(考察)アメリカの環境は日本の環境よりトラブルを招きやすい人格にさせてしまうことがたくさんある

僕はアメリカというのをあまり知らなかったのだろう。アメリカは日本より危険だと思えることはアメリカに来る前から知っているつもりだった。銃問題、ホームレス問題、極端な経済格差などなど。しかしこれらの問題意外にも細かな問題があると思った。

例えば平凡な日常から受ける影響というものである。人格形成は日常から影響をものすごく受けると思う。わかりやすく例えるなら乱暴な環境の家庭で育った人と優しく愛されて育てられて家庭では子供の性格はおっとりしていたり、ひねくれていたりという違いは出て気やすいと思う。これと同じようなことがあって、アメリカと日本では乱暴な考えになりやすい要素となりづらいという要素がそれぞれあると思った。
アメリカで日常で見られる人格を乱暴にさせやすい要素の一つに会話がある。
会話はとてもいいことなのだけど、会話が白熱すると人の会話を100%さえぎって自分の言いたいことを言う人がものすごく多い。クラスでもテレビを見てもとにかく多い。自分が自分がという行動は極端になりすぎると自分のことしか考えない人が多くなりやすいんじゃないかと思った。アメリカでは経済格差がものすごいというのはよく知られている事実で、この極端な経済格差の原因の一つに自分のことしか考えてないことがあるんじゃないかと思った。
一方、日本の場合は会話をさえぎって自分の主張を貫こうとすると問題になりやすい。まず人の話が終わってから話せとなる。トラブルを避けるために順序良く会話をしようとする考えが自分の行動を良くも悪くも抑制しているのでトラブルが少ないのでは?と思った。

次に、アメリカでは運転している人があまり安全運転でないと感じた。統計など見たわけではないが実体験からいうと歩行者に対して当たり前に歩行者優先の考えの人もいればあまり歩行者のことを考えてない人もいる。日本でも同じだけどこの割合が極端すぎるように感じたのだ。極端であれば事故が起こりやすい状況が日本よりあると考えてもいい。僕も車にしかれそうになったことがある。友達もしかれそうになったことがるしぶつけられて病院に行った人も知っている。日本でずっと住んでいても車にしかれそうになったことは僕はあまりないし聞かない、でもアメリカではよく聞くのだ。歩行者優先の人は日本人の運転以上に優先していて素晴らしい運転だなーと思う一方、歩行者が歩いていても車のスピードをあげて横断歩道を通過していく車もいるのだ。常に危険があると思わないと生活できないとなると戦う姿勢がないと生きてはいけないのではないだろうか。そうなると自然と人格は闘うことを良しとするしトラブルも避けない人格になりやすいと思う。
また運転手とは別に歩行者の心理も事故になりやすい要素だと思う。
アメリカでは法律は歩行者優先で歩行者をはねると高額な罰金を払うことになる、そのため出来るだけ歩行者優先で運転するのが一般的なのだけど、歩行者が歩行者優先なんだから車が待つのが当たり前でしょ?なのでスピードを出して向かってきている車がいて危ないのに横断歩道を渡る歩行者がいる。遠慮しないで渡ろうとするのでときどき危ない状況になるのだ。そして運転手はウインカーをつけないことが多いし、歩行者も信号無視が多い。これらのように運転手と歩行者の考え方がアメリカに浸透しているとするとトラブルに巻き込まれやすい状況、性格になりやすいと思えないだろうか。
日本ほどではなくてもみんなが人のことを気にするようにすれば、気にすることが自分の行動の抑制になると思うので事故も少なくなるのではと思うしトラブルを起こしやすい人にはなりづらいのではないかなと思う。

そして次に、ストライキが当たり前ということ。
ストライキは労働者の主張だし権利のだろうけどあまりにも多いストライキが文句があれば数の力で会社の経営が止まっても自分たちの権利を掴み取るというまさに戦うのを良しとする性格に陥りやすいのではないかということ。
日本はストライキが少ないが僕はストライキがあるのが素晴らしい社会だとは思わない。ストライキがなくてきちんと労働者の権利主張が通る社会が素晴らしいと思う。ストライキをしなければならないということはそこに不平等、不満が溜まっているのだろうから会社が健全な運営をしていない可能性もある。ストライキは公共に主張するのが当たり前というメッセージを発信しているので言わなければいけないと思わせてくる。
ストライキは社会の重要なインフラが止まることだってある。なのであい意味、性格はま、いっかという性格になりやすいとも思うが、あんまり考えない「ま、いっか」は自分の主張を遠慮せずにいうことを加速しているとも思う。相手はどう思うかとか、言ってしまったことでもそんなに気にするほど悩まず「ま、いっか」に似た気楽さで物事を解決しているように思う。最近カリフォルニアでは大規模の火災があった。この原因も「ま、いっか」が関わっているのではと思う。

