海外生活をして自分が変わったと思う

海外生活をすると間違いなく人が変わっていく。
その理由は文化の違いからくる考え方、思考回路の違いが大きいと思う。

何が変わったかを簡単に説明していこうと思う。

1:言わなければわからないと分かる

日本のように言わなくても察するというのは外国では無いと思ったほうがいい。
そのためアメリカでは言わないといけないので日本人より騒がしい人が多いと思う。
これを高コンテキスト文化という。高コンテキスト文化では言葉すべてと言っていいほど言わなければわからない文化だ。
言わなくても察することはロマンが僕には感じられるけどアメリカにはあまりロマンがないようである。

言わないことでどうなるか、誰も気にしない、しゃべりたくないんだなと思われるかしゃべれないんだなと思われたりする。
言わないと後悔をたくさんすることになる。返品できない、返金できない、成績の交渉ができないなどアメリカでは言うこと前提で物事が動いているんじゃないかと思うぐらい失敗があることが当たり前、交渉が当たり前、とにかく言いたいことがあるなら言うしかないのだ。言わないと損をすることが分かるのと本当に誰も相手にしないままということだってある。

このせいで日本で戻るといいすぎてしまうことがあると思う。察しろよ、と言われても察せずコミュニケーションに支障がうまれることもある。それでも時間がたつと慣れてくるので問題はないし、海外と日本での頭の切り替えができるようになってくるので日本しか知らない人と比べればニュータイプみたいなものかもしれない 笑

面白いことに日本の察する力は海外に慣れてくると海外でも効果を発揮する。相手が言わなくてもこちらが察してしまうのだ。相手がいいたことを先回りして考えたりどうしたいのかを読み言葉にすると喜んだり驚かれたりする。例えばこの人挨拶したいんだ、と感じ取れればタイミングとか気にせず挨拶をすると仲良く徐々に慣れるし、この人、僕の反応を何も言わずに待っていると感じ取れれば早く反応してあげると話がスムーズになる。ただの会話からの反応でなく察しながらの行動と会話によって相手はなんでこの人わかるんだろう?って思うことだろう。それがすごいのだ。

2:警戒心が高まる

日本より海外のほうが危険というのは分かると思うが本当に危険なのだ。
安全な地域に住んでも何か犯罪が起きて何かトラブルに巻き込まれるんじゃないかという警戒心は解けない。
歩いていれば地面は汚れていて汚物が落ちていたりホームレスが話しかけてくることもあるので何が起きるかわからない。
ホームレスに攻撃されるなんていう話をニュースでも見るとホームレスに声をかけられないようにそそくさと逃げないといけない。
ホームレスだけじゃない、見た目は普通の人でもたまにホームレスみたいにお金をめぐんでほしいと学生に言ってくる人がいたり、さらに車の中から見た目は普通なのに何かと理由をつけてお金が欲しいとねだる人がいたりとにかく意味がわからない人が多いので警戒しないといけない。
警戒心は危険なことだけでなく雨の日にはびちょびちょの人が日本より遭遇することがありこちらが濡れないように警戒しながら距離をとらないといけないし、たまになんでかわからないけど怒ったり露骨に嫌がる人がいたりして差別なのか変な人なのかわからない人に関わらないように警戒しないといけない。
危ないことに対してアンテナを張って日本にいたときより平和ボケしないようになった。

3:アメリカ文化より日本文化のほうがすごいと気づく

アメリカは様々な人がいるので文化がなかなか育たないのかもしれないのか奥深さがあまりない。食べ物にしても街並みにしても見た目の雰囲気にしてもシンプルなことが多いのがアメリカ。
桜が咲いていてもなんであまり綺麗に見えないんだろう、緑がいっぱいの場所にいっても良い意味で管理されていない放置されいる感じがあり木々や花、石ころさえ騒然としているよう感じてしまう。
生き物といい意味で共存しているのかもしれないが様々なものと距離があり僕だけかもしれないけど少し寂しい気持ちになるのだ。

気にされていないことは自由なのかもしれないけど僕には心の距離を感じたのだ。
日本の場合は多くが綺麗だなぁと思う。

同じ食べ物のマクドナルドでさえ違いがある。バーガーの包み方、ポテトの塩加減、野菜の味も違い日本のほうが僕には塩加減もいいしあつあつなポテトの場合が多いし、バーガーを丁寧に作っている感じがある。バーガーに挟まってる野菜もアメリカのものはソースだけで味付けしたかのようにあまりおいしくない。野菜が死んでいるかのようである。そもそもアメリカの食材は味がないものが多く、その原因が化学薬品か遺伝子改良だと思うが大きくたくさん収穫できるようにしているのだと思う。そのためか味があまりない。
味が無いちょっとボロボロになっているレタスを食べてなんてレタスがかわいそうなんだと思うのだった。レタスはレタスとして生きていない。ブルーベリーがブルーベリーとして生きていない。なかなか腐らないのだ。ゾンビみたいなものかもしれない。

スピリチュアルな話に聞こえるかもしれないけど、ここはスピリチュアルではなく日本のセンスだと僕は思っている。言葉を変えれば様々なことに気遣いを感じるということなのだ。同じ桜でも桜の周りの草や地面などの綺麗さが違うのだ。生き物の命を軽く扱っているというのをアメリカではひしひしと感じ、日本のすごさを改めて感じるのだった。生き物を軽く扱うことから人間さえも軽く扱われているんじゃないかと思い少し怖くもなるのだ。

日本は人間をアメリカよりも大切に扱っていたんじゃないかと思いアメリカが叫ぶ人権とはいったいなんなんだろう?と考えさせられる。

4:英語圏なら他の国でも行ける度胸がつく

これは海外生活をして身に着く良いことだと思う。行動範囲が広がるのは間違いなく世界を広げるだろう。
行きたいところに行けるようになると心が広くなったように感じてくる。
意外と海外に行くことにビクビクしている人はいるんじゃないかと思うので自信がつくだけでも不思議なくらい他の人と差が出てしまう。
海外慣れしていない友達や海外が怖いと思っている友達にはだいたいすごいとか言われ外国人に日本で声をかけられて返答するだけで一目置かれる。
日本は年齢を気にする人が多いので年上の人が年下よりビクビクしていたらかっこ悪いと思うだろう。ただ自信があるだけでビクビクされすごいと思われるなんて悪いことじゃない。
海外慣れしている人からするとそうでもないけど、慣れていないグループの中ではただ自信がつくだけでひっぱりだこだ 笑
自信は根拠のない自信ではなく、文化や特徴を肌で感じたことがあるからこそ不安が少なくそれが自信につながっているのだ。
なんとかなる思えるぐらい、なんとかやってきた経験が自信につながっているのである。

5:流行を追わなくなった

日本いると本当にみんな流行を追っている人が多いし、僕は周りに流されて追っているときもあったけど疲れて周りの目が気になって嫌だった。
それがアメリカにくると流行を追っている人はあまりいないしテキトウな格好な人が多くて気が楽になった。
ダサいと思っていたことは意外と普通なんだと思えてなんで流行なんて追っていたんだろうと思えるようにもなった。
テレビやファッション業界にうまいことコントロールされていただけなんじゃないかと思う。
流行を気にしなくなると他のことに目がいくようになり気づかないことに気づけるようになる。例えば自分のやりたいことを再発見したり流行を追っていたときの時間を自分やりたいことに使えるようになる。
体調にも気づけて流行を追っていたことが大きなストレスだったことに気づく。
それはアメリカ式の自由を実感したんだと思う。
アメリカの自由は良く言えばやりたいことだけやればいい個人主義、悪く言えば野放し。
日本ではたくさんストレスがあることが多いんだなぁと思わされたのだった。
これが海外で生活すると日本が見えるということなのか、と思い少し嬉しかった。
明らかに日本だけしか知らない人より気づけることが増えて心にもアメリカと日本それぞれの気持ちがあり、日本で他と違うと思われても心に少し気にしない余裕が生まれる。
アメリカにちょっと染まってしまったんだなぁと少し嬉しいけど悲しい気持ちになったり、またその気持ちになれたことも海外生活ならではだろうと思うのだ。

6:自分がめちゃくちゃ真面目なんじゃないかと思えるようになった

普通にしているだけなのに周りが約束を守らなかったり宿題の提出が遅れたり、ガム噛んでいる人がいたり、テキトウな服を着ている人がいたりするのを見て僕は真面目すぎたんだろうかと思ってくるのだ。
海外が普通で日本が窮屈なだけなのか日本は普通で海外がテキトウなだけなのかわからなくなってくる 笑
真面目なのかと思うことに会話でもそう思う。話をきちんと聞こうとしたり出来るだけわかってもらおうと話しているだけなのに、意外と人の話を聞こうとしていない人やテキトウな会話で終わらす人、そもそも考えることが得意じゃなくて簡単な会話しかできないんじゃないかと思う人もいて話して聞くという普通のことが真面目に感じてくるのだ。

飲食店でも同じようなことがあって普通にメニュー通りに注文しただけなのにメニュー通りの食べ物が出てこない。どこでもあって例えばバーガーショップでドリンク付きで注文なのに店員がメニューを覚えていないことがちらほらあってドリンク付きのメニューの名前と単品メニューの名前の区別がなかったり、それについて尋ねたら「君が正しい」とかいうけど全く覚える気がないのか数日通っても変化がない 笑
メニュー通りに注文して店員が間違っていることを教えてあげただけなのにものすごく真面目に感じてくる 笑
友達とご飯を食べて健康のためにバランスよく食べようとしているだけなのに友達はお肉ばっかりの料理を頼んでバランスよく食べている僕に不思議そうに見て「ベジタリアンなの?」とか聞いてくるし 笑
肉も食べているけどバランスよく食べているだけなのに健康という概念が無い人も意外と多いんじゃないかと思う。健康を普通に考えているだけで真面目なんじゃないかと思えてくる。
学校でも「大学生なのに手を洗いましょう」とかトイレに張られていたりそんなの普通なんじゃないの?とか他の外国人留学生だけどあまり歯磨きをしていない人が多いのか歯が悪くなる人が意外と多いと感じたり、食べたら歯磨きするよね?って思うけど歯磨きを食べた後にするだけで真面目に感じてくる 笑
お風呂の習慣、トイレの使い方、しゃべり方、公共サービスに対する感覚、食べ方などなどもういろんなことが考え方が違って一体なにが真面目で不真面目なのかわからなくなるほどだ 笑
この違いになれて日本でやっちゃうと、だらしないとか、ヤバイとか言われるから日本の基準を忘れないようには気をつけているけど 笑

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