【感想・ネタバレ・考察】グッド・ヴァイブレーションズ バラバラの若者をまとめたすごいおっさんに驚いた

僕はあまりパンクロックについては知らないのだけど実話ベースですごい人だと聞いたから見てみた。一度見ただけでは音楽知識不足でありこの当事に深い思いでなんてもっていないものだからまったくピンとこなくて理解できなかったので何度か音楽知識とアイルランドの当事のことを調べなおして映画を見直した。その結果わかったことはテーリー・フーリーがめちゃくちゃすごいおっさんだと思った。

時代はいろんな主義主張が入り混じり暴動や殺人が起きているときにおっさんが問題行動を起こす若い人たちを理解してレーベルでもないレコードショップでもないみんなの生活なんだ!というパンクロックでまとまらない社会をまとめる。
共産主義者、社会主義者、平和主義、宗教、無宗教、無政府主義者、スターリン主義などさまざまが入り混じり壮絶な社会だったわけだ。でもテーリー・フーリーが頑張って有名にした若いパンクバンドがそれらのすべての人を一つにまとめあげてものすごいムーブメントを起こした。あまりにもバラバラな主義主張がぶつかり合う時代に社会と人々の間にひずみが生まれ、このひずみを埋めるかのようにパンクロックは機能していたのだと思う。

今の世の中ではあまり聞かないムーブメントで一人のおじさんがやり続けたんだと思うとすごいって思った。テーリー・フーリーは奥さんもいる、子供もできたのに家庭そっちのけで若者とお酒を飲んでパンクにあけくれる。彼の姿勢はまさしくパンクロック。殴られても諦めず、警察に怯えず自分のやりたいことをやりとげる。

時代が変わり現在ではインターネットで批判をしたりえらそうに語るわりには実際には行動できない、行動しない人がたくさんいる。こんな時代をぶち壊せと言わんばかりのメッセージをテーリー・フーリーからは感じとれた。それだけ勢いがあり真っ直ぐで力強い。

パンクロックと言えば忌野清志郎を思い出すがまさに彼のやっていたことも権利と権力への戦い、テーリー・フーリーのような人だったのかもしれないと思ったりもした。

僕はテーリーのような家庭なんて関係ない、子供ができてもあまり喜べない人にはなりたくない。しかしテーリーの生き方はカッコいいし尊敬する。

家庭があるけど若い人とお酒を飲んで交流しまくる。

子供を生んだ病院にバンドメンバーがお祝をしにくるが周りに迷惑をかける。けっこうむちゃくちゃ。

最後はかっこいいなーって思った。

出典:IMDb

ここまでは映画の良かったところで、ここからは映画にあまり共感できなかったことについての感想だ。
僕は映画のようなパンクロックは身近にない生活をしているので、そんなに叫ぶ必要があるのかと思ったりもした。また僕が働いていないからか学生だからか社会に対して権力に対しての反抗だ!というロックで国歌を歌う忌野清志郎にもなかなか共感できなかったり、そもそも日本が好きだからかどうしても反抗というパンクロックに感化されない自分がいた。
むしろアメリカを見ていて反抗ばっかりする人々、ストライキ、無差別殺人などうんざいするぐらい個人主義が強く反抗にあまり良い印象がない。さらにドナルドトランプの差別発言問題、ホームレスの増加、年収格差などの極度に貧困格差が広がっていると思うニュースもありながら改善できない現状に対してずっと反抗してきたアメリカだけど、うまくいっていないのに本当に今後うまくいくのかとさえ思えてくる。

パンクロックは社会のひずみを埋めたのは事実だ。それだけ社会が荒れていてパンクを求めたのだろう。パンクが行動する姿勢であるようにアメリカではパンクの姿勢をみせるかのように破壊をする人だってたくさんいる。これは平和な環境ではない。一方、日本では世界の中でもトップクラスの平和でありパンクとは反対の価値観にいるんじゃないかとさえ感じるのだ。たぶん60年代から80年代は今より荒れていただろうからパンクが日本でも良い役割を担っていたのだと思う。