そして次は屁理屈が多いと思うこと。アメリカでは僕はこう思う、私はこう思うという主張を褒めるし歓迎される傾向にあるが、聞いていてそれ屁理屈じゃないの?っていうこともや自分のいいたことはわかったけど質問に答えてないよね?っていうこととか。
アメリカでは日本よりディベートが出来る人が多いというがそれは日常から主張する人が多いからディベートが出来るように見えているだけでディベートに必要な資料など調査不足なんじゃないかというもの。ディスカッションしてもたんと質問に答えてない、発言がまとはずれ。そんなこと気にしなくていいのかもしれないが、きちんとするという考えがおろそかになっていると感じる。
このきちんとしなくていいやっていう感覚は服装からも読み取れる。アメリカの男性の流行の髪形も日本ほどバリエーションがあるわけじゃない。アメリカの服もTシャツ、ジーンズが当たり前という格好はアジア諸国の中には上品じゃない格好だということで好まれないこともあるかもしれいない。見た目、会話をあまり気にしないという文化は移民国家だからだと思われる。みんな同じ文化を共有するわけでもないのでみんな同じ考えになりやすいわけじゃない。でも国家として共通する考えは必要なので言葉や文化の壁を越えて共通する意識を持とうとすると、見た目なんてどうでもいい、きちんとした会話じゃない、その人がどうなのか?何ができるのか?何をしたいのか?ということになるのだろう。そしてお金が共通の価値になりやすい。
この考え方はいいことだと思うし、日本もこの考え方を学ぶ必要はあると思うが、極端なこの考え方は人としての価値を下げていると感じるし、暴力的になりやすいんじゃないかと思う、なぜならマナーなんて気にしなくていいよっていう考え方は自分を抑制しないことだし、

また文化の発展とマナーというのは強く関わっていると思うのでマナーなんて気にしないという考えは文化の発展しづらいのではないかと思う。各国独自の文化があり独自の品格があるわけだ。アメリカは自由の国なのだから自由にするという考えた文化なんだといばそれでいい。僕もその考えは面白いと思うし、いいと思うけどその文化は抑制をはずして暴力的にさせる可能性も秘められていると感じる。ホームレスと見ていてアメリカ人のホームレスは全くやる気のない人やものごいをしている人もいる。アメリカでは薬物中毒者の多くがホームレスをしているというが、たぶんそれ以外の理由でホームレスをしている人はたくさんいると思う。住宅価格の異常な上昇で外で暮さなければならなくなった人や車の中で暮さなくてはいけなくなった人。そして外を徘徊しているホームレスはだいたい汚い格好になっている。一方日本のホームレスはアメリカのホームレスより見た目は汚くない。たぶん薬物中毒者が少ないからだと思うが、ホームレスにはマナーを忘れないという考えがホームレスの行動を抑制しているのだと思う。この抑制というのは悪いようでホームレスの例のように良い結果にもなっているのでなんでも自由という考えは社会をコントロールしずらいものにすると思うし性格も荒れてくるのではないだろうか?
その結果アメリカでは極端な貧富の格差を生んでいるわけだし、極端な考えが政治にも深く関わっているから不満を持つ人は多くなるし犯罪は起こりやすいし、そんなことにうんざりしていま社会主義よりの考えを支持する人もアメリカでは多くなっているのだと思う。

まだいろいろ危険な要素はあるが話が長くなるので最後に食事について考える。食事は毎日取るものだし、生きていくのに息をすることが必要なように食事は生きる上で考えなしに必要なことではある。この食事がアメリカでは性格を暴力的にしているのではないかと思うのだ。暴力の抑制の一つに教育というのがある。知識があればバカにもしなくなるし人の痛みを知れば自分を抑制するものである。その点で言えばアメリカは教育さえも人を暴力にしているともいえるが、食事も教育が必要なのだ。
何を食べるか、どれだけ食べるかなど勉強しなければいけない。自分をコントルールできなければ好きな物しか食べないし栄養も偏る。偏った栄養が性格に影響しないとは考えづらい。クラスメイトを食事をしていて僕のクラスメイトは大学院ではなくて学部生だから年齢は20代ばかりだけどずっと上の年齢の人からするとたぶん子供だろう。子供ってまだ自分をコントロールできないし好きなことばっかりすると思う。コントロールをあまりできていないアメリカの大学生は日本の大学生より子供っぽい性格だなと思う。肉ばっかり食べている学生。バーガーばっかり、ピザ大好き、スプライトかコーラは毎日飲むのは当たり前。水の代わりにコーラ。申し訳ないけどバカにしか僕は思えない。僕は人を馬鹿にもしたくないし差別もしたくない。人種によって差別はしないけど文化のよって考え方の違いがあるのでそれは考慮して区別はしないといけないと思っているが、アメリカ人の無頓着な食べ方を見ていて「バカか」と思うしかない。これはアメリカでまともな食事を食べることがコストが高いことと、食事のバリエーションがあるようで意外とない。留学生がアメリカの食事は飽きるというのはよくある話だ。結果としてアメリカでは太っている人が多い。歩けなくなるほど太っている人を見て思うことは本人はそんな風になることは絶対に望んでいないと思うことだ。しかし自分をコントロールできないし好きなものを自由に食べたいし、健康のために何を食べればいいかもわからない。このような人がたくさんいると食事に無頓着になりやすくなるのではないだろうか?それが性格に影響して暴力的にもなるのではないだろうか?

結論からすると、アメリカにはたくさんの危険な要素があると思う。性格を暴力的に変える、言い方を変えるとアメリカナイズとも言えるだろうか。なんでも自由にという移民が暮しやすい社会を作ろうとしてきたアメリカからは学ぶことが多いが、なんでも自由というのはいいようで実はよくないのではないかと思う。これはインターネットを考えるとわかる。インターネットはものすごい情報が溢れているし情報の中には間違った情報、古い情報、悪意のある情報もあるのでそれらを認識する知識がインターネットを使う人に必要になる。無制限の自由をコントロールするにはコントロールするための知識が必要なのだ。アメリカ社会はインターネットの世界を泳ぐようなものだと最近感じる。言い換えれば破壊と革命とイノベーション社会のアメリカ、この話題は長くなりそうなので別の機会にするとする。

関連コンテンツ



スポンサーリンク
レスポンシブ 広告
レスポンシブ 広告

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする