アメリカの生活は意外と息苦しい?

地域差もあると思うけどアメリカ人はフレンドリーな人ばかりではない。

日本と比べて高学歴で高収入の暮らしをしているはずの人も気のせいかそんなに幸せな顔をしていない。どこか切羽詰まっているようにも見えるし心に余裕がないようにも見える。
自分のことを中心に考えて生きている人が多いアメリカ人は周りのことも考えられないほど切羽詰まっている人が意外と多いのではない?と思ってしまうのだ。

もちろん、すべてのアメリカ人がそんなわけではないけど僕が出会った人たちの多くはそんな印象だった。

世界トップの資本主義国家のアメリカは物を自由に買えるけど購入プロセスで問題がたくさんあり購入したくてもトラブルが多いし購入後の商品にも問題が多い。アメリカはまるで途上国がお金持ちになったような国で、少ない大金持ちをのぞいて国内は貧困でガタガタでとにかくお金がないと生活は苦しいし出費も多いしお金のことばかり考えて幸せそうではないと感じる。

日本の場合もアメリカ同様に物が豊富にあるから欲しいものがあれば比較的簡単に手に入るが購入前も購入後もアメリカほどトラブルなんてない。さらに国民皆保険制度のおかげで病気や怪我しても安心して治療を受けられる。税金も高いけど大金持ちを望まなければある程度安定した生活を送れる国だと思う。

アメリカの生活が合う人と合わない人はいるけど僕の周りではアメリカを離れて日本に戻ってきた人で「アメリカで生活したおかげで幸せになった」とか言っている人みたことがない。だいたい日本生活より苦労している人が多いと思うのは移民や外国人にとってアメリカでは努力も才能も運も必要だし英語の壁は埋まらず越えられない壁のようなものがたくさんあって苦労が報われないことも多いからなんじゃないかと思う。つまり中途半端に弱い者、強い者は幸せになりづらい国でもあるんだ。

それにアメリカは不便なことが多いし、複雑な保険に複雑な人種問題や差別問題もあるし学生なら追い込まれて勉強する人も多いし仕事ではいつクビになるかわからないので同じく必死なわけで。常に不安がある状況では心が休まる人は少ない。

子供の楽しみだってアメリカでは日本より思ったほどない。特に日本のキャラクター物がや日本のかわいらしさが好みの場合はアメリカのおもちゃは悲惨だ。スーパーヒーローやスターウォーズやマリオ、レゴとかのおもちゃはよく見かけるけどもっと多様なものがなさすぎてアメリカの子供で日本好きな子供だったら日本よりつまらない生活しているなぁと思ってしまう。子供が好きそうなかわいい玩具だって少なすぎる。日本の方がよっぽど多様性があって楽しい遊び道具がたくさんあってアメリカで住んでいる日本人は羨ましいと思うこと間違いない。物があるアメリカだけど意外となんでも手に入るわけではないのだ。アメリカ人は自分達が不幸だなんて考えていないかもしれないけど、意外と切羽詰っているのが普通で膨大な借金を払い続けるのが普通で不便なことが普通だから幸せな生き方や環境をしらないだけかもしれない。でも彼らか感じる普通が僕からしたら苦しい生き方をしているように感じる。

そんなことを考えているとアメリカを代表する画家エドワード・ホッパーの作品思い出した。
彼の作品の一つからはアメリカのニューイングランドの町の不気味な静けさがありそこには輝かしいアメリカなんてない。輝かしいアメリカは実は暗くて冷たくて面白みもない世界に見えるのだ。昔の作品だから今のアメリカとは違うというものの今にも通じるものがあるんじゃないかと思えてならない。

アメリカンドリームの欺瞞というべきかアメリカの幸せの歪さというべきか。

似たような作品にアメリカ人のエリック・フィッシェルの作品がある。暗い色を使って裸が出てくることが多くてしかも変なシーンをあえて描いていて、それがアメリカの裕福さと自己満足の裏にあるどうしようもないフラストレーションがあるように思う。(裸のシーンが多いのでここでは画像を載せていない)

これらに共通するものは病的な何かを感じさせきて、それがアメリカ人は実は幸せじゃないんじゃないか?と思わされるのである。

そもそも「グローバル文化」とは地球全体の文化でなく世界に向けて出ていくテレビ番組、ハリウッド映画、グローバル企業の作る製品などアメリカを反映した文化だと思う。
見た目や聞こえがいいものがアメリカから世界に出てくるけど、誤解を恐れず言えばアメリカ自体がまともに民主主義を実践できていないし正義や道徳なんてあってないような国だ。きらびやかな世界の裏に嘘がうごめく世界があるのである。

もちろんアメリカは政治や経済、軍事、人同士のコミュニティも世界の中では進んでいるとは思うけど、矛盾がたくさんあり、いびつなのだ。
先進的なものがある一方、アメリカ人は自分の感情をコントロールするのが苦手な人が多いんじゃないかと思えて、立派なシステムがあっても人災が多いのは誘惑に負けて悪いことをしたり適当になったりするせいなんじゃないかなと思えるのだ。
人災でちぐはぐになってストレスばかりかかるのが現在のアメリカなんじゃないかと思う。