しかし現在の日本は昔ほど荒れていないしルールを守る人も多くよく言えば素直で良い子、悪く言えば独創的でなく多様的でなく頭の固い子が多いのかもしれないが、パンクのような姿勢を必要としている人がどれだけいるのだろうか?と疑問にも思ったのだ。だから映画を見てちょっと共感できなかった部分があったのだと思う。

特にアニメを見て育ってきた人たちは利己的な個人主義より利他的個人主義に共感するのではないかとさえ思う。今まである日本のパンクが映画のような西洋のパンク、つまり利己的な個人主義をお手本にしてきたのであれば現在求められている物ではないのではないか?と思えてくるのだ。僕は利他的個人主義が日本的だと思うため日本のパンクは攻撃的で破壊的な表現より共感と共存、もっと日本的な美的感覚であってほしいと思っている。

例えるのは難しいが、例としていうとXJAPAN。
ロックでありパンクでありビジュアル系であるXJAPANの曲はとても綺麗な曲が多いと思う。昔は破壊的なライブだったのだろうけど今では破壊的な部分はあまりないのではないかと思うけどどうだろう?

また僕にとって破壊や攻撃的な西洋パンクよりアニメソングのほうがとても力強く感覚的に僕と社会のひずみを埋める。まさにそれは日本的なパンクなんじゃないかなって思う。パンクって音にノイズを入れたり叫んだりするだけじゃなくて大切なのは姿勢。世界でなんで日本のアニメソングを好きな人が多いか、それは世界の中にあるひずみを埋めるからなんだと思う。日本のアニメは視聴者の気持ちを掴んできたと思うし、西洋的な自己中な攻撃よりアニメにはどんな視聴者でも受け止めてもらえる視聴者の願いのようなものが込められていたと思う。未来的なアトムから日本の将来の希望、願い、ガンダムから戦わなくてはならないアムロの成長に視聴者は自分の男性としての成長を投影し、エヴァンゲリオンからは逃げたい現実があるけど弱いシンジが成長していく姿に共感し、2004年自己責任論がでてしばらくし2011年にはループ系の魔法少女まどかマギカそして時代は転生系へと流れていく。アニメは常に視聴者の気持ちを反映していたと思うし人々の希望であり願いがある。それは静かに社会に権力に訴えているのと同じ、まさにパンクのような姿勢なんだと思うし、人と社会とのひずみが常に変わってきたんだと思う。自己中心的な自由を掴む個人主義より周りの事を考えながら自由を掴む個人主義。だらしないことを言えば働きたくない人は働かなくても生きて行ける社会、転職なんて後からできる転職できづらいなんていうルールに縛られた社会ではなく、何がなんでも強くならないといけない社会ではなく自己責任という自分のことしか考えていないような無責任ではなく、誰でもが生きていける自由がアニメにはあるのではないかと思えてくる。

アニメだけじゃなくてなんで80年代が何故今人気なのかという一つの理由に個人というど孤独感、強くならないといけないという弱者切捨てのような考えが今より80年代は世界的にまだ無かったんだと思う。核家族化が進み、貧困格差も広がり、貧乏になる権利があるなどという意味がわからないこという人が出てきたり、いろんなことを分断する考えが今までの社会のあり方、個人のあり方を歪めているんじゃないかと思う。特に日本語と英語の構造には利己主義と利他主義がはっきりと表れているので西洋的なパンクや思想はなかなか日本に取り入れるのは難しいのではないかと思う。日本は異文化でもいいところを取り入れる姿勢は他国よりあるのに自国の思想をあまり大切にしていないのではないかと思えるのだ。

自由を掴め、魂をお金に渡さない!というテーリーのメッセージにはとても共感する。しかしテーリー・フーリーの時代では攻撃的じゃないとまとまらないぐらいの社会だからめちゃくちゃで攻撃的にならないといけなかったんじゃないかと思うけどそれはアニメを見たりゲームをする僕の感覚とは離れていて強くないと戦わないといけないとか、攻撃的なアメリカの姿勢を見て自己中からくる個人主義に嫌になったりする自分かいるからこそグッド・ヴァイブレーションズがすごい話だけどちょっと共感できなかったんだと思う。

スポンサーリンク
レスポンシブ 広告
レスポンシブ 広告
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。