アートは軽視できるものではない

アートなんてくだらない遊びは役に立たないクズだ。と思う人がいるかもしれない。経済成長にも関係しない、何かいいのかもわからないそんなものは不要なものだと。

僕はおいおい本気にそんなことおもっているのか、お主は?と思ってしまう。そのような人はアートの力をわかっていないのだ。
アートの力とは何なのか?

身近なことで言えば海外行って日本の漫画やアニメを知っている人はたくさんいて、それらのアートのおかげで日本人に興味をもってもらいやすいということ。なかなか話ができない友達ができないという人でも同じような趣味や興味がある人とは話が意外とできるしお互いをリスペクトする。興味をもたれるということは仲良くなり、お互いの困ったときに何か助けて助けられる関係にもなるということだ。漫画やアニメがなければ仲良くなれない人が僕の周りにいてアートってすごいなぁとつくづく思う。

これは日本の防衛にも役立つのだ。子供の頃からアートを通して日本に興味を持った人たちが大人になって日本を悪くいうような人は少なくなると思われる。現に僕の周りの友達。国防に莫大な資金を使うよりもしかしたらアートにお金を使うほうが長い目で見ると国防に良い影響を与えるのではないかと思う。
日本以外の国では暴力的な事件が多いので外国人というだけでターゲットになりやすい、しかし同じ趣味や興味を持っている人とすればターゲットから外れることもありえるだろう。例えばクラスで強さで威張っているような人がいるとしよう、もしその人の興味が僕の趣味と合えば敵意は少なくなるだろうし、もしかしたら強さで威張っている人に守られるかもしれない。
クラスで勉強できてしっかりノートを取る人に悪ガキがテスト前にノートを見せてといい、悪
ガキにとっても勉強できる人は重要な人で、勉強できる人も攻撃対象から外れやすいとお互いにいい。一般ウケするアートの漫画やゲームグラフィックスやアニメなどは悪ガキも好きな人が多いのでかなーり自己防衛になりえる。

しかも日本に興味を持った子供達は将来、日本旅行をするだろうから経済効果はあるだろう。

そして今ではタブーなのかプロパガンダというものにアートは使われてきた歴史がある。アートによって人の考えや思想を必要なところにもっていくというものだ。悪く使えば独裁国家だがよく使えば世界平和なのだ。
アートには年齢にあった見せるべきものがありそれに沿わないと精神的ダメージやトラウマになったりする力があるのだ。リアルなものより平面なもの2Dというのは頭で想像しなければいけないもののため、想像力が高ければ高いほど精神的ダメージも現実のものよりあるものなのだ。それだけアートというのは力があるのだ。

なのにアートを軽視する人がいるのが頭悪いのかと僕は思うし血迷ってんのか?ちょっと考えたらわかるだろうと。
日本では宗教に関わることを好まない人が多いと思うが日本社会に宗教に関わっていない人なんていないのだ。宗教とアートというには密接に影響を与えあっているわけ。それは宗教が思想に影響を与えるものだからアートが使われると言える。つまりそれだけアートには力があるということだ。動画でも絵でも彫刻でも。

ナショナリズムを高めることを危険視するのであればアートを通してナショナリズムを育むのは受け入れやすいのではないかと思う。漫画やアニメやゲームなど。

そしてジブリと聞いて日本の誇れるアニメ会社だと誇っている人もいるだろう。しかし、昔からたかがアニメと考えて毛嫌いしている人はたくさんいるし馬鹿にしてきる人もいるだろう。それが今ではジブリは世界に誇れる日本のアニメ会社なのだ。アニメに力はないと言えないだろう。アニメはアート。
ゲームの2Dドットキャラアートにたくさんのファンが世界中にいるのも日本のゲーム会社の功績なわけだ。

僕は受験勉強というのはあまり良くないと思うのだ、なぜならアートを軽視している授業プランだからだ。アートはサイエンス、数学、その時代の新しいテクノロジーが取り込んだ勉強の集大成なのに、何故アートを軽視できるのか?不思議でならない。
例えば昔で言えばレオナルドダビンチ。彼は数学、科学そのほかのたくさんの専門的なことをアートのために学んだわけだ。その時代にできる新しい描き方を模索もし彼のアートは奥が深いものになっている。
アニメや漫画で言えばアニメも昔は手で描いている会社が多かったと思うが今ではコンピューターを使うところもたぶん多くなってきているだろう。コンピューターの発展とともに作業効率、クオリティというのは上がっていく。アートのためならプログラミングだって学ぶ人は現代社会にたくさんいる。膨大な時間をかけてコンピューターサイエンスを学び自分の表現したいアートを作る。世界中で作られているアートの傑作作品は各国で行われているfestivalなどで賞が与えられているので、それらを見るとよくサイエンス、数学も勉強していると感じるし観察力も素晴らしいと感じる。アートとテクノロジーとは切っても切れない関係なのだ。

「アートがなくても生活に困らない。アートの存在が無駄というのは昔からの事実」、と言う人は歴史を勉強しろ、といいたい。歴史はアートは昔から無駄でなく生活に必要なものでアートを発展させるために勉強、努力をしなければいけないことだったと言うようなことを言っている。もちろん昔は宗教がものすごく社会に関わっていたためアートは重要なものだったのだけど、現代社会の日本はどうか。宗教があっても宗教に関わっていても関わっていることさえわからない人は多い。なのでアートに疎いと思う。それはアートを使って何か社会に発信しようというものに欠ける人が多いのだ。
例えば風刺。日本では風刺をよく思わない人は多い。でもアメリカのテレビ、サウスパークを好きな人は多いんじゃないかな?この番組はコメディであり風刺でもある番組なのだ。風刺は物事の問題を浮き出させるので政治に疎い人でも理解しやすいという良い効果があるのだ。
日本の社会はアートを社会に活用しようという考えより、アートと言えば何かと精神論になる。感情を豊かにとかビジネスに役立つ目が養えるとか、まるで自己啓発本のようはアドバイスとしか捕らえてない人がいるのではないだろうか。わかってなさ過ぎて呆れてしまう。間違いではないがまだ薄っぺらと感じるアドバイスだ、顔を洗って出直して来いといいたい。

そしてアニメや漫画だけでなく製品のデザインもアート、不動産も車も人が魅力に思うデザインを考えることはそれは重要な要素なわけだ。
それと教育はアートと密接にした教育のほうが物理、数学、科学など広く関わって面白いだろうし奥が深くなるから興味を沸かせると思うし勉強の価値をもっと現実的に見せられると思うのに、音楽や美術の時間が減らされることについて変だなぁと思う今日このごろ。

アートが無駄だというなら、文化もその国のアイディンティティも人類の歴史さえ否定することになる。文化の発展には芸術、アートセンス、宗教やそのほかの思想がかかわっているし、歴史的なアート作品だけでなく現代アニメでさえその時代に求められるものが反映されているわけで、その時代時代に作られる製品、作品がそれがその国の色になるわけだ。アートが無駄というのは日本人とはなんですか?という日本人が今まで作ってきた日本人としてのアイディンティティを否定することにも繋がるし、極端な話、経済だけで感情を否定するのですか?ということ。大きな話人類の否定なわけ。国や企業の将来構想のグランドデザインさえもないの?しないの?ということ。なぜなら、数学が論理的に考える力をスキルを身につけるのに対して、アートは論理的にかつ感情を含めて作品を組み立てなければいけないものだから。アートの設計には感情と論理が必要なのだ。感情を抜きにした将来設計というのは過酷な時代になるとしかいいようがない。アメリカを見ればわかるだろう。ものすごい経済格差なわけで人としてまともに生きることができない人なんてたくさんいる。アメリカは日本よりアートをリスペクトしてるがアメリカで力をもつ人はお金、経済を第一に考えているように思うため、お金のない人貧困層というものにあまり目がいっていないように思う。論理ばかりでなくて感情も育まなければいけないのだ。相手がどう思うがということがアートには大事になってくるそれが相手の気持ちを考えることに繋がるのだ。みんなが無理なく強要することなくみんなのことを考えられる心に余裕をもった社会になるんだと思う。ちょっと大げさだけどアートは人類のためにもいいことだと思う。

じゃどうすればいいか?どうアートを教育現場に組み込むかというと、アートに関わっている人たちを教育現場に雇って面白い実験、面白い勉強の考え方を教えればいいんだよ。コンピューターサイエンスを勉強することが今、流行ってきているけど、数学、科学が使うかはコンピューターアートを通してみる事もできる。アーティストと相談して授業を面白く理解を深めるためにするにはどうすればいいのかを考えるだけだと思う。ただの物理学者が面白い実験をするというのは難しいと思うし、アーティストであり物理学にも精通している人のほうが絶対に面白い発想ができる。

難しい話じゃなくて例えば数学できれば仕事が早くなるよーっていう考え言うと、Photoshopを使った場合、レイヤータイプを加算、スクリーンといろいろ変えて色を調整できるけどスクリーンの計算方法や加算の計算方法がわかっていたらいちいちレイヤータイプを変えて色を確認しなくてもできるので作業が早い、仕事が早いと言えるだろう。例えばアニメで何か物が飛ぶ場合、もしリアルに作ろうと思えば物理学の距離と速さと時間の計算に沿って考えたほうがいいし、そこをパッとすばやく計算すればこのアニメってなんかリアルだよなーって思えると思う。絵なんてパースペクティブを考えて描いている人多いんだからそのようなサイエンスは漫画から学べるだろうし、世界中の生物やアートからは黄金比も学べるだろうし、映画で言えばドクターストレンジは言ってしまえばアートのような不規則にも見える世界観はフラクタルな世界を見せているわけでそれは不規則に見えて不規則でない。その世界を作ろうと思えばサイエンス、数学が必要でコンピューターを使えばプログラミングだって必要になるだろうから、まさに勉強の集大成。

女の子がこの服いいなーこの色の組み合わせいいなーと考えるときそれを論理的にかつ感情を含めて組みたてられたら時間の節約にもなるしセンスのいいものにもなるだろう。それは科学的な目、センスをもっているということになる。

アーティストが誰でも数学がサイエンスに精通しているわけじゃないし、精通している人はたぶんリアルなアートを作ろうと考えている人だろうから自然現象、物の形とかをサイエンスな目をもって観察するわけだよね。

あとアートが最新のテクノロジーと関わっているように教育も最新のテクノロジーを使うべき。

結論からしてアートは軽視できるものではなしアートには力があると言えるだろう。

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