日本語と英語のについてあれこれ 4

将来外国人労働者が日本で多くなったことを想定していろいろ考えてみる。言語に関係なく働ける環境を作ることは素晴らしいことだ

グローバルというのはとてもいいように聞こえる。しかし何にでもグローバル化、誰もができるように簡単にする社会というのは僕は良くないと思う。
言語に関係なく誰もが働ける社会というのは

日本が世界と大きく違う文化を育めたのもグローバル化していなかったからだといえる。長い間鎖国をし、他国が領土の奪い合いをし人を殺して文化の破壊をしている間、日本は独自発展してきたわけだ。各国では貴族社会は発展しても民衆文化というのは日本ほど発展していなかったと思われる。

世界グローバル化すればするほど独自性とは重要になる。独自性を発展、無くさない為には、なんでも簡単なものになびかないことだと思う。食べ物、服、生活の仕方なんでもだ。

英語がグローバルな言語なので英語が使えることが価値が高いという時代ではない。アメリカでは英語が使える、でも他にスキルがなければ雇われることはない。同じスキル同じの能力なら雇わないという社会がグローバルなのだと思う。
日本が魅力的なのはグローバル化できていないセンス、スキルがあるからだ。アニメを見てもゲームをしても日本独特それは他国はなかなかマネできない。が、ゲームの製作がグローバル化してきて世界中でゲームが作られるようになって3Dが作られるのが主流となっている。でもそんな中、レトロゲームが見直されていたりしレトロなドット絵のゲームも増えつつある。
ドット絵と言えば日本の十八番だったと思うが今ではドット絵職人は減ってきてアメリカのドット絵レベルがあがっているように思う。グローバルの波にのまれてレトロな技術を忘れることはもったいないことなのだ。

ある種の鎖国のようなものは必要だと僕は思う。例えば日本語が使えない人でも働ける社会ではなく最低限日本語は勉強して理解してもらわないといけない社会のほうが日本文化を壊す恐れが少ないと思うのでいいと思っている。アメリカを見ているとたくさん移民を受け入れたりするが、極端な経済格差はアメリカ社会になかなかとけこめない移民の人も多いと思うし、テロなどアメリカ社会に不満がある人が多いと思う。情報の共有がしっかりできてその社会の特性を理解していれば解決できたことはあるんじゃないかと思う。例えば日本人は日本語の特性から控えめにみられて、何を考えているかわからないと思われることもある。でもしっかり言わないといけない社会であり英語とはそういう言語なのだと理解している行動が変わるというものだ。
外国人労働者が日本語がわからないけど日本で働ける環境ができると、日本語を全く使わなくても生活できるようになると思うが、それは外国人が日本人の考えを理解しなかったり、理解できない日本人に対して憎悪が高まり犯罪に走る可能性もある。アメリカみたいに。

なんでもかんでもフェアでグローバルというのはいけないのだ、なぜならそれは独自に発展してきたものを破壊することにもつながるから。もちろん破壊する必要なものは破壊すべきだが古い慣習には良いことがあるのでなんでも排除することはいいとは思えない。

話は変わって日本語の音読み訓読について。英語には音読み訓読みというのはない。英語のほうがシンプルでわかりやすく聞えるが、実はわかりづらいのではないかと思った。英語では長いつづりの単語は覚えるのが大変だし、アメリカ人だって書き間違える。そして初めて見る長いつづりの単語は何のことを言っているのかがわからない。それに対して日本語は漢字を見れば何を示しているのかわかる。音読み訓読みという独特の日本語だけど結果的にはじめてみる単語にも想像がしやすく理解しやすいと思う。言語初心者は見たものからも理解しやすいほうが頭に残りやすいんじゃないかと思う。英語が単語のつづりより音に強い意味があるのに対して日本語は音と見た目だ。強引かもしれないが、アメリカでは日本以上に見た目を気にしない人が多いのと言語の特性は関係あるんじゃないかと思った。思考も単純化で、ステレオタイプはアメリカに多いが、目で見て想像して考えるという、想像するプロセスが英語には少ないから社会も単純な考えの人が多いのではないかなと。それはコミュニケーションもシンプルだしいいことだけど、単純思考はトランプ政権のような人にコントロールされるようにも思う。テレビをみて何も考えない人、影響力のある人に考えもせずに心が動いて信じてしまう、といったようなことだ。

