世の中顔が不細工で結婚出来ないと嘆いている人がいるで女性で悩んでいるのがなぞである。
なぜなら現代では女性のかわいい、美人は化粧などで作れるわけだ。
男性と比べればマシなんじゃないかと思うのだけど顔が問題で結婚できない女性は化粧や見た目に対してあまり興味を持ってこなかった人なんじゃないかと思ったりする。
ブスは消えていなくなる。髪形や化粧、服装によってあっという間にブスでなくなる。インターネットで見たことある人は多いと思うが化粧をとるとあっという間に可愛くなくなる人。
化粧はものすごく人を変えてしまうのだ。目が細くても目は大きく偽れるし顔の形が悪いといっても髪形とメイクで誤魔化せる。なのに顔が不細工で出会いもなければ結婚できないという人はおかしいんじゃないかと思うのだ。
男性なんて化粧しない人が多くて髪が短い人が多くて顔を誤魔化せないわけだ。なのに今の世の中給料の上昇が無い世の中だから男性にも見た目を求める人が多く昔のような働きさえすれば結婚できる男性像というのはなくなりつつある。この状況と比べれば女性のかわいいは作れるは恵まれているんじゃないかと思う。男性で髪を伸ばしている人がいるけど、例えばビジュアル系の人でよく見たら顔はかっこよくなくて髪と化粧で誤魔化している。男性でもビジュアル系なら誤魔化せるのだ。
そしてメイクの技術の進化は今ものすごい高いところに来ていると思う。なぜなら誰もがインターネットで他人のメイクの仕方を勉強でき練習するための情報がたくさんある時代なのだから各個人のメイク技術は頂点に高まろうとしているのではないかと思うのだ。こんな時代に顔が不細工で出会いがないというのはそれが理由ではないのでは?と思うのだ。
しかも現代はいろんな美人、かわいいという価値感がある時代だと思う。カワイイだけじゃなくブスカワ、ぽちゃかわいいなどありさらに世間では普通の顔のアイドルが出てきてカワイイの基準が下がっていると思われる。どこまでかわいいの基準が下がるのかこれからどうなるのか全くわからない。そのうち今の不細工もカワイイになるんじゃないかなって思う。100円ショップでもメイク道具が売られピンからキリまでいろんなメイク道具があるこんな時代にカワイイを作れない不細工はかわいいの作り方をしらない人なんじゃないかと思う。動画を見たりカワイイを作ろうと試したりしたことがないんじゃないかなって思う。それかプライドがあってそこまで見た目にこだわりたくないとか。仕事が忙しすぎて見た目に拘れないないとか。
顔の化粧が手間なら体を強調して体が好きな男性を探せばいいと思うし外国には多い。胸とお尻は強調するのは当たり前という単純な作り方でいいんじゃなかと思う。
どこの国の規格に合わすかどの基準の美人、かわいいに合わすかでカワイイの作り方は変わってくるんじゃないかと思う。
そもそもいつから目が大きい人、鼻の高い人というアメリカ人みたいな人を理想としだしたのが謎。目を大きくする人は多いし、目が大きくなくてもカワイイとは思うんだけど僕はアメリカ人(白人)みたいな顔が一番なんて思うのは変だと思う。
今まで言ってきたのは「努力によって人は変われる」という強者の理論だと思う。
ここで別の考え方を考えるとしよう。
「ブスは努力してない怠け者ではない」という考え方だ。見た目に重点を置く人が多いのは世の中だけどそれはブスを良くないと思っているからだ。
美人でも美人オーラのない人っていると思うけどそれは見た目と中身がつりあっていないのだ。残念な人、かわいそうな人と扱われる。
一方、不細工は顔が不細工でも中身がよければそのギャップでかっこよく見えたり可愛く見えたりすると思う。ギャップをうまく使いやすいのが不細工だと思う。見た目の悪さを利用して人気度を上げてしまう。不細工の人は中身も不細工の人が多くなりやすいのかもしれないが中身がよければ不細工に見えなくなってくると思うので不細工は中身で変わるのだ。
中身だって努力は必要だけど努力が無くても好感度を上げることはできる。それは不細工を気にしない開き直り暗くならなず自分の人生を楽しんでいる人は輝いて見える。さらに不細工は美人やかわいい人より躊躇なく発言できる力を持っている。発言力があって人の発言によって気持を動かしやすいなら見た目で人の気持ちを動かそうとする美人やかわいいより簡単なんじゃないかなって思う。話が面白い人っていると思うんだけどその人が不細工でも全く不細工に見えてこなくなるから面白い。面白いだけじゃなくて頭がいい人とかすごく見えてくるもので不細工を通り越した存在になる。
