男性では気にすることなく仕事が重要だったと思うけど今ではこの3つを気にする男性が多くなっている。女性化は進んでいるようにも見えるけど日本式の男女平等が進んでいるようにも思う。まぁこの考え方は今の貧困のあらわれとも見てとれるけど。それか、男性みんなが化粧する時代が来るかもしれないし、韓国男性は化粧している人出てきている。だからってゲイじゃない。
男性だけじゃなくて女性だって日本の女性は海外の女性より大きく考えがことなる。それを海外の人がレズって思っても日本人的にはそう思わないと思う。
話がちょっとずれてきた気がするがアーティスティックなのはゲイが多いというのは違和感があるという話だ。ゲイの定義って同姓が好きで同姓を性的に魅力的に見えるかどうかで、多角的に考えられるハイブリッドなアーティスティックな人かどうかじゃないんじゃないかなって思う。エルトン・ジョンには悪いけど、ものすごくステレオタイプな西洋のゲイ発言に聞える。