あとアメリカ英語というのは他の英語よりも単純思考にさせるんじゃないかなと思う。なぜならイギリス英語は小難しい会話をして考えさせられるがアメリカ英語はもっとダイレクトでシンプル。難しいことを考えない人が多いからなのか自分の欲ばかり優先する人が多いからなのか、アメリカではアメリカ主導でベトナム戦争もしてめちゃくちゃにしたり、トランプもアメリカ優先という考えなわけで。言語は社会を反映しているので、アメリカ英語とは誤解があるかもしれないが悪く言えば自分のこと以外無頓着、無関心、頭が悪くなりえるんじゃないかなと思った。頭が悪くなるとはものすごく誤解を招く話だが、アメリカ人にも頭のいい人、僕も尊敬する人はたくさんいる。そんな人達を頭が悪いといっているわけではない。少なくとも僕の周りでは軽率にタトゥーを入れて後悔している人や、無計画が当たり前で約束さえもなかなか作れない人が多い、そして衝動的に怒ったり、笑ったり、喜んだりする人が多いと感じるので、それって何か頭悪く見えるね、ということである。計画的に考えて自分をコントロールしている人としてない人ではどっちが賢く見えるかと言えば断然計画的なほうだろう。

アメリカの大量消費、大量廃棄が当たり前の社会は将来ずっと続くかというと続かないと思う。あまりにも考えなさ過ぎてもっと抑制することを学んだほうがいいと思う。現在アメリカ主導で世の中は動いているがいつまでこれが続くかもわからない。なぜならアメリカが無計画だからだ。アメリカに民主主義があるのかというと微妙というしかない。民主主義は国民も賢くならないといけない、そのためには最低限に国民は教育を受けるべきなのだ。それがアメリカでは極端な教育格差、経済格差なためできない。日本の民主主義はアメリカよりましだと思う。そもそも日本語の特性に他人を気遣う、相手のこと考えるというのがあるが、それこそ民主主義に必要なものだと思う。その点でアメリカは民主主義に見える社会だけでど実は民主主義ではないといえる。日本も議論や主張が活発でないことを考えると欠けているが、日本のほうがましだと思う。

あと日本語に劣等感を持っている日本人は多いかもしれないが、僕は日本語と素晴らしい言語だと思う。他国の言語では英語がないと説明できない言葉がたくさんある言語もある。それを教えてくれたのがフィリピン人なのだが、フィリピンでは英語じゃないと説明できない単語がたくさんあるらしい。嘘か本当かは知らない。しかし嘘をいうとは思えないので、たぶん本当だと思う。それに対して日本語は日本語だけでいろんなことが説明できる。これは本当にすごいと思う、なぜなら説明できない言葉があると、それに対応した感情や理性を共有することができず感情表現は豊かでないと言える。でも日本語ではほとんど英語のことを説明できるので日本語は感情豊かな言語だと思う。教育を幼稚園から大学すべて日本は日本語できることはとても幸せなことだと思う。

それと日本語は英語より曖昧な言語だという人はたくさんいると思うが、僕はその曖昧さも実は論理的であって曖昧さはないと考える。曖昧なら日本語を使っている日本人だって何を言っているのかわからない。もちろん何を言っているのかわからないことはあるので、そのときは質問すると思う。でも曖昧に聞えてもみんなわかることは、それは答えがしっかりあり曖昧ではないのだ。曖昧に聞こえる原因に言葉に出して言わなくてもいいという特性があるからだと思う。英語ではそれはありえない話である。言わなくてもわかってくれるというのは難しい。

ざーと、考えたのでちぐはぐなところもあるだろうけど考えるのは楽しい。

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