それとブルドッグは不細工でもカワイイ、プーさんはデブいけどかわいいのはなぜか?それらがカワイイアイコンを持っているからだと思う。ブルドッグは不細工だけど小さいし、愛着がある。この愛着があるというイメージはブルドッグがカワイイとしてのアイコンを持っているんだと思う。またプーさんは顔は可愛くないしデブいのにやっぱりカワイイと思われるのはプーさんがかわいいアイコンだからでありカワイイと思われているイメージがあるからだと思う。よく見ると可愛くない顔のプーさんなのにカワイイイメージがあるからかわいいと思われちゃう。かわいいは見た目だけじゃなくてイメージで作ることが出来るのだ。これはどういうものかというと兄弟姉妹にかわいいと思う感情より普通と思う感情があると思う。不細工だったとしても長い間一緒にいると普通に見えてくるようにイメージは作ることが出来る。かわいいのイメージを作るには大勢の人に知ってもらわないといけないので不細工でカワイイイメージをまといたいと思うなら有名人になることになる。今ではユーチューブでも他の動画サイトでもアプリからでもネットを通して自分を売り出す、アイコンにすることができる。顔出しになんとも思わないなら不細工はでもカワイイイメージを持つことができる時代なんだと思う。ほとんど努力しなくてもだた動画を垂れ流しているだけでもファンがつけば可愛く思われてきたりもするんじゃないかと思う。
見た目がかわいい美人な人が得と思われるのは見た目が良いだけで黙ってても良い影響を周りに与え続けているからどんどん周りの気持ちが変わっていく、ブスがその逆だけどもしブスが発言することで相手の気持ちを変えていけばブスはブスにならなくなるんじゃないかと思う。
これらの理由から不細工は消滅していくんじゃないかと思うのだ。
それでも不細工が残る場合はどんな人かというと性格が本当に暗かったり性格が悪かったりひねくれていたりするんじゃないかと思う。そういう人は不細工でも美人でも不細工に見えてくる。それは家庭環境も関係しているだろうから日本の将来の経済状況の変化によって変わってくるんじゃないかと思う。今相対的貧困と絶対的貧困が徐々に広がっていると仮定するとこの状況が変わる分岐点に日本はきているんじゃないかと思う。この状況から良くなればますますブスは減るだろうし状況が悪くなればかわいいの基準はどんどん下がる可能性もありブスはそこまで努力しなくても可愛くなりやすくなるんじゃないかとも思う。どちらにしてもメイクや服装などの見た目からのアプローチか中身からのアプローチでブスは減っていくんじゃないかと思う。
見た目がぁぁぁって思う人は自分の魅力をどう高めたらいいのか自分を見つめなおしてみるのがいいのではと思う。見た目を変えるアプローチでいくのか中身で戦うのか、もう全部嫌で整形しちゃうのか、カワイイ基準を変えたいから外人を相手にするのか、いろんなアプローチがある時代だからブスはマイノリティになりつつあるんじゃないかなって思う。
あともう一つ思ったのが人の知識の量によってかわいい、不細工は変わっていくると思うこと。例えば外国人でアニメをしらない人がアニメを見た場合に現実離れした顔をカワイイなんていわない人がいるけど、アニメの知識がある人からすればカワイイになる。かわいいや不細工という美的感覚は知識量によって変わってくるということ。他の例で言えばものすごくお年をとっている人と若い人ではカワイイ、不細工という感覚が違うのはその人たちの持っている知識が違うからだと思うこと。幅広く知識がある場合一般の人が不細工と思う人でもかわいいと思うようになるということだ。
韓国の例を言えば韓国が整形大国な理由の一つに美的感覚の多様性に欠けているからなんじゃないかと思うこと。狭い領土というのもあるかもしれないし儒教の影響もあるかもしれない。でもみんな同じような整形して同じような服を着て同じような価値基準な人が多いのはどこかに儒教の持つ差別意識が邪魔したりしたりして一定の価値基準でないと認めないという考えがあるんじゃないかと思う。
しかし今はインターネットでいろんな価値基準を知れて学べてどんどん不細工とかわいいの感覚が多様化していくと思う。ただインターネットは多様化した美的感覚と多様化しない感覚の人にどんどん大きく分かれそうという問題もある。それでも日本では移民を受け入れ多様化しようとしているしアート教育が今後行われていくかもしれないというのを考えると不細工とカワイイは多様化するんじゃないかと思う。そうなると不細工はいなくなりいろんなかわいいが溢れてくるんじゃないかと思う。
カワイイや不細工は服装や化粧だけじゃなくて知識によってはも作られるということだ。