アメリカは一応なんでも手に入るからかなんでも解決策があると思ってか簡単な解決策ばかり求めたり簡単に手に入る楽しみや便利さを求めるけど、「安物買いの銭失い」で結局、たいした解決策にならずにまたお金がかかったり騙されたりと幸せとは思えない人が多い。自分をコントロールできない人は幸せになんてなれない。
それにアメリカには不安や恐怖、暴力、犯罪、麻薬などが多くてさらに移民バッシングも深刻化し憎しみ合っている人は多いはずだ。グローバリズムに問題がでている世の中は、グローバリズムの代表国のアメリカが敵を作らないための笑顔になったのかもしれない、と思うとアメリカ人は「フレンドリー」とのんきに考えていられない。それだけ犯罪や危険が多いと言えるのだ。

「安物買いの銭失い」といえばアメリカの食も同じことが言える。アメリカでは日本より食の工業化、家畜工場などが多いと言われており工業化で安く食べられるようになったとはいえ栄養の多くが失われて肥満、アレルギー、病気が大きな問題になっている。安く手に入ることで病気になり医療費もかかり結局お金がかかるのである。アメリカのスーパーで食べられる食物を食べて栄養価がない印象を受ける人は日本人で意外と多いのではないだろうか。健康的な食物はおいしいのにアメリカの食物はおいしくない。それは本当に栄養が欠けていて不健康な食物な可能性があるのだ。
おいしい野菜も果物も食べたことがない人たちが安易にファーストフードや砂糖がたっぷり入った加工品を食べているのである。笑えない話がポテトはジャガイモだから野菜を摂取していると思っている人が本当にいることである。油をたっぷり吸収して塩もたっぷりふりかけたジャガイモを健康的で栄養たっぷりの野菜だとはどうしても思えない。そんな食の感覚だからかダイエットコークが健康に良いと本気で思っている人もアメリカ人には多いし魚の種類なんてわからない人もたくさんいるのだ。不幸な状況にいるものは不幸に気づけないというのは仕方がないかもしれない。

そしてアメリカ人が幸せじゃないのはアメリカにある「男らしさ」「女性らしさ」だろう。
男は強くて世界を支配できるぐらいの人間になりどんなにつらくても泣いてはいけないのがアメリカ男性である。
アメリカの男の価値は女性的な弱さを排除し、お金があり財産があり地位も権力もある危機の時は頼りになるのが男なのである。さらに度胸も冒険心も持ちあわせそれは暴力性もあるのが男なのだ。
アメリカで困ったことがおこると助けに来てくれる男性が意外と多いと感じるのはアメリカの男性らしさがそうしているんだと僕は思っている。助けてくれるのはいいのだけどその男らしさに合わない男性であれば生きづらいだろう。

この男らしさは色んなメディアで「有害な男らしさ」として少し昔に話題にもなっていたがなかなか変われないのが現実だと思う。若い世代では少しづつ変わってきているとはいいつつも多くの女性もアメリカの男らしさを根強く求めているのだからそう簡単には変わらない。
ステレオタイプが多い国は幸せにはなりづらいと言えるかもしれない。

ステレオタイプと言えばアメリカは意外と見た目を気にする社会だと思う。自由の国アメリカだから見た目も自由でいいかと言えば実はそうじゃない。内面より外見重視する人は多い。整形、白い歯、歯の矯正、ボディラインなど見た目を気にすることはいいけれど、アメリカでは見た目が大きく仕事に影響し差別されやすさにも関わる。見た目の維持にはお金がかかるので低所得者ほど見た目が悪いと言える。もちろんレイジーなお金持ちもいるからお金持ちでも太っていることもあるけど。基本的にはお金がないブ男、ブ女にはアメリカのルックス社会は苦しいだろう。見た目が重要視されるためアメリカ女性の精神病が増加するのも分かる気がする。それでもアジア人は若くみられて痩せて見られるのが救いな点だけど。
差別にうるさいアメリカなのにこのような外見差別にはうるさくないのが謎である。

アメリカの見た目重視の考えはある意味、暴力的で野蛮な印象がある。ヤンキー的と言ったらいいだろうか。見た目が良ければ人気があっていい仕事があって給料もよくて良いパートナーを見つけられるという考えあり、アメリカから出てくるテレビ、映画、インターネットからは「外見こそ大切」と言わんばかりのメッセージで溢れている。最近では太った人や綺麗じゃない人も映画に出てくるもののまったく魅力がないく、逆にやっぱり外見が大切なんだと思わされる。

このようなことは日本でもあるけれど日本の場合は外見だけでなく内面が外見より大切と思っている人もいるのでアメリカほど差別的ではない。特に日本の美大生なんかは内面重視が多い気がするし見た目もよりも奇抜性、面白さ、スキルのあるなしのほうが大切と思う人だっている。大阪なら見た目よりも面白さだろう。もちろんお金も見た目も大切だけど。

見た目社会になっているのは数十年の間でアメリカで起こっていることと言われており昔からルックス文化だったわけではない。なぜそうなっているかを僕なりに考えた結果、「アメリカはバカになりつつある」んじゃないかと思う。

想像する力に欠けてわかりやすいものにしか飛びつけない人達が増えた結果、犯罪、自殺、自分勝手な人が増加しているじゃないかということである。
そもそもアメリカ人の価値観は物質至上主義に基づいているともいわれていて、その人の考えでなく物やお金で価値を判断しがちというものだ。そこには寂しさや空虚さもあり映画ファイトクラブみたいなものかもしれない。消費社会を疑問に思う意味が込められた映画でありアメリカへの疑問でもあると思う。いい暮らしをしているのに孤独で家族や友達などの人間関係に意外と乏しくて浅はかで自分勝手。ファイトクラブは病的な主人公だったけどアメリカも同じように病的なのだろう。

一部の人にとって幸せなアメリカよりも大多数の人にとっても幸せになれるアメリカになってほしいと思う今日この頃。

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